Kaizen Platform代表取締役CEOの須藤憲司氏
Kaizen Platform代表取締役CEOの須藤憲司氏
  • プロアマ混合のバナー広告対決、勝者は“越谷の主婦”
  • 「現場から離れてこのまま会議室で死んだら、後悔する」
  • 「無知で勘違い野郎だった」名門アクセラに落選、米国起業にも苦戦
  • 「3年間の魔法」が解けた後、困難とどう向き合っていくか
  • 既存顧客の解約、米国事業の大赤字でも新規事業に挑戦する“狂気”
  • “DX推進を支援するプラットフォーム”へと進化したKaizen
  • 無知で愚かだったからこそ挑戦できた

「会社を辞めて起業することを選んだのは、自分の人生の中で最高の決断でした」

起業を決意した時のことをそう振り返るのは、須藤憲司氏。2020年12月22日に東証マザーズに上場したKaizen Platform(以下Kaizen)の代表取締役CEOだ。

須藤氏は2003年に新卒で入社したリクルートホールディングスで様々な事業を経験した後、当時最年少でリクルートマーケティングパートナーズの執行役員も務めた。「周囲からは出世コースと言われることも多かった」というが、その環境を離れ、2013年に起業の道へ進んでから7年。本日マザーズに上場し、新たなステージへと踏み出した。

「世界をKAIZENする」をミッションに掲げるKaizenの軸は創業時から変わらない。「ソフトウェアを通じたアウトソーシング」によって顧客の課題を解決することだ。

最初のプロダクトではこのアイデアをウェブサイトのUX改善の領域で形にした。

サイトに1行のタグを貼り付けるだけで簡単にA/Bテストを試せるツールと、クラウドソーシングでUX改善のプロフェッショナル(Kaizenではグロースハッカーと呼んでいる)を提供するサービス。現在は前者を「KAIZEN Engine」、後者を「KAIZEN Team」へと進化させた上で、1つのサービスとしてワンストップで顧客に提供している。

顧客の視点では、Kaizenに依頼すれば自社に最適なグロースハッカーたちが集結した「リモートチーム」が手配され、UX改善に取り組むためのソフトウェアを活用しながら自社サービスの課題解決をサポートしてもらえるわけだ。

単なる人材マッチングではなくKaizenが間に入ってコーディネートすることで、企業もグロースハッカーも負担が少なくて済む。Kaizenのネットワークに登録しているグロースハッカーは現在1万人を超えており、専門領域や得意分野を基に自社専用のチームが作られる。

サービスの対象も年々拡大中だ。サイトのUX改善に加えて動画制作の領域などでも同様のモデルを展開。エンタープライズ企業を中心に累計の取引社数は700社を突破した。

プロダクトの軸は初期から変わらないものの、決して予定通りには進まず困難の連続だったと話す須藤氏。今回はKaizen創業の背景から、これまで同社が辿ってきた道筋について話を聞いた。

なお、あらかじめ開示しておくと筆者は2014年から2015年にかけて学生インターンとしてKaizenで働いていた時期がある。

現在は初期から手掛けるUXソリューションのほか、動画領域やDX関連のプロダクトを複数手掛ける
現在は初期から手掛けるUXソリューションのほか、動画領域やDX関連のプロダクトを複数手掛ける。画像はKaizen Platformの公式サイトより

プロアマ混合のバナー広告対決、勝者は“越谷の主婦”

リクルートと言えば起業家を何人も輩出してきた組織であり、将来的な起業を見据えて“修行”する目的で同社の門を叩く人もいる。ただ、リクルートに入社する前の須藤氏は起業については全く考えていなかった。そうではなく「仕事について楽しそうに話している人ばかりだった」ことを理由にリクルートを選んだという。

「社会人になって仕事をする時に『好きなことを仕事にするか』『仕事が好きな大人になるか』の2択だなと。自分は後者になりたいと思ったので、(仕事を好きそうな人が多かった)リクルートに決めました」(須藤氏)

9回にもおよぶ面接を経て入社したリクルートでは、雑誌のマーケティングからキャリアをスタート。新規事業の開発部門を経て、デジタル広告事業(アド・オプティマイゼーション室)の責任者やリクルートマーケティングパートナーズの執行役員なども務めた。

