
- ECサイト運営でビジネスの仕組みを学ぶ
- スマホの登場で「発信者が爆発的に増える」 と確信
- 最初の仕事は「初めてのPHP」を書店で買うこと
- グルメ情報の「投稿サービス」としてスタートしたRetty
- たった1人のデザイナーが退社、口座の残高は10万円を切るまでに
- 満を持して閲覧者を増やすフェーズへ
- 3000万MAU突破も伸び悩み、痛みを伴いながら再び成長へ
- コロナの苦難も乗り越え上場へ
- 個々人が最適なお店を探せるサービス目指す
2011年6月、自社の命運をかけたグルメサービス「Retty」をローンチしてから約9年半。創業から数えると丸10年が経とうとしている2020年10月30日、Rettyは東京証券取引所マザーズ市場に上場した。
今でこそ実名型のグルメサービスとして4000万人以上の月間利用者と1万店舗近くのお店会員(有料店舗)を抱えるまでに成長したRetty。だが、リリース当初は「大手グルメサービスが存在する中でユーザーを獲得できるのか」「日本で実名制のCGM(ユーザー投稿型のサービス)が受け入れられるのか」など周囲や投資家から懐疑的な声が挙がることも多かったという。
そもそもRettyはどのような背景でスタートし、どのような道筋を辿って現在に至るのか。今回は創業者で代表取締役を務める武田和也氏にこれまでの軌跡を聞いた。
なお、あらかじめ開示しておくと筆者は2012年から2013年にかけて学生インターンとしてRettyで働いていた時期がある。
ECサイト運営でビジネスの仕組みを学ぶ
武田氏が明確に起業を意識したのは学生時代に遡る。当時海外を旅する中で日本に生まれたからこそ豊かに暮らせていることを実感するとともに、今の日本を作ってきた起業家たちや日本という国自体に何か恩返しをしたいと考えるようになった。
最初に取り組んだのがECサイトの運営だ。物を仕入れ、販売し、そこで得た利益を再投資する──。「ECには商売の基本の1サイクルが全て入っている」と考え、インターン先の人材会社でEC事業の立ち上げを提案し、自ら運営した。
北海道のカニに始まり、チーズケーキやサプリ、化粧品まで。時には有名店と交渉してネットに出回っていない商品を販売したり、OEMに挑戦したりもした。必ずしも毎回上手くいったわけではなかったが、さまざまな物を扱う中でビジネスの仕組みを学んだ。
そんな日々も、就業先の倒産によって状況が一変する。個人でまたゼロからECにチャレンジするのか、それともどこかに就職するか。進路を迷っていた矢先に出会ったのが後に入社することになるネットエイジ(現:ユナイテッド)だった。
「ネットエイジは何人も起業家を輩出していて、起業家を志すような人材が集まるような環境でした。しかもちょうどモバイル広告の部門を立ち上げるフェーズ。ECをやる中でこれからモバイル広告の分野が伸びるだろうと肌で感じていたため、その仕事を経験した上で3年後に独立することを決めて入社したんです」(武田氏)
当時のネットエイジはのちに“ネットエイジマフィア”と呼ばれるほど、後年起業家として名を馳せるメンバーが関わっていた。グリー創業者の田中良和氏やミクシィ創業者の笠原健治氏などがその代表例だ。
そのネットエイジで経験を積み、3年後に退職した武田氏だったが、すぐには起業せずに1年間の準備期間を設定。事業の方向性をじっくり考えるべく学生ビザを取得してシリコンバレーに渡る。
「以前ソフトバンク創業者の孫正義さんが『どの山を登るかで人生の半分が決まる』といった趣旨の発言をされていて、それが心に残っていました。実際にECでも何を売るかで売上規模が全然違っていたし、広告事業でもどの業界とビジネスをするかによって大きく結果が変わっていた。過去の経験を踏まえても、『どれだけ頑張るか』以前に『どこで頑張るか』が重要だと感じていたんです」(武田氏)
結果的に武田氏は2010年1月から10ケ月ほどアメリカに滞在し、現地でリサーチをしながらひたすらビジネスプランを考え続ける日々を過ごすことになる。現地で出会ったイノベーションの種からRettyのアイデアが生まれたのは、その数カ月後のことだ。
スマホの登場で「発信者が爆発的に増える」 と確信
アメリカ生活を通じてさまざまな発見をする中で、武田氏は特に2つのものから衝撃を受けた。1つがスマートフォン、もう1つがFacebookだ。
「スマートフォンがあまりにも革命的で、これはちょっとしたトレンドではなく確実に世の中をガラッと変えると感じました。同時に現地で実名制SNSのFacebookが急速に広がっていく瞬間を目の当たりにして。この2つの変化を実際に肌で感じることができたのが非常に大きかったです。あらゆる領域が“ガラガラポン”の状態になるというか、新しいプレイヤーが現れて全く新しい価値が生まれる余地があるはずだと」(武田氏)
今は何をやるにしても最高のタイミングだ──。武田氏はそれ以来「スマホとソーシャルを前提として、どの領域で事業を立ち上げるか」を深く掘り下げるようになる。最終的に食の領域に絞ったのは、前提条件に加えて「世界に比べて日本の方が課題が進んでいる領域でビジネスをするのがいいのではないか」と考えたからだ。
「海外で流行したサービスと同じようなものを数カ月後に日本で展開するやり方では、世界で戦っていくのは難しいのではないかと感じていました。それよりは世界的に見ても日本が進んでいる領域、日本のユーザーが特に課題を抱えているような領域に関わるサービスの方が、将来的に海外でも勝負しやすい。いくつか分野を検討する中で『食』に決めたのは、日本の食が量も質も高いレベルにあったからです。当時東京のレストランの数は世界の都市の中で1番多く、ミシュランで三つ星を獲得している店舗も1番多いとされるほどでした。その上、食領域の事業であれば使ってくれる人たちをハッピーにできるという感覚を持てたことも大きかったです」(武田氏)

