
- 売り手の視点:親会社のリソース活用で、事業成長の加速を狙う
- スタートアップM&Aの企業価値算定:買い手の事業戦略とのマッチ度がカギに
- キーパーソンの確保:グループイン後もさらなる高みを目指せるモチベーション設計を
- 誰もがハッピーになれるM&Aは、グロースと買収金額にあり
「M&Aは『グロース』と『ハピネス』をデザインできるか?」をテーマに、M&Aクラウド代表取締役CEOの及川厚博氏が、M&Aを経験したスタートアップ、事業会社、VCへ話を聞く本連載。連載の第2回として前回に引き続き、国内スタートアップM&Aの概要を及川氏が解説。M&Aの交渉で論点となる企業価値算定、またM&A後のグループイン企業のキーパーソンへのインセンティブ設計など、スタートアップM&Aで買い手・売り手の双方が恩恵を享受するための条件を考える。
売り手の視点:親会社のリソース活用で、事業成長の加速を狙う
連載第1回の記事では、スタートアップのM&Aが起きる背景について買い手の視点で見てきました。次は売り手の視点から、M&Aという選択につながり得る状況を整理してみます。
売り手視点では、スタートアップならではのニーズがより前面に出てきます。
- 創業期~成長期にある事業・会社の成長促進
- 起業家のキャリア・モチベーションの観点
主にこの2つが、売り手がM&Aを考え始める動機となります。
1つ目の事業成長手段としてのM&Aでは、起業家は株を手放す一方で、経営者としては会社に残るケースが多々あります。自身はオーナーではなくなる代わりに、親会社という後ろ盾を得て経営を安定させ、親会社の持つさまざまなリソースも活用できるようになるという選択です。
このM&Aの中には、対象会社はグループイン後も引き続き上場を目指し、買い手もそれを支援する関係性を築いている例もあります。有名なのは、KDDIによるIoT通信のソラコム買収です。両社は、大企業のアセット活用で得られるパワーを宇宙船を引っ張る惑星の重力になぞらえ、「スイングバイIPO」という言葉も生み出しました。今年11月、ソラコムは東京証券取引所へ株式上場申請を行っています。
一方、2つ目の起業家のキャリア起点のM&Aは、事業承継とも似た面がありますが、スタートアップM&Aの場合、引退ではなく別の事業に挑戦する人が多い点が特徴です。起業家の中には「0→1」を得意として、ある程度まで事業を立ち上げた段階で後継者に譲っては、また別の分野で0→1を始める人たち、いわゆる連続起業家(シリアルアントレプレナー)がいます。また、得意不得意とは別に新たにやりたいことが見つかり、そちらに関心が移ってしまうケースもあるでしょう。最近は特にWeb3領域への挑戦を目指す起業家が増えています。
こうした場合、M&Aは起業家にとっての転職のようなものです。従業員や取引先といったステークホルダーに極力影響が及ばないよう、事業活動そのものは維持しつつ、経営権を託す相手を見つけ、自分自身の身を自由にする手段といえます。
スタートアップM&Aの企業価値算定:買い手の事業戦略とのマッチ度がカギに
ここまで、スタートアップのM&Aがなぜ起きるのか、買い手と売り手双方の事情を見てきました。次は、両者がM&Aの交渉を進める際に、論点になるポイントを概観しておきましょう。特に、スタートアップM&A特有の論点にフォーカスします。
まず、企業価値の算定に関しては、M&Aに臨む多くの起業家が戸惑う点に触れるべきでしょう。対象会社の企業価値は、それまでの資金調達のタイミングでは、主にVCによって算定されてきたケースが多いと思います。VCは投資先が将来上場したタイミングで持ち株を売却し、リターンを獲得することを想定しているため、類似の上場企業の株価を参考に企業価値の算定を行います(マルチプル法)。
これに対し、M&Aの買い手は「連結対象会社として、どれだけ利益計上に貢献してくれるか」を見るため、将来のキャッシュフロー予測をベースに算定します(DCF法)。マルチプル法では、投資家による成長期待の高い業種に属する企業には、その期待値が加味されるのに比べ、DCF法ではより堅めに見積もられることが一般的。このギャップが売り主側に受け入れられず、交渉が平行線に陥る事例もしばしば見受けられます。

なお、スタートアップM&Aでは、ここまでの説明とやや矛盾するように聞こえるかもしれませんが、時に投資家も驚くような高値が付くケースもあります。対象会社の人材、技術、データベースといったアセットが、買い手企業自身の事業戦略の遂行に寄与すると期待されているケースです。
