
全世界のCO2排出量の約2%を占めるとされる航空業界。業界全体での脱炭素化は喫緊の課題であり、航空エンジンの改善や燃料の変革など、さまざまな手法が検討されている。
航空業界を中心とする運航の効率化をサポートして脱炭素化を目指すためのソフトウェアを提供するスタートアップ・NABLA Mobility(ナブラ・モビリティ)、航空分野の研究を手掛ける東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻(以下、東大航空)、日本を代表するLCCの1社であるPeach Aviation株式会社(ピーチ・アビエーション/以下、Peach)。3者は協業して、燃料消費抑制プロジェクトを進めている。エネルギー効率の良い降下手法を用い、航空機の燃料消費を抑制、CO2排出量を削減していくのが狙いだ。
インキュベイトファンドが運営事業者となり、東京都も出資者として名を連ねるファンド事業からバックアップを受けるNABLA Mobility。ファンド出資事業の2022年度テーマである「カーボンニュートラル」への貢献にも期待が寄せられている同社は、米国ボーイングが主催するアクセラレーションプログラム「Aerospace Xelerated(エアロスペース・エクセラレーテッド」の第4期に日本企業として初めて採択されるなど、存在感を高めている。躍進の後押しともなった東大航空、Peachとの実機での実証実験を通して、3者が航空業界のカーボンニュートラル実現に対し、今回利用したシステムをどのようにして社会実装していこうとしているのか、語り合ってもらった。
先輩・後輩の相談からスタートした3者のプロジェクト
——まずは、スタートアップ、アカデミア、エアラインの3者が実証実験を始めたきっかけを教えてください。
NABLA Mobility 田中辰治(以下、田中):「先輩、ちょっと教えてください!」と東大航空の伊藤(恵理)先生にコンタクトをとったことが、今回のプロジェクトのスタートでした。実は、伊藤先生が東大航空の博士課程の学生のときに私は学部生で、大学の先輩後輩という間柄なのです。
2年ほど前、私はカーボンニュートラルに向けて航空の世界で何かできることがあるのではないか、といろいろと仮説を立てていました。降下時の経路と速度を能動的に制御したいと考えていた時に、伊藤先生から教えていただいたのが、「FPA(Fixed-flight Path Angle /固定飛行経路角)降下」というアイデアです。

東大航空 伊藤恵理(以下、伊藤):田中さんから相談を受けた際に、「Peachの舩井(康伸)さんなら、何か一緒にできるんじゃない?」と気軽に答えたのです。舩井さんは私たちの研究にも興味を持ってくださっていて、絶対協力してくださると確信していました。
田中:伊藤先生以外に相談した元管制官の方からもお名前が挙がったので、舩井さんにご相談にいきました。結果として、現在の3者での座組みを舩井さんからご提案いただき、今回の連携がスタートしました。

Peach 舩井康伸(以下、舩井):もともとFPA降下とは別の、機上コンピューター上で降下角度を導き出す「CDO (Continuous Descent Operation:継続降下運航)」と呼ばれる降下手法が関西国際空港をはじめ、一部の空港で取り入れられていました。しかし、この手法は深夜など航空機が混んでいない時間帯でしか用いることができません。CDOでは、実施する航空機のトラジェクトリ(降下パスや速度)を管制官が予測するのが難しいという欠点があります。そのため、周囲の航空機と安全な距離間隔を確保することが難しく、航空機が混み合う時間帯に実施することができないのです。
しかし、CDOはかなりの燃料削減効果があります。これが広がれば、相当な環境負荷低減、燃料削減になると感じていたのですが、現時点ではこれ以上使う手立てがありません。そのため別の手段を模索しており、以前から伊藤先生が研究されている「FPA降下」には関心がありました。関心を寄せていた際にNABLA Mobilityからお声掛けいただいたので、伊藤先生にもご参加いただき、一緒にやることになりました。
田中:大きな役割分担としては、東大航空は研究・分析と評価、Peachは運用面でのフィードバック、我々は社会実装です。伊藤先生からこれまでの研究成果で得た知見を教えていただきながら、当社は、社会実装のために必要なことを考え、実装に向けたソフトウェア化を進めています。
舩井:Peachは運用する側です。運用には管制官とパイロットが関わります。実際にFPA降下を実施しようとすると、パイロット側の作業負担が重要になります。そこで、実際の運用をもとに当社から提案をしています。
世界初のFPA降下実機実証から見えた燃料削減効果
——世界初となるFPA降下を実機実証されるまでの過程と、今回の成果を教えてください。
