
- スタートアップM&Aでは、経験値の共有が課題に
- 著名事例で振り返る日本企業のM&A
- スタートアップM&Aに期待することは「起爆剤」
- 買い手の視点:自社の課題解決規模が買収金額を決める
11月24日に政府が発表した「スタートアップ育成5か年計画」。スタートアップへの投資額を2027年度には10兆円規模にする、スタートアップを10万社・ユニコーン企業を100社創出するなど、スタートアップ育成に向けた大きな目標を掲げている。その計画の3本柱のひとつとして、既存企業とスタートアップとの「オープンイノベーションの促進」が設定された。活発化しつつある現状に政府方針が追い風となり、今後スタートアップM&Aがさらに加速することは間違いない。
一方で、そもそもスタートアップM&Aについて、現状を理解するにあたって情報が不足していることは否めない。そこで本連載では、M&Aマッチングプラットフォーム「M&Aクラウド」や、スタートアップ向けの資金調達プラットフォーム「資金調達クラウド」を運営するM&Aクラウド代表取締役CEOの及川厚博氏が、M&Aを経験したスタートアップ、事業会社、VCへ「M&Aは『グロース』と『ハピネス』をデザインできるか?」をテーマに話を聞いていく。今回は連載の第1回として、現在の国内スタートアップM&Aの概要を及川氏が解説する。
スタートアップM&Aでは、経験値の共有が課題に
スタートアップ経営者が思い描く自社の将来像として最も一般的なのは、VCから資金調達を繰り返しながら事業を軌道に乗せ、上場を果たすことでしょう。しかし、最近はより柔軟な発想で事業成長を目指す人が増えてきました。先輩企業である事業会社の力を借り、その販路や営業力、生産設備などを活用して、独力ではたどり着くのが時間のかかるステージまで一気に駆け上がるという選択です。INITIALの調査によると、2021年の事業法人1社あたりのスタートアップへの投資額は9960万円となり、過去最高を記録しています。
また2021年末の寄稿記事で触れたとおり、事業会社がスタートアップに対してマイノリティ出資をし、その後スタートアップを買収しグループに迎え入れるケースが目立ってきたこともトレンドとして挙げられます。スタートアップと事業会社の距離が近くなり、Win-Winの関係を築く例が増えてきたといえるでしょう。
しかしスタートアップと事業会社の提携やM&A(合併・買収)──特にM&Aについては、依然として表に出る情報が限られています。私自身、かつて会社を売却した際に、この情報の少なさに困惑した一人でもあります。事業会社との提携やM&Aを考えるにあたり、検討すべき論点さえも把握しづらい状況では、売り手はほぼ丸腰でM&A交渉に臨まざるを得ません。
M&A後、買い手・売り手がそれぞれ事前に思い描いた成果を得られたか否かについても、オープンに語られることはなかなかありません。「スタートアップの買収によって減損を出した」といったネガティブなニュースは話題になりますが、「どうすれば本当に成功できるか」のヒントになるような情報は少なく、先行者の経験からの学びが起きにくい状況が続いています。本連載で、M&Aのリアルな情報をお届けできればと思います。
著名事例で振り返る日本企業のM&A
起業家の皆さんの中には、M&Aというと自分とは縁のない、遠い世界の出来事のように感じる人もいらっしゃるかもしれません。おそらく大企業同士のM&Aの印象が強いせいかと思いますが、M&Aという手法自体は、事業規模の大小に関わらず適用可能です。最近は、サラリーマンが数百万円で会社を買うといったこともよく耳にするようになりました。これもMerger & Aquisition、「合併と買収」の買収に当たります。

上の表に、過去15年で特に話題になったM&Aの事例を挙げてみました。対象会社の株式の過半数を取得し、経営権を得るという行為そのものは同じですが、企業規模が大きくなればなるほど、業界全体に及ぼすインパクトが大きくなり、株式市場からの注目度も高くなることが見て取れるでしょう。
こうしたM&Aがなぜ起こったのか、その背景を考えてみましょう。表中の例の中では、一番上の東京三菱銀行とUFJ銀行の事例は合併、その他は買収です。買収の場合は、売り手企業は買い手企業のグループ会社となるのに対し、合併の場合には2つ以上の企業が1つの企業になるかたちを取ります。業界再編の流れの中で同業同士が手を組む際などは、機能の統廃合がカギとなることから、買収ではなく合併するケースが多く見られます。
表にあるメガバンク同士の事例のほか、百貨店同士(大丸と松屋、伊勢丹と三越など)、ドラッグストア同士(マツモトキヨシとココカラファインなど)の事例も挙げられます。このような「同一の市場における、トップレベル企業同士の統廃合」は、お互いが切磋琢磨しても市場が横ばい、もしくは下降傾向であり、互いがシェアを奪い合うよりも統合するほうが、メリットがあると明確に判断できるケースが多いことが特徴です。
