- 自信がないから「断定型」でものを言えなかった
- 自分が必要ないと感じることはやらなくていい
- 哲学や夢を語ることが、ウソのないカルチャーになる
- 思ってきたことが、そのまま経営理念になった
- 新規事業は「何度打席に立ったか分からない」
- 「1年で全額投資回収する」の思想から生まれたPairs
- 意志決定が遅れる「経営者ボトルネック問題」
- 経営者ボトルネックから生まれた採用ミス
- 経験のない「未知なる不安」がありすぎた
- 誰かに問いを投げかけてみるべき
- 創業者コンビが再び一緒に起業する理由
- 「正しい人」に「正しいタイミング」で質問せよ
資金調達にサービスの立ち上げ、上場や事業売却と、ポジティブな側面が取り上げられがちなスタートアップだが、その実態は、失敗や苦悩の連続だ。この連載では、起業家の生々しい「失敗」、そしてそれを乗り越えた「実体験」を動画とテキストのインタビューで学んでいく。
第7回はfranky代表取締役CEOの赤坂優氏、franky取締役COOの西川順氏に話を聞いた。2人は恋愛・婚活マッチングサービス「Pairs」を手がけるエウレカの共同創業者で、2015年にエウレカをIAC傘下のMatch Groupへ売却後、2017年に取締役を退任。現在はエンジェル投資家としても活動すると同時に、2人で立ち上げた新会社・frankyでの事業を準備している最中だ。今回はエウレカ創業時の「失敗」について対談形式で話を聞いた。
自信がないから「断定型」でものを言えなかった
赤坂:創業初期の失敗はいろいろあるんですが……一番最初にあったことと言えば、会社を始めて間もない頃のことです。「自分が社長、経営者だ」という立場で人に接することに慣れてなかったので、社員に対してどう振る舞えばいいか分かりませんでした。
社員が何を求めてるかも分からない。そして自分に自信がないので、「断定型」でものを言えなかったんです。結果として社員は迷うし、いろんなことを僕らに質問したくなるということが起こっていました。
あと「創業期あるある」だと思うのですが、「みんな一緒にやってこうぜ」と言いあえる友達感覚がありました。ポジションが明確化されてない分、「ここまで言っていいんだ」「ここまで決められるんだ」という、それぞれの意思決定範囲が決まっておらず、会社のヒエラルキーといったものがほとんどなかったのが僕らの場合は悪い方に出たところがあります。
西川:そうね。みんなが自分のことを「経営チームだ」と思っている状態でした。
赤坂:自分が「経営チームである」という認識を持つのはいいことなんですが、悪い言い方をすると、会社にとって重要な意思決定において、同じ票数を持ってると考えてしまいます。
オフィスを移転するときに、その仕様をどうするか、家具をどうするかという話になったんです。僕はインテリアが好きなんですけども、「こういう家具入れよう。中古で安いから」と買ったものについて、「こんなのニトリでいいんじゃないの」といったことを言われたことはありましたね。

自分が必要ないと感じることはやらなくていい
赤坂:もう1つ、エピソードとしてしっかり覚えているのは五反田で、何かの帰り道に話していた経営理念の話です。西川さんに「赤坂くん社長なんだから決めていいんじゃないの?」と言われたんです。
当初、僕たちの会社には経営理念がありませんでした。そのことに対して現場からツッコミがありました。それで当時の僕は「経営理念を作らなきゃいけない」という強迫観念にかられてしまい、特段会社として何もまだない状態なのに無理矢理それを絞り出そうとしていました。
でも僕は自分に嘘をつけないから、無理矢理に、適当なもの考えることには意味がないと思い始めます。形骸化した理念を作っても意味がない。それをそのまま西川さんに言ったんです。
そこで西川さんが言っていたのが「そもそも今は売り上げのほうが重要であって、無理矢理に組織のルールを決めることに私はあんまり意味を感じない。それは従業員5名の今やることなんだろうか」という話でした。それで結局そのタイミングで理念を作ることをやらなくなった。あれは僕にとっては大きなことでした。
会社って教科書みたいなものがあると思っていたんですよ。名前を決めて会社を登記するように、会社の経営理念も決めなきゃいけないのかなと思っていたんですけど、「自分が必要ないと感じることはやらなくていいでしょ」っていうひと言をもらったことは、起業した当時の僕にとってはすごい重要なことでした。
サラリーマンとして出してきた結果と経営者になってから出す結果って全然違うんですね。創業1年目で、ほぼ結果がなく、自分からあふれ出る自信みたいなのもほぼないときに、自分が感じてることや考えていることをそのまま出してよかったんだと……1人で言い切ってしまいましたけど。
西川:これ難しいね。対談になってない(笑)。
