
米国の金利見通しや世界的なインフレ進行の影響を受け、株式市場は不安定な動きが続く中、高い成長性を示しているのがSaaS企業である。中でも「スモールビジネスを、世界の主役に。」をミッションに掲げるfreeeは国内ではリーダー的存在だ。
同社は次のビジネスの柱としてフィンテックビジネスに乗り出した。その狙いはどこにあるのか。国内外のSaaS最新事情に詳しいfreeeの2人に戦略的意図と今後の展望を聞いた。
成長性へのプラス材料は継続中
――2022年以降の日本のSaaS業界の現状をどのように見ていますか。株式市場のトレンドと実際のお客さまの需要動向は違っているのではありませんか。
武地:コロナ禍をきっかけに「働く場所の自由度が上がった」ことが最大のプラス材料です。リモートワークの定着でクラウドの利用が加速、それがプラスの材料となり、われわれのビジネスも堅調です。トレンドは継続中ですが、これがいつまでも続くとまでは思っていません。
とはいえ、需要が減るのではなく、定着のフェーズに入ると解釈しています。お客さまの意識も徐々に変わっていくでしょう。例えば6、7年前まではクラウドにデータを置くのは「本当に安全なのか」と言われるなど、拒否反応は大変なものでしたが、今はクラウドの方がむしろ安全だと思われることも多い印象です。

花井:私が入社した2015年では、そもそも「クラウド」の説明をうまくできるかが、当時の営業の通過儀礼のようなものでした(笑)。でも今はSaaSがなければ働けない。収益の観点から見ても、SaaSのビジネスはサブスクリプション収入がベースです。お客さまが増えればその分だけ顧客基盤が厚くなる。その顧客基盤でよりビジネスを伸ばせるようになりました。

――確かに2015年前後と比べると、世の中のSaaSの受容度が変化したと感じる場面は多いです。
武地:お客さまだけでなく、学生の意識も変わってきたと感じます。採用面接でも、明確にSaaSの知識を持ち、活動する学生に出会う機会が増えてきました。
花井:転職市場ではすでに「SaaS業界」として定着していると感じます。
武地:米国だけでなく、日本でもSaaS上場企業を独自にインデックス(指数)
ブームから落ち着いてきた日本のSaaS市場
――国内SaaSの先駆者であるfreeeから見て、後に続くSaaSのスタートアップはどの程度増えていますか。
武地:肌感覚になりますが、ベンチャーの集まりに行くと、ここ4、5年でSaaSやサブスクビジネスの会社が非常に増えた印象です。
花井:「SaaSバブル」といわれるように、SaaSと言えばお金を集めやすい時期があったことは確かです。
武地:確かに2021年までは「SaaS」と言えば、お金を集めやすい環境でしたね。将来の売り上げの見通しを付けやすいところが投資家に好まれますし、キャッシュを必要とする業態なので、互いの利害が一致していたわけです。
マクロ経済環境を見ると、金利の上昇気配の高まりで投資家がお金を集めにくくなってきていますし、「SaaSだから」というだけでお金を集めようとしても難しいでしょうね。
――定期収益モデルについての理解度はどうでしょうか。赤字の会社ばかりだと批判されることも多いと思います。
武地:いわゆるサブスクという定期収益のビジネスモデルの強さは世の中で認められていると思います。収益が落ち込むというケースはほとんどないので。しかし、赤字の話はまた別で、金利高で調達コストが上がっている環境では指摘され続けると思います。難しい局面ですが、黒字までの道筋を明確に示すことを求める人たちが増えるのは確かです。
僕たちもSaaSの会社だから赤字でいいとは思っていません。黒字にするか。それとも短期的には赤字でも投資をして、世の中を良くするサービスを生み出すことに重きを置くか。いずれにせよ、赤字が行き過ぎだと思う人はもっと減らせと要求するし、もっと投資できる余地があると思う人はもっとアクセルを踏めと要求します。
freeeは「世の中を良くしたい」という思いが強い会社ですが、バランスの見極めが重要だと考えています。また、次のビジネスの柱になる新しいプロダクト作りも大切になります。
SaaSの会社がフィンテック事業に参入する狙い
――その次の一手が、freeeカード Unlimitedの提供なのですね。SaaSの新しいプロダクトではなく、フィンテックを選んだのはなぜでしょうか。

