
- スイス国民の50人に1人が履くシューズ
- 「庭のホースの輪切り」が始まり
- レッドオーシャンなシューズ市場で戦う
- 「自分で体験しないと売れない」と確信
- 3日で16足しか売れない経験
- オン・ジャパン設立のきっかけ
- Onが作り出した“ファンベース”思想
- ブランドを作るには「3要素」が必要
スイス国民の50人に1人が履いているシューズブランド「On」。機能性とデザイン性が評価され、世界的にもファンの多いこのブランドの日本法人代表を務めるのが、駒田博紀氏だ。独自のマーケティングで「Onフレンズ」と呼ばれるコアなファンを増やし続けてきた。レッドオーシャンのランニングシューズ市場で戦う地道なブランド作りの戦略とは。(ダイヤモンド編集部 塙 花梨)
2014年の全日本トライアスロン宮古島大会。初心者では難しいスイム3km・バイク157km・ラン42.195kmの長距離大会で、くたくたになりながらも完走する1人の男性の姿があった――。
スイス発のランニングシューズブランド「On」の日本法人オン・ジャパンの代表を務める駒田博紀氏だ。Onの魅力に惚れ込んだ駒田氏は、Onのシューズを履いてトレーニングを積み、全くの初心者にもかかわらず約1年でトライアスロンの大会に出場、見事完走を果たしたのだ。
スイス国民の50人に1人が履くシューズ
Onは2010年スイスのチューリッヒにて、キャスパー・コペッティ、オリヴィエ・ベルンハルド、デイビッド・アレマン3人の共同創業者でスタートした。「ランニングの世界を変える」という目標を掲げた起業から10年の時がたち、今では世界50カ国・700万人ものランナーが愛用するブランドへと成長。
現在、世界のランニングシューズ市場でも大手ブランドに次いで第5位の売り上げとなっている。また、ランニングシューズブランドのシェア1位を誇っており、スイス国民の50人に1人が履いているといわれるほどだ。

ランニングシューズではあるがファッション性も機能性も高いため、普段使いをするユーザーも増えている。俳優のヒュー・ジャックマンやテニス選手のロジャー・フェデラーなど、著名人で愛用している人も多い。
「庭のホースの輪切り」が始まり
2010年当時、共同創業者の1人であるオリヴィエ・ベルンハルド氏は、トライアスロンのプロアスリートだった。デュアスロンと呼ばれるランとバイクに特化した競技の大会で3度も世界チャンピオンになるほどの実力者だったベルンハルド氏だが、ふくらはぎの炎症に悩まされていた。
どんなシューズを試してみても痛みがおさまらなかったため、「自分にぴったり合うシューズが無いのなら、作ってしまおう」と一念発起。あらゆる試行錯誤の結果、ランニング時に生じる斜めの衝撃を吸収するテクノロジーが無かったことが原因だとわかる。
庭のホースを輪切りにし、さらに半分にカットして、シューズの底へ接着剤でつけて走ってみると、「これが求めていたカタチだ」と確信した。着地するときにホースが斜めに潰れることで痛みが抑えられた。偶然にも、ホースの形が3Dの衝撃吸収構造になっていたのだ。
これはスイス連邦チューリッヒ工科大学(ETH)のエンジニアが研究していたアイデアと類似しており、一緒にプロトタイプを作っていった。これがOnシューズの原型であり、今もなおOnの機能性を支える柱となっている「クラウドテック」と呼ばれる技術だ(のちに世界特許も取得)。

その後、友人だったジャーナリストのコペッティ氏と、家具ブランドでCMOをしていたアレマン氏に声をかけ、「世界中のランナーがHAPPYになるシューズだと思うから、会社を一緒に作ろう」と意気投合しOnは始まった。
レッドオーシャンなシューズ市場で戦う
創業当初、周りからは大反対された。なぜなら、アディダスやナイキ、ミズノやアシックスなど、すでにランニングシューズ市場には強いブランドがたくさんおり、レッドオーシャンだったからだ。それに加えて、3人ともランニングシューズについては素人同然。さらに、スイスは人口857万人ほどの小さい国(神奈川県の人口よりも少ない)でマーケットも小さく、基本的に商品を他国へ輸出しないとビジネスが成り立たない。
しかし、そんな懸念とは裏腹に、Onのシューズを履いたアスリートたちが成績を残していったおかげで、Onの名前は少しずつ世界に広まっていった。
「自分で体験しないと売れない」と確信
日本法人であるオン・ジャパンの代表を務める駒田氏がOnと出合ったのは、同社が無名だった2012年だ。まだ小さなブランドだったOnは海外展開を商社に任せるしかなく、当時スイスの商社に勤めていた駒田氏が偶然マーケティング担当に任命されたのだ。
「当時ランニングに興味はないどころか、むしろ走るのは嫌いでした。でも、Onはランニングに真剣に向き合うブランド。ど素人が手探りで始めるときには自分で体験しないと、売れないだろうなと思いました」(駒田氏)
当時マーケティングの予算もほとんどなかったため、自らがOnのシューズで走ってみて効果を伝える方法を取ろうと、駒田氏は全くの初心者からランナーになることを決意した。
それから、全国のトライアスロンやマラソン大会に出場するようになり、駒田氏はランニング仲間やOnのユーザーを増やすため、地道な草の根活動を続けた。これが功を奏して、日本法人を2015年に設立してから現在までの5年間で、売り上げは10倍にまで成長。今では世界中にある支社の中でも、日本の売り上げがトップ5に入るほど広まった。
3日で16足しか売れない経験
「Onを日本に持ち込んだ当初は、全く売れませんでした。2013年に東京マラソンEXPOでブースを出しましたが、3日で16足しか売れなくて……(苦笑)。チラシを配ったり、足を止めてくれた人にフェイスブックで繋がらせてほしいと頼んだり、必死だったんですけどね」(駒田氏)

