初の有料ファンクラブを開設した、タレントの関根勤さん
初の有料ファンクラブを開設した、タレントの関根勤さん
  • ファンクラブはディープな「秘密結社」
  • あの頃「SNS」があったら、僕は消えていた
  • 後輩たちがのびのびとやれるようにお膳立てをしたい

「デビューの頃はSNSがなくて、本当によかったですよ。でなきゃ僕は消えてましたね」と笑う、タレントの関根勤さん。今でもSNSには消極的で、ツイッターやインスタグラムなど各アカウントの運用は事務所に一任し、自身はSNSと一定の距離を置いている。

ところが今年6月、自身が座長を務める舞台「カンコンキンシアター」が新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になったのを機に、THECOOのコミュニティ型ファンクラブアプリ「Fanicon(ファニコン)」を利用し、初となる有料ファンクラブを開設。動画や音声を配信するほか、積極的にグループチャットに投稿し、直接ファンとの交流を深めている。

関根さんはなぜ、あまり得意ではなかったオンラインツールを活用することにしたのか。そしてどんな可能性を感じているのか。自身のキャリアを振り返りつつ、仕事観や後輩芸人への思いなどについても語ってもらった。

ファンクラブはディープな「秘密結社」

──関根さんがカンコンキンシアターをはじめたのは1989年ですが、32年目にして初のファンクラブを立ち上げたんですね。

毎年夏に公演してたんですけど、やってるうちにみんないい歳になっちゃって、平均年齢もとっくに50歳を超えてますから(笑)。稽古場も暑いし長丁場だし、来年からはもうちょっと涼しい時期にやろうか、なんて話してたんだけど、こんな状況になって中止することになって。

お客さんを待たせるのも申し訳ないし、何か気持ちをつないでいくようなことができないかと思っていたら、事務所の人から紹介してもらったの。「いいじゃん! やろうやろう!」って。

──関根さんご自身は日常的にスマホを使っていらっしゃったのですか。

いや、全然。メールとかその程度ですね。使い方もよくわからないから、妻と(娘の)麻里と同じ機種を買うんです。そうすると2人からアドバイスをもらえるから。

動画もほとんど観てなかったんだけど、映画の予告編を観たら、片山晋呉プロとかいろんな人がゴルフレッスンしてる動画が出てきて。「えっ!?いまのスイングってこうなってんの!」って、面白くて2日間くらい観てました。その前は(総合格闘家の)朝倉(未来・海)兄弟のYouTubeにもちょっとハマったかな。でも今はすっかり、グルチャ(グループチャット)にハマっちゃって。6月からはじめて、朝から晩まで毎日やってますよ。

──確かに、毎日ひたすら小ネタを10個くらい投稿されていますね。

そうそう。「こんなそば屋はイヤだ。3位:うどんしかない。2位:カツ丼の大盛りしかない。1位:食べる前に胃カメラ検査を受けさせられる」とかね。

はじめはファン同士で交流してもらおうかと思ってたんだけど、カンコンキンのファンはもともと「コサキン(DEワァオ!、TBSラジオで1981年10月から2009年3月放送されたバラエティ番組)」のリスナーから派生してきた人たちだから、シャイな人が多いんだよね。ネタなら投稿しやすいかなって。

僕だけでなく、(ずんの)飯尾(和樹)くんとか、やすとかも入ってきて、ファンもネタに乗っかってきて、本当に面白いんですよ。もちろん見てるだけの人も多いですけどね。

──まさに「コサキン」でよく取りあげられていた「意味ねぇ、くだらねぇ」ネタが飛び交ってますよね。

ただ、ラジオだとハガキを読むかどうか、審査しなきゃいけないでしょう。これは書き込んだら全部公開されますからね。バンバン入ってこれます。ファンの人のネタに対して「面白いねー!」と返信することもあるんだけど、ラジオと違って生の声ですぐリアクションできないのは残念ですよね。「バカだなぁー!」とか「何言ってんだろ」とか。

撮影中、千葉真一のモノマネもやってくれた
撮影中、千葉真一のモノマネも披露してくれた

──「ちょっとどうだろう?」みたいな投稿はありませんか。

ないですね。みなさんコサキンのときからガンガン送ってくれて、僕よりもずっと面白いことを言ってくれるから。お金を払って会員になってくれているファンなので、僕らも思い切ったことができるしね。下ネタとか有名人をちょっとイジったりして。

──それをYouTubeでやろうとは思わなかったのですか。

いや、YouTubeに上げるような内容じゃないんですよ、特異すぎて。くっだらなくてバカバカしくて強烈で、ファンの人たちにしかわからない。僕のイメージダウンになっちゃう(笑)

──ある意味ずっと、カンコンキンシアターで成立していたようなディープな世界ですね。

そう、あれは「秘密結社」ですから。インドカレーでたとえると、地元の人が食べるのと旅行者が食べるカレーは違うわけですよ。テレビの視聴者は、誰でもチャンネルを合わせればスッと観られる。観ようと思って観ているわけでもないときもあります。

ところが舞台は、わざわざ予約してお金を払って、シフトを代わってもらったりして「何月何日何時に」って予定を空けて、終演後だとちょっと遅くなるから17時くらいに夕飯食べたりして、全神経を集中して来られるわけです。旅行者と同じカレーじゃダメなんです。スパイスがスパーンと効いているものじゃないと。

