HOKUTO代表取締役 五十嵐北斗氏
HOKUTO代表取締役 五十嵐北斗氏
  • 医師一家から学生起業「やはり医療に興味がある」と医学生向けサービス提供
  • 医師も「ググる」最新医学情報をより探しやすく参照しやすく
  • スタートアップ起業家らが注目した巻き込み力と市場規模

新型コロナウイルスの感染拡大状況は、今でも新しい変異株の流行など、目まぐるしく変わっている。専門医であっても、既知の知識や情報にだけ頼るのではなく、最新の医療情報を常に仕入れて、知見を更新し続ける必要がある。だが、感染拡大フェーズの多忙な臨床の現場で新しい情報に目を通して患者の役に立てることは、相当タフなことである。

これはCOVID-19に限らず、どのジャンルの医療にも当てはまる。患者に現時点で最善の医療を提供したいと考える医師であれば誰しも、日々更新される情報をキャッチアップし、その内容を臨床現場でもすぐに生かせるようにしたいと願うことだろう。

こうしたニーズは今に始まったことではない。世界の医学知識が倍に増えるまでに要する時間は、1950年には50年と見積もられていたのに対し、1980年には7年、2010年には3.5年、2020年には73日へと短縮されており、情報は指数関数的に増加している。

そこでインターネットが一般に普及するようになった2000年代には、医療情報サイトの「m3.com(エムスリー)」や「CareNet.com(ケアネット)」、医師専用コミュニティ「MedPeer(メドピア)」といった医師・医療従事者向けサービスが相次いで登場した。より効率よく情報が仕入れられるよう、各社がサービスを展開している。

ある意味では、これらの医師向け医療情報提供の領域はすでに市場が成熟している感もある。だが、実はここへ来て、Zホールディングス取締役の小澤隆生氏や、メルカリ取締役President(会長)の小泉文明氏、SmartHR創業者の宮田昇始氏らをはじめ、名の知れた起業家・投資家らが注目し、投資する医師向けサービスが現れた。2019年11月リリースの医師向け臨床支援アプリ「HOKUTO」だ。

サービスを提供するHOKUTO代表取締役の五十嵐北斗氏に、後発でのサービス展開や今後のもくろみについて話を聞いた。

医師一家から学生起業「やはり医療に興味がある」と医学生向けサービス提供

HOKUTOの設立は2016年3月。2018年1月には、医学生向けに卒業後、研修医(レジデント)を受け入れる病院の情報や口コミを掲載する「HOKUTO resident」をリリースした。

五十嵐氏は北海道の出身。父や弟、いとこらが医師という家庭環境にあり、医学部へ進学する高校時代の同級生も多かったという。自身は医学の道へ進まず、1人上京して学生時代に起業したが、「やはり医療には興味がある」ということで選んだ事業がHOKUTO residentだった。

「東京に住んで通学したり、そこで会社を設立したりしていたので、北海道の医学生の友人たちが訪れて、うちをホテル代わりの拠点として就職活動を始めたんです。それで、病院を見学しては『この病院はいい』『あそこは悪い』と相談する声を聞くようになりました」(五十嵐氏)

五十嵐氏の父親は道内の医学部に進学し、そのまま道内の病院に就職していたため、五十嵐氏には「道内の人はみんなそうするものだ」というイメージがあったそうだ。だが五十嵐氏の話では現状、「7割ほどの人が出身地ではない大学の医学部に進学し、卒業後は首都圏の病院に就職したいとの意向を持っている」という。

五十嵐氏の家に集う同級生ら友人も、東京の病院に勤めるために滞在していたわけだが、「北海道にいると東京の病院の情報がない。口コミベースでかき集めた病院の情報も、実際に見学に行って聞いてみると違っていたということが往々にしてあった」と五十嵐氏は言う。

「病院側も何とか医師不足を解消するために『うちは救急科が強い』などと“盛って”情報発信してしまうことがあります。それで学生が北海道からわざわざ東京まで来て、見学に行くと期待と違っていて、文句を言いながら帰ることになる。そうした例が3件ほど、立て続けに起こったので、『これはペイン(課題)だ』ということでつくったのがHOKUTO residentでした」(五十嵐氏)

HOKUTO residentでは、地域別で各病院の得意とする専門科や忙しさの度合いなどから、研修医を受け入れている病院が検索可能。医学生は自分に合う条件の病院を探すことができる。初めは五十嵐氏が全国を回って、各地の医学生に近隣病院の情報をヒアリングしていたが、現在はユーザーが口コミを1つ書き込むと情報を閲覧できる病院が1つ追加されるという仕組みで情報を収集している。

