- 学生時代から交差していた2人の創業者
- 今振り返れば、“やってはいけない起業”だった
- 理解されなかった「デザインファームの資金調達」
- 認知は上がったが、理解されていなかった
- トップが自分自身の言葉で伝えないと、伝わらない
資金調達にサービスの立ち上げ、上場や事業売却と、ポジティブな側面が取り上げられがちなスタートアップだが、その実態は、失敗や苦悩の連続だ。この連載では、起業家の生々しい「失敗」、そしてそれを乗り越えた「実体験」を動画とテキストのインタビューで学んでいく。第3回はツクルバ共同創業者で代表取締役CEOの村上浩輝氏の「失敗」について聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部副編集長 岩本有平、動画ディレクション/ダイヤモンド編集部 久保田剛史)
ツクルバは2011年の設立。新卒で入社したリクルートコスモス(現:コスモスイニシア)で出会った村上氏と共同創業者で代表取締役CCOの中村真広氏。リーマンショックを期に会社を離れた2人だが、その後村上氏はネクスト(現:LIFULL)、中村氏はデザイン事務所でそれぞれ働いた後、2人で起業するに至った。

創業当初は東京・渋谷にコワーキングスペース「co-ba(コーバ)」を開設したツクルバ。スペースの運営やデザインファームとしてのクライアントワークで実績を詰んできたが、2015年にはリノベーション住宅の流通プラットフォーム「cowcamo(カウカモ)」を開始。ベンチャーキャピタルや事業会社から資金を調達し、自社サービスを展開する“スタートアップ”としての事業を展開するに至った。
学生時代から交差していた2人の創業者
僕は学生時代から事業をやっていました。ダンスが趣味だったんですが、大学生ダンサーの地位向上に寄与できないかをずっと考えていました。それで、ダンスコンテストを主催したりしました。イベントをきっかけに、ナイキなど企業からの仕事を受けるようになったんです。
ただし「事業」とは言っても労働集約型なもの。貯金は1000万円くらいになったんですが、お金を積んでいくことには価値を感じられなくて。もっと、「仲間と未来を作る」ということに挑戦したいと思っていました。
一方で中村は、学生時代からクリエーターの世界にいた人間でした。新卒の会社の同期として出会いました。実は僕が学生時代に関わっていた、宮下公園に関するナイキのプロジェクトがあったんですが、彼がその設計を担当していたんです。
彼は社会人として「ビジョンをビジネスに展開していく」という経験を詰んでいるところで、一方の僕は「ビジネスにデザインの知識が必要だ」と考えていました。そんなことを2人で話している中で、「一緒にやればいいじゃん」となっていきました。その会社はリストラもあったので、一度別々の会社に行くことになるのですが、3.11(東日本大震災)があって、中村が「誰かのためになる仕事をやりたい」と思いを語るようになって、起業を決めました。
今振り返れば、“やってはいけない起業”だった
そんな背景があったので、2人で「偉大な会社を作ろう」とずっと語っていました。起業のためにまとめていたメモがあるんですが、その一番最初に書いた言葉は、「世界に通じる、未来を作る、アップルになる」でした。でも、事業はまだ決まっていないという。さあ何をする? と作ったのがコワーキングスペースのco-baでした。会社の同期2人で起業し、2人が共同創業者。2人の株式が半々というのは、起業の教科書的に言えば、最もやってはいけない起業ですね(笑)。
ただ幸いなことに、時代の流れを読む力があったのか、コワーキングスペースが流行してきました。外と中、違う職種同士が混ざっていく、コラボレーションできる場が必要になる。それをどうみんなに伝えるかと考えた時に、同じく流行の兆しがあったクラウドファンディングを見て「これだ」と思い、CAMPFIREを使って資金を集めました。これによって、co-baのことがアーリーアダプターに広がり、しかも広告効果もある。中村のデザインの力やコンテクスト作りがうまくハマったと思いました。
コワーキングスペースがきちんと運営できるようになったので、企業として死なないですむ体制ができました。メディアにも出て、入居者には「(立地が不便でも)co-baに行きたい」と言ってもらえるようになりました。今では全国20ヵ所でフランチャイズ展開しています。当時は25歳か26歳のころ。ある意味では、“男の子的な承認欲求”が満たされてしまった状況でした。ですが一方で、事業的な満足度はまだまだでした。でco-baを拠点にして、もともと中村がやっていたデザインの事業をやろうとなり、3期ほどやってきた中で出てきたのがリノベーション住宅の仲介をする「cowcamo」の事業でした。
