• 顔面麻痺に車いす、難病をきっかけに起業を決意
  • 「自分たちができること」から発想したサービスは誰も求めない
  • アクセラレータープログラム「Onlab」との出合い
  • 「10回のピボットまでは頑張ろう」
  • メンターから問われ続けた「6つの質問」
  • 外に出て「声」を聞け、あきらめるな

資金調達にサービスの立ち上げ、上場や事業売却と、ポジティブな側面が取り上げられがちなスタートアップだが、その実態は、失敗や苦悩の連続だ。この連載では、起業家の生々しい「失敗」、そしてそれを乗り越えた「実体験」を動画とテキストのインタビューで学んでいく。第6回はSmartHR代表取締役社長・CEOの宮田昇始氏の「失敗」について聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部副編集長 岩本有平、動画ディレクション/ダイヤモンド編集部 久保田剛史)

 人事や労務の手続きをオンラインで実現するクラウド労務ソフト「SmartHR」を提供するSmartHR。同社の創業は2013年のことだ。もともとはウェブディレクターとしてIT企業を渡り歩いていた宮田氏。あるとき大病を患い、今後の会社での働き方にも迷っていた中で、自社サービスと受託のための会社・KUFU(当時の社名)を起業するに至った。

SmartHR 代表取締役・CEO 宮田昇始氏SmartHR 代表取締役・CEO 宮田昇始氏 提供:SmartHR

 サービスの発表から4年半が過ぎ、SmartHRの登録企業数は2万社超。社員数千人規模の企業も導入しているという。ミック経済研究所の「HRTechクラウド市場の実態と展望2019年度」によれば、業界シェアで2年連続の1位を獲得するに至った。

 事業は投資家からの評価も高い。これまでの累計資金調達額は82億円。国内のベンチャーキャピタル(VC)にとどまらず、米国の著名VCも同社の支援を行っている。

 成長を続けるSmartHR。だが今に至る道は苦難の連続だった。受託で食いつなぎつつ何度も自社サービスを開発するもヒットに恵まれず、今後の方向性に迷う中で飛び込んだのが、デジタルガレージグループ主催のインキュベーションプログラム「Open Network Lab(Onlab)」だった。プログラム中に何度もピボット(変更)して、ようやく生まれたSmartHR。その誕生秘話と、世に認められるサービスの生み方について宮田氏に聞いた。

顔面麻痺に車いす、難病をきっかけに起業を決意

 僕はもともと、ウェブディレクターとしてキャリアをスタートしました。ですが、これがけっこう波乱万丈だったんです。

 最初の会社はリーマンショックのあおりを受けて倒産してしまい、2社目は会社に警察の捜査が入るようなことがありました。それで3社目に移るんですが、今度は代表と方針が合わなかったんです。何というか、「会社選び」がめちゃくちゃ下手だったんですよね(笑)。

 それで、3社目の会社に在籍してる時に、「ハント症候群」という難病にかかったんです。水ぼうそうってあるじゃないですか。あれ(水痘帯状疱疹ウイルス)が顔面神経に潜伏するんですが、顔が麻痺して動かなくなるんです。三半規管にも影響するので、顔面麻痺だけでなく、耳も聞こえないし、味覚もなくなりました。さらには歩くことすらできず、数カ月の間車いす生活を余儀なくされるという時期があったんです。

 治るかどうか不安だったんですが、その時間が人生について色々と見つめなおすいい機会になったんです。病気にかかってすぐは心が弱っていたんで「起業しよう」という発想にはならなかったんですけれども、元気になってくると、「会社選びも得意じゃないし、これはいよいよ自分でやったほうが面白いんじゃないか」と考えるようになりました。これからずっとインターネット業界で食っていくんだろうなと思っていたので、友人と一緒に自社サービスを作る会社を作ったら面白そうだなと。それで共同創業者の内藤君(現取締役副社長の内藤研介氏)を誘って起業したのが7年前のことです。

