
- 「Twitter感覚で世界を創る時代」が今後15年以内に来る
- メタバースによって、人間のマルチ人格化が加速する
- 中年男性が美少女のアバターを選ぶ、外見と人格の関係性
- 「なりたい自分で生きていく」世の中へ
「メタバース」が普及していくと、私たちの生活はどのように変わっていくのだろうか?
スペースデータ代表取締役社長の佐藤航陽氏は「今後15年以内に、SNSのアカウントを開設するような手軽な感覚で、自分だけの3次元世界を創り出せるようになる」とし、「なりたい自分で生きていく世の中になっていく」と語る。
メタバースがもたらす社会の変化、個人の価値観の変化について、3月31日に出版された『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』(幻冬舎)の内容の一部抜粋をもとに、佐藤氏に解説してもらう。
「Twitter感覚で世界を創る時代」が今後15年以内に来る
今やTwitterのアカウントを複数もつ人は少なくありません。会社勤めのビジネスパーソンや公務員が、実名・顔出しで自由に発言すると炎上することがあります。友人・知人だけでなく、家族にさえアカウントを知られたくない人もいるでしょう。そういう場合、Twitterの新しいアカウントはわずか1分で開設できます。10個も20個もアカウントを作ったってかまいません。
同じように今後15年以内に、SNSのアカウントを開設するような手軽な感覚で、自分だけの3次元世界を創り出せるようになるでしょう。オリジナルな3次元空間と自分のアバターを、個々人が当たり前のようにもつ時代がやってくるのです。映画『竜とそばかすの姫』(細田守監督による仮想世界を舞台にした長編アニメーション)的な未来は、もうすぐ手が届くところまで迫っています。
膨大な並行世界がパラレルワールドとして溢れ、相互に影響を与え合っていく。世界Aから世界Bに瞬間移動したり、世界Aと世界Bがコラボレーションして面白いイベントを企画する。複雑系のさらに先の先を行き、多元的な並行世界が理解不能なレベルまで永遠に進化していきます。
『竜とそばかすの姫』では、悪さをする竜に対して「あいつをみんなでやっつけようぜ」と申し合わせてガーディアン(自警団)が一斉に叩きます。Twitterでも見られるようなコミュニケーションが2次元から3次元に進化し、信じられないほど複雑さを極めるのです。
仕事でストレスが溜まったとき、サブ垢(匿名の別アカウント)にログインして、誰かを誹謗中傷したり攻撃したりする人がいます。そういう人はアカウントを5個も10個ももち、アイデンティティを器用に使い分けています。
戦闘モードのアバター(人格)もあれば、現実世界から疲れたときにまったりと休むアバターもある。人々の精神構造は今よりも複雑に細分化し、それぞれのメンタリティがメタバース上に無数に展開されるようになるでしょう。
複数の仮想世界で生きていくのが当たり前になったとき、人間のアイデンティティや精神は変容し、現代人の感覚とは全く別ものになっていくはずです。
人々がスマホでTwitterやInstagram、TikTokを使いこなすようになってから、現実世界がもつ価値は相対的に下がりました。リアルに喫茶店でコーヒーを飲んだり、レストランで食事したりする相手はガクンと減り、そのかわり何千人・何万人というフォロワーとの交流が活発化します。
夫婦や友達連れで一緒に食事に来ているのに、目の前にいる人とは全く会話せず、目すら合わせずスマホの画面に見入っている人も珍しくありません。近所のコンビニにはスッピンで行くのにインスタの前では化粧をする人もいます。
メタバースによって3次元の仮想空間ができ上がれば、最終的に現実世界の価値は今の 10分の1くらいに下がると私は見ています。
メタバースによって、人間のマルチ人格化が加速する
メタバースの開発によって、特定の巨大空間が、もう一つ誕生するわけではありませ ん。uni(=単一)verse(ユニバース)ではなく、multi(=多重・多数・多元)verse (マルチバース)が生まれるのです。
