
- 「ホテルはもっと変えられる」 ECの雄がホテルD2Cに取り組む理由
- チェックインは無人、ボットが レストラン予約など「旅の提案」も
- D2Cの考え方が これまでにないホテルを生む
- 約10億円の資金調達も完了 狙うはハイエンド層
「D2Cの考え方で、これまでにないホテルを作りたい」。コロナ禍で痛手を受けるホテル業界に、あえて今参入しようとしている起業家がいる。ZOZO傘下のアラタナで、アパレル企業向けにECサービスを提供してきた濱渦伸次氏だ。濱渦氏がECの世界から飛び出して、ホテルのD2Cブランド「NOT A HOTEL」を立ち上げた経緯について、話を聞いた。(編集・ライター ムコハタワカコ)
「ホテルはもっと変えられる」
ECの雄がホテルD2Cに取り組む理由
濱渦伸次氏がEC構築サービスを手がけるアラタナを宮崎で立ち上げたのは、2007年のことだ。2015年3月にアラタナは、ZOZO(当時の社名はスタートトゥデイ)の子会社としてZOZOグループに参画したが、その後もアパレル企業向けにECシステムやWEBマーケティング、物流サービスなど、EC関連サービスを提供してきた。
今年4月1日、ZOZOおよび同グループのサービス運営・技術開発を担うZOZOテクノロジーズにアラタナが吸収合併されるまでの13年間、濱渦氏は一貫してEC畑、それもモールを通さずにブランドが消費者に商品を直接提供できるD2C(ダイレクト・トゥ・カスタマー)の世界を歩んできた。吸収合併を機に退職した濱渦氏だが、新たなチャレンジの場として選んだのは、一見全くECとはつながりのない“ホテル”の世界だった。
濱渦氏が立ち上げたホテルのD2Cブランド「NOT A HOTEL(ノット・ア・ホテル)」は、“これまでのホテルのようでホテルではない、新しいユーザー体験を実現する”ホテルテックのスタートアップとして、4月に誕生した。コロナ禍で大きな打撃を受けている旅行・ホテル業界に、この時期にあえて参入するのはなぜか。濱渦氏に尋ねたところ、次のような答えが返ってきた。
「ホテル業界の状況は、10年前のアパレルと似ている。テクノロジーとうまくやれていない、取り入れきれていない領域として、ホテルに注目した。この業界は意外とITの導入も遅れている。DX(デジタルトランスフォーメーション)やD2Cの文脈で見た時に改善・効率化の余地が大きく、マーケットが大きいと考えている」(濱渦氏)
具体的な改善点として濱渦氏は「そもそも受付は要るのか。わざわざ並んでチェックインする必要がなくなれば、場所や人の無駄もなくなるし、宿泊客もうれしいはず」と例を挙げる。

またホテルの予約のほとんどは現在、自社サイトからではなくOTA(旅行予約サイト)を経由していると濱渦氏。
「ホテルの利益率は10%程度なのに、OTAで売り上げの15%が手数料として取られている。これをD2Cの自社直販に切り替えられれば、コストも下げられる」(濱渦氏)
新型コロナウイルスによる影響も、濱渦氏は好機と捉えている。
「星野リゾートが、スマホで大浴場の混雑状況を確認できるサービスを始めるなど、業界全体がITの可能性に気づき始め、導入を進めようと考え始めている。この業界に入るなら今だ。ホテルはもっと変えられる」(濱渦氏)
濱渦氏がホテル業界に参入する理由はもうひとつある。ZOZO創業者・前澤友作氏から受けた影響だ。
「前澤さんはビジネスを楽しんでやる人で、『好きなことをやれ』と常々聞かされた。マーケットの可能性のほかに、一生続けられる仕事として、旅行・ホテルが好きだったから、この領域を選んだ」(濱渦氏)
チェックインは無人、ボットが
レストラン予約など「旅の提案」も
NOT A HOTELでは、フラッグシップモデルとなるホテルの開発を宮崎県・青島で行ってはいるが、基本的には自社ではアセットを持たない形でブランド展開を図ろうとしている。そこで同社が提供するのは「テクノロジー」「ブランディング」「オペレーション」の3つの価値だ。

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特にテクノロジー面では、無人チェックインシステムやIoTシステムの導入で、徹底した無人化を進める。
「小さい旅館では泊まる人より働く人の方が多いこともよくある。しかも『チェックアウトは何時だったか?』『ドライヤーが欲しい』といった同じ質問に『11時チェックアウトです』『ドライヤーは洗面台脇の戸棚にあります』と同じ答えを返すために、フロントに24時間誰かが待機するようなことが起こっている。これでは働く人の負担にもなるし、人件費もかかる。こういった対応は全てチャットボットが行えることだ」(濱渦氏)
また予約でOTAを経由しないのはもちろん、予約システムからチェックイン時の本人確認、部屋の操作、精算システムまでが全て搭載された、NOT A HOTEL用のアプリが開発されている。同ブランドのホテルではどこでも、このアプリが使えることになる。
「ユーザーが好みの室温・湿度、香りなどをアプリで設定しておけば、その通りに部屋が準備された状態でチェックインできる。またアレルギーの有無など、今までのホテルでは毎回聞かれていたようなことも、事前に共有された状態になる。レストランの予約やレンタカーの予約など、滞在中の旅の提案もボットがやってくれる。予約時点の『タビマエ』から鍵を受け取った後の『タビナカ』『タビアト』まで、シームレスに体験がつながるようにと考えている」(濱渦氏)
「宿泊客にとっても面倒くさいことだらけのホテル体験を、全部解決したい」という濱渦氏は、「我々は会員登録の必要もなくす」と述べている。