田中:2022年12月に世界初となるFPA降下の実機実証を行いました。ですがここに至るまでの道のりは長いものでした。
まずは、FPA降下を実施するにあたって現状どのような課題があるのかをパイロットの方にヒアリングし、同時に、実際のデータを検証して、過去に起きた事象を「見える化」するところから始めました。ベースラインをはっきりさせることに、時間を使いましたね。そうして課題が明確になったところで、フライトシミュレーターのテストを実施しました。伊藤先生が過去に研究していたので、ある程度結果は予測できていたものの、今回Peachが運航するエアバス機で本当に運用できるのか、特に燃料削減効果についてどれくらいのインパクトが期待できるのかを、いろんな条件で試していきました。
伊藤:今回、対象とした関西国際空港に到着する飛行経路上で、CDOは、通常飛行と比較して1フライトあたり最大で約200ポンド(約100kg)の燃料消費を抑えられます。実証実験の結果、FPA降下でも最大でそれに近い燃料消費の削減効果があることが見込めたのです。科学的な手法での予測が、実証で得られた結果にそのまま当てはまっていたところは、非常に良かったですね。
今回の実証で用いた降下手法は、データサイエンスと数理モデルとシミュレーションを組み合わせ、学術的な体系のもとに最適な経路や燃料予測を行い、AIやマシンラーニングを使って導いています。関西国際空港では現在、23時から7時までCDOが利用できますが、今回の実証を行ったのはこの時間より少し混雑している22時台の便。17日間において、17便中の15便で実施することができました。
舩井:今回の実証実験には2つの大きな意義がありました。1つはCDOが利用できない時間帯であっても燃料消費の削減に成功したということ。もう1つは、最も燃料を減らせる降下手法とされてきたCDOと同程度の燃料削減効果があったことです。予想以上の効果が得られたため、実務として航空機を運用している会社の立場からしても驚きました。
伊藤:フライトシミュレーターは実機を模擬していますが、実際の運用下でできるのかはやってみないと分かりません。実証実験では、高い実施率で、かつ期待した通りの燃料削減率が確認できたので、本当によかった。パイロットの方々からも「今の機材や運用の中でFPA降下を十分に実施できます」というコメントをいただけて、満足できる結果でした。

舩井:エアライン側からすると、約200ポンドという数字はとても大きいものです。現状の運用手段では燃料消費をこれだけ削減できる方法は他にないかもしれません。当然ですが、航空機は飛んでいる時間が長ければ長いほど、燃料を使います。ほぼ推進力を抑えて降下してくるのは相当な削減効果がありますね。
伊藤:今後20年で航空需要が2倍以上に増えるという試算がある中で、どれだけ航空機の燃料消費を減らせるのかは、業界の脱炭素化における喫緊の課題です。航空機は、降下段階のときにアイドル状態に近いかたちで滑空するのが最も燃費(燃料消費率)がいい。しかし、それが実現できないのは航空機単体の動きが地上の管制官から読みにくいためです。複数機が複雑に飛行している状態でそんなことをするのは、非常に危険なのです。
脱炭素と管制運用の安全性を両立するために考えられたのが、今回のFPA降下です。管制官が予測しやすい高度のプロファイルを提供し、かつ準最適な燃料削減も実現できる。さらに、今使っている機材を改修することなく運用できます。FPA降下は、安全性と燃料消費の削減効果による環境負荷の低減、経済性の3つを実現できる運航手法なのです。
チャンスを生かし、航空業界が求める究極の最適化へ
——航空業界の脱炭素化をスピードアップさせるために、スタートアップの存在は欠かせないものだと思います。今後、どのようなバックアップがあるとよいですか。
田中:今回のようなチャレンジの機会をもらえることが、私たちはすごくうれしいですね。スタートアップはビジョンをもとに努力をしていますので、顧客候補となる方々や研究の世界からのフィードバックが何よりも宝になります。そもそも何もないところから始まるスタートアップと付き合ってもらうために、協業の敷居を下げられるような環境を作ってもらえるとありがたい。端的に言えば、大手企業がスタートアップと協業すると減税があったりすると、社内で話が通りやすくなるのではないかと思います。
舩井:本当にそうですよね。一度環境を壊してしまうと、修復するのに手間もコストもかかると考えるなら、自治体は何年か先に恐らく大きなコストを払うことになると思うのです。サステナビリティへの取り組みに関しては、費用対効果で考えても間違いなく価値があるでしょう。後で払うよりも今払った方がいい。環境に関するスタートアップを育成していくのは必要なことだと感じます。