今では医学生の7〜8割が登録するというHOKUTO resident。特にコロナ禍では、病院の合同説明会イベントが開催できなくなったこともあり、サービスシェアが急増しているという。

ただ、病院の研修医獲得のための予算はそれほど潤沢ではない。医学生をターゲットとしている限り、広告媒体としての価値もさほど高まらない。そこで五十嵐氏は、「医学生が医師になっても使われるようなサービスにすることで、収益性が上げられるのではないか」と考えた。

HOKUTO resident立ち上げのために情報収集をした各地の医学生が、卒業して医師となったタイミングで、五十嵐氏はもう一度彼らに会いに行く。そこで新たに見つけた課題が「医学情報の更新ペースの早さ」「一般の検索エンジンによる医学情報の検索精度の低さ」だった。

医師も「ググる」最新医学情報をより探しやすく参照しやすく

冒頭で述べたように、医師は数多くの多様な論文や医学ニュースなどの中から、自分の診療科や専門に関係する最新の医療情報を取捨選択し、キャッチアップして内容を覚え、ノートに記録するなどして現場ですぐに生かせるようにしておかなければならない。

昔の医師は、臨床現場で何か分からないことがあれば医学書で調べて、それをもとに治療を施していた。しかし情報更新ペースがあまりにも早いため、たとえば新型コロナウイルス感染症でも、2年前の治療法と今の治療法では全く違うということが起きてしまう。だから医学書では情報更新が追いつかない。

では、どのように医師が治療方法を調べているのか。五十嵐氏はヒアリングの中で、医師たちがGoogle検索を使っていることに気づいた。ただ、Google検索はもちろん、医療に特化したサービスではないため、より検索数が多い患者向けの情報が上位に表示され、医師が本当に欲しい情報は検索結果の奥底に眠っている。このため治療方法を調べる行為にとても時間が掛かり、医師や医療現場の効率性が下がる結果となっている。

そこで「医師向けに医療情報専用の検索エンジンをつくれば大きなペインを解決でき、医師が一生涯にわたって使い続けるサービスになるのでは」と開発されたのが、医師向け臨床支援アプリのHOKUTOだ。

HOKUTOは、アプリ内で論文や医学ニュースなどの最新情報の入手、医学知識の保存、文献検索がワンストップで可能だ。

HOKUTOでは、各位学会の診療ガイドラインや薬剤情報、専門医監修の診療マニュアル、医学・生物学文献データベースのPubMedのほか、医学論文からの引用に基づき作成した医療計算ツールや抗菌薬の腎機能投与量計算機能にアプリから簡単にアクセスでき、無料で使用できる。また、医学出版大手のウォルターズ・クルワー・ヘルスが提供する臨床意思決定支援リソース「UpToDate」の購読契約がユーザー側にあれば、その記事の閲覧もアプリ内でできる。

HOKUTOの画面イメージ
HOKUTOの画面イメージ
HOKUTOアプリのホーム画面
HOKUTOアプリのホーム画面

HOKUTOが目指すのは、医師の意思決定プロセスを効率化し、患者に向き合う時間を増やすことだ。多忙な医師のために、医学情報のインプット、必要な場面での参照、臨床現場でのリサーチを1つのアプリでサポートすることで、これを実現しようとしている。

最初は、HOKUTO residensユーザーだった研修医の間でHOKUTOの利用が広がり、「最近では研修医だけでなく、もっと上の世代まで使われるようになった」と五十嵐氏。現在は、国内にいる医師の10%にあたる、約3万人の医師が会員となっている。

マネタイズは製薬会社からの広告掲載で行っているHOKUTO。競合となるのは冒頭にも挙げたエムスリーやケアネット、メドピアのサービスだ。ただし五十嵐氏は「それは製薬会社から見た媒体としての見方。医師から見れば、これらの企業とは競合とはならない」と説明する。

「これらの企業が提供するのはどちらかというと、ニュースメディアとしての価値です。例えれば『Yahoo! ニュース』や『SmartNews』のようなポジションと言えるでしょうか。一方で我々は、臨床現場で検索して使えるツールを提供しています。立ち位置としては『Slack』や『Google(検索)』に近いポジションです」(五十嵐氏)