赤坂:でも自信がないから起きたことっていうのはたくさんあって……僕らだけで(相談できる人も居なくて)不安だったと思うんですよ、あの頃。ヘッドカウントも足りない。自分たちのスキルも足りない。自信がない。だから誰かに頼らざるをえないって思ってスキルのある中途の人を採用しようとしたんですよね。
結果それがあんまりワークしなかった。なぜかというと、そもそもその人のスキル以外の部分、カルチャー的なところの共有がほぼできていなかったし、そこを見極めることに時間をかけてなかった気がするんですよね。
西川:全然時間をかけてなかったね。
赤坂:「スタートアップあるある」にありそうな、初期の焦り。とにかく誰でもいいから早く仲間になってほしい。なぜならばスピードアップしたいからって思っていたこと自体が罠で、そこでミスをしていた気がする。僕らの場合は中途採用でカルチャーマッチをするっていうのがあの当時すごい難しいと思った。なぜならば自社にカルチャーがなかったから。それでインターン中心の組織になっていったね。
哲学や夢を語ることが、ウソのないカルチャーになる
西川:でも、よくインターンはあれほど集まりましたよね。
赤坂:本当に恵まれていた時期でした。僕たちが起業した2008年頃って、インターン生特化の求人メディアがたくさん立ち上がった時期なんです。未だに覚えているんですけど、当時ってPCとモバイルの検索結果が若干違っていたんです。モバイルで検索する大学生がすごく増えているのに、インターン求人メディアは割とPCにフォーカスしているものが多くて、モバイルが(SEO的に)ガラ空きになっていたんです。
それに目をつけたスタートアップのインターン求人メディアが参入してきて、検索上位1位、2位を取ったんです。その方達に連絡をして、モバイルのトップページをジャックさせてもらったので、インターン生が30人くらい来たりしました。あれが僕たちの「組織グロースハック」の一番最初かもしれないですね。
西川:当時そんなにインターン生を採用しているスタートアップがまだ少なかったし、有償インターンをやってるところがあまりまだなかったんです。私たちは最初から安いなりにお金を払って、ちゃんとやってもらって、実力がついたら普通にアルバイトするより絶対に高い給料を払っていたからそれも評価されて、みんながどんどん人を呼んできてくれていました。30人入って5人残る。それで、どんどん入れ替わるような感じで。
ただ、インターンを集めた時も、社員からは「理念がない会社で働くのは、インターンもかわいそう」「将来どういう責任を取るんですか」みたいな言われ方もしていましたね。
赤坂:「ハーフパンツで会社に来るのはやめてください」みたいな。「サンダルもやめてください」「カップラーメンを食べないでください」「学生にはこの会社に就職させたくないです」って言われてましたからね。
でも、それぐらい(僕らに)信用がなかったんだと思います。創業期の「あるある」だとは思いますが、最初のメンバーは自分たちのやりたいことや、仕事の考え方に共感してもらえるような人を集めないとすぐ散り散りになってしまうかもしれません。
西川:そうですね。結局インターン生でも、結構長くエウレカに居てくれた人、今でもいる人もいます。なんなら取締役になってる人もいるし。カルチャーマッチしてからはすごいよかったかもしれないね。理念がない分、夢をでかく語っていた。
赤坂:うん。結果的にあの当時は「経営理念がない。じゃあどうしよう」ってなって、自然と学生に対して、働き方や仕事のスタンスなど、僕らの哲学を話していた気がする。それはスティーブ・ジョブズがアップルを創業した当時に彼が考えていたような哲学とか、何か大手企業へのアンチテーゼみたいなこと。「大企業で歯車になって何が楽しいんだ」みたいな話をして、世の中に何かを起こそうという夢を語って、心を打たれた人をリクルーティングするということをやっていました。それが自然とカルチャーになってったのかもしれないですね。嘘じゃないカルチャーというか。
西川:そうだね。
赤坂:たぶんそれは僕らが本当にそう思っていたからなんだろうな。
思ってきたことが、そのまま経営理念になった
西川:結局一番最初の経営理念って「稼ぐことはカッコイイ」にしたじゃないですか。それってずっと思っていたけど言語化しなかっただけで、インターン生には伝えていましたもんね。お金を稼ぐってことはすごく素晴らしい事で、toBでもtoCでもお客様から認められないと稼げないから、稼いでる会社はすごい素晴らしいっていうのは言っていた。そのことが経営理念になったから、結果として思っていることと理念とが一緒になりましたよね。
赤坂:スタートアップでサービスを作って、それが赤字を大幅に掘り続けて……ということを僕たちは良しとしていなかったですもんね。初期からでも収益化できないものは、あまりよろしくないみたいなことをずっと言っていた。