駒田氏は当初、「この場限りで終わってしまったら声は届かない」という直感的な怖さに駆られ、売り込みに必死だったと振り返る。
その後、2013年の全日本トライアスロン宮古島大会でブースを出した。その頃から、アスリート達が購入してくれるようになった。
「この時くらいから、口で説明して売ろうとするのをやめたんです。喋らずに、まず履いてもらうようにしました。『履いたら楽しいので是非』とか『足、何センチなんですか』とか聞くと、意外と皆さんすぐ履いてくれるんですよね。しかも、Onのシューズは機能性が高いので、一度履いてもらえれば、魅力に気付いてもらえるんです」(駒田氏)
このレースの後に駒田氏は、Onを履いて出場してくれたある選手から「トライアスロンをやってみたらどうか?」と声を掛けられた。Onに携わるようになってランはやっていたものの、トライアスロンは未経験だった駒田氏。1年後の宮古島トライアスロンに挑戦することになった。
そして2014年、駒田氏は実際にトライアスロンへ出場し、13時間半ものレースを見事完走した。これが結果として、今のオン・ジャパンのもつ“ファンを巻き込む力”の礎になった。
「レース自体は本当に苦しかったんですが(笑)、ランやトライアスロン界隈の人達が『走るのが嫌いな人が、宮古島トライアスロン出るらしいぞ』と興味をもってくれたのがうれしくて。走り終えて、参加者の皆さんと話してみると以前より格段に距離が近くなった感じがして、この時『Onはもっと広がっていくだろう』と確信しました」(駒田氏)
オン・ジャパン設立のきっかけ
ファンを巻き込むことで、徐々に売り上げを伸ばしてきたOn。だが2014年、駒田氏のいた商社との契約が解除されてしまった。駒田氏が培ってきたファンベースのマーケティングは、どうしても短期視点で見ると、どれほど売り上げに貢献するのか見えにくかったのだ。

「(契約解除と聞いて)真っ先にファンの顔を思い浮かべました。すでに仕事との境目がなくなるくらい思い入れが強くなってしまっていました。これはある意味で、顔の見えるマーケティングの怖いところかもしれません。確かに(売り上げを)KPI化するのは難しいのですが、ちょうど友達から友達にどんどん広がっている感覚があったんです」(駒田氏)
当時はまだ、ファンマーケティングといった言葉は広がっていなかったが、駒田氏は「上から落とすメッセージではなく、水平に伝えていくメッセージの方が自然に広がっていく可能性がある」という直感だけはあった。
そして「このまま諦めたくない」という思いが強くなった駒田氏は、Onの創業者たちと協議を重ねる。最終的に2015年5月、オン・ジャパンを立ち上げることとなった。
Onが作り出した“ファンベース”思想
駒田氏の作り上げてきたファンマーケティングは、ユーザーとの距離がとにかく近い。日本でOnを愛用するランナーはこぞって「#OnFriends」を付けてSNSに投稿したり、駒田氏に直接新作シューズの履き心地についてフィードバックが返ってきたりすることもあるほどだ。
「オフラインでの繋がりがないコミュニティマーケティングに、効果はありません。人間関係を築くのはとても時間のかかることですが、近道もありません。地道に、ファンとのふれあいを一番に考えていくことに限ります。私としては、Onを履いて楽しめる人はみんな仲間だという思いがあるので、エンドユーザーやメーカーなどの境目も失くしたいくらいです」(駒田氏)
本社から見てもオン・ジャパンのファンマーケティングの動きは特殊で、「日本はコミュニティに対する気持ちが強い」と驚かれるという。
ブランドを作るには「3要素」が必要
駒田氏は、強いブランドを作るには3要素を守る必要があると主張する。1つ目は「機能」、2つ目が「デザイン」、そして3つ目が「ブランド(人格)」だ。

「要素を意識する順番も重要なんです。いきなり、デザインやブランドに飛びついてしまい、機能性が揺らいでしまっては失敗します。物としての良さがないと、いくらデザインが良くても空振りするので、デザインに集中しすぎて機能を忘れないようにしなければなりません」(駒田氏)
また、3つ目の「ブランド(人格)」作りにおいては、駒田氏自身も工夫をしている。
「Onの場合は機能もデザインも良いので、あとはブランドを作っていくだけです。ブランドというのは、まるで1人の人間がメッセージを発信しているような一貫した人格を作ること。ナイキやパタゴニアほど巨大なブランドはCMやプロモーションで人格を作りやすいですが、Onのように小さいブランドは“自分が表に出るしかない”と思います。私は、自分の行動がOnの人格のひとかけらになるように、動いています」(駒田氏)