
- 建築学科から、新卒でDeNAに入った理由
- ペロリへの出向で見つけた、自分のやりたいこと
- 「チル」が求められる時代へ
- 「IT×クリエイター」の可能性
東京・六本木の交差点から、歩いて5分ほど。都道319号線沿いに面する、六本木のアートコンプレックスビル「ANB Tokyo」の1階に、一風変わった“バー”がオープンした。
日本初の完全ノンアルコールバー「0%(ゼロパーセント)」だ。同店はフルーツにバジルをあわせた爽やかな「A Real Pleasure」、コールドブリューコーヒーにフレッシュグレープフルーツをあわせた「Goldentree」など、新感覚のノンアルコールドリンクを20種類以上取り揃える。
一部メニューは、世界のトップ50を決める「The World’s 50 Best Bars」に3店舗がランクインする「SG Group」の後閑信吾氏が考案。またフードはすべてヴィーガン(完全菜食主義者)対応のほか、ASMR(自律感覚絶頂反応)サウンドを聴きながら楽しむドリンクや、リラックス効果のあるCBD(カンナビジオール。麻由来の成分)オイル、デジタルデトックスができるメニューなど体験型のメニューも用意されている。

お酒は苦手だけど、ソフトドリンクじゃ物足りない──そんな人に“飲まなくても酔える”体験を提供すべく、完全ノンアルコールバー「0%」は立ち上がった。
手掛けるのは、世界最大級の音楽イベント『ULTRA JAPAN』のクリエイティブディレクターを務めた経験を持つ小橋賢児氏が率いるThe Human Miracle(旧リアル)。店舗のプロデュースは取締役の山本麻友美氏が務めている。
「お酒が飲めない人はお洒落なレストランに行っても、飲み物の選択肢がジュースや炭酸飲料しかありません。私もお酒が飲めないのですが、友だちとご飯に行ったとき、友だちは楽しそうにワインのリストを見ている姿に少し寂しさも感じていたんです。海外を見てみると、ニューヨークやロンドンにはノンアルコール専門のバーがありますし、ノンアル派の人たちが楽しめるカルチャーが根付いています。そんなカルチャーが日本にもあったらいいのにと思い、完全ノンアルコールバーを立ち上げることにしました」(山本氏)
0%の立ち上げに込めた思いについて、山本氏はこう語る。今回、店舗のプロデュースを担当した彼女はもともと、ディー・エヌ・エー(以下、DeNA)で新規事業の立ち上げやアプリのUIデザイナーを経験したり、子会社のペロリに出向して女性向けキュレーションメディア「MERY」のイベントプロデュースやCMの制作に携わったりしていた人物だ。
新卒からIT業界でキャリアを積んできた山本氏は、なぜ新たにオフライン店舗をプロデュースしようと思ったのか。彼女の挑戦の原点に迫る。