西川:そうね。会社は赤字になったことがないもんね。1回もね。確かにな。
でも経営理念を作った時のことを覚えていますけど、私は「いる?」と思ったんですよね。稼ぐのが大変すぎて、経営理念とか作ってる暇ないじゃんって。それやっててもいいけど会社が潰れるよみたいな。
赤坂:それは正しかったと思うんですが、(当時は)正しいかどうか分からなかったんですよね。未熟すぎたんです。今なら、5名の時に経営理念が必要かどうかを考えている場合じゃなくて、そもそも事業を企画しないと会社なんて潰れちゃうからって言えるんですけど、それを言えないぐらいにテンパっていました。
事業自体が不安定で、何をやっていけば永続的に成長できる組織になるのかっていうのがまだ分からない。1年後の売り上げも分からないのに、従業員に対しては魅力的な会社に見せないと、その人たちすら辞めてしまう可能性がありました。事業も考えないといけないのに、嘘でもいいので美しく語らなければならないんじゃないかという焦りがありました。
西川:経営理念を出して欲しいと言った2人のうち1人は辞めてしまいましたが、もう1人は長い間残ってくれて、会社の結果とともにマインドも変えてくれて。やっぱり結果が出ていれば、付いてきてくれるというか納得してくれるんですね。
赤坂:うん。だから「結果が出れば、それを見て(仲間も)付いてきてくれる」っていうのが僕らも分かった。それで僕らも自信を持ったし、同時に今後も結果を出し続けていけば信用してくれるっていうのも分かったんですよね。あの当時、西川さんに「失敗してもいいけど、2回連続で失敗すると人の心は離れていく。2回連続でコケないようにしよう」と言っていた記憶があります。
西川:赤坂くんが会社を作ってすぐ、広告の裏に書いた売り上げ目標があるじゃないですか。あの数字をちゃんと達成していくというか、結果を出していましたよね。すごいふわっとしているけど、言ったことを必ずやる、やり続けるってすごい大事だなと思っています。
立てた目標は必ず経営者が主導して、みんなで達成していくみたいなことができたから、「これ無理な目標だな」と思っていたみんなが、「1つクリアできたら次いけるかも、これできたんだったらこれもできるかもしれない」みたいになっていきました。結構無茶苦茶な売り上げ計画がちゃんと達成できたから、「言った結果をちゃんと出す」っていうのは今もですが大事だなって思いますね。
赤坂:今思えば、経営理念が何でないのかと言われて、ない理由を考えたことが価値だったかもしれない。「無理やり作らない」という結論を出せたことが、自分たちに素直であり続けることができたファーストステップだと思うんです。
あれがきっかけで、「オフィスはこういう風にするんだ」とか、「僕の服装はだらしなくてもいいんだ。なぜならばクライアントとのコミュニケーションにおいて服装が重要じゃないからだ」みたいなことも言えるようになったじゃないですか。だから、あの問いをもらったことによって、僕らが成長できたのかもしれないですね。
僕らに自信が……特に僕かな。僕に自信がなかったんで、あいまいな対応になってしまっていたことは明らかに失敗でした。たぶん今なら絶対にそのミスは起きないですよね。
新規事業は「何度打席に立ったか分からない」
赤坂:そんな会社も、新規事業はうまくいきませんでした。っていうかそんなことばっかりですよね。特にBtoBの事業をやめてBtoCの事業に行こうというときは、もう何打席立ったか分からないぐらい。
西川:そうね。Pairsをやるまでに7個か8個くらいやりましたね。リリースしたものもあるし、モックまで作ったけど結局リリースもせずやめたやつもある。デザインだけしてやめたやつもあるし。
赤坂:結局それがうまくいかなかったのは、今振り返ると「ちょっと早すぎるもの」だったんですよね。
西川:3歩先くらいで行き過ぎてた(笑)。新規事業は半歩先じゃなきゃいけませんでした。まだ通信回線が3Gのなのに、料理動画アプリもやろうとしてましたもんね。
赤坂:アプリのデザインまで作ってるんだけど、これって結局料理動画をアップロードしまくるってことは、すごい数の料理をしてコンテンツを作っていかなきゃいけない。なんてイケてないんだ!って言って止めましたね。けど、後々そういう時代が来たという。
テックの流れとかSNSのトレンドを考えた時に「きっと必要であろう」というものを作る方に流れてしまっていたんです。
本当に大事なのは「ユーザーさんが必要としているかどうか」なのに、そういうのを度外視して、エゴイズムで作った商品みたいなものを売ろうとして失敗する、みたいな感じでしたね。あの当時、僕らってたぶん事業の企画も青二才だったんですが、それだけじゃなく、作ろうとする組織のメンバーも全然整ってなかったというか。だから生み出すために頑張って練習してた感はありますよね。
西川:うん、そうね。
