「カワスイ 川崎水族館」を企画、設計し、運営するアクア・ライブ・インベストメント代表取締役の坂野新也氏
  • 近すぎるし、物足りなくて嫌いだった水族館
  • 「天職」と思えたきっかけは都市型水族館の増加
  • 映像を駆使しこだわった水槽の“見せ方”
  • 水族館ビジネスの肝は物販・飲食からの収益
  • 地元住民から愛される水族館を目指す
  • カワスイ黒字化の先に目指す事業の横展開

約50年、生涯をかけて日本の水族館作りに情熱を注いできた人物がいる。坂野新也氏、74歳だ。29歳で飼育課の係長として1975年の沖縄海洋水族館(現:沖縄美ら海水族館)のプロジェクトへ参画。その後、サンシャイン国際水族館(現サンシャイン水族館)や葛西臨海水族園など、名だたる水族館の開発に携わってきた。

そんな水族館のプロは今、人生最大の挑戦に挑んでいる。2019年3月、坂野氏は73歳にして人生初の起業。アクア・ライブ・インベストメントを設立し、ベンチャー企業として自ら水族館の企画・運営に乗り出した。

そして今年の7月17日、神奈川県・川崎駅前の商業施設「川崎ルフロン」の9〜10階に「カワスイ 川崎水族館(カワスイ)」をオープンさせた。

既存の商業施設内に水族館がオープンするのは日本初。しかも川崎ルフロンは築30年のビル。大型水槽の荷重に耐えられない古い建物は、水族館にとって「非常に悪い条件」。さらにはコロナ禍で入場者数に制限をかけざるを得ない状況だ。それでも坂野氏は前を向き続ける。アクア・ライブ・インベストメントは水族館ビジネスを軌道に乗せ、数年後には事業を横展開させることも視野に入れて奮闘している。

「カワスイ 川崎水族館」の入口

近すぎるし、物足りなくて嫌いだった水族館

坂野氏は和歌山県・太地町の出身だ。太地町は鯨で有名な漁師町。自然豊かな環境に育ったため、もともと「水族館にあまり興味はなかった」という。水族館に行かなくても海に出ればさまざまな生物に触れることができたからだ。

「水族館はどちらかと言うと嫌いでした。子供の頃からよく鯨を見ていましたし、実家は海の近くだったので、朝から暗くなるまで潜っていました。日本の水族館は見ていて物足りないという思いがずっとありました」(坂野氏)

契機は大学生時代に訪れた。獨協大学の経済学部に在籍中は「自分がやるべき何かは見つけられなかった」という坂野氏。経済学部を選んだ理由も「なんとなく」。だが、海洋環境が豊かな町の出身であることから、東京大学・海洋研究所の西脇昌治教授など水産関係の教授たちと親交を深めた。

卒業後は太地町くじらの博物館に勤務。その後、西脇氏の推薦で、東大教授で幕張メッセの設計などにも携わった一級建築士、槇文彦氏の建築事務所・槇総合計画事務所に入所。沖縄海洋水族館の開発に携わるかたちで水族館でのキャリアをスタートさせた。

「沖縄海洋水族館が私にとってのスタート地点でした。当時、日本には(娯楽性を追求した)きちんとした水族館はなかったんです。沖縄海洋水族館の設立以降はブームになって、さまざまな水族館が誕生しました」(坂野氏)

沖縄海洋水族館の完成以降、坂野氏は槇総合計画事務所を離れた。その後は水族館等の空間デザインや造形物の製作を行う鬼工房やプラントークに所属。鴨川シーワールドやサンシャイン国際水族館、葛西臨海水族園の開発に携わってきた。

DIAMOND SIGNALのインタビューに応じる坂野氏

「天職」と思えたきっかけは都市型水族館の増加

前述のとおり、もともと「水族館にあまり興味はなかった」ところからキャリアをスタートした坂野氏。「水族館が自分の天職だ」と思えるようになったのは、50歳を過ぎてからだったという。都心部に多くの水族館が設置され、活躍の場が増えたからだ。

従来、水族館には大量の天然海水を運ばなければならず、コストがかさむため内陸部への設立は困難だった。だが技術が進歩して「完全人工海水」が開発され、たとえ都心部であっても低コストで水質を一定に保てるようになった。結果として誕生したのが、東京スカイツリーに隣接するすみだ水族館をはじめとした、都市型の水族館だ。

すみだ水族館ではクラゲを美しく展示したり、ペンギンたちが泳いでいる姿を見たりできるなど、新しい水族館ならではの個性が光る。

老舗の水族館も、老朽化に伴うリニューアルで、新技術を取り入れつつある。2017年7月にリニューアルしたサンシャイン水族館では、ペンギンやアシカが泳ぐ姿を下から見ることができる特殊な水槽が設置され、話題となった。

それぞれの水族館が独自の娯楽性を追求しても、来館者の奪い合いにはならなかった。逆に、都心部に魅力的な水族館が増えたことは、複数の館を訪れる“水族館好き”の増加につながったと坂野氏は語る。

