
世界中に金融サービスを届ける民間版の世界銀行を目指す──。途上国において中小零細事業向けの小口金融サービス(マイクロファイナンス)を展開する五常・アンド・カンパニーは、2014年7月に代表執行役の慎泰俊氏らが立ち上げたスタートアップだ。
同社ではテクノロジーと独自のオペレーションを掛け合わせることで、これまで金融サービスにアクセスできなかった人に向けて少額融資を軸としたサービスを提供している。
創業から約7年半がたった現在ではインドやカンボジアなど5カ国に進出し、8社のグループ会社を保有。融資顧客数は100万人、融資残高は600億円を突破した。2020年に実施したシリーズDラウンドでは70億円以上の資金を集めるなど、外部の投資家からの資金調達額も累計で140億円を超える。
もっとも、外部調達をしながら事業拡大を目指すスタートアップとしては一定の利益を出すことが求められるため、既存のアプローチでは「サービスを届けられない層」も存在していた。その現状を変えるべく、慎氏が新たに立ち上げたのが五常財団だ。この財団を通じて、五常・アンド・カンパニーとは異なるやり方からも金融包摂に取り組んでいくという。
途上国の人口約40億人のうち、そもそも金融機関に口座がない人が4割、金融サービスの質や価格に満足できていない人は8割ほど存在すると言われている。この中にはスマートフォンを保有していない人も多く、字が読めないことも珍しくない。五常ではこうした人に向けたマイクロファイナンスサービスを運営してきた。
ユニークなのがその組織構造だ。同社は各国で事業を展開するにあたって現地のマイクロファイナンス機関に資本参加(過半数の株式を取得することが多い)したり、彼らと連携して新会社を設立したりしながら、現地の事情に精通したパートナーと事業を手がけている。
通常この領域ではローカルの信用金庫のような企業やNGO、ローカルの大企業、IT系の新興企業などいくつかのプレーヤーが存在するが、慎氏の話ではこれまで各事業者が交わることが少なかった。
現地でうまくいっているマイクロファイナンスの事業者は現場の営業社員の活躍によって支えられているところが多く、地元とのつながりが大きな強み。その反面、海外展開や新しい革新的なサービスを作り上げるノウハウなどを持ち合わせているわけではなく、テクノロジーの実装も課題の1つだ。一方で少数精鋭のIT系スタートアップが、接点の少ない地域でゼロから事業を立ち上げるのは簡単なことではない。
五常の場合は持株会社の従業員の約半数がIT系企業の出身で、そのほかにも金融機関やプロフェッショナルファームから参画してきたメンバーなどが集まる。同社では各地域に詳しい現地の金融機関の株式を保有することで強固な関係性を築き、彼らにない知見や技術を注入することによって急ピッチで事業を広げてきたわけだ。
たとえば「テクノロジーの活用」は五常の事業には欠かせない。マイクロファイナンスの主な顧客が中高年層かつスマホを持たない人たちになるエリアでは、従業員や代理店の融資業務をサポートするアプリを開発。指紋決済を用いた仕組みなどを通じて、現金や手書きの通帳によるやりとりなしで融資ができる体制を整えた。
また識字率が高いエリアではエンドユーザー向けにスマホを用いたウォレット・決済アプリも展開。タジキスタンでは同社のアプリが国内でトップクラスのシェアを誇るそうだ。
「マイクロファイナンスのサービスはすごく小さな金額の融資をface to faceでやっているため、人件費が1番大きなコストです。テクノロジーの実装や経営の強化が進めば生産性が上がるため、この人件費率が改善される。そうすると全体のコストが下がるので金利を下げることができますし、より小さい金額の融資をすることもできます。つまりイノベーションを起こせば起こすほど、より所得の低い人向けであっても、採算が合うサービスを提供できるようになるんです」(慎氏)
創業から約7年半、五常では年々事業の規模を拡大し、新たな国にも次々と進出してきた。その一方で、慎氏は現在の枠組みではサービスが届けられない層がいることも感じるようになったという。
「顧客の約7割は1日5.5ドル未満で暮らす人たちなのですが、世界銀行が極度の貧困層と定義している1日1.9ドル以下で暮らす人々の割合となると、極端に少なくなるのが現状です。社会的な意義などのためにある程度までは利益率を下げられるものの、弊社は株式会社なので、ずっと赤字が続くような事業を続けるわけにはいきません。極度の貧困層とされる人は7億人以上いると言われていますが、現時点ではそのような人たちに対して採算が取れるかたちで提供できる金融サービスを実現できていない。短期的には会社として解決が難しいことに挑戦するために、財団を作ろうと考えました」(慎氏)
財団と言えば2021年にはメルカリ創業者の山田進太郎氏がダイバーシティ&インクルージョンを推進していくための財団を設立し、今後総額で30億円を寄贈すると発表したことで大きな話題を呼んだ。
五常財団の場合は会社が未上場ということもあり、「まずは小さい規模からスタートする」(慎氏)計画。目指すべきビジョンは五常・アンド・カンパニーとは変わらないが、財団では極度の貧困層や、地理的な要因などで金融機関が出店しにくいエリアを対象としたサービスなど、営利企業からは十分なサービスを享受できない人々の生活を向上させるプロジェクトを支援していくという。
「たとえばインドにあるラダックという地域には銀行はあるものの、マイクロファイナンスの機関がありません。理由は明確でマイクロファイナンスのサービスは、人口密度がある程度高くないと成立しないからです。もしこのようなエリアでも成立するサービスがあるとすれば、どのようなものなのか。このようなテーマも(財団を通じて)考えてみたいと思っています」
「五常・アンド・カンパニーとしては100億円以上の資金を集めて事業を推進してきたので、もちろん株主への責任なども含めてこれからも全力投球していきます。ただ会社を立ち上げた理由を踏まえると、別のかたちのエンティティ(組織)もあった方がより良くなるし、翻っては(財団での取り組みが)会社にも良いかたちで返ってくると思うんです。将来的にはこれらの取り組みがうまくシナジーがある状態になって、民間セクターにおける世界銀行のグループのようになればと考えています」(慎氏)