最近では、DeNAがキャラライブアプリ運営のIRIAMを評価額150億円で、医療ICTのアルムを評価額500億円で子会社化した件などが世間の注目を集めました。特に競争の激しい業界で戦う買い手の場合、「必要なアセットを自社で育てるよりも買ってきた方が早い」「対象会社を競合に買われるとダメージが大きいので、買われる前に自社で買ってしまいたい」といった事情があれば、そこに対象会社単体での企業価値とは別次元の価値が生まれます。前者は「再構築原価」、後者は「防御価値」と言われるものです。
新たな市場を拓くことに挑むスタートアップだからこそ、その過程で獲得したオリジナリティの高いアセットが、既成企業にとっての魅力にも脅威にもなり得るのです。
キーパーソンの確保:グループイン後もさらなる高みを目指せるモチベーション設計を
企業価値算定と並んで、スタートアップM&Aで重要なポイントになるのがキーパーソンの確保です。先に述べたとおり、スタートアップは事業も組織も未成熟なフェーズにあるだけに、起業家自身をはじめ、限られたキーパーソンへの依存度が高く、彼らが抜けると事業が回らなくなるリスクを抱えています。買い手が同業であれば、代わりの人材を派遣する展開もあり得ますが、創業者のカリスマが失われた穴は埋まらないかもしれません。
M&Aによって創業者は株の売却益を手にし、報酬面では1つのピークを迎えます。その後も高いモチベーションを保ち、買い手のもとで大きな結果を出してもらうためには、相応のインセンティブ設計が必要になります。このため、スタートアップM&Aでは、キーパーソンが一定期間会社に残るよう契約に盛り込んでおくこと(キーマンクローズ)が一般的です。また、譲渡対価の一部を業績連動制にして、成約から一定期間後の業績に応じて支払うスキーム(アーンアウト)が使われることもあります(これは買い手にとっては、M&A失敗時のリスクを軽減する、2段階に分けることにより買収資金調達のハードルを下げるといった目的もあります)。
報酬以外の面でも、M&A経験の豊富な買い手企業はさまざまな仕組みを設け、創業者やメンバーのモチベーションを引き出しています。親会社の幹部にもなれるようなキャリアパスを用意することもその1つです。Zホールディングス代表取締役社長Co-CEOの川邊健太郎氏のように、もともとM&Aでグループにジョインして親会社の社長になった例もあります(スタートアップの電脳隊をヤフーに売却)。また、ソフトバンクの孫正義氏のようなカリスマ経営者を擁する買い手であれば、「〇〇さんと一緒に仕事ができる」ことも、売り手経営者にとっては大きな魅力になり得ます。
もっとも、M&A後にグループの力で対象会社の事業が急カーブで成長していけば、経営者もメンバーも、仕事そのものの面白さを存分に味わうことができます。これが一番本質的なモチベーション向上策といえるでしょう。親会社として、ジョインした会社の成長を加速させるためにいかに協力できるか。すなわち子会社からTakeするだけでなく、Giveも積極的にしていく姿勢を持っているかどうかが、スタートアップM&Aの成否に大きく影響します。
たとえば、ジョインした会社の経営者の片腕となるよう、親会社のエース級の人材を派遣する例などは、まさにGiveの施策です。グループインによるメリットを双方で実感できればグループ内の機運も高まり、さらなる成長の加速が期待できます。
誰もがハッピーになれるM&Aは、グロースと買収金額にあり
以上、スタートアップM&Aの概略をつかんでいただけるようご説明しました。M&Aの買い手、および対象会社の経営者視点で見てきましたが、最後に少しスコープを広げると、M&Aという一大イベントに関わっているのは、この2者だけに留まりません。VCなど、対象会社に経営者以外の既存株主がいれば、彼らもまた売り主になり得ます。M&A後の親会社の方針などによっては、顧客や取引先との関係にも変化が起きる可能性もあります。
M&Aの成否を語るうえで一番望ましい成功とは、ステークホルダー全員の満足度が高い状態でしょう。そのためには、①譲渡対価の設定が各買い手、売り手にとってWin-Win、②対象会社の事業がグループイン後に急成長する──この2つの条件がそろっている必要があります。
M&Aの成功率は一般に約3割と言われており、スタートアップM&Aにおいてもおそらくは同様でしょう。M&A交渉の過程では、さまざまなシナジー創出に向けた施策が話し合われていたにも関わらず、成約後に取り組みが頓挫してしまう、社風のミスマッチから対象会社に大量の退職者が出てしまうなど、ネガティブな結果に至るパターンもさまざまあります。そうした中、過去の成功事例、失敗事例から得られた教訓が、今後よりオープンに語られるようになっていけば、スタートアップM&Aの成功率も徐々に上がっていく可能性があります。
連載の第3回以降は、こうした課題認識に基づき、ゲストとの対談をお送りする予定です。ゲスト自身のM&A経験をベースに、後に続く方々にとって学びとなるポイントを探っていきますので、引き続き連載をお楽しみいただければ幸いです。