
M&A(合併と買収)と資金調達のプラットフォームを運営するスタートアップ・M&Aクラウド代表取締役CEOの及川厚博氏が、M&Aを経験したスタートアップ、事業会社、VCへ「M&Aは『グロース』と『ハピネス』をデザインできるか?」をテーマに話を聞く本連載。第2回は、ソフトウェアテスト・品質保証サービスを主軸にM&Aを駆使して事業領域を広げ業績を伸ばす、SHIFT代表取締役社長の丹下大氏との対談の内容をお送りする。
及川:M&Aや資金調達のサービスを運営していると、ユーザーとの面談の中で、しょっちゅう出てくるのがSHIFTさんの社名です。「ああいうM&Aをしたい」「あんな会社に育てたい」と言う人が本当に多い。どうしたら御社のように早いペースで、かつ成功確率の高いM&Aを続けられるのか、秘訣をお聞きしたいと思います。
丹下:やっていること自体は、全部当たり前のことだと思っています。ただ、M&Aを検討し始めると、買い手はつい買いたい気持ちが先走ってしまうんですよね。やっぱり経済合理性のないM&Aはやってはいけないし、M&Aって相手のあることだから、相手視点を忘れないことも大事。そのあたりは意識しています。
経済合理性に関して、まわりでのれん負け(※)しているような事例も聞きますよね。 実際、かなりの割合のM&Aがのれん負けしてるんじゃないかと思っていますけど、あれはよくないなと。誰もハッピーにならない。
特に上場している会社は、投資家に対する責任を負っているわけですから。減損になることもあるとは思いますけど、のれん負けしてしまったら、これはもう会社経営としてガバナンスが効いていないですよね。そんな上場企業に対しては、スチュワードシップ・コード(投資家のあるべき姿を示した指針)じゃないですが、経営にもっとプレッシャーをかけてもいいと思っています。資本市場で生きているって、本来そういうことではないでしょうか。
※「のれん」とは、M&A価格を決める際、対象企業の純資産額に上乗せされる、同社のもつブランドや技術力、社員の能力や取引先との関係などの無形資産の評価額のこと。M&A後、通常5〜10年かけて償却処理されるが、この償却額よりもM&A先の生み出す利益が下回っている状態を「のれん負け」と言う。
及川:SHIFTさん、IRにもすごく力を入れていらっしゃいますよね。周囲のスタートアップでもIR資料を参考にして「SHIFTのような戦略です!」と言う企業が増えてきたように感じています。
丹下:恥ずかしいくらいにすべてをさらけ出して開示していますね。「すべてを隠すことなく、とにかく誠実に伝えたい」という気持ちが強いです。
結局、株価が下がれば自分たちの資金調達だってしづらくなるじゃないですか。上場する一番の目的ってやっぱり資金調達ですから。あと、SHIFTはグループ会社の経営陣や社員にもSHIFTの株を持ってもらっているから、彼らにとっても株価の下落はデメリットになる。
及川:グループ会社も対象にした株式報酬制度を作り込んでいます。M&Aされた側の社長からすると、株式の売却時が収入のピークになってモチベーションが下がりがちです。ですがその後も成長すれば上場に匹敵するリターンがあるというのは、そんな社長の気持ちを理解し抜かれているように感じています。
丹下:「株式付与ESOP信託(※)」ですよね。頑張れば頑張っただけ、一人ひとりがリターンを得られるように。M&Aってみんなが幸せになるためにやることだと思っています。
※ESOPは、Employee Stock Ownership Planの略。発行会社が資金を拠出しESOP信託が株式を取得、一定の要件を満たす従業員に交付する。SHIFTでは2016年に導入、2021年にはグループ会社へ対象を広げた。
そういう仕組みを実現するためにも、適正価格でM&Aすることがまず大前提ですよね。そこから逸脱しないように、SHIFTでは「EBITDA倍率が8倍以下」というような譲受価格の基準を設けています。それがあるから、逆に必要以上に買い叩くようなこともしない。
