
- 社会人経験がない学生が起業家教育を受けたら
- 品川女子学院の起業家教育にある「巻き込み力」の源泉
- 教育機関で起業家教育をうまく展開するヒント
- 起業家教育でHowだけを追い求めてはいけない理由
2022年を「スタートアップ創出元年」として、政府は官民挙げての支援強化を表明。先日、スタートアップ育成強化の方針となる「5か年計画」を発表したばかりだ。その計画の中には「高等専門学校における起業家教育の強化」という項目がある。
起業家教育は誕生したばかりの取り組みのように思えるが、実は2006年からすでに実施している学校がある。品川女子学院だ。
今年、開校97年となる品川女子学院では、中等部3年生(高等部1年生と2年生は希望制)を対象に起業家教育を実施。文化祭である「白ばら祭」での成果発表に向けて、生徒はチームごとに模擬店を「株式会社」として起業し、事業計画や販売などに挑む。クラスで設立した株式会社は文化祭後の株主総会後に解散する。

品川女子学院は、政府が起業家育成に本腰を入れるようになったことに対してどのような印象を持っているのか。また、起業家教育で数多の失敗を積み重ねてきたからこそわかる「学生に対して起業家教育を行う際のヒント」とは。
スタートアップ支援とアントレプレナー教育に携わる、東京大学FoundXディレクターの馬田隆明氏と有識者の対談を通じて、「日本における起業家教育はどうあるべきか」を探求する短期連載。2回目のゲストは、品川女子学院の理事長である漆紫穂子氏だ。
社会人経験がない学生が起業家教育を受けたら
馬田:品川女子学院での起業家教育は歴史が長いです。何をきっかけに始まったものだったのでしょうか。
漆:品川女子学院の起業家教育は、金融教育の一環として2006年にスタートしました。当時は「お金を稼ぐ=汚いこと」というイメージが強く、「学校で金融教育をすること自体がよろしくない」という見方もありました。
一方で、当時は日本企業の時価総額があるべき価値より低めで買収危機に瀕しているという話題で世の中が揺れていたんです。お金にはきれい・汚いの性質はなく、「夢を叶える手段にもなるし足元をすくわれるリスクにもなる」ということを早い時期から伝えなければならないと痛感しました。そんなとき、ベンチャーキャピタリストの村口和孝さん(日本テクノロジーベンチャーパートナーズ ジェネラルパートナー)との出会いがあり、アドバイスを受けて始めたのが起業体験プログラムでした。
ただ、当初は資本主義とは何かから始まったので、「儲け」がクローズアップされ、いろいろ問題が起こってしまいました。
馬田:資本主義において「儲け」は欠かせない要素ですが、それを目的にしすぎると、教育という観点では効果は薄れてしまうように思います。そして、まだ社会人経験がない学生に向けて「どうやれば稼げるか」を教えるのも難しいのではないでしょうか。
漆:おっしゃるとおりです。生徒たちは競争に熱くなり、評価を得ることに集中し、その結果、モラル的にはグレーゾーンになるような行為をするクラスも出てきました。例えば、資金調達のプレゼンの前に商材を先行発注するなどといったことです。
また、社会にあるリスクに対して教員も生徒も認識が甘く、安く仕入れようとネットで注文して数十万円を振り込んだら会社ごと消えてなくなっていたこともありました。その後、なんとかなりましたが。
馬田:ターニングポイントはあったのでしょうか。
漆:国際社会経済研究所理事長を現在務めている藤沢久美さんが、本校にグラミン銀行(バングラデシュにある貧困層を対象にした小規模融資を行う銀行)のファウンダー、ムハマド・ユヌスさんを招いてくださったことがきっかけで、「ソーシャルビジネス」の存在を知ったことです。学校で起業家教育をするテーマにふさわしいと考え、学習プログラムに社会貢献的な評価項目を徐々に増やしていきました。
その後は、乳がんをテーマにした啓蒙活動や盲導犬のPR事業、エシカルな商品を扱う事業など社会課題をテーマにしたビジネスアイデアが増えていきました。中には医療費削減を目指し、万病の元と言われる歯周病予防の事業を文化祭終了後も継続するため、NPOを設立した生徒たちもいました。
生徒から「自分たちは恵まれすぎていて社会課題に鈍感だ」と言われたこともありますが、こうした取り組みを通じて、身近な課題から日本社会、グローバルな課題へと目が向く生徒も出てきています。
品川女子学院の起業家教育にある「巻き込み力」の源泉
馬田:品川女子学院では、起業家教育での成果を文化祭で発表しています。その様子を見ていて興味深かったのが、どのチームにも必ず事業パートナーやメンターがいたことです。企業や地域の方々の力を借りるという前向きな考えが根付いているのだと感じました。これも起業家教育の一環なのでしょうか。
