
- 大学時代に後輩から説かれた「VRの可能性」
- ストーリー性で勝負する、敏腕ライトノベル編集者との出会い
- 世界で勝負するために「無国籍性を強調する」
- これからも「物語」の力を信じ続ける
VRゲーム界の雄、MyDearest社がベンチャーキャピタルから9億円の資金調達に成功し、新作開発を進める──そんなニュースが報じられたのは、2021年6月のこと。
『東京クロノス』が日本発のVRゲームとして、VRプラットフォーム「Oculus」のトップストーリーゲームに選ばれるなど、グローバルでヒットした実績が評価されたという。とはいえ、である。まだまだVRゲームは、PCや家庭用ゲーム機の市場に比べてアーリーアダプター向けという印象は拭いきれない。同社を率いる岸上健人氏は、かつて孫正義から直接学んだ経営哲学を引きながら語る。
「かつてのネットバブルのようにVR元年はとっくに終わった。しかし、ユーザーは増えている。新たな市場は生まれている」と。
大学時代に後輩から説かれた「VRの可能性」
岸上氏がVRに出会った、というよりその存在を熱く説かれたのは彼が慶應義塾大学の学生だった頃だ。彼は下宿代を節約するために、家賃3000円の慶応義塾大学の「日吉寄宿舎」で男性3人1組の部屋で生活することを決めた。
1人はお笑い芸人を目指す宣言し、ブレイクの兆しが見えているお笑いコンビ「ストレッチーズ」を結成した先輩、そしてもう1人が中学からVRにのめり込んだという後輩だ。先輩は世の中、学内の常識にとらわれずに生きる姿を見せ、後輩は日夜VRがいかに夢の技術なのかをこんこんと語った。
そんな後輩の影響で岸上氏はVRを知り、やがてVR事業での起業を思い描くようになる。新卒でソフトバンクに入社することになるのだが、内定者の時期に孫正義氏直結の経営者養成機関「ソフトバンクアカデミア」に参加する権利も得た。いずれも「VRで起業する」と夢を語ったことで、勝ち取ったものだった。
「ソフトバンクアカデミアで『なるほど』と思ったのは孫さんの思考法です。ソフトバンクもインターネットバブルで伸長し、弾けた後に一時的に株価が低迷した時期がありました。孫さんは株価を気にしていなかったと話していました。なぜなら、インターネットを使う人口は右肩上がりに増えていたからだ、と。ユーザーが伸びているということはマーケットが成長しているということである。一時的に低迷してもやがて業績は回復できると考えていたという趣旨の話をしていました」
「この考え方は僕も影響を受けました。大きな流れを捉えることが大事であり、そこで何をするか。僕が入社して1年をすぎた2016年、(Oculus RiftやHTC Viveといったデバイスが登場して)VR元年がやってきた。独立するなら今だと思いました」

ストーリー性で勝負する、敏腕ライトノベル編集者との出会い
そして、彼は友人とともにMyDearestを立ち上げることになった。当初から、VR市場で生き残るためにはエンターテイメント、それもゲームが大事だという直感はあった。
だが、資金には限りがある。最初から開発するものではないと考えていた矢先に、「元年」のブームは早々に終わりを告げた。2017年には波が引き、収益化の可能性があるのは、ゲームだけだった。彼の直感の1つは当たり、1つは外れた。いずれ、と考えたゲーム事業に早々に手をつけないと会社に先は無い。
では何を作るか。
グローバルのVR市場を席巻していたのは、VRの特性をフルに活かしたシューティングゲームだ。予算をふんだんに費やし、実際に銃を打つときの手の動きと連動した作りで、既存のゲーム機にはないリアリティがある。だがここで勝負するのは、レッドオーシャンに身を投じるようなものであり、現実的ではない。何より岸上氏が好きなゲームではなかった。
「僕はゲームならRPG、小説家なら直木賞や本屋大賞を受賞した辻村深月さんが好きでした。僕は物語が好きなのです。ストーリー性のあるゲームをVRに投じれば、勝負できるし、なにより僕自身がやってみたいと思った。でも、僕たちにイチからストーリーを作るスキルはありません。そこで、三木一馬さんと出会うことができました」
三木氏はKADOKAWA出身の敏腕ライトノベル編集者であり、「物語」を生み出す作家をプロデュースするプロだ。地元・徳島で三木氏が登壇したイベントに参加した岸上氏は、サイン会の列の最後尾に並び、その場で弟子入りを志願する。無論、その場では断られたが、名刺を交換し、記されたメールアドレスに自身の事業や会社の概要、資料に加えてやりたいことをまとめたメールを送ると三木氏から「一度会ってみよう」と返事がやってきた。
「三木さんは『自分も忙しいから、直接教える時間は取れない。だけど、自分の横にいて、自由に学んでもらうならいい』と言ってもらえました。それで、鞄持ちとして、週に3〜4日、時間をみて三木さんの側について回りました」
「作家さんとの打ち合わせでは、新作の構想から連載しているものの続きまでいろいろな場面に立ち会わせてもらいました。三木さんが好むのは、まとまっている人ではなく、荒っぽくても尖っている才能の持ち主です。彼らが持っている才能を世に送り出すこと、徹底的に奉仕することが自分の仕事だと思っている。クリエイターへの敬意を徹底的に払う。そして、それを変に隠すこともありませんでした。素性のよくわからない僕にも実際に超がつくほど有名なゲーム会社の方や、編集者も紹介してくれたのです。三木さんのおかげで、ぼんやりした構想はやがて、現実になっていきます」