スマホとソーシャルと食を掛け合わせる。そこからRettyのアイデアが生まれるのは時間の問題だった。とはいえ、2010年といえば日本でも大手のグルメサイトが複数存在していた時期だ。「食べログ」を筆頭にグルメ領域のクチコミサイトにも先行プレイヤーがいる状況下において、武田氏はどこに勝機を見出したのだろうか。
「やっぱりスマホの登場が1番大きくて。先行するサービスはPCから200〜300字ほどのちゃんとしたクチコミを、ブログの延長で書くような構造だと捉えていました。そこにスマホが普及するとどうなるか。誰でも簡単に発信ができるようになり『発信者が爆発的に増える』と思ったんです。飲食の領域でも必ずスマホを通じて大量のコンテンツが生み出されるようになる。だったらその体験にフォーカスしたSNSを作ろうと。また現地でFacebookが広がる様子を見て、これからは『誰が言ったか』がより重要になると感じていたので、それらの要素を掛け合わせながら整理した結果、Rettyに行き着きました」(武田氏)
Rettyを立ち上げて以降も周囲やメディアから「既存サービスに勝てるのか」「そもそも実名制は難しいのではないか」と言われることは度々あった。それでも当初から「不思議だけど根拠のない自信があって、絶対いけるとしか思わなかったです」と武田氏は話す。
もちろん最初からマネタイズ方法やグロース施策など細かい戦略まで考えていたわけではなかったが、サービスに対する自信や心境は当時も今も変わらないという。
最初の仕事は「初めてのPHP」を書店で買うこと

ビジネスプランを固めた武田氏は2010年10月に帰国し、翌月TopNotch(2011年8月にRettyへ社名変更)を創業する。
メンバーは武田氏と前職の同僚の長束鉄也氏(現Retty取締役)の2人、資金は親に借りて工面した400万円のみからのスタート。この資金が尽きたら終わりという状況ではあったが、Retty以外はやらないことを決めてサービス作りに取り掛かった。
とはいうものの、2人はいきなり最初の関門にぶち当たる。ともにビジネスサイドの出身だったため「サービスの作り方がわからなかった」のだ。
「僕たちの最初の仕事は六本木の本屋で『初めてのPHP』という本を買うことでした。そこからiOSアプリを作るためにXcodeをダウンロードしてみたり、Photoshopの体験版を触ってみたり。まずはウェブサービスを作るための準備をゼロから始めていった形です。幸い長束はプログラミングに向いていて、習得も早かったのですが、流石に2人でそのままやっていても遅すぎる。外から仲間を引き込みつつ、長束にサービス開発のイロハを教えてくれる先生を探してきて、開発スピードを上げていきました」(武田氏)