五十嵐氏は、HOKUTO residentを通じて医学生の頃からユーザーとなる医師のシェアを押さえている点が、HOKUTOの強みとなっていると言う。また、スマートフォンアプリとしてサービスを提供しているのもポイントだと五十嵐氏は語る。

「実は医師が臨床現場でスマートフォンを開くようになったのは、ここ数年の話。以前は病院でスマートフォンを開いていると、年配の先生方に『遊んでいる』と思われるような環境でした。ところが医療情報が爆発的に増えてしまって、今や年配の先生も、スマートフォンを開いて臨床現場で意思決定する機会が増えましたし、そうせざるを得なくなってきました。その需要に応えるかたちで、HOKUTOを提供することができています」(五十嵐氏)

HOKUTOアプリのタイムライン
「肺炎」で横断検索した時の検索結果画面
ERマニュアル
計算ツールを「肺炎」で検索した時の画面
計算ツール、市中肺炎の重症度分類であるA-DROPスコアの画面
薬剤情報

スタートアップ起業家らが注目した巻き込み力と市場規模

HOKUTOでは、医薬品のデジタルプロモーション(広告)の分野において、数年で1000億円以上の市場にリーチできると想定している。また、広義の製薬企業の販促関連マーケットでは1.5兆円規模に拡大すると考えている。市場拡大の背景には、医薬品情報提供を通じて、自社の医薬品採択を促す“医薬品の営業担当者”であるMR人員の減少と、コロナ禍によるMRの病院への訪問規制も影響しているという。

海外に目を向ければ、米国で医師・医療従事者専用のプラットフォームとして医療ニュースや遠隔医療ツールなどを提供し、「医師版LinkedIn」とも呼ばれるDoximity(ドクシミティー)が2021年6月にニューヨーク証券取引所に上場している。同社の2021年3月期の売上高は2億ドル(230億円)余り、対象マーケットは18億ドル(約2兆円)規模と推定されており、「米国でも市場規模が大きくなっている領域」(五十嵐氏)だという。

米国に限らず、東南アジアやインド、中国などのアジア圏でも、医師向けのスマートフォンアプリは提供されているが、「MRの人件費が米国と日本では高いため、その置き換えとしての市場が大きい。また中国では遠隔オンライン診療などに多角化する傾向があり、製薬企業のデジタル広告の分野では日本と米国のマーケットが特に大きいのです」と五十嵐氏は説明する。

HOKUTOは2021年12月に、総額8億2500万円の資金調達を実施している。今回の第三者割当増資の引受先は、グローバル・ブレイン8号投資事業有限責任組合、Genesia Venture Fund 2号投資事業有限責任組合、GMO GFF投資事業有限責任組合 無限責任組合員、グリーベンチャーズ1号投資事業有限責任組合と個⼈投資家等の株主。今回の資金調達により、HOKUTOの累計調達額は11億2500万円となった。

冒頭でも触れたが、HOKUTOに投資する個人投資家には、名だたる起業家・投資家が名を連ねる。また、実際にサービスを使う医師らからも出資があるという。

HOKUTOに投資する個人投資家

投資家らのコメントによると、「課題や事業成長のマイルストーンへの解像度の高さ」「実行力や巻き込み力」などのほか、市場規模が大きく成長率が高い医療領域での事業展開や、実際に医師や医学生に使われるプロダクトがすでに提供されている点などが評価された結果、出資が行われているようだ。

「これまでは調達情報は公開せず、ステルスでサービスを展開し、ユーザーだけに向き合ってきました。ですが製薬企業との取引が拡大し、採用面も強化するタイミング。今後は2〜3年でエムスリーやメドピアに並ぶ会員規模に成長し、さらに数年で国内30万人の医師にリーチする規模を目指します」(五十嵐氏)

また、国内に次いで、海外への事業展開も視野に入れていると五十嵐氏はいう。

「中国や東南アジアの病院にも行脚し、米国のユーザーにもヒアリングをしましたが、実はどの国でも、まだそれほど同種の医療情報提供アプリは使われていないと分かりました。米国はマーケットも大きく、大きなプラットフォームが2つしかないので、そこでも市場シェアをしっかり取っていきたいと考えています。最終的には世界中の医師が我々のプラットフォームを使い、世界中の医療情報がどんどん蓄積していって、HOKUTOさえあれば世界中どこに居ても情報を得られる状況にするというのが、私がこの会社で実現したい世界観です」(五十嵐氏)