「自分たちができること」から発想したサービスは誰も求めない

 起業した当初は「多くて15人くらいの会社を、細々とやっていければいいや」くらいの気持ちでした。自社のサービスを作りつつも、(外部資本を入れずに)のびのびと事業をやるのがいいと思っていたんですよね。

 実際、銀行から少しだけ借り入れをして、あとは受託で稼いだお金で自社サービスを作るというようなことをやってみたんですが、これが全然うまくいかなかったんです。

 その理由は大きく2つあるんですけども、1つ目はやはり中途半端になってしまっていたということです。半年間かけて自社サービスを開発したらお金がなくなっているんで、今度は受託で食いつなぐ。そして2、3カ月受託をして、ある程度お金に余裕ができたらまた自社サービスを作っていたんですけれども、その受託をしていた2、3カ月の間にサービスは死んでしまいます。そんなことを何度も繰り返していました。

 2つ目の理由は、「自分たちができること」から発想した結果、誰も欲しがらないサービスを作っていたことだと思います。SmartHRは、世の中の課題やユーザーの課題を解決しようという発想で、課題から作ったサービスです。ですが初期の自社サービスは、机上の空論でものづくりをしていました。自分たちができることから発想しても、誰もそのサービスを欲しがりません。

 そんな理由から、起業から2年間くらいは鳴かず飛ばずの状態でした。いつも銀行口座の残高はギリギリでした。会社の口座残高が10万円を切ったことも2回ありました。「会社の残高は10万円、自分の残高10万円、しかも来月には子どもが生まれる」という状況に陥り、これはいよいよヤバい、どうしようかと考えました。当時のメンバーは、共同創業者と2人きり。このままだと自分たちは何者にもなれないし、会社も死んでいく……。そんな風に思いながら漠然と働いていました。

アクセラレータープログラム「Onlab」との出合い

 そんなとき、ずっと気になっていたインキュベーションプログラムがOnlabでした。これは本当によこしまな考えなんですが、Onlabに入ったスタートアップがことごとくうまくいっているように見えてたんですよね。特にすごく印象が残っていたのがFablic(フリマアプリ「フリル」を運営していたスタートアップ。後に楽天が買収)とWondershake(女性メディア「LOCARI」運営のスタートアップ)の2社でした。

 Wondershakeの鈴木君(代表取締役の鈴木仁士氏)は東日本大震災の日に出会ったのでよく覚えています。当時大学生だった彼は、その数カ月後に起業して、いきなりVCから数千万円の資金を集めていました。Fablicは創業メンバーの1人であるtakejun(Fablic取締役兼デザイナーで共同創業者の竹渓潤氏。takejunはTwitterなどでのアカウント名)が以前から飲み友達だったんです。彼からフリルについての相談を受けているうちに、あれよあれよという間に大きくなっていくのを見ていました。それで僕たちも2014年の夏にOnlabに申し込んだんですが、審査に落ちて入れませんでした。その半年後にまたチャレンジして、何とか審査に受かったんです。

 ちなみにOnlabに入ったからうまくいくというのは幻想でした(笑)。結局自分たちで頑張らなきゃいけないんですよね。ただ、Onlabは頑張るためにいろいろなチャンスをくれました。一番良かったのは自分たちのサービスをお披露目する「デモデイ」です。Onlabに入ると、デモデイのある3カ月後までにサービスを磨いて、事業の数字を作って、デモデイで投資家にその成果を発表するんです。3カ月という期間と、デモデイがセットになっているんで、「結果にコミット」ではないですが、むちゃくちゃ頑張るんです。

 Onlabに入った当初企画していたのは、SaaS製品の口コミサイトでした。ですが、それがサービスとしていかに甘かったかというのも分かっていきました。例えばメンターから「ユーザーは本当にこういう風なところで困っているんですか」「まずヒアリングしてみましょう」といった指導を受けるんです。それで実際にヒアリングに行ってみると、やっぱり思っていた状況とは全然違ったんですよね。口コミを書いてくれる人たちはいたんですが、「製品選びの課題はなんですか」「そのときにこのサイト見ようと思いますか」と尋ねたら、実はみんな中途半端な回答だったんです。