田中:スタートアップにとって、出資は当然ありがたいです。もう一方で、チャンスをもらえることも、とてもうれしいです。今回は2人のおかげで実績を作る機会を得ることができました。どんなスタートアップも、単体で生き残れることはほとんどありません。大手企業といかに協業できるか、そこにどうやって売り込んでいくか、最初の一歩をどうやって作り出すかも含めて、行政にうまくサポートしてもらえる仕組みがあるとうれしいです。
——最後にスタートアップ、アカデミア、エアラインの各視点から、今後の取り組みを進めていく上での展望を教えてください。
舩井:実生活にまで温暖化が影響を与え始めている中で、燃料を非常に多く使うビジネスである航空業は、環境への配慮や脱炭素に本気で取り組まなければマーケットから退場させられてしまうでしょう。エアラインとしては少しでも消費燃料を削減していかないと、今後生き延びられない。今回の取り組みのように協業を通して知見をいただきながら、カーボンニュートラルを完遂しなければならないこととして進めていきます。
伊藤:エアラインや航空管制機関、エンジニアは、それぞれの持ち場で最適化に尽くしているのに、全体で見るとなぜかうまくいっていません。局所最適に陥っていて、全体最適になっていないのです。ゲーム理論で言うと、「非協力ゲーム」(プレーヤーが提携しないゲーム)みたいなものになっていて、それを協力ゲームにしていかなければなりません。ですので、まずは業界の中の人たちを結びつける自動化システムの設計や実装を目指していきたい。そして、この分野はまだ新しいので、体系的手法を生み出し、社会システムに展開できるよう、発展させていきたいですね。
田中:航空分野ではいろいろな研究が行われ、アイデアもいろいろあるのに、なかなかトライアルや実用にまで至らないのが現状です。果敢に挑戦していくことが使命であるスタートアップだからこそ、優れたアイデアや研究成果を通してエアラインやアカデミアを橋渡しできる立場にあると思います。
エアラインは航空機の運航を行うビジネスですが、同時に乗客、乗員、機材、荷物などを「動かす」ことがその根本にあります。AIやマシンラーニングなどテクノロジーを活用して、これまで人間が調整していたそれぞれの複雑な動きの連携をいかに最適化していくか。それがエアラインに求められる究極の課題だと思っています。私たちはこの最適化による航空業界の脱炭素化を社会に実装できるように、今後もチャレンジしていきたいです。
* * *
スタートアップ、アカデミア、エアラインが、航空業界の燃料消費削減を目指して取り組むプロジェクト。FPA降下の導入によって、1フライトあたり約200ポンドの燃料消費が抑えられるというそのポテンシャルは、今後脱炭素が喫緊の課題となっている航空業界の希望の光となり得るだろう。その実現は、立場の違う3者がつながってこそ。スタートアップを起点に小さなコミュニティから始まった燃料消費削減プロジェクトが、世界の航空業界の脱炭素化の一助となる日は近い。
田中辰治(たなか・しんじ)◎NABLA Mobility代表取締役兼CEO。東京大学工学部卒業後、東京大学大学院およびマサチューセッツ工科大学で修士号を取得。ドイツのマックス・プランク研究所でのリサーチインターンを経て、2011年に新卒入社した株式会社IHIにてガスタービンエンジンの研究開発に従事。2014年にボストンコンサルティンググループに転じ、事業戦略立案、事業効率改善、企業統合における組織設計などで活躍。2021年4月にNABLA Mobilityを設立。
伊藤恵理(いとう・えり)◎東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻教授。2007年 東京大学大学院工学系研究科 航空宇宙工学専攻 博士課程修了。ユーロコントロール実験研究所(フランス)博士研究員、オランダ航空宇宙研究所客員研究員、NASA エイムズ研究所客員研究員、南洋理工大学客員研究員、海上・港湾・航空技術研究所電子航法研究所航空交通管理領域主幹研究員などを経て、2019年に東京大学大学院准教授、2022年より現職。
舩井康伸(ふない・やすのぶ)◎Peach Aviation株式会社オペレーション統括本部長。南山大学法学部卒業後、1992年 日本航空株式会社に入社。オペレーションコントロールセンター、運航本部に配属。2008年から2010年にかけIATA ASPAC RCG委員を兼務。2011年にPeach Aviation株式会社前身のA&F株式会社に入社後、Peach Aviation株式会社運航推進部長、運航本部副本部長を経て2020年より現職。
特集:「脱炭素」を実現に導く日本発スタートアップ
https://signal.diamond.jp/list/series/pr-tokyo_m
問い合わせ先
東京都産業労働局 金融部金融課
https://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.lg.jp/chushou/kinyu/
インキュベイトファンド
https://incubatefund.com/