• 上場しても「まだまだ“しょぼい”」
  • 全く理解されなかった「カスタマーサクセス」
  • 5億円の調達資金を全てテレビCM費用に
  • Sansan経済圏確立に向け、M&Aも視野に

法人向け名刺管理サービス「Sansan」と個人向け名刺管理サービス「Eight」を展開するSansanが6月、東京証券所マザーズ市場に上場した。2007年の創業以来、日本のSaaSビジネスのあるべき姿を模索してきた同社。起業からこれまで、そして今後の展開までをどう考えているのか。代表取締役社長の寺田親弘氏に聞いた。(ダイヤモンド編集部副編集長 岩本有平、編集・ライター 野口直希)

Sansan代表取締役社長の寺田親弘氏Sansan代表取締役社長の寺田親弘氏 Photo by Yuhei Iwamoto

上場しても「まだまだ“しょぼい”」

――創業から12年。振り返ってみて、いかがでしょうか。

 正直、上場といっても感慨深いという状況ではありません。振り返って思うのは、「まだまだ“しょぼい”」ということです。(創業から間もない)アーリーフェーズでは「世界を変える」と言ってきましたが、現実的な立ち位置を考えればまだまだこれからです。

 おかげさまで国内では最大規模のSaaS企業に成長しましたが、米国の顧客管理SaaSサービス「Salesforce(セールスフォース)」には到底かないませんし、アメリカやインド、シンガポールを対象にした海外事業でも「こう伸びている」といえるほどの大きな成果を上げていません。

 「新たな出会いの形を提供する」という当社の目標に対する達成度は、「量」でいえばせいぜい1、2割程度。「質」についてはゼロイチでいえばまだゼロに近い状況です。引き続き、顧客にサービスを与えて対価をもらうというビジネスの本質に基づいて、着実に事業を進めるつもりです。

――起業の経緯を教えてください。

 父親も起業家で、小学生の頃には起業を志していました。新卒で就職先に選んだのは三井物産。とりあえず商社で数年経験を積めば、起業の役に立ちそうだと考えたからです。私が新卒で就職したのは1999年。起業するにも、今のようにパスがありませんでした。リクルートですら今のように起業志望者が集まる“ピカピカな企業”ではありませんでした。

 名刺を事業対象に選んだのは、私自身が名刺管理に困っていたから。同時に、名刺管理は非常に大きな課題だと捉えていました。フェルミ推定的に考えれば、世界では年間100億枚の名刺が交換されています。毎日やり取りされている膨大な数の名刺をデータ化できれば、世界中に大きなインパクトを与えることができるはずです。

全く理解されなかった「カスタマーサクセス」

――Sansanを導入している企業は6000社を超えています。

 初期の顧客はIT系のスタートアップや中小企業がほとんどでしたが、近年では三井住友銀行や電通など、大企業での全社的な導入が増えています。Sansanが目指すのは、企業のあらゆる外交記録を管理し、全ての社員が使用するビジネスプラットフォームです。会社全体での導入は大変ありがたいです。

――近年はSaaS企業が増えていますが、Sansanはこうした言葉がない頃からSaaSサービスの開発を続けてきました。

 Salesforceの活動を参考にしながら、手探りで改善を続けてきました。初期から注目している指標は、チャーンレート(解約率)。定額課金が基本のSaaSでは、ユーザーがサービスを長く利用するほど、ライフタイムバリュー(顧客1件ごとにもたらされる生涯価値)は高まります。そのため、解約率は非常に重要です。

Photo by Y.IPhoto by Y.I.

 解約率を下げるために、2008年よりサービス部で顧客獲得のための活動を開始しました。サービスの価値を知ってもらうためには、まず名刺を取り込んでもらわなければなりません。そのため、創業メンバーは客先を訪ねて名刺の読み込み作業をしていました。

 2012年にカスタマーサクセス部を発足し、全ての顧客に対して担当社員を割り振り、サポートしています。正確な調査ではないですが、カスタマーサクセス専門の部署を設立したのはおそらく国内企業で初だと思います。

 その後もオンラインサポートの導入や既存顧客向けの営業チームをカスタマーサクセス部内に組織するなどの拡張を続け、さまざまなデータを一元的に把握できるよう工夫しています。2019年5月期時点で、12ヵ月平均の月次解約率はわずか0.66%です。どれか1つの施策が大きく解約率の低減につながったというよりは、サブスクリプションビジネスのキモを早くから理解し、さまざまな施策を長年続けて顧客の成功を模索し続けたことが現在の結果につながっています。

 こうしたSaaSモデルならではの戦略は今でこそ有名になりましたが、創業当時はなかなか理解してもらえませんでした。「月額いくらのサービスを何人が利用していて、解約率何%なので、ライフタイムバリューはいくらになる。最初は赤字でも資金投下すべき」と説明しても、投資家ですら数字の意味をわかってくれない。ARR(Annual Recurring Revenue:年間計上収益)1億円になっても、買い切り型のソフトを開発する小さな企業と同じ扱いをされていました。

5億円の調達資金を全てテレビCM費用に

――IT業界では以前から上場をうわさされていました。

 実は、2011年頃に上場を検討していました。契約数も順調に増えて黒字化していたため、実際に上場準備まで進めていました。

 ですが、会社設立時に描いていた目標を何ひとつ達成していなかった。足元のエコノミクスは良くても事業の規模が小さく、こんな爪に火をともすような状態で上場しても意味がない。いったい自分は何のために起業をしたのかわからなくなってしまったんです。