 製品選びって、困っているどころかむしろ結構楽しいから調べていたり、一応口コミは見たりするけれども、これをもとに意思決定をすることはない。参考程度にしかならないといった答えが返ってきました。このまま口コミサイトをやっているのではダメだ。「本当の課題」を探さないといけないと気付きました。Onlabに入って最初の1週間くらいの出来事です。

「10回のピボットまでは頑張ろう」

そこからはめちゃくちゃにピボットをしました。まず「(こんな課題があるのではないかという)課題の仮説」を立てて、それを解決できそうなサービスのプロトタイプを作ります。それについて5〜10人にくらいにヒアリングして、課題としてアリかナシかという判断を1週間でやる――こんなことを2カ月間くらいずっと繰り返していました。

 ですが、なかなか僕たちにぴったりとハマる課題というのは見つからなかったんですよね。課題を見つけるのが本当に難しい。なんというか、便利な世の中なんですよね(笑)。

 そんな中で、たまたま奥さんの産休・育休手続きを「おっ、世の中の課題があった」みたいな感じで見ていたんですよね。それで社会保険を調べてみたら、「これこそみんなが困っていることだ」っていう感じだったんですよ。それがSmartHRを作るきっかけです。

 今までのヒアリングでのお客さんのリアクションって、「そうですね……まぁ強いて言えば困っている……うーん困ってます」と、無理やり言ってくれるようなところがありました。ですが、「社会保険手続きって月何回くらいありますか?」とか「役所でどんくらい待ちます?」とかいった質問をしただけでも「ちょっと聞いてくださいよ!!」といった感じで、聞いてもいないことまで話してくれるんです。みなさん熱量が高くて。これが「世の中の課題を見つけた」ということなんだと思ったのを、すごく覚えています。

 本当に無茶苦茶にピボットしていました。最初は2つプロダクトを世に出して、たたんだんです。それからは(実際にコードを書くに至らないが)課題を見つけてプロトタイプを作ってと10回繰り返して生まれたのがSmartHRです。だから、これまで合計で12回のピボットをしてきました。

 毎週のようにピボットしていましたが、「10回目」という数字については、すごく印象深く覚えているんです。なぜかというと、Onlabの卒業生にFOND(当時の社名はAnyPerk)という会社を立ち上げた福山太郎さんという人物がいるんです。彼は、米国の著名アクセラレーター・Y Combinator(Y Com)の採択企業に日本人起業家として初めて選ばれたんですけれど、彼がY Comにいた時、めちゃくちゃピボットしたらしいんですよ。どこかの記事で「10回ピボットした」みたいなことを話していたのが記憶にあったんです。なので僕らも「10回目までは頑張ろう」と思っていたんです。

メンターから問われ続けた「6つの質問」

 どうしてここまでやりきれたのか。いくつかの理由があると思っています。まずは、『Running Lean ―実践リーンスタートアップ』(アッシュ・マウリャ著、オライリージャパン)という書籍です。リーンスタートアップという手法についての、実践編の教科書のような本があるんです。この中にあったヒアリングの手法をアレンジして使って、それがうまくいったということがあります。

 2つめは、Onlabのメンターだった松田さん(現・エピックベース代表取締役社長の松田崇義氏)がいつも言っていた「6つの質問」です。(1)誰の、(2)どんな課題を、(3)どうやって解決するのか、(4)既存の代替品は何か、(5)市場規模はどれくらいか、(6)あなたがそれをやる意味は何か――この6つの質問にきちんと答えられるようになるまではサービスを作るな、コードを書くなと言われていたんです。振り返ってみるとこれが一番良かった気がします。