複数の仮想世界が、並行して膨大に存在するようになるのです。量子力学を研究する学者は「我々が存在する宇宙とは別に、無数の多元宇宙が存在する」という仮説を唱えてきました。4次元どころか、5次元・6次元・7次元......とたくさんのマルチバースが連なっているというのです。現実の宇宙空間が、ユニバースではなくマルチバースかどうかは私にはわかりません。
しかし少なくとも仮想空間上では、お互いが干渉せず独立したメタバースが、何億個も膨大に存在するようになるはずです。Aさんがログインするメタバースでは、Aさんが大統領として世界を統治する。
Bさんがログインするメタバースでは、世界の食糧危機に対応するためにワールドワイドの農業ベンチャーCEOとしてがんばる。Cさんがログインするメタバースでは、『スター・ウォーズ』のバトルが延々と繰り広げられる。
メタバースは重層的に生まれるはずです。私たちは無意識のうちに、職場や学校・プライベートでパーソナリティを器用に切り替えています。家族と一緒にいるときには、職場なり学校なりで振る舞う自分の姿はそのまま見せない。気の置けない友達と一緒にいるときには、タメグチでぶしつけな言葉遣いを平気でする。職場にいるときには部長や課長といった職責をまとい、それなりの「権威の衣」を着て振る舞う。
ひとりの人間の中に多様な「自分(分人)」が存在する。作家の平野啓一郎さんが著
書『私とは何か「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)でこの「分人主義」を提唱しました。
メタバースが広まるにつれて、人々は仮想空間上でも「分人」として振る舞うようになるでしょう。空間A・空間B・空間Cではそれぞれ性格も職業も違っており、つき合う仲間も全く異なる。これから20〜30年のうちに、人間のマルチ人格化がものすごい勢いで加速化し、可視化されるはずです。
中年男性が美少女のアバターを選ぶ、外見と人格の関係性
メタバースによって個人のアイデンティティが変容していくにつれて、一つの疑問にぶつかります。それは、私たちは「自分自身がどんな人間なのか、本当に知っているのだろうか?」ということです。「そんなの当たり前だろ、自分のことは自分がよく知ってるよ」という方も、ちょっと考えてみてほしいのです。
もし自分の顔が今と違っていたら、もし背が今より10cm高かったら、もし今より声が 低かったら、もし性別が逆だったら、皆さんは今と同じ性格に本当になっていたでしょ うか?
時間を遡ってこれらを試すことは難しいので、この「もし」を検証することはできないとは思いますが、「NO」と答える人のほうが多いと思います。
その人の性格・個性・人格は、身体的な特徴と密接に結びついており、かつそれらは暮らしている環境によって相対的に変化するものである可能性が高いのです。
例えば、身長180cmの日本人男性がいたとします。日本人男性の平均身長は170cm前後なので、彼は周りよりも身長が高く、バスケットやバレーなどのスポーツでは優位となり、活躍できるかもしれません。それが自信となって後天的に「明るく活発で勝ち気」といった人格が形成されるかもしれません。
ただ、もし彼が育った環境が日本ではなくオランダだったらどうでしょう。オランダ人男性の平均身長は183cmです。180cmの彼は平均より小柄な男性となります。
もちろんバスケやバレーでも、190cm以上の人がたくさんいるので、優位どころか不利にすらなります。そうなると、先ほどのような人格形成につながるでしょうか? 少なくとも本人が考える自分の特徴に「背が高い」という項目は入っていないはずです。
実際に人間の内面性は、生まれつきの先天的な要素と、環境などの後天的な要素が両方影響して、それらが混ざり合って人格が形成されると考えられています。
つまり「人格は身体の特徴に引っ張られている」ということになります。そして、もし人格と身体が切っても切れない不可分なものだと仮定するならば、身体から解放された場合に自分がいったいどんな人格になるのかを自分自身もわかっていない、ということです。もしかすると、今の自分は身体の特徴に制約を受けた人格であって、本当の自分はもっと違う人格なのかもしれません。
外見と人格という点では面白い現象がメタバース上でよく見られます。メタバース空間ではアバターは自由に設定できるので、中年男性が美少女のアバターを選ぶということもできます(実際にこういうケースは普通に多いです)。