「今後プラットフォーマーのあり方は変わってくると考えている。今までのプラットフォーマーの強みは、集客力と個人情報を持っていることだった。しかし、ECの世界でも(楽天やAmazonといったプラットフォーマーではなく、自分でネットショップが作れる)ShopifyやSTORES.jpといったサービスが広がっている。これは、集客はSNSに取って代わられ、個人情報の保持はAppleやGoogleへとレイヤーが移っているためだ」(濱渦氏)
NOT A HOTELでは、「Apple IDなどがあれば、個人情報を毎回打つ必要なく、そのまま手続きが進められるようにする」という。「そういう点でもユーザー体験はだいぶ変わってくるのではないか」と濱渦氏は語る。
D2Cの考え方が
これまでにないホテルを生む
ソフトウェアの部分だけでなく、設備などハード面でも「これまでにないホテルを、D2Cの考え方で作っていきたい」と濱渦氏は語る。
「我々は共用部をできるだけ作らない。従来のホテルの設備投資では共用部に半分ぐらいが使われていて、その分、部屋がすごく狭いことがある。部屋しか作らなければコストパフォーマンスはよくなる。アパレルD2Cでも、中間コストを省いた分、いい生地を使うことができて、これまでの倍ぐらいの品質のものが提供できる。我々はホテルでそれをやろうとしている」(濱渦氏)
「これまでのラグジュアリーホテルと価値観が違うやり方で、家のように使えるようなホテルを作る」と濱渦氏は述べ、「今後1年ぐらいかけて、他社がマネできないぐらいの規模感で、システムもホテルも開発していく」と話している。
第1弾として、前述したように宮崎県・青島でフラッグシップとなるホテルを開発中。2021年9月の開業を予定している。また、都心部でもミレニアル世代に向けた、新しいデザインのホテルを開発する予定だという。
直営のフラッグシップ以外では先に述べたように、基本的には自社でアセットを持たずにブランド展開を図ろうとしているNOT A HOTEL。直営以外のモデルには、不動産のみをオーナーから賃貸借契約するリース方式、運営委託契約を結び、NOT A HOTELがオーナーから運営委託手数料を得る運営代行方式、ブランド予約インフラの部分をNOT A HOTELが担い、サービス提供からオーナーが行うフランチャイズ方式の3パターンを取り入れる予定だ。
濱渦氏は「システムを提供するSaaSとして、より多くのホテルにサービスを提供していきたい」という。
「10年後には大手ホテルチェーンなども含め、国内のほとんどのホテルでNOT A HOTELの仕組みが動いているぐらいの状況を目指したい。本気で観光業、ホテル業界のDXをやるなら、それぐらい使ってもらわなければと考えている」(濱渦氏)
約10億円の資金調達も完了
狙うはハイエンド層
NOT A HOTELでは、すでに10億円近い資金調達を完了している。シード投資を行ったのは、VCのANRI、SMBCベンチャーキャピタル、GMO VenturePartnersと個人投資家らだ。マーケットとしては「21世紀最大の産業になる」といわれる観光業界だが、「VCや銀行からは、同じ規模でチャレンジするスタートアップはいないと聞く。これから伸びる産業の割には、まだ参入が少ない」と濱渦氏は言う。
「住宅とホテルのマーケットの境界線は、あいまいになっていく」と考えている濱渦氏。「この境界が溶けたとき、ものすごく大きなマーケットになるだろう。そこにフィットしたテクノロジーやハードを備えたホテルがあれば、大きなマーケットの中で成長性もあり、面白いことができるだろう」と述べている。
「軽井沢など、東京から近いエリアで別荘の需要が今、すごく上がっているようだ。(コロナ禍で)消費のプライオリティーが変わったと感じる。アパレル、雑貨や嗜好品の優先順位が落ちて、その代わりに今後、家や暮らす場所にお金をかけるようになると考えている。そこのニーズをしっかり捉えたホテルを作っていきたい」(濱渦氏)
直近では、定額制の多拠点居住サービス「ADDress(アドレス)」や「HafH(ハフ)」、といったサービスも登場しており、暮らし方の変化はスタートアップでも注目の集まる領域だ。だが濱渦氏は「我々としては、ミレニアル世代の経営者など、よりハイエンド層に向けたブランドを作りたい」と語る。その視線はすでに“スタートアップ”の外の世界を見据えている。