漆:品川女子学院が育てたい能力の1つに、人と協力して社会をよりよく変える「巻き込み力」があります。中等部3年生になったら、全員が「起業体験プログラム」に参加し、高等部では有志として加わることができます。そこで先輩たちの背中を見ているから、自然と行動に移せているのかもしれません。
校外の誰に協力を仰ぐかは、生徒自身が考えて実行します。実際にお願いする際のマニュアル的なものは学校側でも用意していますが、教員が手取り足取り指示するわけではありません。そのため、断られるケースも少なくありません。40社に声をかけて最後の1社でようやく話を聞いてもらえるなんてことは、よくあります。校外の方に失礼がないよう最大限の気は遣っていますが、毎年ヒヤヒヤします。
こうした活動を長く続けていると、社会貢献に積極的でそれが社内の隅々まで浸透している企業があることを実感します。例えば、イオンさんは子ども相手でも必ず話を聞いてくれましたし、ユニ・チャームさんは生理をテーマにしたプロジェクトに複数回試供品を提供してくれました。ポーラさんも機材を貸してくださるなど何度か協力いただいています。

文化祭終了後も継続してサポートしてくださる企業もあり、昨年はマネーフォワードさんが生徒たちのアイデアに伴走してくれました。企業以外でも例えば国立教育政策研究所などの研究所や大学の先生など専門家の方々が力を貸してくださることもあります。年々、協力してくださる方が増え、社会環境の変化を強く感じています。
馬田:起業家は資金調達や採用、営業、組織づくりの場面で必ず誰かを巻き込みながら実行していく必要がある。人を巻き込む力は起業家として汎用的な能力と言えます。
ですが、「メンターをどうするか」は難しい問題だと思っています。起業家教育をしているとき、社会人のメンバーが学生チームに混ざると、みんな年上の意見に従ってしまいがちです。また、銀行やメーカーなど、メンターのバックグラウンドに意見を引きずられてしまうこともよくあります。
漆:品川女子学院では、担任に限らず、手を挙げた教員がメンターを務めます。さらに、生徒たちの保護者がアドバイザーを務めています。企業経営者、投資家、外資のコンサルティングファームのパートナーといったさまざまな職種の方が参加します。
それゆえに「配当金をもっと厚く」「来校するお客様が手に取りやすい価格に」といった考えがぶつかりあうこともありますが、それこそがリアルな社会勉強だと思います。そして、コンフリクトが起こるたび、「なぜ起業家教育をしているのか」「その会社(生徒たちのチーム)の理念はなにか」と、「何のために」に立ち返るようにしています。

教育機関で起業家教育をうまく展開するヒント
馬田:2022年には政府がスタートアップ支援の司令塔となる「スタートアップ担当大臣」を新設し、教育機関で起業家教育を行う流れが強まっています。漆さんとしては、どこに気をつけて展開すべきだと思いますか。
漆:「起業家教育の目的を定義する」「リスク管理」「教員の教育」の3つです。
私の話から察していただいているかと思いますが、学校で起業家教育に挑むと多種多様なトラブルが発生します。私も初年度は大失敗をして生徒に申し訳なくて、泣きました。決して楽ではないからこそ「何のためにやるのか」を定義し、目的と理念にいつでも立ち戻れるようにしておくことが大事なんです。
品川女子学院は女性に参政権がなかった1925年に、荏原女子技芸伝習所という名前で開校。その後、女性の社会進出を目的に97年間、教育を続けてきました。でも、(女性にとって)高い障壁は未だにたくさんあります。
起業家教育は、女性たちが自立し、意思決定の場に入るチャンスになり、ジェンダーギャップ解消の一手になると私は確信しています。人口減少社会の日本の中で、いわば含み資産と言える女性の力を活かすため、品川女子学院は起業家教育を行っています。それくらい強い意志がないと、続けられるものではありませんでした。
馬田:確かに、学校側に相当な意気込みがないとすぐにめげてしまいそうです。そうならないためにも、起業家教育を行う前に「学校としてなぜ起業家教育を取り入れるのか」を明確にしたほうがいいんですね。
漆:続いて「リスク管理」。学校外の方々とつながると、その分、社会のリスクも校内へ入ってきます。それを乗り越えて、社会実装できそうなアイデアが出たとき、受験とのぶつかりも起きます。また、事業化を目指してアイデアコンテストなどで発表している間に、大人に取られてしまうという知財保護の問題もあります。
逆に協力者が現れたとき契約をどうするかなど、未成年であるからこその問題もあります。社会変化とともにリスクの種類も変わってきて、学校が事前に把握してすべてのリスクに備えることは大変難しいです。
品川女子学院の場合、入学説明会で「失敗ともめ事を大切にする学校です」とお伝えしているので、「それも経験」と理解してサポートしてくださるご家庭に恵まれています。起業家教育に関しては理解を得るまでに10年ほどかかりました。
