販売台数1万台を突破したイノフィスの「マッスルスーツ」販売台数1万台を突破したイノフィスの「マッスルスーツ」 提供:イノフィス
  • シートベルトのように身に着けるだけで、重労働をラクに
  • 「夢のようなロボット」ではなく、現場の問題を解決する「人のためのロボット」
  • “浜ちゃん”起用CMでブランドイメージの転換図る
  • 潜在需要は全世界の腰痛に悩む人々、コロナ禍も好機に

服の上から装着することで、生身では出せない力を発揮できる「パワードスーツ」。SFや近未来の夢の中のものと思われてきた装置だが、近年は介護や工場、農作業といった身近な現場でも使われるようになっている。3月、ゴムチューブ製の人工筋肉を使用したパワードスーツを開発・販売するイノフィスは、同社の製品「マッスルスーツ」の合計出荷台数が1万台を突破したことを発表した。「現場で使われるパワードスーツ」を開発し、普及させた同社の戦略とは。(編集・ライター 野口直希)

シートベルトのように身に着けるだけで、重労働をラクに

 イノフィスが2019年11月に発売した量産型パワードスーツ「マッスルスーツEvery(以下、Every)」は、作業時の身体への負担を軽減する装着式のアシストスーツだ。ゴムチューブでできた人工筋肉の働きで、重いものを持つ際の腰の負担を軽減してくれる。

マッスルスーツの仕組み。背中部分に人工筋肉を搭載しており、空気を送り込むことで曲げた状態から「元に戻ろうとする力」が発生する 提供:イノフィスマッスルスーツの仕組み。背中部分に人工筋肉を搭載しており、空気を送り込むことで曲げた状態から「元に戻ろうとする力」が発生する 提供:イノフィス

 Everyは人工筋肉を搭載した背面の「背中フレーム」と太ももを支える「ももフレーム」、2つのフレームをつなぎ、腰椎の部分に位置する「回転軸」で構成される。背中のフレームと回転軸に固定された人工筋肉にポンプで空気を送り込むことでチューブが引っ張られ、背中部分に「元に戻ろうとする力」が発生。最大約25.5kgの力で背中を引っ張るので、重いものを持ったときはもちろん、中腰を維持する際にも上半身を支える役割を果たす。

 駆動源はポンプで送り込む圧縮空気だけで、電源などは不要だ。スーツ自体の重さは3.8kgなので、未使用時にもそこまで重さを感じない。リュックサックのように背負ってベルトを締めるだけと着用も簡単で、所用時間は10秒程度だ。

 日本製の競合商品には、パナソニックの「パワーアシストスーツ」や、サイバーダインの「HAL」など電動のものが中心。ポンプで空気を入れれば使用できるEveryは、仕組みも単純で、高齢者でも迷わず操作しやすい。

 Everyには、ももとパッドの間にゆとりがあって動きやすいソフトフィットモデルとホールド力が高く少し屈んだ状態でも補助力がかかるタイトフィットモデルがあり、いずれも価格は14万9600円(税込)。発売から約4カ月の3月2日時点で、Everyは6000台以上を出荷し、イノフィスのマッスルスーツ全体では出荷台数が1万台を突破したという。

「夢のようなロボット」ではなく、現場の問題を解決する「人のためのロボット」

イノフィス代表取締役社長 執行役員 CEOの古川尚史氏 Photo by Naoki Noguchiイノフィス代表取締役社長 執行役員 CEOの古川尚史氏 Photo by Naoki Noguchi

 イノフィスは2013年に設立された、東京理科大学発のスタートアップだ。2019年12月にはハイレックスコーポレーション、Fidelity International、ブラザー工業、フューチャーベンチャーキャピタル(ロボットものづくりスタートアップ支援ファンドによる引受)、ナック、TIS、東和薬品、トーカイ、ビックカメラなどから総額35億3000万円の調達を実施しており、これまでの累計調達額は49億4100万円にのぼる。出資企業のひとつであるナックが運営するウォーターサーバーサービス「クリクラ」でも、ボトルの運搬などの作業時にイノフィスのマッスルスーツが使用されているという。

 2000年から東京理科大学で人工筋肉を使用したウェアラブルロボットを研究している小林宏氏(現取締役)がイノフィスを創業したのは、民間の訪問介護業者からの依頼がきっかけだった。