武地:まずfreeeがプロダクトで提供したい世界観があり、その中で金融が重要と考えたからです。その世界観はシンプルに「統合体験」を提供することにあります。銀行やクレジットカードの取引データを自動的に取り込み、処理することは今ではどの会社もやっていることです。
このデータ処理の「型」をfreeeは作りましたが、単なる連携であって統合ではない。そもそも連携を価値だとは考えていません。やらなくていい体験はやらないで自動化する。その積み重ねが統合だと考えています。
このような我々が以前から目指す世界観や、さらに海外の動向を見てもフィンテックと周辺の業務と一体化した高い利便性を提供できるサービスが非常に伸びています。
freeeのようにSaaSからフィンテックに入るケースも、フィンテックからSaaSに入るケースも両方ありますが、業務管理のSaaSとフィンテックを組み合わせるというトレンドはしばらく続くと考えています。
――「統合体験」とは具体的にどんなイメージでしょうか。
武地:例えば、誰かが役員に昇進したので、毎月の決裁枠が50万円から100万円に増えることになったとします。通常であれば、増額の申請、承認、設定変更、通知と手続きを進めますが、役員になった時点で自動的に100万円に増額されれば、この手続きは必要ありません。
これは一例ですが、クレジットカードで決済機能を提供すれば、会計データだけでなく、人事労務データ、組織データと連携し、決裁ワークフローから支払いまで自然な体験をつくり込むことができる。面倒な手続きが減れば、企業は成長だけに専念できます。これまで提供してきたクラウド会計やクラウド人事労務のプロダクトがあるからこそできる統合体験を提供するものです。
――確かに企業の経済活動で、お金の支払いや受け取りはごく一般的なことです。
花井:プロダクトが分かれていても、業務はひと続きです。片方の内容が変更されたら、もう片方に反映されるべきで、システム単位の処理を強いるべきではありません。
クラウド会計ソフトはfreeeのビジネスの中核を占める存在ですが、お客さまの企業内でも会計システムはビジネスの根幹を成すものです。会計と決済が別々では、支払うべきなのに支払われていないなどの事故が起きるリスクがありますが、統合体験を実現できれば、freeeの上だけで安全な取引を完了することが可能です。
また、決済は加盟店からいただく決済手数料が収益源になりますから、SaaSの定期収益とは別の2つ目の収益の柱ができることになります。

米国市場でも増えているSaaS企業のフィンテックビジネス参入
――決済ビジネスに取り組む意義が見えてきましたが、その統合体験はクレジットカードビジネスを手がけることをきっかけに見えてきたビジョンなのでしょうか。
武地:振り返ると、今の統合体験の考え方のエッセンスは最初から組織の中にあったのかもしれません。正確には、会計、稟議・承認、人事・労務、電子契約、そして今回の決済と事業領域の拡がりの中で、その姿がより具体的になったと思います。一度使ったデータは他でも使いたい。使い回しができるようにしようと考えたのが原点です。
とは言え、連携が点の繋がりなのに対して、統合では全体として一貫性のある体験を提供できているかが問われます。一方向ではなく双方向で、反映していてほしい変更が反映されていて、遡って関係性が見えるようになっています。その分、プロダクトを作り込むのはものすごく大変で、お客さまから見えない裏側に様々な投資をしてきました。
――米国でもSaaSの会社がフィンテックに参入する例が増えているようですね。
花井:freeeの場合は会計、ワークフローとつながることでこれまでの統合体験を拡張し、お客さまにより多くのベネフィットを提供できると考えたための参入です。数年前は融資をやっていたのですが、関わるのは一部の人たちですし、頻度も年に数回あるかどうかの業務です。対して決済は、どんな会社にとっても日常的な業務です。
でも、インターネットバンキングや他の決済サービスにもワークフローが付いていて、都度ログインしなければならない。会計がワークフローに統合されているならば、その先の決済まで統合する方が、より利便性が高くなる。また、実現に至った背景には、2012年の創業から10年が経ち、蓄積してきたお客さまのデータを活用して精度の高い与信モデルの構築ができるようになったこともあります。この与信モデルを使えば、社長の個人与信に依拠しなくてもすみますから。
――その社長の個人与信に関してもう少し詳しく聞かせて下さい。
花井:freeeの一般的なお客さまである小規模事業者の場合、社長の個人与信以外に信用力を証明するものがないのです。問題は個人なのでその与信枠が小さいことです。毎月の広告やサーバー利用料の他、エンジニアが使う各種サービスの支払いをするには、個人与信では対応できません。カード会社としても与信に必要な情報を得る手段がありません。これに対して、freeeカード Unlimitedはお客さまの日々のキャッシュフローのトレンドを掴んでいるので、事業の健全性を考慮した与信枠を供与できます。お客さまのビジネスを阻害することもありません。

日本市場特有の商習慣がペインポイント
――個人では月の利用限度枠が数10万円程度が一般的ですよね。限度額が低いことがお客さまの最大のペインポイントだというわけですね。
花井:その通りです。もちろん銀行口座への振込で対応することはできますが、請求書の発行などの書類手続きに係る手間が増えてしまいます。スタートアップ経営ではキャッシュフローが重要です。freeeカード Unlimitedの場合、キャッシュフローに基づき与信額が決まるので、一般的なクレジットカード会社よりも大きくできます。また、会計システムと繋がっていますから、月次決算の早期化や改正電子帳簿保存法への対応も容易です。
ベータ版を利用したお客さまからは「特に広告費を大きく運用するようなEC系のスタートアップやコンバージョン型メディアを運営するスタートアップにお勧めです」「従業員の立て替え経費をカードに集約していますので、仕訳業務にかかる時間が体感で4分の1ほどに圧縮されたように感じており、ありがたいです」との声を得ています。
――他のクレジットカード会社も法人カードに力を入れています。 freeeカード Unlimitedの他社との差別化ポイントをどう考えればよいでしょうか。