当時サービス作りを教えてくれた先生的なエンジニアは、報酬を支払えるわけでもないのに、神奈川県から約2時間かけて六本木のオフィスまで足を運んでくれていたそう。まだ何もない正真正銘のスタートアップではあったが、思いに共感してくれた協力者たちがRettyの創業期を支えた。
3人目のメンバーである内野友明氏もその時期からRettyに関わるようになった。内野氏は当時別の企業で働いていたため、武田氏がオフィスの横の部屋(当時はマンションの1室をオフィスにしていた)を借りて内野氏に住居として提供。平日の夜や土日の時間を使って手伝ってもらう形から始まった。
そうこうして開発を進めること数カ月、なんとか資金が尽きる前の2011年5月31日にWeb版Rettyのローンチにこぎつける。

グルメ情報の「投稿サービス」としてスタートしたRetty
ローンチから数年の間、Rettyは「投稿のしやすさ」に重きをおいた「投稿サービス」だったと武田氏は振り返る。
ある程度の数のクチコミがなければ、飲食店を探している人の参考にはならない。まずはクチコミを集めるために、投稿体験の優れたサービスを目指した。

初期のユーザーは「ブログやSNSなどでグルメ情報を積極的に発信している人に、片っ端からメッセージを送ってRettyを使ってもらえないか打診する」ことで獲得。Retty上の投稿がSNSにも同時にポストされる機能を実装し、ソーシャル経由でユーザーが別のユーザーを連れてきてくれるような仕組み作りにも力を入れた(Rettyでは当時“ソーシャルリーチ”という指標をとても重要視していた)。
同じ時期にグルメ領域のCGMもいくつか生まれたが、どれも爆発的な成長を遂げるまでには至らず、ピボットの道を選択するプレイヤーも多かった。その点Rettyはいち早く参入し、サービスローンチ後の2011年8月には2200万円の資金調達にも成功。スタートアップ関連のメディアでも新興グルメサービスの代表格として何度か言及されていたため、そこから継続的に流入があったことも大きかったようだ。
同社では熱心に投稿してくれるユーザーを中心に定期的にオフ会を開催し、どんな機能があれば便利かを徹底的にヒアリングした。そしてその結果を基に、最初の1〜2年はとにかく「投稿体験の向上」と「(投稿が)SNSで拡散されやすい仕組み作り」だけにフォーカスして、プロダクトの改善を続けた。
そのため筆者がインターン生として入社した2012年10月時点でもRettyには「飲食店の検索機能」が存在しておらず、武田氏から若干白い目で見られつつも、別のグルメサイトを使ってめぼしいお店を探していたのをよく覚えている。
クチコミサービスであれば検索機能はすぐにでも入れたくなるような機能に思えるし、実際に一定数のユーザーから要望もあったと記憶しているが、それでも当時のRettyでは投稿者側のUX改善にリソースを投下することにこだわっていた。
ここでコンテンツを溜め続けたことが、後の急成長にも繋がる。武田氏も創業期にやっていたことで、その後の成長に1番効いたのは「投稿側の体験に絞ってプロダクトを作り続けたこと」だと話す。

たった1人のデザイナーが退社、口座の残高は10万円を切るまでに
もちろん勢いに乗るまでの過程では何度も壁にぶち当たった。創業期にたった1人のデザイナーが退職してしまったことは、Rettyにおけるハードシングスの1つだ。その時はウェブ上に公開されているポートフォリオを基に何人ものデザイナーにアタックし、なんとか新しい仲間を見つけることができたが、ショックは大きかった。
また投稿者側の体験向上に注力したことは中長期的にRettyに大きな成長をもたらしたが、足元で急激にユーザー数が増えていたわけではなかったために資金調達も苦戦した。特に難航したのが2012年10月に実施した2回目の調達だ。
「月間の利用者数もまだ10万〜20万人ぐらいしかいないものの、ローンチから1年が経って実績を見られるようになる。きれいに伸びていない部分をシビアに判断され『本当に大丈夫なの?』と言われることも珍しくありませんでした。想像以上に調達が長引いて、会社の口座の残金が10万円を切った時はかなりヒヤヒヤして。調達できなかった場合でも運転資金がショートしないように、どこかから借りれないか資金繰りに奔走していました」
「事業の悩みであれば、社員に共有して『みんなで頑張って成長させよう』と言えます。でも人やお金の問題は、必ずしも同じように解決できるわけでもない。精神的にも大変な時期でした」(武田氏)

満を持して閲覧者を増やすフェーズへ
Rettyにとって転機になったのが2013年だ。この年、武田氏は重大な決断をする。それまでの「投稿者だけに向き合うフェーズ」から「蓄積してきたコンテンツを活用して閲覧者を増やすフェーズ」へと移行するべく、さまざまな施策を講じたのだ。
特に上手くいったのがWebサイトのリニューアルと、蓄積されたコンテンツをまとめて紹介する“まとめコンテンツ”に舵をきったこと。これらの施策をきっかけに、検索エンジン経由で一気にユーザーが増えていった。