「昔の水族館には非常に暗いイメージがありました。お客さん誰もが楽しめる雰囲気というよりは、本当に魚が好きな人でないと楽しめない雰囲気でした。都心部にいくつもの水族館ができて、特に変わったことは、特に女性で水族館の好きな方が増えてきたことです。昔は、地元の水族館に行けば『ほかの水族館は全部同じだから良いや』と思う人が多かった。ですが、最近ではサンシャイン水族館に行ったり、しながわ水族館に行ったり、すみだ水族館に行ったり。『こんな面白いものがあそこの水族館にあるよ』と情報交換する水族館好きが増えてきています」(坂野氏)

映像を駆使しこだわった水槽の“見せ方”

カワスイでは照明・音響・映像を駆使し、水槽の見せ方を工夫している

坂野氏が企画・設計・運営するカワスイも都市型水族館の1つだが、前述のとおり既存商業施設内に水族館が展開されるのは日本初だという。

カワスイが位置する川崎ルフロンは、三菱商事系の日本リテールファンド投資法人が所有する地上10階、地下2階の商業施設。1〜7階に入居していたマルイが2018年1月に閉店し、跡地の改装を進める際、ファンドの運用企業である三菱商事・ユービーエス・リアルティは9〜10階への水族館誘致を目指し、コンペを開催した。

コンペに参加するには、水族館の企画や設計だけでなく、運営、 資金調達などを自社で行い、水族館を総合的にプロデュースする会社である必要があった。坂野氏は昔からの仲間や、さまざまな分野の専門家を結集させ、2019年3月にアクア・ライブ・インベストメントを設立した。同社には、住宅設備の総合商社である小泉のほか、ポニーキャニオン、東京エネシス、丹青社など約60社が出資する。融資と合わせ、累計で40億円の資金を調達している。

「経営者になるつもりは全くありませんでした。企画ができれば十分だと思っていました。ですが、『良いきっかけがあったら水族館を最初からきちんとやりたいね』という話は仲間としていました」(坂野氏)

コンペが起業の良いきっかけになった。そう坂野氏は笑う。コンペには計3社が参加したが、2社は立地条件の悪さを理由に辞退。アクア・ライブ・インベストメントの案が採択され、カワスイの企画、設計、運営を担当することになった。

「1つの会社で水族館の企画、設計から運営まで行うというのは多分、日本初。世界でも珍しいのでは」 (坂野氏)

長年の経験を持つ坂野氏だが、築30年のビルに水族館を作るのはキャリア史上最大の挑戦となった。その原因は水族館にはなくてはならない「水槽」の荷重だ。

大型の水槽には数千トンの水を使用するが、そもそもルフロンは水族館の建築を想定した設計になっていないため、建物が荷重に耐えられない。そのため、照明・音響・映像を駆使し、見せ方を工夫することで、水槽のサイズ以上にリアルな環境を体験できるよう、趣向を凝らした。

「他の水族館との相違点は、透明の水槽をあちこちに設置しているところです。水槽の中だけを見てもらっても狭い世界。ですが、水槽が周りの景観と一体化すれば広い空間に感じてもらえる。ある意味で舞台と同じです」(坂野氏)

カワスイでは、水槽にいる魚の種類に合わせ、生息地域の景色の映像を壁に投影する。その景色は朝から夜、また朝へと移り変わっていく。この映像を組み合わせた展示は、筆者の目に、まるでプラネタリウムのように美しく映った。だが坂野氏は「お客さんの反応は微妙です」と唇を噛む。

「映像をやってみて、そこそこ面白くなったのかなと僕自身は思っています。ですが、お客さんはまだまだそうは思っていない。見ていると、7割くらいのお客さんにとっては魚が主役で、映像は関係ない。今後は水を十分に入れられて、お客さんに感動してもらえるような水槽を作りたいと思っています」(坂野氏)

カワスイの水槽に生物名は書かれていない。生き物の情報はスマートフォンを使い、QRコードで確認する。スタートアップのLinneが開発する、ARを使ったどうぶつ図鑑の「LINNE LENS」も導入しており、アプリをダウンロードしてスマホを生き物にかざすことで生物名がわかる。

「新しい形の水族館ですから、若い人たちに喜んでもらえるギミックに挑戦してみました。お客さんの反応を見ながら、徐々に軌道修正していけば良いのではないかと思っています。若い人の意見をどんどん取り入れていきます。今はまだスタート地点です」(坂野氏)

「オセアニア・アジアゾーン」に展示されるアジアアロワナ
「南アメリカゾーン」に展示されるピラニア
「アフリカゾーン」に展示されるバタフライフィッシュ
水族館内には小型で透明の水槽が多く配置されている
ARを使ったどうぶつ図鑑の「LINNE LENS」
オーストラリアに分布するワライカワセミ。カワスイでは魚類のほかにも鳥類やナマケモノ、カピバラなどさまざまな生き物を展示する
「アマゾンゾーン」ではピラルクなどの大型の淡水魚が見られる
「パノラマスクリーンゾーン」では水中を泳ぐイルカの映像を見られる

