左からインキュベイトファンド代表パートナーの村田祐介氏、赤浦徹氏、本間真彦氏、和田圭祐氏
左からインキュベイトファンド代表パートナーの村田祐介氏、赤浦徹氏、本間真彦氏、和田圭祐氏
  • 「スタートアップ・エコシステム」10年の変遷
  • 医者や研究者たちをスタートアップ側へ
  • 「スタートアップが成功したら、年金が増える」という社会のエコシステムをまわす
  • 「新卒ベンチャーキャピタリスト」のキャリアも用意

2008年9月、アメリカの大手投資銀行「リーマン・ブラザーズ」が経営破綻──いわゆる“リーマンショック”によって、世界的な金融・経済危機が発生した。

その後の数年間はベンチャー・スタートアップにとって「冬の時代」とも言われており、ベンチャーキャピタル(VC)の投資額は縮小。実際、2006年に2790億円を記録したVCの年間投資額は、3年後の2009年には875億円にまで減少した。

スタートアップへの供給資金が先細っていく中で、産声を上げた独立系VCが「インキュベイトファンド」だ。同社はそれぞれベンチャーキャピタリストとして活動していた赤浦徹氏(元ジャフコ、インキュベイトキャピタルパートナーズ)、本間真彦氏(元ジャフコ、コアピープルパートナーズ)、和田圭祐氏(元フューチャーベンチャーキャピタル、サイバーエージェント、セレネベンチャーズ)、村田祐介氏(元エヌ・アイ・エフベンチャーズ(現:大和企業投資))の4人が集まり立ち上げたファンドだ。4人それぞれが代表パートナーとなり、スタートアップへの投資を行っている。

今から10年前、2010年5月に1号ファンドを設立以来、一貫して創業初期のスタートアップへの投資を実行。上場したSansanやGameWith、メドレーなどをはじめとして、累計の投資先は525社を超えている(関連ファンドを含む)。

創業から10年。インキュベイトファンドは先日、第5号となる新ファンド「インキュベイトファンド5号投資事業有限責任組合」の設立とファーストクローズ(一次募集の完了)を発表した。ファンドの組成額は過去最大となる総額250億円規模。出資者は過去の同社ファンド出資者のほか、年金基金、金融機関、政府系機関を中心とした構成となっている。

新ファンドでは既存産業変革および新規産業創出をテーマに、「デジタルトランスフォーメーション(DX)」「パブリックセクターイノベーション」「ディープテックイノベーション」という3つの投資領域に重点を置く。これまでのファンドでは創業期を中心した投資を行ってきたが、新ファンドでは1社あたり最大で約30億円を投資し、創業期からプレIPO期まで一気通貫でスタートアップを支援していくという。

刷新したロゴとタグライン
刷新したロゴとタグライン

同社は設立から10周年のタイミングを機に初のコーポレートリブランディングを実施するとともに、オウンドメディアを通じての情報発信も開始した。

この10年間で、日本のスタートアップ・エコシステムは大きな発展を遂げ、多様なバックグラウンドの起業家が増え、独立系VCやCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)を含め、VCの数も増加した。このエコシステムの変遷をインキュベイトファンドの代表パートナーたちはどう振り返るのか。そして新ファンドに懸ける思いを聞いた。

「スタートアップ・エコシステム」10年の変遷

2008年にiPhoneが日本に上陸し、スマートフォンが少しずつ普及していく──そんなタイミングでインキュベイトファンドの1号ファンドは立ち上がった。そんな社会の変化を踏まえ、代表パートナーの本間真彦氏は「当時はスマートフォン上でのビジネスに可能性を感じ、その領域でのイノベーションに賭けていました」と振り返る。

「インキュベイトファンドは“インターネット”という変化の爆心地で、新しいものをどう広げていくのか。そんな思いからスタートしています。2010年頃はガラケーからスマートフォンに切り替わっていて、スマートフォンの画面上で一体どんなビジネスができるのか。そこに大きなイノベーションの可能性を感じていたので、当時はゲーム会社、もしくはゲームの周辺領域で事業を展開する会社を中心に投資をしていました。振り返ってみると、ゲームビジネスのエキスパートになろうとしていたんですよね」(本間氏)

当時、起業と言えば「C(コンシューマ)向けサービス」のイメージが強かったが、時代の流れとともに「B(ビジネス=法人)向けサービス」を手がける起業家が2013年頃から目立つようになってきた。また、インキュベイトファンド自体も2号、3号ファンドからLP(リミテッド・パートナー。有限責任のファンド出資者)の構成がIT系企業だけでなく、テレビ局などの事業会社や金融機関、政府系機関が名を連ねるようになった。

リーマンショック前までのVCと言えば、金融機関系の子会社、もしくは商社の子会社が大半を占めていたが、リーマンショックを契機にVC業界の構造が変化。企業に直接出資するのではなく、LPとしてVCに出資する流れが2015年以降に増えていった、という。