花井:freeeには創業から10年分のビジネスを通じて蓄積してきた約40万人のお客さまのデータがあります。それを活かし、与信モデルを構築し、会計、ワークフローと合わせての統合体験を提供することが僕たちの強みです。会計やワークフローのプロダクトが進化すれば、カードも進化する。全体として常により便利な体験を提供し続けます。
freeeカード UnlimitedはSaaSのプロダクトと一体的に進化していきます。お客さまのビジネス成長に伴い、与信枠は大きくなるでしょうし、日々の利用実績から新しい提案も可能になります。取引が増えるに従い、予実管理も楽になりますし、経営への示唆も提供できると考えています。
武地:SaaSのビジネスでは、解約されないように機能を磨く必要があります。とりわけBtoBの場合は、頻度の高い業務の体験価値の向上が差別化の源泉をつくる上でも重要です。金融の部分でお客さまのペインポイントがあるのは決済で、会計との相性も良い。2つを合わせることで、統合体験の価値を高めることができるのです。
大事にしたいスモールビジネスのお客さまへの価値提供
――freeeカード Unlimitedもこれからさらにブラッシュアップが進むとなると、今後の展開が気になるところです。どんな計画を描いていますか。
花井:一般的には、金融でもSaaSでもエンタープライズ市場を狙うことが早く成長できるとされています。ですから、ほとんどの競合が次のステージではそのセグメントを狙います。問題は、その結果、スモールビジネスのセグメントの発展が遅れてしまうことです。日本のスタートアップ市場にとって良いことではありません。
僕たちのお客さまのほとんどは小規模事業者で、そのセグメントの課題に焦点を当てる方がfreeeのビジョンに即した手が打てます。今はまだfreeeカード Unlimited も、一部のお客さまへの提供に留まっているので、これからの1年間はfreeeユーザーであれば誰もが使えるようにしていきたいですね。
――小規模事業者に適したカードと言えるわけですね。
花井:はい。今はカードごとの利用金額の制御だけですが、今後は使う場所やユーザー単位でのきめ細かい制御をできるようにしたい。例えば、交通費だけに用途を絞るような制御です。これも価値を実感してもらうには、普段の会計やワークフローと同じツールを使ってもらうことが重要です。請求が取引先から届いたらfreee会計に明細が入るようになっていて、特別な設定は必要ありません。
武地:花井が話したように、スモールビジネスに焦点を当てたビジネスへのこだわりはfreeeの特徴です。通常は、1社ごとの規模が小さいので収益がついてくるまでに時間がかかります。その分競合は少ない。ほとんどのSaaS企業がエンタープライズに向かう中、この戦略を窮めるのは大変ですが、一度使ってもらうと他には移りにくいプロダクトでもあり、参入障壁を高くできます。今の経済環境はチャレンジングですが、長期的には大きな強みになると思います。
花井:開発や人材など、トータルで見たらものすごくお金がかかるので、今の経済環境で他社が追随するのは難しいと思います。
武地:僕たちは創業以来、日本のスモールビジネスの経営をもっと楽しくしたい、自由にしたいと考えてきました。会計や給与計算はやらなければならない作業の典型ですが、その中でもプロダクトを使う中で面白さを感じてもらえるような思想を設計に織り込んできたつもりです。率直に言って、ファンは多いと思います。
事務処理だけでなく、経営のやり方を変えよう、起業しようと思う人が増えればすてきな世の中になる。ファンも増える。口コミで紹介されやすくもなる。全部が長期的な強みの形成につながっています。スモールビジネスは個人に近いセグメントです。だからこそ、楽しさや自由を感じてもらうことにこだわり続けるつもりです。
武地健太(たけち・けんた)◎freee株式会社 CSO(最高戦略責任者)。先祖代々会計一家の出身で「経済活動のログ」としての会計の可能性を追求する公認会計士。 あずさ監査法人・ボストンコンサルティンググループを経てfreeeにCFOとして参画。会計事務所 向け事業責任者、金融事業を担う子会社のfreee finance lab株式会社のCEOを経て、現在は freee株式会社のCSOとしてM&Aを担当。
花井一寛(はない・かずひろ)◎freee株式会社 金融事業部 マネージャー 兼 freee finance lab株式会社 取締役。在学中に会計士試験に合格し、PwCあらた監査法人にて財務報告およびサステナビリティのアドバイザリー業務に従事。15年にfreeeにJoinし、会計事務所向けのパートナーセールスを経て、金融を中心とする事業開発/新規事業の立ち上げを担当。freeeカード Unlimited、freee福利厚生、資金繰り改善ナビ、税務調査サポート補償などを担当。
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