エール取締役 篠田真貴子氏
エール取締役 篠田真貴子氏
  • 1on1の役割──経営者の課題感を現場の意識と接続する装置
  • あらためて1on1とは何か(何ではないか)
  • 「聴く上司」は1on1で何をすればいいのか
  • 1on1がうまくいかないのは「聴かれてよかった」経験が少ないから
  • プロの聴き手に「聴かれる」体験を通じて「聴く」ことの良さを知る

企業文化の醸成や社内のコミュニケーションの質の向上、強い組織づくり、ひいては生産性の向上にも役立つと言われる「1on1」。その1on1の場でも「聴く力」は活用できる。書籍『LISTEN──知性豊かで創造力がある人になれる』の監訳者で、社外人材によるオンライン1on1サービスを展開するエール取締役の篠田真貴子氏が、すでに事業が確立した成熟企業が初めて1on1を取り入れる際の心構えや注意点について解説する。

1on1の役割──経営者の課題感を現場の意識と接続する装置

今回は、事業やオペレーション、組織がすでにできあがっている企業で、初めて1on1を取り入れようとする場合の留意点などについて、考えていきたいと思います。

1on1というのは、あくまで組織の中での1つのコミュニケーションの方法です。では、その中で何をテーマにコミュニケーションを行うのか。実はそのテーマとなる内容、つまり「今、何が組織にとって課題なのか」「組織で何を実現したいのか」というところを整理しておくことが、結構大事です。

成熟企業に所属する方からよく聞く課題として、「事業環境がかなり変わってしまった」というものがあります。こうした企業では、経営者の方は早くから周りの変化に気づいていて、「まずい」「場合によっては事業の根幹から変えなければ」と考えていることも多いのですが、現場レベルで「まずいな」と気が付くのは、かなり時間がたってからのことです。現場に近い方ほど「変化が急激だ」とおっしゃることが多いのですが、変化は徐々に起きていることがほとんどです。

自動車産業などは、この典型例と言えるでしょう。いわゆる電気自動車がこれから主流になっていって、ガソリンと内燃機関で走るクルマは少なくとも30年後にはもう主流ではなくなるということは、今では私たち一般人でも知っていることです。自動車メーカーでも幹部の方なら10年ぐらい前にはもう「まずい」と思っていたことでしょう。しかし、現場レベルでは生産の仕組みから販売網、人事制度まで、すべて内燃機関で走るクルマを作るために最適化してしまっているわけです。

すると大きな変化が押し寄せてきたときに、どうなるか。社員の人たちが頭では変わらなくてはいけないと分かっていても、目の前の現実では古いやり方で日々業務が行われていて、その内容で評価も給与も決まってしまいます。この差をどうしていくかというのは、非常に大きなテーマとなります。

経営者の問題意識がかなり強くても、現場には分かっている人と分かっていない人がまだらにいる。分かっている人も頭では分かっていても、実際に何をどうすればいいのか分からない。そういう状況の会社は多いように見受けます。

この「頭では分かっている」という状態を、本当に我が事として、それぞれの現場で「私たちの部門ではこれをやらなければ」「私たちの課ではもう、これはやめよう」といった議論に結びつけなければならないわけです。トップが言うことはどうしても全社向けで抽象度が高くなりがちですから、そこと現場とを接続することはすごく大切です。

そして、「1on1でなければできないこと」というのは、この「接続」そのものだと思うのです。

あらためて1on1とは何か(何ではないか)

あらためて1on1とは何かを考える前に、1on1とは「何ではないか」を考えてみましょう。1on1とは、これまでの業務のやり方に沿った進捗(しんちょく)管理の新しいやり方、「ではありません」。

経営トップからは変革のための指針のつもりで「これをやってください」というメッセージを発しているのに、現場への伝言ゲームの中でいつの間にか、あるいは伝達のための会議を繰り返すうちに、ただの進捗管理ミーティングに変容してしまったという話はよく聞きます。

では、1on1とは何なのか。まず、1on1は、管理する側のためではなく社員やメンバーのための時間です。さらに1on1とは、新しい事業の方向性に向かって、社員の内面の「思い込み」のようなものを刷新していくプロセスです。

1on1の手法として「上司はとにかく聴いてあげてください」とよく紹介されますが、これはなぜなのでしょうか。

世の中が変化しているのに、会社の仕組みが変わっていないとすれば、経営者はそのギャップをスピーディーに埋めたいと考えるはずです。その「変わっている世の中」に最も接点が多いのは、現場の人たちです。顧客の意見に触れ、競合の状況をずっと見てきて、あるいは消費者としての立場でもあります。ですから、この人たちがいいと思うことを取り入れることは大切です。