須藤氏が4年目(2006年)に所属していたリクルート の事業開発室は、後に各所で活躍する人材が集まっていたことでも知られる。
須藤氏が4年目(2006年)に所属していたリクルートの「事業開発室」は、後に各所で活躍する人材が集まっていたことでも知られる。画像は2013年の須藤氏のブログより。所属は2013年当時のものであり、現在は別の場所で活動されている方も多い

新規事業を立ち上げ、キャッシュフローやビジネスの構造、ユーザー体験について試行錯誤しながらサービスを成長させていく経験は、後々起業をする上でも貴重な財産になった。地図メディアの「スゴイ地図」やフリーペーパーの「R25」、デジタル広告関連のサービスなど複数の事業に携わったが、中でもKaizenの歴史に触れる上で外せないのが「みんなのクリエイティブエージェンシーC-TEAM」だ。

2008年にローンチしたC-TEAMは、当時まだ知られていなかったクラウドソーシングを取り入れたバナー広告の作成サービス。プロアマ問わず一般ユーザーからバナー広告用のクリエイティブを広く募集し、投稿作品の中からウェブサイト上でクリック率の高かったものを多く露出させることで、バナーキャンペーン全体の成果を高められるのが特徴だった。

言わばKaizenが現在手掛ける事業の“前身”に当たるようなこの仕組みは、須藤氏自身がユーザー目線で「こんなサービスがあればいいな」と待ち望んでいたものでもある。

かつてR25に携わっていた頃、ウェブ媒体に出向するバナー広告用のクリエイティブを選定するのは編集長の仕事だった。ただ「正直なぜこのクリエイティブが選ばれたのかよくわからなかった」という須藤氏は、当時4本しか入稿できなかったクリエイティブを100本入稿させて欲しいと媒体側の担当者に打診する。

「実際にやってみないとわからない、そう思って多様なクリエイティブを試してみるとものすごく偏差があったんです。その時に人のクリエイティビティの可能性を感じるとともに、どのクリエイティブの効果が高いのかは(やってみないと)本当にわからないと思いました」(須藤氏)

膨大な数のクリエイティブと比較され、その効果が可視化される。制作部門の担当者からは「そんな仕組みを作られては困る」という声もあがったが、当の須藤氏は「だいたい抵抗勢力が出るものはいいサービスであることが多いという感覚を持っていた」ため、このアイデアを実現すればおもしろいと手応えを感じてていたそうだ。

実際にC-TEAMをリリースしてみると、やはり毎回のように予想を裏切る結果が出た。

「SUUMOのバナー広告を対象に、制作部門のプロと一般ユーザーがのクエリエイティブを競わせたところ、最も成果が良かったのは越谷に住む主婦の方が作ったものでした。その結果を見たときに、改めて本当におもしろいサービスだなと。時には主婦や学生さんが勝って、プロがボコボコに負けたりすることもある。数百社の企業に使っていただきましたが、自分たちの予想はたいてい当たらなかったです」(須藤氏)

「現場から離れてこのまま会議室で死んだら、後悔する」

人の考える力はすごい。それを“集合知”のような形で集めて、課題解決に活かせないだろうか──。Kaizenの事業はそのようなアイデアから生まれたものだ。

インターネット領域に限らず、成長産業はその成長が続く限り、常に人が足りず求人を募集し続けることになる。これからの時代、その現場では絶対に「アウトソーシング」のような仕組みが必要とされるため、ソフトウェアとアウトソーシングを上手く組み合わせた仕組みを事業にできれば、大きな成長が見込めると考えた。

「デジタルの領域は人が足りていない。そこに対して『ソフトウェアを通じたアウトソーシング』によってたくさんの人の集合知を活用でき、そのデータをみながらチームでPDCAを回せる仕組みがあれば、間違いなくニーズはある。その考え方自体は、C-TEAMをやっていた頃から全く変わっていません」(須藤氏)