馬田:最後の「教員の教育」は。
漆:起業家教育は、企業の方々や保護者、そして生徒との橋渡しをする、いわばプロジェクトマネージャーが欠かせません。それを教員が担うわけですが、正解主義の従来型の教職課程を経た人たちが、いきなり何が起こるか分からない、正解のない起業家教育をするなんてなかなか難しいですよね。教員のアンラーニングは欠かせません。
「校外には校内の価値観やルールとは違う世界がある」を前提に、協働するときはどうするとよいのか、大人の言葉を生徒たちにどう分かりやすく通訳すればいいのか、教員も体験しながら学び、身につけていきます。私たちがこうしたプログラムを継続できるようになるまでには、先ほどお名前を出したような多くの方の協力がありました。
特に、校外の方と教員がチームティーチングできるようになったきっかけは、当時、民間人校長だった藤原和博さん(2003年から5年間、民間人として東京都初の公立中学校校長を務めた)の「よのなか科」の授業でした。
藤原さんのリーダーシップで校外の方々と授業やワークショップを校内で展開することにより、教員が経験を積んでいきました。例えば、東宝の映画「告白」を題材に、主演の松たか子さんや監督に来ていただいて、内容の意味を深めるワークショップを実施したこともありました。教員たちはそうした過程で得た知見を起業家教育で発揮しています。
起業家教育でHowだけを追い求めてはいけない理由

馬田:元も子もない話ですが、お金やインセンティブを強く打ち出したほうが起業する若者は増えます。しかし、それを教育で行うことには賛否両論あります。私は、学校で広く起業家教育を行うのであれば、その目的は「起業家を増やす」ではなく、「起業家性(アントレプレナーシップ)を育む」という位置づけがいいのではないかと思っています。漆さんはどう思いますか。
漆:人口減少社会になっていくなか、一人ひとりのパフォーマンスを上げないと日本はもちません。その元になるのが起業家教育で身につく、0から1を生み出す発想力と実行力だと思っています。
以前、20代の卒業生に在校時の何が社会で活きているかを聞くアンケート調査を実施しました。結果では起業体験プログラムを挙げている人が多く、ウェブアンケートによる他校出身の比較群より、0から1を創るような経験が多く、ウェルビーイングや仕事満足度が高く、離職率が低いといった数値が出ていました。もちろん回答者バイアスはあると思いますが。起業家教育を通じて自己決定力が高まったり、自分が社会貢献できているという実感があるのではという仮説を持っています。
馬田:まさに起業家マインドですね。最終的にウェルビーイングが高まるところへ位置づけるメリットは大きそうです。
今日、漆さんの話を聞いていて、スウェーデンの学者が2020年に発表した論文を思い出しました。起業家教育のアプローチを「アイデアやビジネスプラン作りを通した教育法」「実際の起業を通した教育法」「価値創造を通した教育法」の3つに分類して調査したものです。ちなみに「価値創造を通した教育法」とは、学校の外の人たちに対して、具体的で現実的な価値を生み出すことを試みるなかで学ぶ方法です。
全体で最も効果が薄かったのは、「アイデアやビジネスプラン作りを通した教育法」ですが「実際の起業を通した教育法」も学習効果は高くないと指摘されていました。その背景には、まさに漆さんが話していたように、起業を通してお金を稼ぐことに重点が置かれてしまったため、知識やスキルの学習にはあまり効果がないという理由があるようです。逆に、最も教育効果が高かったのは「価値創造を通した教育法」でした。
漆:とても大事なことですよね。国を挙げて起業家教育に力を入れること自体はとてもいい流れだと思っています。でも、Howを突き詰めすぎると、「起業のために起業する」ようなことになりかねません。高校生起業家として実力以上に光を浴び、メンタルを崩してしまう人も実際にいます。
そうならないためにも、学校側が「起業家教育を何のために行うのか」をはっきりさせると同時に、生徒たちが「何のためにこれをやりたいのか」というWhyを底の底まで掘って、自ら行動を起こせるような風土づくりが大切です。
時計メーカーのSwatchを創業したエルマー・モックさんに来校してもらったとき、「どうすれば起業家になれますか」と質問した生徒がいました。そうしたら「起業家は目指すものではありません。起業家は社会のために価値を作った人が、あとから『あの人は起業家だったね』と言われるもの」「起業家は真珠貝の中に傷があるから真珠が生まれるように、社会課題に心が痛み、人に共感を持てる人がなるものです」とおっしゃっていました。
「利他」の気持ちがあるかどうかが大事なんです。起業家教育では、その精神をベースにチャレンジし、「よい失敗」を肯定することを教えるものだと私は考えています。