赤坂:7回とか打席に立つうちにだんだん自分たちの何がいけないのかが分かってきて、「市場の読みも全然違ったね」という感覚も分かってきて、3歩先を行きすぎてるから、半歩先くらいのものを作ろうよともなったし。どういうメンバー構成でやったほうが良いとかも分かってきて。それで2012年の10月にPairsを出せました。
西川:それまで受託開発をやっていたのはすごいよかったと思っています。当時、他の会社は受託をやめてtoCのサービス開発に振り切っていたんですが、うちだけは受託をずっとやっていたのが、逆にPairsを産んだ時にすごい役だったもんね。
赤坂:結局受託をやっていたおかげで毎月のキャッシュフローも取れてたし、開発で必要なメンバーも社内にもう揃ってきていたし、Facebookを使ったマーケティングについてもわかっていました。ネイティブアプリも作れる状況だったからPairsが作れたし、作れた後の広告宣伝費の捻出をそのキャッシュフローからできたのは全てがコネクトしたというか。
計画持ってやろうと思ってもできないですけどね(笑)でも受託がなかったら、Pairsをグロースさせるために作っていたFacebookアプリも、そもそも作れていませんでした。振り返ってみると全部が正解なんだけど、わからないものですね。いろんな失敗をしたけど、失敗があったからすぐに学ぶ機会ができて、学んだことってもう二度と失敗しないからっていうのを小さく刻んでいって、大失敗しないようにしてきたみたいなところが大きいですね。だからやっぱりやってみることってめっちゃ重要ですね。やってみてないと今の全てはないですもんね。
「1年で全額投資回収する」の思想から生まれたPairs
西川:Pairsをリリースする前に「Pickie(ピッキー)」というアプリ(編集注:Facebook上の友人が利用しているアプリの情報を共有するアプリ)を作って、インキュベーションプログラムのKDDI ∞ Laboに応募したんです。Pickieはリリース後、広告も出したりしてみたんですが、あまりにも伸びが予想と違いすぎたんです。
赤坂:正確に言うと、当時のアプリストアのランキングでは、(出稿によって)インストール数が一時的に上がると、ランキングの上位に掲出されるような状況でした。それで新規ユーザーが流入しても、結局定着しなきゃ意味がないんですけれど、定着度が期待値よりは低かったのを初日に見たんです。今思えば割と使われていたんですけど、僕の期待値が高すぎたんで「全然だな」って思ったんですよ。ただやってみなきゃ分かんない、やってみなきゃ分かんないで押し通していったからあれを出しちゃったんですよね。
でも出してみてそう思ったほどの反響がない。そうだよね。それもともと僕もそんなにいいと思ってないもん、というのが重なってすぐにあんまり注力しなくなってしまいました。その時ですよね。西川さんとあらためて「新規事業を考えなきゃいけないね」って話して、僕アイデアをお互い出そうと決めました。その中の1つだったのがPairs。Pickieをリリースした2カ月後くらいには、もう決まっていました。
西川:Pairsにすると決めたときは、Pickieや他の事業がうまくいかなかった時期だったので、いろいろ条件を決めたの覚えてて。半年で必ず単月黒字化するっていうのと、1年以内に全額投資額が回収できるかどうかみたいなところをある程度決めた上で事業をやる。それが受託の売り上げ全部カバーできるのか、と。受託の売り上げがカバーできるぐらいの伸びが見えるものだけを前提に考えようと言って、2つ思い付いたうちの1つがPairsでした。
意志決定が遅れる「経営者ボトルネック問題」
西川:自分たちの会社だから自分たちが好きにやろうっていうのを合意形成して、それ以外のことは別にあんまり気にしなくていいんじゃないっていうところが合致してからは、赤坂くんはあまり迷わなくなったというか、意思決定がぶれなくなった気がします。
赤坂:僕らってメンターみたいな人たちがいないから自分たちで失敗してかすり傷にして、大失敗はしないようにしてきたじゃないですか。だけど、会社が大きくなってくると意思決定を間違うことによるミスの規模が大きくなると思うんですよね。
50名くらいの規模になって、カルチャーマッチをあまり重視せずにスキルがある人をとろうと思ったのって、たぶん漠然と僕らの中にある将来的に起こりうる未知の課題に対するソリューションを先手で打とうとしたんですよね。僕らが空想で課題を先に作ってそれに当てていったんです。だからフィットしなかった。
今思うのはああいう時にこそ、すでに1周している経営者の人たちが周囲にいて、僕らの今の課題を伝えて「それはね、こうだよ」って(アドバイスを)言ってくれてたらよかった。そうしたらあの遠回りはやらなくてよかったなって。
西川:そうですよね。本当に誰にも相談してないもんね。