テキストのチャットのみなら本当の性別は外からわかりませんし、ボイスチェンジャーを使えば男性が女性の声を出すこともできます。実際にやっている人の話を聞いてみると、美少女のアバターをまとっていると周りも美少女として接してきますので、徐々に内面も「美少女っぽく」振る舞うようになっていくらしいのです。周りからも求められることで、挙動や発言も徐々にアバターに合わせた「かわいらしさ」を追求していくようになっていくようです。
これは「内面は外見に引っ張られる」という現象の典型例であり、かつ「周りから求められるキャラクターに自分自身も無意識のうちに寄せていってしまう」という環境依存の例ともいえます。
上記の例からも、今後メタバース上で複数のアバターをまとって生きていく場合に、それぞれのアバターの外見的な特徴に引っ張られた新しい人格が形成されていく現象が起きてくると想像できます。
そして、もし外見的な身体と内面的な人格が不可分に結びついているとするならば、アバターの数だけ異なる人格が誕生していくという「マルチバース・マルチアバター・マルチ人格」という多重構造が作り出されていくでしょう。現在も私たちは学校・家庭・会社・サークルとそれぞれ微妙に人格を使い分けています。
会社の同僚と家族に見せる顔は違うでしょうし、何十年もの付き合いの幼馴染と最近知り合ったばかりの友達に見せる顔も違うはずです。ネット上でもInstagram・Twitter・TikTokで見せるキャラクターは微妙に違っている人が多いはずです。
こういった異なる環境では異なる人格を使い分けるという「分人主義」はメタバースによって間違いなく加速するでしょう。異なる世界で異なる外見を持ち異なる人格を形成する。そしてそれらが相互に影響を与えるわけではなく、併存するという状態が可能になります。
「なりたい自分で生きていく」世の中へ
ひところまで仕事とは、1つの会社に勤めて1つのオフィスに集い、首にはネクタイを締めて1日8時間も時間も拘束されるのが常識でした。ブラック企業が社会的非難を集めるまで、午後11時、午前0時まで大残業して終電で帰り、翌朝はラッシュアワーに揉まれて出勤する働き方が当たり前だったものです。YouTuberはそういう働き方・つまらない人生像を破壊的なまでに払拭しています。YouTuberは、YouTuberは、働くことに関する(1)時間の制約、(2)空間の制約を見事に吹っ飛ばしました。
同じような価値基準の転換はメタバースで進化します。
これからは時間・空間の制約だけでなく、(3)身体の制約からも人々は解放されます。「好きなことをやって生きていく」からさらに一歩進み、「なりたい自分で生きていく」という流れに変わるのです。
メタバースがあれば、もはや身体が自分である必要すらありません。見てくれが美男美女ではなく、背が低くて太っていたとしても、仮想空間ではイケメンにもスーパー美人にも変身できます。リアルな自分はパジャマ姿でも、メタバースの中ではスーツやドレス姿です。歌が下手でも、AIのサポートを受けてプロなみの歌声にボイスチェンジできます。
今までは「歌手になりたい」「タカラジェンヌ(宝塚歌劇団の俳優)になりたい」と願望を抱いても「ウチは貧乏だからボイストレーニングやバレエや日本舞踊を習うお金がない」「専門学校にも通えない」「芸能プロダクションと全くつながりがない」とさん ざん言い訳をしていました。
YouTubeがある今は、誰でも今日から歌手デビューできますし、ギタリストやお笑い芸人としてもデビューできます。逆にいうと、YouTubeがあるおかげで「好きなことだけど仕事にはならない」と言い訳できなくなってきたともいえます。
さらにメタバースが生まれれば、あらゆる制約はなくなるのです。こういう時代には「自分はどんな人間になりたいのか」「どういう存在でありたいのか」というビジョンを強くもたなければなりません。
自分にとっての価値・自分にとっての主義・自分にとっての理想とは何なのか。心の内面における価値創造が重視される時代が到来しようとしているのです。
※この記事にあるリンクを経由して商品を購入すると、アフィリエイト契約により、編集部が一定割合の利益を得ます。