
- 医学部在学中に、ネットメディアの世界へ
- WELQ騒動で燃えたのは、「自分」だったかもしれない
- 広告収入で成り立つメディアを多くつくっても意味はない
異色のキャリアを持つ、朝日新聞社の記者・編集者の朽木誠一郎氏。医学部を卒業しメディア運営会社で編集長に就任後、BuzzFeed Japanで医療専門記者を経験。現在はメディア「withnews」や、朝日新聞社内のデジタル領域で活躍している朽木記者に「メディア企業で働くことの現在」について話を聞きました。(編集注:本記事は2019年12月12日にAgenda noteで掲載された記事の転載です。登場人物の肩書きや紹介するサービスの情報は当時の内容となります)
医学部在学中に、ネットメディアの世界へ
徳力 私はミレニアル世代のビジネスパーソンは、それ以前の世代と比べてインターネットに対する感覚が違って、それが「ビジネスにおける感覚にも影響を与えているのではないかな」という仮説を持っています。
1970年代初頭に生まれた私の同世代は、どちらかと言えば、インターネットの先にいるユーザーを「信用できない」と考える人が多いのですが、ミレニアル世代はインターネットの方がリアルで「信用できる」という感覚の人が多い印象です。
特にその分岐点は大学に入学したタイミングにmixi(ミクシィ)があった1986年生まれにあると考えているんです。朽木さんは、1986年生まれでしたよね。
朽木 はい、まさに大学生の頃、mixi上に自分が所属する部活のコミュニティをつくっていました。
徳力 なので、朽木さんがサンプルとして正しいかは分かりませんが(笑)、ミレニアル世代の記者・編集者がメディアをどのように捉えているのか聞きたいと思ったんです。ちなみに、朽木さんがインターネットに初めて触れたのは、いつ頃ですか。

朽木 中学2年生のときなので、1999年でしょうか。映画監督の岩井俊二さんの作品が大好きで、彼がインターネット上で運営していた「円都通信」というサイトの「シナ丼」というシナリオを公募するコーナーに投稿していたんですよ。
徳力 では、インターネットに触れるのは、早い方だったんですね。その後も継続的に使っていたのですか。
朽木 いえ、高校時代は部活と勉強だけで…。大学入学までは触れてもいませんでしたが、ネットメディアの「デイリーポータルZ」は、昔から好きで読んでいましたね。当時のインターネットって、同世代の間ではもっとオタクっぽいというか、アングラとまでは言わないですが、マイナーなイメージのものだったんですよね。友人とは、話しにくいテーマだったんです。
徳力 もう一度、インターネットに深く関わり出すのは、いつですか。
朽木 大学で留年したタイミングです。2浪して群馬大学の医学部医学科に入ったら「目標を達成した」と感じてしまって、あまり勉強しなくなり…。4年生のときの試験がひとつだけ通らず、突然ぽっかりと1年間の空白期間ができました。そこで何をしようかなと思ったときに、中学生の頃に「シナ丼」に投稿するくらい、「文章を書く仕事をしたかった」ことを思い出したんです。
ただ、私は栃木生まれで、茨城育ちの群馬にいる大学生。どうすれば文章を書く仕事ができるのかが想像できず、インターネットで検索したんです。そこで、たまたま募集していた小学館のデジタル事業部にアルバイトのライターとして採用してもらいました。
徳力 何を担当されていたのですか。
朽木 当時は、Yahoo! JAPANのトップページに女性向けWebメディアや生活情報、エンタメサイトの枠があって、そこからのトラフィックを奪い合っていた頃です。シナリオを書きたかったはずなのに、気づいたら「元カレを振り向かせる5つの方法」といった記事をたくさん書いていました(笑)。
徳力 なるほど。大学生のときに、大手ポータルサイトからトラフィックを得る、いわゆるネットメディアの基本構造を学んだんですね。大学生からすれば、小学館のメディアで記事を書くなんて、すごい経験でしたよね。
朽木 はい、当時人気のあった芸人の取材もさせてもらって、舞い上がっていました。そのうちライターの仕事だけで月給が30万円を超えて、6年制なので大学を卒業するまでの3年間続けました。
WELQ騒動で燃えたのは、「自分」だったかもしれない
徳力 月給30万円は、下手な大手企業の初任給よりも多いじゃないですか。それでメディアの道を選ぶわけですね。
朽木 はい。本当に医師になりたいのか、迷いが生じていて、勉強にも身が入っておらず、医師国家試験に不合格になって。普通は予備校に通って翌年また受け直すのですが、もう少し違う世界を見てみたい、と考えて、社会勉強のつもりで飛び込みました。
徳力 Webメディア運営会社には、どういう経緯で入社したのですか。
朽木 小学館とは別のアルバイトで縁があったんです。そこで、前任者が急に辞めたこともあって、入社半年で編集長に就任しました。当時は、深夜3時まで仕事をして、会社のソファで寝てマンガ喫茶でシャワーを浴びて、また朝8時から働くみたいな生活でした。PVや売上目標もかなり高くて、なぜ人材が定着しないのか、理由が分かりました(笑)。
徳力 編集長をされていた頃、セミナーによく登壇されていましたよね。