世界で勝負するために「無国籍性を強調する」
岸上氏が一つの理想としたのは、彼が好きな小説家・辻村深月氏の作品、特に初期の本格ミステリーと学園ものを組み合わせた作品群、そしてかつて熱中したサウンドノベルを掛けあわせるというものだった。VR市場のどこにもなく、かつ旧来のゲームでは表現できないような臨場感と没入感をユーザーに味わってもらう。
社運をかけた勝負作にして、経営という現実的な観点からみて成功すれば事業継続、失敗すればそこで終わりという作品、それが『東京クロノス』だ。
「三木さんはどんな場面でも、一番大切なのはキャラクターだと言っていました。ストーリーが良くても、キャラクターに魅力がなければ読者はついてこない。キャラクター設定に少しでも甘いところがあると、徹底的に指摘していました。僕もその影響を受けています。三木さんにも相談しながら、『東京クロノス』のプロットは、僕も参加して作り、ストーリーはこの人だと決めた作家に依頼しました。問題はキャラクターデザインです。VRで売れていくためには、日本市場だけでなく世界を意識しなければいけません」
「日本から世界で勝負するためには、思いっきり『日本らしい』と英語圏の人々がイメージするものに寄せるか、ちょっとダークでクールな絵に寄せるしかない。つまり、異国情緒を強調するか、無国籍性を強調するかです。僕は『東京クロノス』は、高校生が主人公でかつ舞台が渋谷である以上、後者しかないと思いました。イラストレーターの選び方も三木さんから学びました」
イラストレーターはSNSにも溢れかえっている。大切なのはフォロワー数ではない。直感だ。自分たちの世界を表現できる才能だと思えば、たとえフォロワー数100人であっても依頼をするべき。岸上氏ら製作陣が惚れ込んだイラストレーター・LAMさんに、かくして依頼をすることになった。絵以外のことは何も知らないLAMにオファーのメールを送り、アポを取り付け、お願いする──その後、『東京クロノス』はOculusのトップストーリーゲームに選ばれるなど、海外からも一定の評価を得た。
一目見れば誰もが忘れない力強い眼差しを持ったキャラクター、そして没入感のあるストーリーを支持したのは、アーリーアダプターが大半を占めていたVR市場だけでなく、既存のゲームファンだった。
「『東京クロノス』制作でクラウドファウンディングをしました。目的は費用だけでなく、プロモーションも兼ねています。そこで驚いたのは、出資してくれた人たちの半分はVRデバイスを持っていなかったことです」
「出資して、後からデバイスを買うと決めた人がかなりの数いる。これが意味しているのは何か。VRに必要だったのは、魅力的なコンテンツだったということです。最先端のテックが好きな人だけでなく、ゲームが好きな人が支持してくれれば新しい市場が生まれます。ストーリーだけでなく、LAMさんのイラストを斬新なものとして支持してくれるユーザーがいたこと。それが僕たちの励みになりました」
これからも「物語」の力を信じ続ける

『東京クロノス』は発売時のVR市場では異例の高価格(4980円)で世界にリリースされた。そして、これまで主流とされてきたFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)やアクションゲームとは異なり、『東京クロノス』は辻村深月氏の小説『冷たい校舎の時は止まる』を参考にするなど、ストーリー性に富むゲームとしてグローバル市場でも評価された。では、VRだけの魅力とはなにか。他のゲームと何が違うのか。岸上氏は、「よくぞ聞いてくれた」とばかりに熱を込めて語る。
「VRゲームでは、たとえば上を向いてもらおうと思っても、ユーザーに指示をしたり、映像を無理に見せたりすることはできません。本当に上を向いてもらわないといけないのです。そのための仕掛けを考える。その先に見えた光景には実際の身体の動きが加わる分、他のゲーム機とは違う圧倒的なリアリティが宿ります」
「ストーリーから得られる感動も、受動的に映像を見せられるより、能動的な身体の動きにあわせることで増していくのではないかと僕は思うのです。市場はこれからますます成長すると僕が思う根拠もここにあります。おそらくヘッドセットの価格ももっと下がってくるでしょうし、ユーザー数は右肩上がりで増えています。元年ではなく、成長に向かっている。かつてのインターネットと同じように、です」
スマホゲームは、ストーリー性よりも簡易さ、いかに多くの人が使うかが利益の指標だった。VRは既存のゲームと同じように、ストーリーで差を作ることができる。岸上氏が示した道は、ライバルたちへのヒントとなる。もし、大手が参入したら……。
「その時はその時で、僕たちは自分たちが好きなものを出すでしょうね。僕はやっぱり物語が好きだし、ユーザーに届けたいと思っているのです」
彼は最先端のテック企業経営者というイメージからかけ離れた、ピュアな、しかし、物語の力を信じる多くのクリエイターが共感できる言葉を口にするのだった。