赤坂:上場するのかM&Aするのかっていう見当も、協議自体も、僕らの先行き、僕らがしてない未知な経験に対する不安から意思決定を急いだと思うんですよね。だからメンターは絶対いた方がいいなと今は思っています。
赤坂:恵比寿にオフィスを移して以降(50名規模になったミドル期以降)の意思決定は、未知の経験に対する恐怖から行っていることが多いと思います。僕らも会社の規模が大きくなってるんでちょっとだけふわふわしているというか、課題の全容を掴めてない。
「あのボールもこのボールもあるよね」と思っていて、それらが落ちているのは分かっているんだけど、整理して「これはどういう風に解決すればいい」って落ち着いてできてなかったから、ふわふわしてた。本来であればもっと僕らが落ち着いて、組織を整理してこの課題に対する適切な打ち手はこうで、こういう人材が必要っていう要件定義までをやって、それを採用に落とし込んで、広報に落とし込んでいれば半年ぐらいで全部解決したんじゃないかなって思うんです。たぶん僕らはテンパっていたんですよ。めっちゃケンカしてたじゃないですか。毎日。っていうか1週間無視とかしてきたじゃないですか。
西川:してきたって私だけがしたみたいな。
赤坂:いやいや、僕はコミュニケーション取ろうという気があってオフィスに来る西川さんに「おはよう」って言うんだけど、もう鬼無視するみたいなのがあったんで。あれはめちゃくちゃテンパってたんだろうなって。
西川:いや、忙しかったんだと思うよ。お互いプレーヤーとして忙しすぎて。で、俯瞰して会社を見られてないからイライラするし、赤坂くんがちょっとでも暇そうにしていると「もう、私昨日2時間しか寝てないんだけど、どういうこと?」みたいな感じになっていました。逆に私にイライラするとかもあったんだと思うんですけど。
その時あったのが、「経営者ボトルネック問題」。早く解決すればよかったのにずっと2人が現場のことをやりすぎて、ミドル層を育てるとか採用するっていうところを疎かにしてた期間が長すぎたんです。2013年くらいかな。Pairsが始まってから、会社のボトルネックが「経営者」になっている状態だったのでそう名付けたんですけど。
私たちが意思決定を全てするもんだから、私たちがしない意思決定に対して、その下にいるメンバーたちがずっと待っている状態になる。それでどんどん空き時間が出るというか、決まらないことが多すぎて、なのに時間がなくて。メンバーたちが正しく動けないっていう状況が続いていたんです。全社会議でも「うちの会社には経営者ボトルネック問題があります。赤坂くんと私のせいで、会社が今決めなきゃいけないことができてない。中間管理職とかミドル層を育てていかなきゃいけないんで、みんな頑張って育ってください」みたいなことを結構毎月言って、ごめんなさいって謝っていたよね。
赤坂:意思決定が遅れているので現場が動けない状態ですね。
西川:そうですね。「自分たちがやる現場の意思決定が一番正しい」と思っていましたからね。早いし正しいと思っていたけど、結局1日24時間しかお互いないし、意思決定できる数が決まっちゃうってなるとどんどん課題がたまっていって、また次の日になるとまた課題が増えてどんどん解決できていないことが増えてイライラしてケンカするみたいな。
赤坂:意思決定の思考プロセスに自分というか経営陣が入るのか、もしくは意思決定の思考プロセスは誰かに預けて、意思決定だけをするのか、これってかかる時間が全然違うじゃないですか。
前者は多大な時間がかかるんですけど、後者は意思決定するだけなんで究極的には「イエスorノー」で全部言えるところ。僕らの場合って思考プロセスを自分たちで巻き取ろうとしてたんです。なぜならばその方が(意志決定の)精度が高いと。ただこれって、80点なのか100点なのかぐらいの違いしかないんです。5分の4を5分の5にする、そのパフォーマンスのために時間を使っていました。だけど今思えば、思考プロセスは誰かに預け、意思決定だけをやることにして捌く数自体を5倍にすれば、もう圧倒的にパフォーマンスが向上したはずなのに当時は気付かなかった。未熟すぎましたね。
あのとき、西川さんの方が僕よりは俯瞰して見えてたんです。僕はどんなに忙しいのかも分かっていなかったし、目の前の事業を前進させることに夢中になっていたんです。そうすると意思決定を全部自分でしなきゃいけないのは当然だし、忙しいのも当然だっていう「檻の中にいる動物」みたいな状態でした。そのとき西川さんはすこし俯瞰して見てたんで、「自分たちが意思決定しているからじゃない?」みたいな気付きがあった。思考プロセスを自分たちで持ちすぎとかプレイングマネジャーになりすぎみたいな問題も考えていたんじゃないですかね。