表の2行目以降の買収に関しては、武田薬品工業とシャイアーが事業会社同士である一方、ベイン・キャピタルと東芝メモリの例のように、事業会社ではなくファンドが買い手になるケースも見られます。ファンドによるM&Aと聞くと、「ハゲタカファンド」や「敵対的買収」というキーワードを思い浮かべる人もいるかもしれませんが、友好的な買収事例も多数あります。
ベイン・キャピタルは特に日本企業の買収事例が多く、たとえば2011年には経営危機に陥っていたすかいらーくを買収。経営再建を進めたうえで、再上場へと導いています。マクロな視点で見れば、このような“ハゲタカ”と呼ばれるような「企業解体/企業再生」は、本来の価値を発揮できずに経営危機に瀕している企業における、倒産を回避する方法のひとつと捉えることもできると思います。
このように皆さんもご存知の大企業同士のM&Aは、市場でトップシェアを獲得するための確実性の高い選択であるか、経営危機に瀕した場合の最終手段であるケースが目立ちます。その一方、スタートアップM&Aには違った側面があります。
スタートアップM&Aに期待することは「起爆剤」
スタートアップのM&Aについて考える場合には、企業規模の違いに加え、対象企業の「若さ」も重要なファクターになります。事業としても組織としても発展途上であるからこそ、将来の成長の余地が大きく、同時に不確実性も多分にはらんでいるのがスタートアップです。組織が未成熟であるということは、キーパーソンへの依存度の高さにもつながります。
買い手にとってはどんなM&Aも一種の「賭け」とも言えますが、対象会社がスタートアップである場合、過去の結果が少なく、より一層将来予測が難しくなるといえるでしょう。一方で、国内の人口減少が続く中、成熟産業を主戦場とする多くの企業にとって、現在の主力事業に代わる新たな事業の柱を育てることが喫緊の課題となっています。そこで注目されているのがスタートアップのM&Aなのです。

長年業界をリードしてきた歴史と伝統ある企業にとって、新規事業の立ち上げとは、ある種異次元のイベントです。現在の主力事業もかつて新規事業だったとはいえ、その後数十年も経過していれば、ゼロからイチをつくる経験をした人はすでに社内におらず、そうした志向を持つ人材も集まりにくくなります。こうした条件下で社内での事業立ち上げに挑むよりは、発展途上ではあっても、すでにかたちをなしているスタートアップを人材ごと仲間に引き入れた方が、むしろ成功可能性が高いというわけです。
スタートアップのM&Aでは、人材獲得がむしろ主目的となっている「アクハイヤー(Acqui-hire)」(Aquire(買収する)+Hire(雇用する)の造語)もよく見られます。事業の立ち上げができる人材として経営者と会社や事業をセットでグループに加えるケースのほか、ウェブ・アプリ開発、システム開発などの人材獲得競争が激しい業界では、エンジニアを採用する目的で同業会社を買収する例もあります。
買い手の視点:自社の課題解決規模が買収金額を決める
事業会社によるスタートアップの主な買収パターンには、「既存事業の強化・拡大」「隣接事業の獲得」「飛び地事業の獲得」があります。
「既存事業の強化・拡大」については、最も分かりやすいのは、シェアを食い合う同業者同士が手を組むパターン。これは昨今、インターネット広告の領域で活発化している動きです。有機野菜の宅配領域でも、オイシックス、らでぃっしゅぼーや、大地を守る会の3社が2017年から2018年にかけて経営統合したことは、記憶に新しいでしょう。市場が過熱してくると業界再編が起きる流れは、大企業でもスタートアップでも変わりありません。
また、これは「隣接事業の獲得」とも重なりますが、同じ顧客層に対して近いサービスを展開している事業を仲間に迎え、クロスセルを狙うパターンもあります。SaaSなどはこのタイプのM&Aが起きやすい代表的な領域です。
「隣接事業の獲得」は、さらに2つの方向性に分けられます。水平方向と垂直方向です。水平方向のM&Aで対象になるのは、自社と同じモデルでありながら、異なるカテゴリで展開している事業です。具体的に言えばウェブメディア運営会社が他メディアを買収する動きなどがこれに当たります。一方、垂直方向のM&Aでは、既存事業のバリューチェーンの上流あるいは下流を押さえ、コストカットによる体質強化、顧客情報共有によるサービスの付加価値向上などが狙いになります。
「飛び地事業の獲得」は、「スタートアップM&Aに期待することは『起爆剤』」の章で説明したように、新たな事業の柱をつくる目的で行われます。飛び地を買って成功した例としては、楽天がイーバンクを買収してネット銀行事業に参入した件が有名です。
スタートアップM&Aの概要について、ここまで駆け足で解説してきました。ガイダンスの後編となる連載第2回では、スタートアップM&Aにおける売り手の視点、またスタートアップM&Aにおいて論点となる企業価値の算定について、お話ししていきたいと思います。