理解されなかった「デザインファームの資金調達」
一番の失敗というか、困難というのは、デザインの受託から自社事業をはじめた時期のことです。
デザインファームとしての受託事業がスケールしていないというわけではありませんでしたし、そもそも起業したときに、外部から資金を調達するということも知りませんでした。そこからリスクマネーを集めるルールが分かってきたので、それにチャレンジしたわけです。
振り返って見れば結果はよかったのですが、当時、「デザインファームが資金調達するなんて、突然何を言い出すんだ」という反応がありました。
当時、社内のメンバーは20人ほど。もちろん文句のあるメンバーもいたと思うのですが、直接考えを話すと理解してもらえました。ですが、社外の人からすれば、「え、なんで?」という反応が返ってきたんです。
僕らのミッションは「場の発明を通じて。欲しい未来を作る」ということ。場作りというと、大きな、リアルの場所を作る、演出すると考えがちですが、リアルと情報空間を結ぶことも場作りです。あるいは、FacebookもInstagramも言ってみれば場作りです。そういう意味では、cowcamoのように人々の生活を支える場を発明するのは、僕たちのミッションだと言えます。
この領域はいまだに大きな“不"があって、一方でこれまでの事業で“土地勘”があるところです。2016年に中古と新築のマンションの供給数が逆転して、中古マンションの時代がやってきました。マーケット(市場)、オポチュニティ(機会)、ケイパビリティ(能力)が僕らにとってそろったタイミングでした。ですが、それが外に伝わらなかった。
認知は上がったが、理解されていなかった
このあたりの失敗の理由は、会社の認知度を上げることだけにこだわりすぎたことだと思っています。僕たちは資金調達や取り組みについては発信していたんですが、当然それだけではダメだったんです。
会社の認知度こそ上がったのですが、理解度は上がっていなかったんです。入社を決めた社員に対しての「嫁ブロック」「親ブロック」――つまり家族が反対するということもありました。投資家についても、結果として自分たちのことを信じてもらえる人だけに頼むことができましたが、先方から「会いたい」と言われて会った投資家に、成功するのか疑問視されることもありました。
我々にとっては起業からの延長線上にある出来事でも、外から見るとストーリーが理解されていなかったんです。だから最初は、「デザインの人が資金調達しちゃった」とも思われましたし、cowcamoも「本気ではない、趣味のサービスではないか」と思われてエンジニアが集まりませんでした。投資家や新しい仲間に理解してもらい、信じてもらうことができていなかったんです。
トップが自分自身の言葉で伝えないと、伝わらない
僕たちは上場したところですが、まだ“大気圏”を越えるような成功をしているわけではないと思っています。そこを越えるためには、トップがサボらず、汗をかくしかありません。たとえば採用についても、気になった人に直接会って、ファンになってもらうことを意識します。
人生の1つの期間を過ごしてもらうことになるわけですから、本気になって理解してもらうには、創業者のビジョンを伝えるしかないんです。今は120人ほどのメンバーがいますが、面接では全員に会うようにしてきました。
結局は「こいつ本気だな」と思ってもらうことを積み重ねるしかないんです。起業家は周囲にとやかく言われようとも、信じたことをやり抜くだけです。自分自身の熱や炎を絶やさず、自分自身の言葉で、社内にも、社外にも語り続けていかないといけません。それをやりきれる人も少ないので。
ツクルバ 代表取締役 CEO
1985年東京都生まれ、立教大学社会学部産業関係学科(現経営学部)卒業。学生時代より事業を行い、スコット・デイヴィス研究室に所属。不動産ディベロッパーのコスモスイニシアに新卒入社、同社にて事業用不動産のアセットマネジメント事業に従事するが、リーマンショックの影響でリストラ。その後、不動産情報ポータルサイトHOME’Sを運営するネクスト(現:株式会社LIFULL)で関連ITサービスの営業・企画開発・プロモーション戦略に従事。新規サービスの功績などで、在籍中はMVPを複数回受賞。2011年8月にツクルバを共同創業、代表取締役CEOに就任、現職。