 そこで勝負の仕方をガラッと変えるため、もっとアクセルを踏みこもうと決めました。具体的には、シリーズAで調達した5億円を全額テレビCMに投下したんです。シリーズEまですべての調達ラウンドで「これが最後の調達」と言いながら、結果的に何度も調達を繰り返してしまいました。

――BtoBサービスのテレビCMは珍しく、大きな話題になりました。

 初めて放映したのは2013年のことです。当時BtoBの会社でテレビCMを放映していたのは一部の会計ソフトくらい。BtoBのSaaSとしては初めてのCMでした。

 前例がないケースなので、制作を打診した会社の多くには、けんもほろろな扱いを受けました。テレビCMではクリエーティブがほとんどといっていいほど大事です。多くのクリエーターを回る中で出会ったのがTUGBOATの岡さん(代表の岡康道氏)で、彼からはたくさんのことを学ばせてもらいました。

 当時、名刺管理サービスは「Link Knowledge(リンクナレッジ)」という名前だったのですが、「それでは(名刺管理サービスだと)わかってもらえない」と指摘されました。また、当初はテレビCMにかけるコストは1億円程度の予定でしたが、「砂漠に水をまくようなものだ」とも言われました。

 (5億円のテレビCMは)一見すると大胆な投資ですが、私たちの中ではきちんとロジックが立っていました。まだまだマーケットを拡大する余地があり、ライフタイムバリューも高いため、知名度向上にもっとコストを割くべきだと考えたんです。この見込みは予想通りで、テレビCMは認知度向上に大きく貢献しました。

――売り上げは伸び、継続利用率も高いですが、6期連続での赤字です。

 黒字化自体は難しくないと考えており、今期は黒字化を見込んでいます。セグメント別に見れば、Sansan事業は広告費に20億円ほど使っていますが、すでに黒字化しており、営業利益は前期比102.4%増で成長しています。Eightも宣伝への大規模な資本投下は昨年で終了しており、売上高は102.8%の成長です。今期からは収益化を目指します。

 現状は無理にでも利益を出すよりも、事業成長のためにしっかり資本を投下すべきフェーズだと捉えています。これからは成長に必要な投資をしつつ、しっかり数字も出すつもりです。

Sansan経済圏確立に向け、M&Aも視野に

――Sansan、Eightに続く新たな事業の柱の予定は。

 当面はSansanとEightの2本柱になるはずです。新規事業の開発はデータサイエンティストチーム「DSOC(Data Strategy & Operation Center)」で進めていますが、それらは結果的にSansanやEightの新機能になっています。

 例えば、名刺の認識精度向上。Sansanのサービスを始めた頃は顧客から預かった名刺をスキャンしても正しく読み取れず、ほぼ全ての情報をスタッフが手打ちで入力していました。現在は独自の画像認識技術によって、かなりの作業を自動化しています。

 すでに(他社のMAツールなどと)データを統合・リッチ化する「顧客データHub」を追加価格で提供していますが、このような形で今後もニーズに沿った機能を追加するつもりです。Sansanをプラットフォームのハブにしつつ、蓄積したデータをよりさまざまな形で利用できるようにしたい。

――Sansanを中心とした経済圏を作る際には、他社のM&Aも視野に入れているのでしょうか。

 Sansanとの親和性が高いサービスを手掛ける企業のパートナー化、あるいはその延長線上としてのM&Aは常に選択肢として検討しています。

 4月には法人向けアンケートツールを開発するクリエイティブサーベイに2億円の出資をしました。名刺のデータベースを活用してアンケートを取るなど、Sansanの派生サービスになる可能性も十分あります。これからも顧客のビジネスをより豊かにできるサービスを支援していきます。

――地方拠点も複数立ち上げています。特に徳島県神山町では、オフィスを立ち上げただけでなく、個人でも高専を設立する「神山まるごと高専」プロジェクトの発起人になるなど、活動が盛んです。

 支店(東京のほかに大阪、名古屋、福岡)は営業拠点。神山ラボ(徳島)、イノベーションラボ(京都)、長岡ラボ(新潟)、札幌ラボ(北海道)は、どうしても採用したいエンジニアがその地域を離れたくないというところから立ち上げるなどしました。

 神山町にはいろいろな縁があり、単なる支援よりも積極的な形でプロジェクトに参加しています。高専では単なる起業家育成にとどまらず、自分でアジェンダを設定して道を切り開く人間――私は「野武士型パイオニア」と呼んでいるのですが――そんな人材の育成を目指します。

 今の日本では、新たな道の開拓は行動力をもった人が勝手に取り組むものだと考えられています。ですが、こうしたマインドセットやそのための技術、デザインシンキングを身につける場所があれば、再現性は増すでしょう。そうなればスタートアップ業界だけでなく、日本全体にとってプラスになるはず。あくまで本業優先ですが、Sansanで培った経験をもとに可能な範囲で積極的に関わりたいです。

寺田親弘 Sansan代表取締役社長。三井物産株式会社に入社。情報産業部門に配属された後、米国・シリコンバレーでベンチャー企業の日本向けビジネス展開支援に従事する。帰国後、社内ベンチャーの立ち上げや関連会社への出向を経て、2007年にSansan株式会社を創業。 Photo by Y.I寺田親弘 Sansan代表取締役社長。三井物産株式会社に入社。情報産業部門に配属された後、米国・シリコンバレーでベンチャー企業の日本向けビジネス展開支援に従事する。帰国後、社内ベンチャーの立ち上げや関連会社への出向を経て、2007年にSansan株式会社を創業。 Photo by Y.I.