及川:「安ければ安いほどいい」という価格の付け方をすると、M&A後の関係性もなかなかフラットにはなりづらくなり、完全な「親子」関係になってしまいがちです。そうすると、先方の経営陣がやる気を失ってしまったりします。
M&Aクラウドが以前、SHIFTさんに売り手企業をご紹介したときに感じたことですが、先方に金額を提示する際に、算定根拠を明確に説明されますよね。「いや、相場から言ってこのくらいですよね」みたいな言い方で済ませてしまう会社もありますけど。先にお話ししていた相手視点という点でも、SHIFTさんは徹底されているなと思いました。
丹下:そこは本当に大事にしている部分で、経営者、特に創業者は自社に対する思い入れがすごく強い。そういう人たちにSHIFTにジョインする気持ちになってもらうためには何が必要か、ですよね。
もしSHIFTがどこかにM&Aされるとしたら、やっぱり自分よりもすごいネットワーク力とか胆力を持っている経営者のいるところにジョインしたい。そのほうが会社の業績が早く伸びると思うからです。そう考えると、自分たちがM&Aするときも、SHIFTから相手にどんなメリットを提供できるのかはしっかり説明しないといけないなと。
及川:そのメリットを、SHIFTさんはまさに提供し切っている印象です。
丹下:営業力と経営管理力、それと採用力。この3つがSHIFTには揃っているからこそ、前年度はグループ会社の平均売上高を30%増にすることができました。このやり方で構造的に伸ばせるということはもう証明できているから、それを学んで採り入れてもらえば、絶対伸びるんです。

及川:営業力もそうですが、採用力もあります。
丹下:年間2500人採用してますから。経営管理に関しても、いろいろな指標をリアルタイムで可視化していて、そこに異常な執念を燃やしているチームもいます。というか、それがあるからこそ、営業や採用で思い切りアクセルを踏める。「ここまで行ったらコースアウトするよ」と教えてもらえる仕組みができているから、みんな安心して飛ばせるんです。
及川:アクセルとブレーキの両方がしっかり機能しているわけですね。
丹下:仲間に迎える人たちをハッピーにする必要条件として、僕はよく「夢と算盤」って言うんですけど。社員の視点で言うとやりがいのある仕事、例えばエンジニアは、いろんなプログラミング言語を扱う機会。そして適正な評価と教育、仲間。これらは全部、M&Aで仲間入りしたら満足してもらえるレベルにあるという自信はあります。先方が「自社サービスをやりたい」という場合はまた違ってきますけれど、そこはもう好みの問題ですよね。
及川:特にエンジニアはどこにでも転職しようと思えばできる人たちですし、従業員満足度は重要ですよね。
丹下:評価制度で言うと、SHIFTは半年に1回のペースで評価をしていて、今でもSHIFT本体の上位成績2割以上の社員は僕が直接評価して給与を決めています。それでもし本人が納得いかなければ僕に直接意見を言えるホットラインも設けていますし、平均で年間約10%の昇給を実現していますから、社員の満足度は高いです。
これは僕の持論ですが、(M&Aなどで)SHIFTに入ってもらったほうが社員は絶対に幸せになれると密かに思っています。ただ、ときどきあるのが大手SIerのブランド力に勝てないケース。採用で言う「嫁ブロック(ここでは、採用候補者の家族がSHIFTと大手SIerを比較して、知名度から大手SIerを就職先として選ぶよう促す現状を形容している)」みたいなもので、そこを崩せないことがやっぱりありますね。
及川:嫁ブロック活用は大企業側の王道な戦略でもありますよね。
丹下:戦略だし、それを突き崩せないのは、結局こちらの魅力がまだ足りていないということですから。今後、まだまだ改善するべき部分ですね。
M&Aチームには習熟度が必要。人の「心」が読めるチームを育てていく
及川:ほかにも、御社はM&Aのエージェント向けの説明会をいち早く実施されました。本来やった方がいいとは思いますが、普通はあまり実施しません。