当時Retty上に投稿されていたクチコミ件数は60〜70万件ほど。日本全国には約70万店の飲食店が存在するので、だいたい1店舗当たり1件の投稿がついているような規模感だ。初期のRettyは東京を中心に展開していたため、都内で名の知れた店舗に関しては1店舗につきクチコミが数件寄せられていた。
そのくらいの規模になれば、クチコミを見て『このお店にいってみたい』と思ってもらえるような体験を提供できる──。2012年に苦労して調達した資金も使いつつ、武田氏は満を辞して閲覧者を増やす取り組みに投資をした。
そこからRettyは成長期に入る。2013年10月に月間利用者数(MAU)が100万人を突破したのを皮切りに、2015年5月には1000万人に到達。それ以降は年間500〜1000万人のペースで利用者を増やし、2016年5月に2000万人、2017年5月に3000万人と地盤を広げていく。

当初のRettyは、自分の知人やサービス上でフォローした人など“信頼”や“繋がり”をベースに新しいお店と出会えることが1つのウリだった。一方で、検索エンジンでヒットしたRettyのコンテンツを軸にお店を探す体験は従来とは全く異なるものだ。
ある意味では「初期の思想の一部を覆した」ようにも感じられるが、そこに葛藤などはなかったのだろうか。
「もちろん『こう作りたい』という理想はあったけれど、Rettyを成長させるためにはその理想を捨てるというか、広げるための選択肢をとることは相当やりました。軸にしていたのはRetty Wayの1つにもなっている『User Happy』という考え方です。結局のところ、多くのユーザーに使われるようなサービスへと成長できなければ運営を継続できない。実名制などこだわり続けた部分もありますが、ユーザーのためになっているかどうかを判断基準に、いろいろなものに対する理想を常にアップデートしていくことを意識していました」(武田氏)
3000万MAU突破も伸び悩み、痛みを伴いながら再び成長へ
2013年以降はサービスの成長と並行して、数億円〜十数億円規模の資金調達を複数回実施。会社としての規模も一気に大きくなった。
その時々で組織の課題や事業成長における悩みに直面しつつも毎年成長を遂げていたRettyだが、2018年に入ってから雲行きが怪しくなる。ユーザー数が伸び悩むのと同時に、2014年から始めていた飲食店向けの有料サービス(FRM : Fun Relationship Management)に関してもお店会員数の成長がストップした。
RettyにおけるFRMとは飲食店がユーザーと関係性を構築できるように支援するサービスのことを指す。具体的にはユーザー情報を管理するための顧客管理システムのほか、サービス内で上位に表示される仕組みや店舗の広告を掲載するサービスなどが含まれる。同社の収益源はこのFRMと広告コンテンツに分けられ、FRMの収益が広告収益より大きい。

MAUの伸び悩みはGoogleのアップデートなどの影響が大きかったが、武田氏が問題視したのがFRMの状態だ。
「平均すると1店舗当たり毎月約2万円をいただき、送客やコミュニケーションの機能を提供していました。当然2万円分の効果を出すのが前提になるのですが、当時は各店舗に対して細やかなフォローが行き届いておらず、定量的な指標やアルゴリズムなども整備されていなかったので、成果が出る店舗と出ない店舗が極端に分かれてしまった。成果に繋がらない店舗は継続利用に繋がらないため、社内でも一時的に『やばいやばい』という状況に陥っていたんです」(武田氏)
事業の成長が鈍化するとともに社内の雰囲気も次第に悪くなる。その時期にRettyを離れて別の道に進むメンバーも相次いだ。
「お店側の写真やメニューがちゃんと設定されているようにサポートするなど、ユーザーの来店理由に繋がる基本的なことが徹底できていませんでした。実際にどのくらいやれば来店に繋がるのか、明確な基準を定め数値化しながら方針を1つずつ決めて。『継続率プロジェクト』を立ち上げ、社内のリソースをそこに集中させることを宣言して、みんなで現状を打破する方向へ舵を切ったんです」(武田氏)
社員の退社など痛みを伴うことにもなったが、結果的にこの苦境を乗り越えたことで組織としては一段階レベルアップすることにも繋がった。数ヶ月後の2018年8月には創業以来初となる単月黒字化を達成。しっかりと利益を出せる体質が社内に構築できていったのと並行して再びユーザー数も拡大し、同年11月には4000万MAUを達成した。

