
- アンドリュー・チェンとは何者か?
- 「多くの人が使うほど価値が高まる」は本当か──ネットワーク効果の誤解
- ネットワーク効果の理論のヒントは生態学にあった
米国のベンチャーキャピタル、アンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)のゼネラルパートナーで、複数の有力スタートアップの取締役も務めるアンドリュー・チェン氏が著した新刊『ネットワーク・エフェクト 事業とプロダクトに欠かせない強力で重要なフレームワーク』(日経BP)。スタートアップの成長過程を「ネットワーク・エフェクト(コールドスタート理論)」というフレームワークで体系化し、InstagramやLinkedIn、Uberといった成功例をもとに説明する注目の書籍だ。本書の訳者である大熊希美氏が、アンドリュー・チェン氏の人物像や、これまで使われていた「ネットワーク効果」という言葉と今回のフレームワークの異なる点などを解説する。
11月17日に『ネットワーク・エフェクト』という本が日経BPから発売された。副題は「事業とプロダクトに欠かせない強力で重要なフレームワーク」だ。
「今更、ネットワーク効果?」と思う読者も多いかもしれない。SNSの代表格であるFacebookが立ち上がったのは2004年、Twitterが2006年、Instagramが2010年と、どれも10年以上も前のことだ。そしてこれまでずっと、こうしたサービスが成功し、世界でも有数のテック企業となった要因は「ネットワーク効果」にあると言われ続けてきたのである。もうすでにネットワーク効果のすべてが解明されていてもおかしくないと思うだろう。
しかし、ネットワーク効果が何であるかをちゃんと説明できる人はそう多くないようだ。それはスタートアップの中心地であるシリコンバレーでも同じで、そのことがUberで重役を務め、のちに世界有数のVCであるアンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)のパートナーとなったアンドリュー・チェンが本書を執筆するきっかけとなったのである。
「私はこれまで約10年半サンフランシスコ・ベイエリアに住み、スタートアップ業界で数えきれないほど『ネットワーク・エフェクト(ネットワーク効果)』という言葉を聞いた。お茶をのみながらのおしゃべりにも投資検討会議にも頻繁に登場するが、そのどれもが表面的な使われ方しかされていない。(中略)ネットワーク効果は現代のテクノロジー業界で非常に大事なテーマなのに、全貌がわかっていないというのは不思議じゃないだろうか」とチェンは本書でつづっている。
アンドリュー・チェンとは何者か?
日本ではあまり知られていない人物だと思うので、チェンについて少し紹介したい。チェンが地元のシアトルからサンフランシスコへと移ったのは2007年のことだった。SNSが登場し、スタートアップ熱が高まり始めていた頃である。だが、当時24歳のチェンはまだ駆け出しで、ネットワーク効果、ひいてはスタートアップについて何も知らなかった。
そこでチェンは「毎日新しい人に5人会う」という目標を掲げ、出会った人たちから学んだことを自身のブログ「andrewchen.com」に投稿し始めたのである。業界人が彼のブログに注目するようになるまで時間はかからなかった。「グロースハッカーが次のマーケティング・バイスプレジデント」などの記事は特に広く読まれ、彼の名前は業界中に広まったのである。
しばらくすると多くのスタートアップ起業家がチェンにアドバイスを求めるようになり、それをきっかけにチェンはAngelList、Dropbox、Product Hunt、Tinderなどの投資家やアドバイザーになった。そしてUberでドライバーグロースチームを率いたのち、2018年からa16zのパートナーになったのである。
こうしてチェンはシリコンバレーの中心地で10年以上も活躍してきたが、何度も繰り返し聞いているにもかかわらず、あやふやな使われ方しかされていない「ネットワーク効果」という言葉に疑問を持ったのだ。
「多くの人が使うほど価値が高まる」は本当か──ネットワーク効果の誤解
よく言われるネットワーク効果の定義は、「多くの人が使えば使うほど製品の価値が高まる」というものだ。そしてこれは「先行者有利」「勝者総取り」といったスタートアップ業界でよく使われる用語を裏付ける法則として引き合いに出される。
古典的なネットワーク効果の定義は、SNSを代表とするネットワーク製品のひとつの側面を表していることは確かだ。Uberならドライバーの数が多ければ多いほど、乗客はすぐにクルマに乗れるし、ドライバーもより多く稼げるのでサービスの価値は高くなる。この力がスタートアップの圧倒的な成長を後押ししていることには違いない。