本来であればトップの意思と社員の思いは、社員のための時間であり、社員の話を聴く場である1on1で接続するはずです。それなのに「これまでのやり方の守護神」である管理職が、これまでのやり方を是として「そういう情報を取りたいんじゃない」などと業務の進捗管理を1on1の場で行ってしまうと、元も子もないのでは、と思うのです。

既存の組織ができあがっている企業において、1on1で苦労するポイント、1on1をやってもうまくいかない基本構造は、旧来のやり方を管理職が半ば無意識に再生産してしまうことにあります。彼ら彼女らは、今まで「効率が良い」とされてきたやり方を無意識にできてしまうほど訓練を積んだ人たちだからこそ、管理職に起用されているわけです。しかし無意識に良かれと思って指導することが全部、変化する環境とはズレてしまう。部下の方にとっては「この時間、何だか意味がないよなあ」という1on1になってしまいます。

上司が培ってきた経験に基づく「良かれと思って」という話は、この変化し続ける局面では、むしろ邪魔になっている可能性があります。だからこそ「聴く」ということがとても大切になってきます。

「聴く上司」は1on1で何をすればいいのか

上司の方の社会人としての経験や、組織を動かす知見が全て無駄だというつもりはありません。状況の変化とこれまでのやり方がフィットしないという点だけが問題なのです。では「聴く上司」は1on1で何をすればいいのでしょうか。

まず、自分の経験に基づいて「こういうやり方が良いよ」と指導することから始めてみるのはいかがでしょう。聴き手となり、現場の方が直面する課題や悩みをとにかく聴くこと。アドバイスは今までの10分の1ぐらいの分量になるよう意識します。仮に面談時間が30分だとすれば、話すのは最後の5分と決めて、残りの25分は「どうしたの」と聴くことに専念します。

「顧客からリクエストを受けたけれども難しいと思っている」と言われたら、「どうするのがいいと思う?」と聴いてみる。質問も相手を「詰める」かたちになることがありますので、そんなときは「確かに難しいよね」と共感を表してみてください。自分の中に答えがあっても、それは言わずに、とにかく基本的には黙って、聴く姿勢を示し続けてみましょう。

相手も、何も考えていないわけではないのです。しゃべることで、その考えがまとまって出てくるはずです。よく聴いてみれば、意外といいことを考えていると思います。

エールでもクライアント向けに「聴くこと」をトレーニングするプログラムを提供しています。これを実際に使った老舗企業の方々は、今までは若い人から相談や提案があると、だいたい途中で遮って「わかったわかった、じゃあこうすればいい」とアドバイスに入るのが普通のコミュニケーションだった、といいます。それがトレーニングを経て、口を挟まずに最後まで聴くようになったところ、「若い人も意外と考えている」「意外といい案が出てくる」と驚くのだそうです。

おそらく老舗企業や成熟企業では、現場の変化を肌で感じている人の方がいい提案のタネを持っているのではないでしょうか。上司の経験は、それをいかに社内で通すか、あるいは会社にとってもうかるような提案に仕上げていくか、といった点で生きるはずです。1on1は原則として聴く時間にして、最後の5分ほどで少しだけ助言をする、といったやり方を目指せば、本来の1on1の意味と実際にできることが結合するのではないかと思います。

エール取締役 篠田真貴子氏

1on1がうまくいかないのは「聴かれてよかった」経験が少ないから

「これから1on1を始める」という上司の方々が、そもそも「話を聴く」ことが全く良いことに思えないということはよくあります。聴くことに関心がそもそもわかないし、反感を覚えるという人もいます。私もそういうタイプのひとりでした。

その理由はずばり、聴くことについて教わったことがないからです。コミュニケーションと言えば、いかにうまく話すか、伝えるか。これをずっとトレーニングしてきています。特に現在、管理職の世代の皆さんは、まさに「背中を見て盗め」などと厳しく言われ、歯を食いしばってがんばってきた結果、管理職にある人たちです。その成功体験と逆のことをやれと言われても、「何の意味があるのか」と戸惑うことと思います。

私自身も今振り返ると、聴くということに関してさまざまな誤解をしてきました。聴くことには何となく「自分が従う側」というイメージがつきまといます。これまで上司の言うことを聴いてきた身からすると、「部下の言うことを聴く」ということが、部下の言いなりになるかのようにとらえられるからです。

この世代の人たちは面談だけでなく、商談でも会議でも、効率よく話を運ぶために話の運び方を設計して資料を用意し、計画通りに運べばその打ち合わせが成功だと考えてきたはずです。ですから、こちらが聴いてしまったら「コントロールが向こうへ行ってしまうからダメだ」と感じるのです。