地球儀みたいに僕にもいろんな面があるとしたら、NHKの朝の番組ならいちばんさわやかなところを向けて、舞台のときはこう、いちばん毒々しい灼熱の赤道直下を照らしてね(笑)。プロとしてそうやって使い分けているんです。

あの頃「SNS」があったら、僕は消えていた

──ただ、いまはSNSで番組や広告などが批判の対象になって“炎上”したり、さまざまなことが白日のもとに晒されたりするような時代です。そのぶん、ファンクラブが“秘密結社”的になって、内輪で盛り上がれるのは、貴重なことなのかもしれませんね。

僕らの頃はSNSはおろか、電話さえなかった時代ですからね。小学2年生のときに黒電話が家に来たんですよ。それまでは電報だったんだから(笑)。だから僕、全然気にならないんですよ、誰がなんと言おうと。自分のなかに「この人イヤだな」とか「この番組つまんないな」とか、それは各々の心の叫びであって、僕にだってそういうのはありますからね。

だってさ、僕が『カックラキン大放送』(1975年4月〜1986年3月日本テレビで放送)で演じてた「カマキリ男」なんて、いま観たってイヤですよ(笑)。緑の全身タイツでサングラスした殺し屋の役ですから。当時、イヤがってた人はたくさんいたみたいなんです。

(女優の)いとうまい子さんがゲストに来られて、楽屋で「はじめまして」なんて世間話してたら、急にこうおっしゃったんですよ。「ラビットさん(関根さんの当時の芸名はラビット関根)って、普通の会話できるんですね。私、昨日怖くて寝られなかったんです。何されるかわからなくて……」って、当時、16歳の女の子から言われて。いまで言うと江頭2:50みたいな感じだったんです。

けど視聴率は良かったし、スタッフからも「関根くん! 良かったよー!」なんて言われて、むしろ「僕のカマキリが貢献してるんだ」くらいに思っていました。嫌われてるなんて全然知らなかったわけ。だから、あの頃SNSがあったら、僕はとっくに消されてましたよ(笑)

──でもそう考えると、関根さんは素人参加型番組がデビューのきっかけでしたから、いまで言うとYouTuberっぽいところもあったかもしれませんね。

あぁ、ほんとそうだね! 当時はみんな芸人さんに弟子入りして、何年かカバン持ちして芸人になってましたけど、僕は全然、芸人になる気なんてなかったんです。ただ、思い出づくりに『ぎんざNOW!』(1972年10月〜1979年9月TBSで放送)の「しろうとコメディアン道場」に出たら、5週勝ち上がって初代チャンピオンになっちゃった。そうしたら次の週からレギュラーで出演させるんですから(笑)

それを観た学生たちが「あの番組で勝ち抜けば芸能人になれる」って、バーっと火を点けちゃったの。小堺(一機)くん、柳沢慎吾くんが出てきて、とんねるずもその次の『お笑いスター誕生』で優勝して……みんな芸能界に入ってきた。

それで頭の良い人が気づいたんでしょうね。「師匠を通さなくても、世の中には面白いヤツがいっぱいいるぞ」と。そうやっていろんな芸能事務所が学校をつくって面白い人を吸いあげて、どんどん芸人が増えていった。“ビッグバン”ですよ。

後輩たちがのびのびとやれるようにお膳立てをしたい

──新しい若手芸人が次々と登場する時代ですが、「カンコンキンシアター」ではキャイ〜ン、ずん、ラッキィ池田さんなど長年のつきあいとなる芸人さんが多いですね。

そうですね。飯尾くんなんてあまりにも地味で、舞台袖から飯尾くんが出てくると「飯尾出てます」って、電光掲示板でお知らせしてたんですよ、目立たないから(笑)。それがいまやカンコンキンのエースですからね。やっと世間がその実力に気づいたというか、バラエティにもドラマにも出て、素晴らしいですよ。こんな日が来るとは思わなかった。

──後輩芸人のみなさんからすると、関根さんは上司みたいな感じなんですかね?

いやぁ、先輩みたいな感じですかね。仲間というか。だから別にアドバイスするというより、彼らがいちばんのびのびとやれて、ウケるようにお膳立てをする、と。ショッピングモールみたいなものですよ。店のエリアを提供して、「売上下がったら出ていってもらうよ、他の人と交代するよ」って(笑)

──そうは言っても、わりとじっくり結果が出るまで待ってくれるイメージです。

やっぱり、何年もやってるとそれだけ実力がついてくるんですよね。お互いにネタを見て、吸収し合って、刺激し合う。鍛えられますよ。あとやっぱりね、カンコンキンは楽しいんですよ。やっていて、充実感がある。お客さんも「待ってました!」って感じで、ものすごくウケますからね。

──そう聞くと、重ね重ね今回の公演中止は残念ですよね。

そうですね。でも落ち込む余裕もなかったし、負けてなるものか、と。それこそファンクラブに入ってくれている人はだいたい、何回も公演を観にきてくれている方ばかりで、中には初回から来ている人もいる。

だからこっち(ファンクラブ)で、ちょっとずつスピンオフというか、伏線を敷いていけたらいいですね。コサキンのラジオをやっている頃は、次の公演でネタにしようとしている人をモノマネしたり、ちょっとネタを匂わせたりしてたんですよ。

ラジオが終わってそれができないのが残念だったんだけど、これは良い道具を手に入れたな、と。じっくり布石を打っていきたいと思います。

まぁ、来年いつ舞台ができるかどうかわかりませんけども、公演が終わったら裏話を書き込みたいですね。