けれど、この定義ではうまく説明できない部分もある。例えば、これに従えば、最初に最も多くのユーザーを獲得したサービスが市場を独占できるはずだ(つまり、先行者利益)。しかし、実際はGoogleやFacebookのように後発企業が圧倒的な勝利を収めた事例は少なくない。また1社が市場を独占できることもまれだ。例えばUberの場合、いくつかの市場では圧倒的なシェアを誇ったが、サンフランシスコなどいくつかの都市では競合のLyftと同程度のシェアだったとチェンは説明している。
このように、従来のネットワーク効果の定義は現実世界のインターネットサービスで起きていることを正確には表せていない。ましてやスタートアップが自社の成長に役立てられるフレームワークにはなっていないのである。
ネットワーク効果の理論のヒントは生態学にあった
では、もっと的確な説明はないのかと考えたところ、ネットワーク効果を説明する上でぴったりの理論が生態学にあったとチェンは説明している。それは「アリー効果」という、ミーアキャットやイワシなど、群れで暮らす動物はある程度の個体数がいると生存に有利になる現象を示す理論だった。
生態学の教授であるウォーダー・クライド・アリーは、1930年代に発表した論文の中で、群れで暮らす動物の個体数が増えやすくなる「アリー効果のしきい値」があることを明らかにしている。
動物は群れることで天敵から身を守り、群れの安全を守っている。閾値を超えるほどの個体数がいれば、群れの安全を守りやすくなり、多少天敵に襲われても個体数が劇的に減ることはない。しかし、このしきい値を下回る個体数しかいなければ群れの安全を守りにくくなり、個体数が減るという悪循環に陥る。
インターネットサービスでもこれと同じことが起きるとチェンは説明する。ユーザー数がある転換点を超えると、例えばメッセージアプリなら話したい人とすぐに連絡がつき、フリマアプリなら欲しい商品が見つかって、ユーザーはどんどん利用するようになる。一方でユーザー数が転換点を超えられなければ、話したい人や欲しい商品がみつからず、サービスから離脱してユーザーはみるみる減ることになる。
けれど、しきい値を超えたからといって、群れが永続的に成長できるわけではない。特定地域の食糧や資源は限られているので、群れの大きさには上限があるのだ。これは「環境収容力」と生態学では呼ばれている。
ネットワーク製品でも同じだ。ユーザー数も最初と同じ早いペースで成長し続けられるわけではない。市場の飽和やスパムの発生、マーケティング効果の減退といった壁にぶつかり、成長スピードは必ず減速するのである。ただし、ネットワーク製品ではこれに対抗する施策でユーザーの収容力を高めることはできる。
アリー効果、ならびにネットワーク効果を図で表すと全体像がつかみやすい。

「アリー効果のしきい値」は「転換点」に、「環境収容力」は「ユーザーの収容力、天井」とビジネス用語に置き換えているものの、「根本にある法則は一緒だ」とチェンは説明する。
これが本書で説明されている「ネットワーク効果」の理論であり、スタートアップがたどる成長の過程を表したフレームワークなのである。単純に、「多くの人が使えば使うほど製品の価値が高まる」という従来の定義と比べると解像度の違いがわかるだろう。
本書の第2章からは、このフレームワークを以下の5つのステージにわけて説明している。
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コールドスタート問題:製品を開発してまず解決しなければならない問題とその解決法
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転換点:サービスがさらに成長しやすくなる転換点を越えるために取れる戦略
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脱出速度:製品の成長に全力を注ぐために注目すべきネットワーク効果の3つの作用
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天井:サービスの成長を阻む問題と対策
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参入障壁:競合から自社を守るために取れる戦略
各ステージでスタートアップが直面する課題に加え、Tinder、Dropbox、Instagramなどの成功事例とともに解決のヒントを提示している。詳しくは本書で確認してほしい。
ネットワーク効果でサービスを急成長させたい立ち上げ期のスタートアップのみならず、成長の鈍化から抜け出すヒントを探している中規模のサービスや、市場で最大規模となったサービスを新興のスタートアップからどう守るか考えている人にとっても役に立つ内容となっているはずだ。