西川:当時、赤坂くんはPairsと「Couples」(恋人間の情報シェアに特化したSNS。2020年8月に終了)という2つのサービス両方を担当していたんです。それぞれ事業としてはもちろん会社にとって大事なんだですけど、じゃあ「3年後に会社をどうするのか」みたいなところまで目が行ってない。というか、この2つを早く伸ばすこと以外にも、経営者というか社長としての仕事ってもっとあるんじゃないかな。他にやらなきゃいないことあるんじゃないかなって思っていたんです。
ですが、本当に「そのCPAどうする?」みたいな細かい広告代理店との打ち合わせにも赤坂くんが全部出ていて、私は私で海外出張にめちゃくちゃ行くみたいな感じでやってしまっていました。それで、これで本当に2年後とか3年後には会社は大丈夫なのかなって思い始めたんです。小さい問題はいくつもあると思うけど、どちらかというと「将来」の方が心配でした。このままで、私たちは経営者としてこれでいいんだろうかみたいな感じでしたね。
そこは、メンター的な人が誰もいないから自分たちが正しいと思うやり方でしかできなかったっていうのが大きいかもしれませんね。
赤坂:僕らは今スタートアップに投資もしているじゃないですか。そういうことをしていて、いろんな会社の経営を見てるから俯瞰してみることができて、それを今また新たに自分たちでやろうとする会社に当てはめられるというのはものすごい財産ですよね。
経営者ボトルネックから生まれた採用ミス
赤坂:あの頃は自分たちが意思決定をすべてしていて、とにかく自分たちがボールを持ちすぎていました。会社の問題がスピーディーに解決していないのに会社は拡大している。事業は伸びている。だから焦って採用もしようとする。ただそれが「先行き不透明な未来」に対するソリューションはスキルマッチなんじゃないかという仮説を信じ、カルチャーマッチよりもスキルベースでの採用をして、それでミスしてしまうという問題も産んでましたね。
西川:それまで平均年齢がずっと26.7歳くらいで、それを売りにしてやっていたんですけど、Pairsが大きくなっていって、社会的に責任が重くなってくるサービスになると思ったんで、大人を入れていかないといけないと考えたんです。
年齢的に経験的に大人であることと、当時のカルチャーやメンバーたちとマッチすることを考えた時、私が間に入ってコミュニケーションの通訳的なことをやろうと思ったんです。「この人がここの組織図のここに入ってくれたらきっと上手くいくはず」と何人か入ってもらったんですが、やはりスペック重視でカルチャーをほぼ見ていない。見ていないでスペックだけが高くても、結局それが全くワークしないというケースがいくつかありました。
でも結局、理想は高く「スペック+カルチャー」マッチ。どちらもが必要だって分かったんです。そういう人を執念深く探して、会社に入ってもらうように変えたから、その後は割とスペックもあり、エウレカのことを分かってくれる人が増えましたね。
赤坂:こういったことが今の僕らは割と整理されてるじゃないですか。スペックが高いとか、カルチャーマッチがどうとかって話はね。だからいいですけど、あの当時ってそんなこと考えてなかったのはやっぱり未経験すぎたんですかね。
西川:考えてなかったね、全然。今でこそ言語化できてるけど、当時はこんなに言語化できてなかったですし。
言語化する、頭の中でたぶん話せば言語化できたと思うんだけど、その時間もないからこっちはこっちでこうだろうなと思ってどんどんやっていって、自分の頭の中だけでアウトプットとして吐き出して、言語化して、共通認識を持つ、みたいなことを全くやってなかった。
赤坂:レイヤーが低すぎたんじゃないのかなとも思います。そもそも一度任せたら任せきらないと中長期では無理になるっていうのをうっすら感じているとしても、任せないってやばすぎますからね。「任せるために考える時間」すら取れないっていうか。いかに短期的な経営をしていたのか。事業がグロースさえすればOKで、後はもう余った時間で組織を頑張るみたいな感じになってしまっていたのかもしれません。
西川:本当は事業グロースを任せて、組織や経営の3年後、5年後を考えるということをやらなきゃいけなかったですけど。
赤坂:ありえないのは採用担当もいなくて、広報担当もいなくて、2人で全然やっていた。もうバックオフィスっていう概念もなかった。
西川:たぶん80人になるまで、バックオフィスは私除いて1.5人でしたから。採用PRは全部2人でやる。事業もやる。お金周りもやる。人事もやるみたいな。そりゃ寝る時間もないわと。
何十人もの面談も、四半期ごとにやっていました。1時間ほどのリアルな面談時間以外にも、面談シートを書いて評価をするっていう時間も1人ひとりに使うワケです。だから計算したら、2人で1年間に2カ月面談していることになっていました。それが経営者ボトルネック問題とも繋がるんですけど、「これ200人になっても私たちやるんだろうか。やらなきゃいけないんだな」と思ったんですよね。それだと1000人になってもこのままやらなきゃいけなくなる。それで、下の人にどんどん評価も含めて任せていかなきゃいけないって思って気付きました。