その結果、個人がGP(ジェネラル・パートナー。無限責任のファンド出資者。実質的には投資を実行するVCやキャピタリスト)となる「独立系VC」の立ち上げが増え、シード期のスタートアップに投資するプレーヤーが増えた。実際、日本ベンチャーキャピタル協会(JVCA)の会員も240社を超える規模になっている、という。そうした状況を踏まえ、代表パートナーの和田圭祐氏はこう振り返る。

「10年前、創業初期のスタートアップに投資するVCはとても少なかったのですが、今ではシード・アーリーステージの企業を対象に投資するVCが増えましたね。資金の出し手が変わったことで、起業する人の顔ぶれも変わり、イノベーションを起こす領域がどんどん外に広がってきた。この10年で“村社会”から脱しつつあるな、と思います」(和田氏)

インキュベイトファンド 代表パートナーの和田圭祐氏
インキュベイトファンド 代表パートナーの和田圭祐氏

設立時、ゲームを中心としたC向けサービスへの投資が目立っていたインキュベイトファンドだが、時代の流れとともにB向けサービスへの投資が増え、最近ではディープテック、ヘルスケア、ライフスタイル領域への投資も注力している。

具体的には、落合陽一氏が創業したピクシーダストテクノロジーズへの投資がそうだろう。同社への投資を担当している、代表パートナーの村田祐介氏はこう語る。

「ここ数年で、コンシューマー向けのネットビジネスを手がけていた人たちが、ディープテック領域に参入し始めた。個人的に印象的だったのはショーン・パーカー(Facebook初代CEOでもある実業家・投資家)が、がん免疫療法研究所『Parker Institute for Cancer Immunotherapy’s(PICI)』を設立したことです。あのインターネット長者だった、ショーン・パーカーが『がんと戦う』と言っている。インターネットと直結するような領域から“はみ出た部分”にイノベーションの可能性を感じましたね。実際、2014〜2015年頃まで起業家はコンシューマー畑の人しかいなかったのですが、それ以降はSaaS系が増え、ディープテック、ヘルスケア領域も増えています」(村田氏)

スマートフォンのガラスの中で起きていたイノベーションが、リアルな産業へと広がっていき、それが結果的に伝統産業領域のDXや公共サービスのイノベーション、ディープテックのイノベーションへの注力へと繋がっている。

「この10年間を振り返ると、やはり2015年以降に起きた変化がインキュベイトファンドにとっても、VC業界にとっても大きかったと思います。B向けサービスの流れに加えて、ディープテック、ヘルスケア、ライフスタイル領域に関しても投資をし始めた。そういう意味で、今回新たに立ち上げたファンドは公共性の高い社会課題の解決を加速していくためのものです。テクノロジーがスマートフォンのガラスの中からDXのフィールドに入り、スタートアップがディープテックもカバーし始めている。そこに対して、我々も追いついていきながら、イノベーションを仕掛けているのが10年の変遷かな、と思います」(本間氏)

医者や研究者たちをスタートアップ側へ

新たに立ち上がったファンドの特徴は“規模感”もそうだが、創業期からプレIPO期まで一気通貫でスタートアップを支援する点にある。

「これまでの4号ファンドを通じて、自分たちで最初から最後のラウンドまでリードできる形のファンドを作りたい、という思いが強くなっていきました。創業期から大きな資金がある前提で立ち上げるスタートアップと、数千万前半で立ち上げるスタートアップでは事業の戦略が大きく変わってくる。例えば、最初から20〜30億円の資金がないと挑戦できないプロダクトはあると思っています。だからこそ、このファンドを通じて20〜30億円の資金があって初めて価値が発揮できるマーケットにトライする流れを作っていけたら、と。そういう意味で取り組む意味合いは大きいのかなと思っています」(村田氏)

例えば、リーマンショック以降は“リーンスタートアップ”という概念が流行り、いかにコストをかけずに最低限の製品・サービス・機能を持った試作品を短期間で開発できるか、が重要視されてきた。本間氏は「今でも有効なイノベーションのスタイル」だと前置きしながらも、「ディープテック領域に関しては『3000万円出資します』と言っても、博士課程の人が大学院を辞めて起業するのは、どうしても現実的ではなかった」と語る。

インキュベイトファンド 代表パートナーの本間真彦氏
インキュベイトファンド 代表パートナーの本間真彦氏

「ただし、VC側も現在の境遇と変わらないような環境でチャレンジできる。何なら研究費よりも投資額の方が大きい、という代替手段を明確に出せるようになってきたので、『それならば外でチャレンジした方がいいかも』と、今まで起業を考えもしなかった医者や研究者たちが起業するようになった。より安全に、リスクを取らず起業できる環境を整えることで医者や研究者がスタートアップ側に来るのは大きな意味があると思います」(本間氏)