 訪問介護では、移動式の浴槽に入れるなど、寝たきりの患者を抱え上げるような場面が多々ある。肉体的な辛さから、多くのスタッフは50歳を迎える前に辞職してしまうのだという。「こうした課題を解決するために、立ち上げられたのがイノフィスです」と代表取締役社長 執行役員CEOの古川尚史氏は説明する。

「イノフィスが目指すのは、『人のためのロボット』を生み出すこと。一般的に大学発スタートアップというと技術ありきの企業だと想像されがちですが、イノフィスは現場の声を聞いて訪問介護従事者の課題を解決するために技術を結集させました。現在、弊社ではいくつかの製品を開発していますが、いずれも現場で作業に従事するエンドユーザーとともに開発しています」(古川氏)

 イノフィスでは、依頼主に対してコンサル料や製品の開発費用を一切請求せず、完成品の購入時に初めて料金をもらうようにしている。もちろん1社だけで開発コストを回収することはできないが、古川氏はそれでもこのやり方に自信を持っている。

「現場のニーズに即した製品はきっと市場で広く評価される。実際、当初は介護現場向けに開発したマッスルスーツが、いまでは建設現場や工場、農場など、重労働で若者人口が不足しているあらゆる業界で活用いただいている。『現場を支援したい』という小林先生の思いと、ビジネスを成立させるための方法論が両立した結果が実を結んだのだと思っています」(古川氏)

“浜ちゃん”起用CMでブランドイメージの転換図る

 2017年から年に一度のペースで新型マッスルスーツを発売していたイノフィスだが、2019年に発売したEveryは1カ月あたり約2000台のペースで出荷されている。1カ月20台程度の出荷ペースだった初期モデルと比べると、大幅な拡大だ。

 最大の理由は、低価格化だ。Everyの基本構造は既存モデルと同じだが、これまでアルミだったボディ部分を樹脂による一体整形にすることで部品点数を減らし、生産コストを大幅に削減したという。前述の通りEveryの価格は15万円以下で、前年発売のモデルと比べると約7割も安くなっている。

 Everyの販売開始に合わせて、芸人のダウンタウン・浜田雅功さんを起用したテレビコマーシャルでのプロモーションも行い、マスへのリーチを狙った施策を展開しているイノフィス。古川氏は、「これまでのヒアリングに基づき、標準的なPCくらいの値段になれば一気に普及すると見込んだ戦略だ」と説明する。

浜田雅功さんが出演するCM画像。マッスルスーツを着た浜田さんが次々と”いいこと”をしていく 提供:イノフィス浜田雅功さんが出演するCM画像。マッスルスーツを着た浜田さんが次々と“いいこと”をしていく 提供:イノフィス

 マスへのプロモーションの際に意識したのは認知度向上ではなく、マッスルスーツを着用する人のイメージ向上だという。テレビコマーシャルでは機能の説明などは一切なく、マッスルスーツを着て“いい人”になった浜田氏が次々と人助けをするストーリーが展開される。

「営業で現場の方にお話を伺っていると、『マッスルスーツを着けると馬鹿にされる』という声がよく出ました。腕っぷしが強い人たちが集まる環境で、『マッスルスーツ=弱い人が着るもの』というイメージが形成されていたんです。そうではなく、マッスルスーツは人を助ける“いい人”が着るものだと思ってほしい。低価格化とコマーシャルで、マッスルスーツが人手不足で困っているあらゆる現場で選択肢になれば」(古川氏)

潜在需要は全世界の腰痛に悩む人々、コロナ禍も好機に

 新型コロナウィルスが猛威を振るう中でも、「マッスルスーツ市場に大きな影響はない」と古川氏。むしろ、海外からの実習生が入国できなくなったことで、既存のメンバーで重作業をしなければならず、ニーズが高まっている場所もあるくらいだという。

 今後は国内だけでなく、海外展開も見据えた生産体制を整備していく。また、まだ詳細は明かせないが医療分野での新製品も開発中だという。

「全世界の腰痛に悩む人々が、マッスルスーツの潜在顧客です。腰に何らかの痛みを抱えている人は、日本では全人口の4分の1にあたる約2800万人。こうした人々の日常生活を少しでも楽にすることが、私たちの願いです」(古川氏)