赤坂:途中からマネジャーに移管しましたよね。
西川:そうそう。途中で私たちが出るものと出ないものっていうの切り分けたのがたぶん80人いくかいかないかぐらいの時だったかな。
経験のない「未知なる不安」がありすぎた
赤坂:経験したことのない未知なる不安がありすぎて、経験したことがなさすぎるので、そこに対する対策が取れない。対策に確信がない。だからやるべきなのかやらないのか、そこを決めるのにすら時間がかかる。
西川:あと未知なること、やってないことだから、私は「1回自分でやってみないと怖い」と思っちゃったんです。だからなんでもやっちゃっていたんだ、と。誰かにそれを任せるべきなのか、どうかという意思決定するかのためには、自分がまずがそれを理解しないといけないと。何でも手を出しちゃっていたのがすごい良くないなと思う。
赤坂:良くない。本当に良くなかった。
西川:寝る時間もなかったですね、本当に。私も赤坂くんもたぶんM&A終わるぐらいまで、5年間とか6年間ほぼ土日も休んでない。
赤坂:結局そうですね。土日に休めないのが一番ダメでしたね。月金で面接の時間が取れないから土日で全部面接を突っ込むっていう運用に変えてしまって、しかも僕が一次面接担当するじゃないですか。全員面接するじゃないですか。もうダメですよね。もう人として(生活が)成り立ってないですよね。今思えば人事も必要でした。
西川:私はほぼ毎日くらい会社が潰れる夢を見ている時期がありました。2日に1回くらい。自分の中でやらなきゃいけないのにできてないことや、後回しにしていることがいっぱいあるっていうことを認識していて……。それを今日もできなかったけど、でもあと2時間は寝なきゃってなって、いざ寝ちゃうとそのことばっかり考えているから夢に出てきて…と。赤坂くんも結構会社潰れる夢見てたって言っていた気がするけど。
赤坂:潰れる夢なのか分かんないですけど、たぶんもうマジで精神的なストレスから出てくるいろんな症状みたいなものは普通にあるみたいな。
西川:体調悪かった時期あるもんね。
赤坂:とにかく体調が悪い。寝れない。ベッドに入っても眠れないみたいな感じだと思うんですけど、ただ睡眠時間短くなるじゃないですか。そうすると思考の整理を脳がしないんで、朝になっても整理されてないという最悪のサイクルに陥っていた記憶があります。
誰かに問いを投げかけてみるべき
赤坂:経験したことないこと、未知なる恐怖をどう乗り越えるのか──僕らは経験したことないことも、自分たちで頑張って取り組んでみて、失敗するっていうのやっていました。
ですが今の若い起業家の人たちとかだったら、絶対株主やメンターみたいな人たちに一度そのテーマについて問いを投げかけてみるべきです。おそらく何も考えなしに当ててみるっていうのも、やっぱり向こう側も時間使って回答してくれるわけだから良くないので、課題に対して自分なりの答えを用意した上で「これが正しいか」っていう聞き方をするのが一番いいかなと思いますね。僕らがもしあの当時、そういうメンター的な人がいたら絶対に投げてると思う。
西川:早く答え合わせした方が早く答えが出ますしね。
赤坂:めちゃくちゃいい。
西川:でも環境的にもメンターがいなかったのもあるけど、そもそも母数も少なかったと思うんです。そういうの相談できる人たちも、エンジェル投資家とかもあんまりいなかったんです。私たちはVCも入ってなかったから。今は親身に相談に乗ってくれる「ちょっと先」を行っている経営者もいるし、問いはすぐ聞いた方がいい。答え合わせをした方がいいよね。
赤坂:たぶん株主とかエンジェル投資家も1人だけじゃなくて2、3人に聞いて2、3種類の回答を得て、それをミックスして自分たちの会社に合う答えを探して、実際にやってみてからトライ&エラーでまた修正するということができればスピードも速くなるし、失敗の傷の深さも減ります。なので「聞く」が一番いいかなと思いますね。
赤坂:今はやっぱりエウレカですごく経験できた分、だいたい10名規模、100名規模だとこういうことが起こりうるなというのが想像はつくようになりましたね。
西川:うん。
赤坂:西川さんもすごいたくさんの会社に投資をしているから、事業内容に応じた課題とか、直面していることに対して相談も受けているはず。会社を運営していく上での武器というかアイデアはすごい増えたんじゃないですか。
西川:そうですね。あとは、任せられるようになった。赤坂くんとか私の時間を買うために、外部のパートナーさんにお願いをすることも増えたし、10年間くらい会社をやっていて、人脈や仲良くしてくれる人が増えたんで、何か困ったことがあったら全部相談するように変わりました。