 これに答えられるサービスを作ることは、シンプルがゆえにすごく難しいんです。それこそ10回ピボットした中には、「これはビジネスとしていけるんじゃないか」と思うものも1、2個あったように記憶しています。ですが、6つめの質問の「それをあなたがやる意味は何ですか」というのには答えられなかったんですよね。松田さんに「これフェイスブックがやってきたら一発で終わりじゃないですか」とか「(同じ領域での事業経験のある)元○○社の人がやったほうがうまくいくんじゃないですか」とか言われたとき、「確かに……」以上の言葉が出てこなかったんです。

 ですが、SmartHRはその逆でした。「これこそ自分たちがやるべきだ」って思っていたんですよね。自分の病気の経験が生きたり、奥さんの課題があったりしたので。それに加えて、僕らはもともと口コミサイトを作るくらいにSaaSに興味を持っていましたから。「これは自分たちがやるべきサービスだ」と思ってやりきれたというのがあります。

 3つめは、(YCom創業者の)ポール・グレアムのエッセイ、「死なないために(原題:How Not to Die)」です。ざっくりと内容を説明すると「スタートアップの半分はうまくいかなくて、半分はうまくいく。じゃあその違いは何かと言うと、諦めないかどうかだけの一点だ」という話です。

 スタートアップが死ぬ理由に、お金が払えなくなってインターネット回線を止められたって言われることなんてほぼないんです。だいたいみんな何かしら諦める理由を見つけてやめてしまう。ただ、キーを叩いてる限りはスタートアップは死なないから諦めないように頑張りましょう、と。大変なことが起きたときに、ポールが何と言ってたか思い出せ、そうだ、「諦めるな」だ。そんなことを書いていました。

 なんだかんだ言っても、毎週のように事業をピボットするって、前に進まないし、めちゃくちゃ大変で、心が折れるんですよね。「これはイケるぞ」と思ってヒアリングに行ったら全然ダメで、またやり直しというのが続くんです。その時に、心を保てたのはこれを読んでいたからなんですよね。毎日へこんだまま帰りの電車に乗るんですけれども、スマートフォンのホーム画面からすぐにこのエッセイを読めるようにしておいて、読みながら家に帰っていたんですよ。本当に毎日のように読んでいて、自分で自分を奮い立たせて続けていました。

 そしてやはり、共同創業者がいたのが良かった。この会社は、共同創業者の内藤君を彼の前職から引き抜いて始めた会社です。ですがSmartHRを出すまで、起業から2年の間、僕たちは何も残せていませんでした。「このまま内藤君を手ぶらで帰すわけにはいかない」と思っていたのが、最後まで諦めずにやれた要因かなと思っています。

外に出て「声」を聞け、あきらめるな

 次の挑戦者の人たちに伝えたいことですが、1つは「外に出る」ということ。結局のところ、人間って机上の空論からものづくりしてしまいがちだと思うんですよ。世の中の大半、失敗している事業なんかはそれが原因だと思ってます。やっぱり外に出てユーザーの声を聞いたり、世の中の課題っていうのを実際に自分たちで見つけたりするところが第一歩かなと思ってます。それをすることで、本当に人が欲しいと思うものを作れるようになると思っています。

 もう1つはやっぱり「諦めないこと」だと思います。スタートアップって、外からは華やかに見えるんですが、実際には結構ハードな出来事も多いんです。そんな時にあきらめてはいけない。僕らもそうなんですけど、諦めたらここまで来れていないんですよね。さきほども話しましたが、先輩起業家であるFONDの福山さんの「10回ピボットした」というインタビュー記事を見ていたおかげで「10回までは頑張ろう」と思って、その10個目がSmartHRだったんですから。

 1つオチをつけると、本当に10回頑張ってよかったなと思ってたんですけど、あとから福山さんのインタビュー記事を見返したら「8回のピボット」って書いてあったんですよね……。これは本当に勘違いをしていてよかったと思いました(笑)。なので、これを読んでくださった方には、12回ぐらい事業をピボットしても、諦めずに挑戦をしてほしいなと思っています。