水族館ビジネスの肝は物販・飲食からの収益

7月17日、晴れてオープンしたカワスイ。コロナ禍の影響で入場制限をかけているため、来館者数は予想を下回っている。だが、物販の販売が好調であることから、売り上は安定している状態だという。

坂野氏いわく、水族館は物販の販売から多くの利益を得られる。チケット代は収益の約7割。残りの3割をグッズ販売や飲食店運営などでまかなうのが、近年における水族館ビジネスの肝だと同氏は説明する。

アクア・ライブ・インベストメントには2社のグループ会社がある。水族館運営のアクア・ライブ・ネイチャー、そして飲食物販運営のアクア・ライブ・ギフトだ。水族館の企画、設計や運営だけに止まらず、グループ会社で、オリジナルグッズの制作から飲食店のメニュー開発までを、一気通貫で手掛けているのだ。

「入場者数そのものは今のところ、(制限しているため、想定より)若干落ちています。ですが、水族館にとって物販からの利益は非常に大きい。上手くやればやるほど、物販の比率は上がってきます。逆に飲食は非常に難しいと言われていますが、カワスイの立地条件だと、飲食でも十分な利益を上げられるのではないかと思います。カワスイでは、他の水族館にないくらい、物販や飲食にスペースを割いています。これも1つのテストです」(坂野氏)

アクア・ライブ・インベストメントが運営するカワスイ内の「こもれびカフェ」

地元住民から愛される水族館を目指す

坂野氏はカワスイを通じた地域貢献にも注力したいと考えている。環境調査を実施し、カワスイを来館者が今まで知らなかったような地元の生き物を発見できるような場にする。結果として、誰よりも地元住民から愛される水族館を目指すという。

坂野氏が長崎県・佐世保市の九十九島水族館海きらら(海きらら)の開発に関わった際、地元住民の多くは設置について消極的だった。住民の多くは、坂野氏が少年時代に感じていたように、「水族館に行かなくても魚は見られる」と考えていたからだ。だが、環境調査を実施し、さまざまな新種生物を発見。今や、海きららは地元住人にとって「なくてはならない」自慢の水族館になったという。

「地元の人たちは、九十九島が貴重な生物環境だと気がついていませんでした。環境調査を始めると、新種が見つかるなど、色々なことが起こりました。今や海きららは地元住民にとって、あって当たり前の存在です。カワスイでも地元の人が自慢できる水族館を目指します」

カワスイは「オセアニア・アジアゾーン」、「アフリカゾーン」、「南アメリカゾーン」、「アマゾンゾーン」など複数のゾーンで構成する。派手さには欠けるが、「多摩川ゾーン」では地元・川崎市の生態系を学ぶことができる。

「多摩川ゾーン」には地元・川崎で見られる生き物が展示される

坂野氏はカワスイを子供たちが環境問題を学べる場所にもしていきたいと考えている。アクア・ライブ・インベストメントには職業体験型テーマパーク「キッザニア」出身の社員を数名採用し、子供向けの企画を考案している。

「教育に詳しい社員のノウハウを活かして、環境問題に対する取り組みを行っていきたい。環境問題に対する意識を高めるには、子供のころから興味を抱かなければ難しいと思うからです」(坂野氏)

カワスイ黒字化の先に目指す事業の横展開

いい水族館とは一体どんな水族館なのかーー筆者の質問に坂野氏は「そこで働く人の気持ちが伝わる水族館です」と即答する。そして自身が10回以上訪れたという米・モントレーベイ水族館について語り出した。

モントレーベイ水族館は、カリフォルニア州・モントレーに位置する水族館だ。クラゲの大規模な展示が有名で、日本の水族館の多くも同館の展示を参考にしているという。

「モントレーベイ水族館はスタッフの雰囲気が良く、温かい。モントレーベイ水族館は田舎にあり、設立からもう数十年が経ちますが、今でも200万人近い人たちが毎年訪れています。もちろん自然を模した展示の素晴らしさもありますけれど、人気の理由はスタッフたちの凄さにあると思っています。カワスイでは、まず自分たちが勉強し、それを他の人たちに伝え、後輩を育てる。人を育てることを大事にしています」(坂野氏)

今後、アクア・ライブ・インベストメントでは6〜7年をかけてカワスイの黒字化を目指す。そして新たな水族館や動物園にも挑戦していきたいと坂野氏は言う。

「(アクア・ライブ・インベストメントの)社是は『思いやり』という言葉。基本的なことですが、社員全員がそのような意識を持ち続けてくれれば、黙っていても良い水族館になっていく。それさえできていれば、良い水族館になり、成長し、2つ、3つと増やしていくことができる。10年、100年と続いていく会社にしていく。水族館をメインに、色んな形の関連会社を作れると良いなと思います」(坂野氏)

スタジオジブリ作品『もののけ姫』で主人公のアシタカは、山の神であるシシ神を「命そのもの」だと言った。社員や来館者、そして子供達への教育を何よりも大切にする坂野氏は、単なるベンチャー経営者ではなく、「水族館そのもの」なのだと筆者には感じられた。約50年のキャリアを持つ“水族館の神”。74歳になっても、その熱量が尽きることはない。