「スタートアップが成功したら、年金が増える」という社会のエコシステムをまわす

また、“起業家の数を増やす”という点において、村田氏は「今回のファンドにLPとして、年金基金をはじめとした機関投資家が参加してくれたことは大きな意義がある」と言う。

村田氏いわく、2年前のデータでは日本国内のファンドレイズにおける機関投資家の割合は全体で0.7%しかない。一方、アメリカは全体の3分の2を機関投資家が占める。そうした状況を踏まえ、村田氏が企画部長を兼務するJVCAでは、国内VC24社が2000年から18年に設立したファンド76本を対象に、運用成績を表すベンチマーク(指標)の開示を始めている。

「起業家が増えない理由は、彼らの社会的地位が一向に上がらず、尊敬されないから。この20年を振り返っても、市場が盛り上がったタイミングで何らかの不祥事が起きたり、注目されていた会社が凋落したり、社会的地位が上がりそうなときに落ちることを繰り返してきている。その理由を考えたときに、国民がスタートアップのステークホルダーではないことも大きいのかな、と思いました」

「アメリカはVCが機関投資家から資金を集めて、ファンドレイズする。その資金をスタートアップに投資し、スタートアップが成功するとリターンが国民に跳ね返ってくる。どこまでの人が理解しているかはありますが、この構造があるからこそ、アメリカではチャレンジする人を尊敬する習慣ができあがっていると思うんです」

「そういう意味で、自分は機関投資家の中でも特に年金基金が大事だと思っています。スタートアップが成功したら、リターンで年金が増える構造は分かりやすいじゃないですか。社会のエコシステムが大企業とスタートアップで回っていた部分が、国民全体で回っていくようになると、もう少し尊敬されるようになると思うので、今回年金基金がLPに参加してくれたことは大きい出来事だったと思っています」(村田氏)

インキュベイトファンド 代表パートナーの村田祐介氏
インキュベイトファンド 代表パートナーの村田祐介氏

実際、国内VCの運用成績を調べてみると、ファンド出資者への分配は2012年から4年連続で増加し、2015年には76本のファンド全体で総額1000億円近くの分配を記録した。2010年から2014年の間に設立された、ファンドのネットマルチプル(中央値)は1.5倍以上、ネットIRR(内部収益率)の中央値は14%を上回る(2018年末時点)など、優れたリターンを上げていることが判明したという。

「海外の投資家とよく話しているのですが、まず運用成績のデータが載らなければ認識すらされない。今でも『日本にVCのマーケットってあるの?』と言われることがあります。きちんと機関投資家が認識できる形でデータを出せないファンドは、結婚情報誌に載っていない結婚式場みたいなものです。掲載された初めて比較されて、大きいお金を集めていける。今回、運用成績を表すベンチマークを開示したことで、業界にも変化が起こり、お金の流れも変わってくるのではないかな、と思います」(本間氏)

また、村田氏も「6年越しでようやくベンチマークを作ることができた。これを機に機関投資家から資金を預かるVCは増やしていきたいし、もっと増えていくと思っています」と語る。

「新卒ベンチャーキャピタリスト」のキャリアも用意

起業家を増やすだけでなく、インキュベイトファンドは新卒採用を実施するなど、投資家を増やし取り組みも行っている。2021年春に向けてすでに4人の内定が決まっており、入社後はベンチャーキャピタリストとして必要なノウハウや経験を積むなど、数年間の育成期間を経た後、自分のファンドを組成し独立する流れを想定しているという。

「リーマンショック以降、新卒採用に取り組むVCが完全に消えてしまったので、今はVCになるキャリアの入り口がない状態なんです。自分たちは新卒でVCになれる道があって今があるので、そういう道はきちんと用意しておきたいですし、今回のファンドサイズに備えて組織力は強化していかないといけない。自分たちも進化しないといけないので、4人の経験を生かしつつ、若い人も入れながら常に再現性を持ってパフォーマンスを発揮できる組織づくりも意識し、新卒採用を始めました」

「若かろうが、ベテランだろうが、良いときも悪い時も愚直に起業家をサポートできる人がいれば、スタートアップは盛り上がるので、多様なバックグラウンドを持つ人がどんどんVC業界に入ってきてほしいと思っています」(和田氏)

10年前のリーマンショック後に立ち上がり、これまでに複数の上場企業を創業期から支えてきた実績を持つインキュベイトファンド。今回、新たに立ち上がった総額250億円規模の第5号ファンドは、奇しくもコロナ禍で社会が大きなダメージを受ける中で立ち上がった。

今後の10年間、インキュベイトファンドはDX、パブリックセクターイノベーション、ディープテックイノベーションという3つの軸で、どれだけ社会的に大きなインパクトを生み出せるのか。彼らの“第二章”を形作る新たな挑戦は、これから本格的に動き出す。