建築学科から、新卒でDeNAに入った理由
山本氏のルーツを遡ると“建築”にたどり着く。彼女は東京大学工学部建築学科を卒業しており、学生の頃は土地(敷地)を調査し、構造や材料、建築方法を考え、そこにどんな住宅や施設を建てるのか、実際に図面を引き、模型をつくってプレゼンしていた。
建築学科を卒業した人の多くは"建築士”になることを目指し、設計事務所や建設会社に入社するキャリアが一般的だ。山本氏も「建築士を目指すキャリアも面白いと思っていました」と当時を振り返るが、最終的には違った道を選択する。
「建物が完成するまでの一連のプロセスを学ぶ中で、私は建物そのものよりも、建物の中に"何をつくるか”に興味があると気付いたんです。実際、私が大学の授業で提出する課題の中身は全部中身(コンテンツ)についてでした。それでいろんな会社のサマーインターンを受け、そこで出会った人たちと企画コンペをやってみて、やっぱり自分はコンテンツを考える方が合っていると思い、事業会社へ就職する道を選びました」(山本氏)
事業会社と一口言っても、さまざまな選択肢がある中でなぜDeNAだったのか。山本氏によれば、実際に中で働く人や、同じくDeNAを志望する人に魅力を感じたからだという。
「正直、就職活動をしているときは明確に”こういうことがやりたい”という思いがあったわけではありません。事業内容にすごく興味があったわけではなく、“人”にすごく魅力を感じ、DeNAに決めました。当時、親からは『何をしている会社なの?』と疑問を持たれましたが、振り返ってみると良い判断をしたな、と思います」(山本氏)
ペロリへの出向で見つけた、自分のやりたいこと
入社後、山本氏が配属されたのは無料通話アプリ「comm(コム)」の開発チーム。このアプリはDeNAが“LINEの対抗馬”として、2012年12月に立ち上げた新規事業。当時、社内のエースを70人ほど集めて開発に臨むなど肝いりのプロジェクトで、山本氏は企画のほか、UX(ユーザー・エクスペリエンス)デザインを担当していた。
その後、ゲーム事業部に異動し、複数のゲームのUI(ユーザー・インターフェース)デザインを担当するなど、デザイナーとしてのキャリアを歩んでいく。そんな山本氏の転機のひとつとなったのが、ペロリへの出向だ。
2014年にDeNAは女性向けキュレーションメディア「MERY」を手掛けるペロリを買収する。そのタイミングで、当時の上司から「ペロリはデザイナーを必要としているみたいだから、行ってきてくれないか?」と出向の打診をされ、山本氏は2015年に出向。ペロリではアプリをつくったり、CI(コーポレート・アイデンティティ)デザインを刷新したり、他にはCM制作やイベントプロデュースも担当したという。
「役職関係なく、とにかく何でもやっていました(笑)。MERYが成長するにつれて新たにブランディング室ができ、印刷物やステーショナリーグッズなど、MERYを中心にペロリのさまざまなクリエイティブのトーン&マナーの管理を担当するようになりました。そこでPRやブランディングを経験し、プロモーションの観点からいかにサービスを広めていくか、が好きなんだなと思いました」(山本氏)
当時、雑誌なども販売していたMERYだが、2016年12月に医療・ヘルスケア情報のキュレーションメディア「WELQ(ウェルク)」の制作体制や情報の信憑性が問題視されたことを契機に、DeNAが運営するすべてのキュレーションメディアを非公開化する、いわゆる「WELQ騒動」によって、メディアがクローズ。それに伴い、山本氏はDeNAに帰任した。
次の異動先としてソーシャルゲーム、横浜DeNAベイスターズ、オートモーティブ、ヘルスケアなど、さまざまな選択肢があった中、山本氏は「そのときはエンタメと言いうか、人の熱狂や興奮が自分のモチベーションになると思っていました」と言い、ソーシャルゲームのブランディング・コミュニティ施策を担当後、間もなくして独立する。
「PR・ブランディングを含めて、もっといろんなエンタメをつくってみたいと思うようになり、独立する道を選ぶことにしました。独立した後は、いろんなPR・ブランディング案件を手がけていきました」(山本氏)
「チル」が求められる時代へ
例えば、広告企画・制作を手掛けるPOOL(プール)のCEO・小西利行氏と一緒に仕事をする機会があり、小橋氏とは小西氏の紹介を通して知り合ったという。
「実際にお会いしたところ、小橋はメディア系の新規事業をやりたいと話されていて。もともと、私はIT系の人とクリエイター系の人が混ざり合ったら面白いことができるのではないかと思っていましたし、メディア系であれば、私にも手伝える部分があると思い、まずは業務委託で手伝うことにしたんです」(山本氏)
1年ほど、いくつかのPR・ブランディング案件を手がけていた山本氏だったが、小橋氏と意気投合し、The Human Miracleのいくつかのプロジェクトに関わっていく。そうした中で、山本氏が目をつけたのが完全ノンアルコールバーだった。
「この数年でたくさんの情報を浴び続ける時代になり、“何も考えない時間”が日常から消えてしまった結果、今はチル(のんびり)が求められるようになっています。その時代の流れにあわせて、最初は瞑想やアンビエントサウンドなど、心を整える時間を提供するサービスを検討していたのですが、個人的には日本にはまだ少し早いかもしれないと思い、もっとカジュアルな入り口として、完全ノンアルコールバーが良さそうだと思ったんです」(山本氏)