丹下:人材エージェント向けの説明会なんかはみんなやりますよね。SHIFTはM&Aって中途採用と同じだと思ってますから。基本のトークスクリプトも自分たちでつくって、エージェントにお渡ししています。
M&Aのソーシングで苦労している話もよく聞きますけど、重要なのはKPIの数字そのものじゃなく、結果につながる構造ですから。エージェントの人たちにSHIFTのファンになってもらうこともその一環です。だから、ソーシングチームの机にエナジードリンクを置いて、ひたすらテレアポさせるみたいなことはしない。構造を都度見直して、改善していくことにエネルギーを使っています。
及川:社内のM&Aチームづくりについてもお聞きしたいです。まず、どんな人材をどうやって集めていますか。
丹下:M&Aチームは、米国ハーバードでグローバルビジネスを学び、前職ではアメリカ企業買収に伴い現地でCEOの補佐としてM&A責任者を務めていた人に来てもらって、彼を中心に2年くらい前に組織化しました。優秀な人材をアトラクトする手法って実はシンプルなんですよね。どこでも稼げる人たちだからこそ、みんなお金じゃなくてビジョン、やりがいを求めている。だから、こっちは実現したい目標とか社会的意義を思い切り熱く語って、「一緒に大きな事業をやろうよ」と言う。M&Aチームだけじゃなく、僕は創業のころからずっとそのやり方でやってきて、本当に優秀な人たちが来てくれています。
昔で言うと、東大生が官僚になるみたいな話ですよね。才能のあるなしっていうのはそもそも不公平なんだから、たまたま親から才能をもらった人たちは、やっぱり人の10倍、100倍働いて社会に貢献しないと。「それが十字架を背負っている人たちの役目ですよね」と言うと、みんな真剣に聞いてくれます。
給料に関しては、高ければいいわけじゃないとはいえ、適正なレベルでオファーすべきだと思っています。適正な金額が払えないのであれば、まず社長が頑張って稼がないと(笑)。給料って、専門人材にとってのプライドですからね。
及川:M&Aチームの育成に関しても、SHIFT流、丹下さん流の進め方はありますか。
丹下:専門性の部分はすでに十分持っている人たちだから、そこに対してこっちから何か言う必要はありません。僕が伝えているのは、人間の心をどれだけ理解して、配慮できるか。M&AとかPMI(Post Merger Integration、M&A後の経営統合のプロセス)って結局、経営者ありきの話ですからね。例えば、「資料を“出させる”」みたいな言い方は絶対にしないようにと。そんな言い方したら、相手の気分を害するだけで何のメリットもないでしょう?

及川:M&Aチームとは週次で会議をされているんですよね。
丹下:毎回、新規の案件を数件検討しています。だいたい年間で二百数十件をソーシングして、意向表明書を出すのが20件くらい。成約まで行くのが5、6件という感じですね。
週次の会議の場ではリストでアプローチする順番も決めます。ですがむしろその後、先方に刺さるオファーの仕方を議論することを会議の主題にしたいので、チームメンバーには「各社の基本的なKPIは頭に入れて、聞かれたらパッと答えられるようにしておいて」と言っています。最近ではそれも“型”になってきているので、担当者が必要な情報をスライド1枚にまとめてくれています。
結局ソーシングにしても、エグゼキューションにしても、PMIにしても、M&Aチームには習熟度が求められますよね。だから、社長の一存で「今年はM&Aしません」なんていうのは、あまりよくないと思います。
M&Aにはだいたい三種類あるんですよね。1つ目は製薬業界で時々あるような、1兆円くらいの規模の超大型M&Aを一生に一度やるパターン。2つ目がたまたまM&A仲介会社さんから案件を持ち込まれて、「じゃあ、買います」というパターン。3つ目が社内にM&Aチームをつくって、毎年淡々とやり続けていくパターン。長期的にうまく行きやすいのは、この3つ目だと僕は思っています。(後編に続く)