そもそも聴くことがビジネスマンとして良いことだという経験をしておらず、会議でも「発言しなければ意味がない」と言われ続けてきています。だから「聴く」イコール「発言しない」、イコール「意味がない」、つまり無能だというイメージがあるのだと思います。そこで1on1は聴くための場と言われても、「上司たるものが、聴くことで面談が成立するものなのか」と戸惑うのでしょう。「普段の会議でも、自分が8割ぐらいしゃべっているのに、部下だって面食らうだろう」という考えになるのは想像に難くありません。

そうした方々が「1on1のやり方が分からない」というのは、非常に素直な心情の発露だと思います。会社への忠誠心も高く、指示されたことはきちんとやりたいと考える真面目な方々でもあります。聴くことに関する戸惑いとの狭間で「どうしよう」と悩まれている方も多いのです。

聴くことの効果は一度研修を受けただけでは、なかなか理解することが難しいです。聴くことにまつわる誤解や理解のなさは、自分が聴くことをやったことがないために起こっていると同時に、「上司がじっくり聴いてくれると、こういういいことがあるのか」という経験が少ないことからも起きているからです。

この連載の第1回(『“強い”組織ほど「聴き合うこと」を大切にする理由』)でもお伝えしたことですが、私が講演で参加者に尋ねると、「そういえば、本当に育ててくれた上司はよく話を聴いてくれました」と思い出される方もいます。ただ、やはり意識したことがないので、聴かれたという経験が自分の中に明確にはない人がほとんどです。人間は自分がされていないことをしてあげるのは難しいので、そこにも戸惑いが生じます。

まとめると、「聴くことのメリットが感じられず意欲がわかない」「聴いてもらった経験がないのでうまく聴けない」という2つが、1on1をうまく進められない大きな理由になっているのではないでしょうか。

プロの聴き手に「聴かれる」体験を通じて「聴く」ことの良さを知る

「聴いてもらった経験がないのでうまく聴けない」という点については、櫻井さん(編集部注:エール代表取締役の櫻井将氏)が講演でよくする話が、たとえとしてわかりやすいかもしれません。

彼が学生時代に旅行したエジプトで教わった「コシャリ」という料理があります。エジプトの国民食とも言われ、日本のレシピサイトにも作り方が載っているし、日本で手に入る食材で作れます。彼は「とてもおいしいので、皆さん作ってみてください」と紹介するのですが誰も作らないというのです。確かに講演に同席して、かれこれ10回はこの話を聞いている私も、作り方を検索すらしたことがありません。コシャリという食べ物を見たことも食べたこともないので、作りたいという気にならないですし、仮に作りたいと思ってレシピ通りに作ったとしても、本物を食べたことがないので「この味で正解なのか」がわからないからです。

「聴く」ということも、これに似たところがあると彼は言います。自分が聴かれて、それが良かったという経験、つまり「食べて、おいしかった」にあたる経験がなかったら、やりたいとも思わないし、やってみたところでそれが正しいのかがわからない。そこに1on1で「聴く」ことへの戸惑いの源があるのだろうと思います。

では、聴かれた経験がない人が、聴くことの「おいしさ」がわかる瞬間というのはあるのでしょうか。これは何とか過去の経験の中から、恩師や上司にじっくり話を聞いてもらったことで良かったという記憶を思い出してもらうか、もう一度じっくり話を聞いてもらう経験をしてもらうかしかないと思います。

もう一度経験していただくには、エールのようなサービスやコーチングを通じて、プロの聴き手に話を聴いてもらうという方法があります。また、企業なら人事部の方などが先に話を聴かれる体験をし、コーチングの資格やキャリアカウンセラーの勉強をして聴き方を身に付けられれば、次はその人たちが社内の1on1の指導をするなどして、少しずつ聴くことの姿勢を社内に広めていくことができます。

熱心な企業では、管理職研修の1つのカリキュラムとして「聴くこと」の研修も取り入れて、何度も定期的に繰り返しているようです。でも実際には、いきなり1回の研修でスタートしてみるというところが多くて、皆さん苦戦されているのではないでしょうか。

まずは話を聴ける人を外部からでも招いて、管理職の人たちにじっくり「聴いてもらう」という経験をしてもらうのが良いのではないかと思います。知らない料理を試食して、おいしさを知った上でレシピを教えてもらい、少し調理実習もしてみる、というのと同様に、1on1で聴くことを取り入れるのであれば、初めの経験はどこかから持ってくることをおすすめします。


成熟企業の1on1の始め方について考察してきた今回に続き、次回は、スタートアップが組織づくりの過程で初めて1on1を取り入れる際に気を付けるべき点や、ベンチャー創業者にとっての「聴く力」の意味などについて解説します。