前述の通り、山本氏自身”お酒が飲めない”ことも大きな理由だった。小橋氏に「完全ノンアルコールバーを立ち上げてみたい」と伝えると、すぐに賛同し、約1年前からプロジェクトが始動した。
実際、ドリンクのメニューなどは山本氏が今年1月にイギリスで開催されたノンアルコールドリンクに焦点を当てたフェス型イベント「マインドフルドリンキングフェス」に参加し、そこで試飲をして、インスピレーションを得たという。
「よくあるジュースっぽくしたくなくて、クセや香りなどひと手間もふた手間も工夫を加えています。お酒に求めている部分は“深み”だと思うので、(食事との)マリアージュはすごく意識して後閑さんにオーダーしました。お酒の味を再現したノンアルコールドリンクではなく、新しいジャンルをつくりたいんですよね。今まではノンアルコールはお酒を飲む人が我慢して飲むもの、というイメージだったと思い、お酒を飲まない人たちがもっと違う楽しみ方ができるドリンクを意識しました。よく『なんで完全ノンアルコールバーにしたんですか?』と聞かれますが、誰かが飲めて、誰かが飲めないとなると、必ずどこかで共感できない瞬間が出てきてしまうので、フードもすべてヴィーガン対応にしてあります」(山本氏)

「IT×クリエイター」の可能性
また、内装とアートディレクションは小橋氏の紹介を通じて、音楽やファッションシーンで、国内外を問わず数多くのグラフィックやアートディレクションを手がけるアーティストYOSHIROTTEN(ヨシロットン)が率いるクリエイティブスタジオ「YAR」が手掛けたほか、設計は住居、店舗、オフィス空間などを手掛ける「TATO DESIGN」が担当した。
お店の空間づくりにおいて、山本氏が建築学科で培った知識が生かされたそうで、入り口で全体が分からないような設計になっている、という。
「お店に入った瞬間に全貌が分かってしまうと面白くないと思い、お店の入り口、中央、奥で全然違う雰囲気にしています。それによって、『あの部屋いった?』『トイレ見た?』とお客様同士で話す瞬間にテンションがあがり、飲まなくても酔える体験が味わえるんです。
他にもお酒は飲まないけれど、バーという空間はすごく魅力的だと思っているので、お酒を飲まない人たちがきちんと楽しめる、カフェでもなく、バーでもない場所をイメージしてお店の雰囲気をつくっていきました」(山本氏)

お店の立ち上げは新型コロナの感染が拡大する中で進んでいったが、特にマイナスな影響はなかった、と山本氏は言う。0%は3つの密を避けるため、事前の予約制を導入することになったが、新型コロナの影響で会食が減りお酒を飲まなくなった人や、郊外に引っ越しして車で通勤する人が増えたことで、ノンアルコールドリンクの需要も増えているようだ。実際、オープンしてから3週間経つが、連日予約のお客さんたちで賑わっている。
スマートフォンを通して、毎日たくさんの情報を浴び続けている現代において「何も考えない時間」が日常から消えていっている。だからこそ、一度心をリセットし、もっと世界にワクワクできるピュアで元気な心を取り戻す“マインドクレンズ” の時間が必要なのではないか──そんな思いから、0%は「人々の心を0(%)にする」場所として、自分の感覚に向き合うきっかけを提供していくようだ。
「今後はオンラインとオフラインが融合していく時代になると思っています。AI(人工知能)やVR(仮想現実)、AR(拡張現実)といったテクノロジーが登場しても、オフラインでしか提供できない価値は絶対にあるはずです。また、IT業界で培われる感覚とクリエイターが持っている感性が混じり合うことで生まれる新しいクリエイティブは絶対にあると思っています」
「会社としては店舗単体での黒字化も目指していきますが、0%は“心を0にする”体験ができる場所であり、お客様と直接話せる貴重な場所なので、アンテナショップのように0%ブランドの重要なタッチポイントとして位置付けています。今後は心をリセットする“マインドクレンズ”にフォーカスして、オリジナルドリンクのボトルなどを作り、自社ブランドの立ち上げなど、いろんなことをやっていきたいですね」(山本氏)