朽木 ただアルバイト程度の編集経験しかなくて、誰からもきちんと業務を教わったことがないのに登壇していて、何だか自分の虚像が膨らんでくような感覚で「本当にやばい!」と思っていました。
徳力 マジメですね(笑)。アルバイトも含めればメディア業界に5年以上いて、それなりの給与を稼いでいた時期もあるのだから、自分のことをそれなりに経験のある編集者だと思ってもいい気はしますけど、そう思わないのが朽木さんらしい逸話ですね。
朽木 調子にのれる環境ではないんですよ。アルバイトで30万円稼いでいたのに、入社した途端に手取りが14万円になりましたから。「Webメディアは食べていける仕事ではない」と、痛いほど思い知ったんです。
次に、編集をきちんと勉強しようと入社させてもらった編集プロダクションのノオトは、本当にいい会社でした。ただ、私は2浪1留で6年制大学を卒業していたので、入社時はまもなく30歳。なのにまだまだ駆け出しのような人材で、このまま、家族ができたらどう養うのか、一生食べていけるのか、不安も感じていました。そうした思いを抱えている頃、DeNAのWELQ騒動が起きたんです。
徳力 DeNAが運営する医療メディア「WELQ」に不正確だったり他サイトから盗用したりした記事が大量に掲載されていた問題ですね。当時、朽木さんと同じような若者の編集者が「何が良くて何が悪いのか」という判断がつかないまま記事を世に出して、社会全体から批判される結果になりましたよね。
朽木 あの事件は、私にとって強い戒めになっています。何しろ私が最初に入社したWebメディア運営会社での業務は、医療領域でなく、盗用などはもちろんしていなかったものの、PVや売上目標のためにたくさんの記事をつくるという意味では彼らとほぼ同じでしたから。もし私がずっとその会社にいた場合の「あったかもしれない未来の姿」を見ているようでした。高い目標が設定され、生活も苦しい切迫した状況で一線を越えてしまうのだな、と。
徳力 でも、WELQ騒動で朽木さん自身が炎上したわけではなく、問題提起をする側に回りましたよね。
朽木 だからこそ、その中で「燃えていたのは、自分だったかもしれない」と思うんです。私は新聞社に入社して生活が安定しましたが、ネットメディアは真っ当に取り組むほど苦しい。レバレッジを掛け過ぎると、WELQみたいな状況に陥ってしまいます。
広告収入で成り立つメディアを多くつくっても意味はない
徳力 ネットメディアが「メディアとしてのあるべき姿」を突き詰めようとすると、ビジネス的に難しくなるわけですか。既存メディアからネットメディアに移る編集者が圧倒的に多い中で、朽木さんが真逆のルートを辿ったのも、そうした理由があるのでしょうか。
朽木 そうですね。私は、かなり怒っていて。例えば、30代でネットメディアに勤めて年収が額面で600万円という人がいたとして、これはわりと恵まれた方かもしれませんが、ひとりで生きていく分にはいいけれど、将来のことを考えたとき、例えば東京で家族を持って子どもを育てたり、貯金をしたり……というのは、結構しんどいんじゃないかというのが実感です。
いろんな人が「オールドメディアはもうダメだ」と言いますが、ネットメディアはまだまだ発展途上で、環境が良くないところもたくさんある。オールドメディアの編集者がしっかり貯金をしてからネットメディアに移るなら将来の不安は軽減されるかもしれませんが、ネットメディアネイティブだと30代に入ったときに将来が見えないんですよ。だから、この状況を本当に何とかしないといけないんです。

徳力 朽木さんとしては、どんな解決方法があると思っていますか。
朽木 ひとつ言えるのは、広告収入モデルの無料メディアは本当に、ウミガメの産卵のように成功する例が少ないので、それをたくさんつくる戦略は効率が悪いということ。選択と集中が大事で、成功したメディアにリソースを集中させるべきだと思っています。
個人的には、10人程度の編集部員が所属して年商3億円のネットメディアが勝ち筋。それだったら年収1000万円を切るくらいでなんとか生きていけますよね。これをベースにいかに拡張性を持たせられるかがカギだと思います。
私の問題意識はこのあたりにあるので、今は朝日新聞でどうすればメディア事業をスケールさせられるのか模索しながら取り組んでいるところです。
>>4月1日(木)公開予定の後編に続きます。