コロナの苦難も乗り越え上場へ
それから約2年の月日が流れ、本日ついにRettyは上場を迎えた。
同社の2019年9月期(第9期)の通期売上高は22億6800万円で純利益が1億5500万円。前期から売上を拡大(第8期の通期売上高は16億9000万円)するとともに、黒字化を達成している。
もちろん2020年はさらなる業績拡大を見込んでいたが、武田氏が想像もしていなかったような年になったはずだ。飲食業界は新型コロナウイルスの影響が特に大きく、Rettyもまたその例外ではなかった。緊急事態宣言が発令された4月には月間利用者数が2445万にまで落ち込み、お店会員数も減少している。

その時期に比べると数字も回復してきていはいるものの、上場するとなると今まで以上に投資家から業績をシビアに見られるはずだ。なぜ武田氏は今のタイミングで上場を決断したのか。
「管理体制を含めようやく会社としての基盤が固まり、準備が整ってきました。コロナの影響も受けましたが数カ月の間に事業も回復してきており、中長期的な成長を見込めるようになったのが1番の理由です。テイクアウトや飲食店経営のDX需要など、新しいテーマやニーズが確実に生まれ、今までとは違った成長の要因を作れるチャンスも出てきました。このタイミングで上場し、ステージを1段階上げたいと考えています」(武田氏)
飲食関連ではどうしても「倒産」や「大幅な業績悪化」などネガティブな報道が目に付くが、細かく分解してみるとその実態は多種多様だというのが武田氏の見解だ。
都心部やオフィス街の居酒屋チェーン、飲食チェーンが大きな打撃を受けている反面、住宅地や地方の飲食店、もしくは同じエリアでも居酒屋以外の業種などはかなり回復してきている店舗も多いそう。直近は回復傾向のある飲食店に対してしっかりと価値を提供する期間と位置付け、新規のお店会員の獲得も進めていく方針だ。
ユーザーサイドに関しても8月の月間利用者数が昨年同月の数字を数%上回った。もちろんコロナの影響を無視することはできないが、再び成長を狙える目処が立っているという。
個々人が最適なお店を探せるサービス目指す

今後は引き続き国内の既存事業の成長に向けて投資をしていくほか、2017年からスタートしているタイでの事業展開や、モバイルオーダーシステムを始めとした飲食店向けの新サービスにも力を入れる。
タイに関してはすでに投稿フェーズが進み、まさにユーザー数が増え始めている段階。日本と同じように、ここから閲覧ユーザーを獲得するための施策やマネタイズに向けた動きを加速させていく計画だ。
国内については「飲食店側の機能を深める方向」で事業を広げる予定。8月には飲食店経営のDX実現に向けた新事業の第一弾として、手持ちのスマホから注文・決済を完結できる「Retty Order」を今秋より提供する方針を打ち出した。
「モバイルオーダーに参入を決めた経緯も、飲食店の負担をもっと減らせると考えたからです。店員がその都度注文をとって、厨房に伝えて、毎回会計を計算する。モバイルオーダーの仕組みがあれば、その手間が全部なくなり飲食店の経営も軽くなります。これは業界にとって中長期的に必要なことですし、他の機能も含めて飲食店の課題解決という切り口ではまだまだやれることがたくさんあります」(武田氏)

先行する中国では約500万店ある飲食店のうち、すでに100万店ほどがモバイルオーダーを取り入れている。モバイル決済の浸透度など事情は異なるが、日本でもその辺りのインフラが整備されてくると、かなり大きな市場になる可能性はありそうだ。
またモバイルオーダーが広がれば、「どのユーザーがどんなメニューを注文したのか」といった飲食店内における行動データを収集できるようにもなる。武田氏の中にはサービス上に蓄積されたさまざまなデータを基に、お店選びの体験をさらに進化させていきたいという考えもあるようだ。
「中長期的にはデータを活用しながら個々人が最適なお店を探せる体験を磨いていきたいと考えています。たとえば麻布十番に行って12時にRettyを開くと、過去にいったお店や行きたいと思っていたお店の情報、店舗の空席状況などを踏まえて『このお店はどうですか?』と自分に合ったお店が提案されるような世界観を実現できれば、検索自体も不要にできるはず。そのような体験を通じて、飲食店とユーザーを繋いでいくような存在を目指していきます」(武田氏)