それによって今やろうとしている事業のスピードというか、立ち上げるまでに必要な枠組みを作るのはすごい早くなったなっていう気がします。「こうやれば効率よくできるな」というのが分かり始めたから。
無駄なことをしないでどうやって成長させるかみたいなところはまだ成功してないですけど、立ち上げまでは行けそうな気がしますね。
赤坂:僕も人脈とかコネクションというものにも本当に助けられています。昔って自分たちのことを知ってる人が少ないじゃないですか。その人たちにしかまず聞けないんですけれども、今ってそこが増えて、その先の人たちも紹介してくれるようになるから、繋がりでいうと本当に100倍くらいいると思います。「課題に合わせた最適な先生」みたいなものを見つけられる可能性が上がっているんで、そこはめちゃいいですよね。
今は会社をやっている日々の課題って、本当にミクロなものがめちゃくちゃたくさんあるんです。その1個1個の実行の精度が上がるんですね。それは重要な局面だけじゃない。これを積み重ねられるのが強みになっている気がします。
そもそもこの事業を選択するかどうか。そういうものをやろうと思う時にどういう人と一緒に働けばいいか。ビジョンはいつ作るか。カルチャーはどうするか。引越しはどうするかまで。それこそ今はコロナですけど、リモートワークで組織をどうアジャストしていけばいいかの議論も、もう最短時間でできるじゃないですか。
創業者コンビが再び一緒に起業する理由
西川:(frankyでの事業について)赤坂くんはずっと「また一緒にやろう」って言ってくれていたけど、私は「ちょっと考えさせて」みたいな態度でした。海外の大学院に行くとか、他の選択肢も考えたし、1年くらいいろいろ考えたんです。
結局何で赤坂くんとやろうと思ったかっていうと……実はいろんな会社の代表の人に会社に誘ってもらったんですけど、もう事業があるんですよ、すべての会社が。でも私思ったんです。私はやっぱりゼロイチをやりたい人なんだなって。ゼロイチじゃないところに途中から入って何かをやるっていうことを「楽しい」と思えない、と思っちゃったんです。となるとじゃあゼロイチで私が社長として会社作るのか、誰かとやるのかってなった時に、結果を出す最短ルートはやっぱり赤坂くんとやることだと思ったんです。
まずそもそも、1週間に1回しゃべるだけで会社が成立するなって思うくらいコミュニケーションコストがかからないっていうのと、あとは根本的な性格というか人に対する接し方とかがすごい似てるから、異なる会社の方針にはならないかなと。
赤坂:本当に2020年、こんな(コロナ禍の)状況で動いてるっていうのは想像もしてなかった気はする。僕にとっても、西川さんが言っていたコミュニケーションコストがかからないのは一番いいんですけどね。やっぱり2回目の起業なんで、たくさんの経験とともにスピードアップするのが一番良いと考えている中で考えれば、もう西川さんとやるのが最短に決まっているんですね。選択肢に迷いがないっていう感じなんですかね。
「正しい人」に「正しいタイミング」で質問せよ
赤坂:次の世代の起業家へのメッセージ……何よりも一番はまず「メンター」を見つけて欲しいですね。
西川:私もそう思います。
赤坂:エンジェル投資家、VC、株主など、相談できる人をとにかく見つけることが一番重要です。
それができればきっとおおよその問題は解決する気がする。あとはその人とのコミュニケーションの間合いや頻度、質問のクオリティーといったものが重要になってくるだけです。まずはそういう人を身近に置くこと、仲間にすることです。あとは、自分たちだけで会社をやってるという意識を持たずに、組織で臨むというか、そういう意識を作ることだと思います。
あと、経営者ボトルネック問題は絶対にやるべきじゃない。だから絶対に、広報や人事、バックオフィスの拡充、マネジャー育成などをして、権限移譲することは必然ですよね。
西川:そうですね。私が投資させてもらってる会社を見ていても、結論は「経験者に聞くのが一番いい」になるんです。ただ、経営者ボトルネック問題がまだ起きてないのに10人くらいの組織で権限移譲をしているのが正しいのかどうか、私はまだ分からないところもあります。だからそのどの段階で権限移譲してくのが美しいのか、会社にとって必要なのかというところも、いろんな人に話を聞いています。
今、私たちって(frankyを)自分たちの資産を使ってやってるから、お金をある程度は使えるじゃないですか。だから権限移譲できると思うんだけど、スタートアップだとキャッシュがそんなにないときからやるべきなのか。これはよく相談されるんですけど、答えが分からないから、いろんな人に聞いたほうがいいよと言っています。結論どこでボトルネックが発生するのかは、結局のところ自分である程度予測しなきゃいけないから。予測しつつ正しい人に正しいタイミングでうまく質問して、回答をもらうってことができることがすごい重要な気がしますね。