まずは2012年の3月頃から1つのプロジェクトとして、本業以外の時間を使ってプロダクトの準備を始めた。並行して6月には会社にも退職の相談をするようになる。

「大企業の執行役員としての仕事も面白かったけれど、会社として事業を大きくしていくにはどうするべきか、さらに利益を出すには何をするべきか、といった視点で考える仕事がほとんど。自分が好きだったユーザーや顧客体験について現場で考える機会からは遠ざかってしまっている感覚でした。(大企業の執行役員としての仕事は)ある意味、自分がもっとおじさんになってからでもできる仕事ではないか。少なくとも30代前半ではもっと手触りのある仕事をやりたいし、このまま会議室で死んだら後悔してしまうと考えるようになったんです」(須藤氏)

当時の須藤氏は早朝から夜の会食まで、週に50〜60本ほどの会議をこなすような日々だった。もう一度サービス作りに没頭したいと考えた時、起業という選択肢が頭に浮かんだ。

以前から社内の目標管理シートに「30代で、グローバルで仕事をするIT企業を経営できる人になりたい」と記していたことも大きい。この目標にチャレンジする上でも、自ら事業を立ち上げることは自然な流れだった。

会社を辞めることを決めた須藤氏が一緒に会社をやろうと声をかけたのが、リクルート時代の同僚でKaizenの共同創業者となったエンジニアの石橋利真氏。石橋氏と直接仕事を共にしたのはリクルート内の新規事業部門「メディアテクノロジーラボ」在籍時の8日間だけだったが、その間に2人で意気投合し、一緒にシステムを作り上げた時の印象が強く残っていた。

石橋氏を有楽町のサイゼリアに呼んで「僕と一緒にやった方が、人生がめちゃくちゃになって面白いと思います」と口説き、再び共に働くことが決まる。Kaizen Platformとしての物語が始まった瞬間だ。

リクルートの送別会
リクルートの送別会。須藤氏は10年務めたリクルートを離れ、起業の道へ進んだ 画像提供 : Kaizen Platform

「無知で勘違い野郎だった」名門アクセラに落選、米国起業にも苦戦

Kaizen Platformは2013年3月にKAIZEN platformとして米国・デラウェア州で創業したスタートアップだ。

当時須藤氏が思い描いていたのは米国の著名アクセラレーター・Y Combinator(YC)のプログラムに参加し、米国を拠点にビジネスを展開すること。ただそう上手くはいかなかった。

採択されるものだと思っていたYCは落選。米国で起業したものの、ちょうど同時期に開催されたボストンマラソンでテロが発生したこともあり、ビザの問題も発生。現地で事業をスタートするのが難しい状態になった。

「当時は本当に無知で勘違い野郎でした。それまでプレゼンで負けたことなんてほとんどなかったし、面接にも落ちないタイプだったので、(YCの審査に)まさか落ちるなんてことは考えていなかった。これはちゃんとやらないとヤバイなと、ようやく気が引き締まりました」(須藤氏)

同年4月、KAIZEN platformの日本支店を都内に開設し、日本から事業に取り組むことを決断。最初のオフィスは、他のスタートアップの会議室に間借りした。

空調の状態があまり良くない部屋の中、男性メンバー数人でサービス作りに取り組んでいたこともあり、須藤氏の初めての仕事は「近くのドンキホーテにファブリーズを買いにいくこと」だった。

会議室を間借りした最初のオフィス
Kaizenの最初のオフィスは「他のスタートアップの会議室」だった 画像提供 : Kaizen Platform

本格的に事業をスタートしてからも慣れない日々が続く。用意した資本金はすぐに底をつき、「なんでこんなに資金がないんだ?」「呼吸してるだけでも金は出ていくんだ」と“揉める”こともあったという。

それでも「とにかく全速力でサービスを開発し続けること」だけは妥協したくなかった。そこでリクルート時代からの知人でもあるVC・ANRIの佐俣アンリ氏から資金調達に関してレクチャーを受けた後、須藤氏は初めての外部調達に挑む。

日米で合計130社ほどのVCにコンタクトをとった結果、出資に興味を示してくれた投資家が約30社ほど見つかった。最終的には2013年8月にグリーベンチャーズ(現・STRIVE)、GMO Venture Partners、サイバーエージェント・ベンチャーズの3社より80万ドルを調達。同月には創業前より仕込んできたプロダクト(当初のサービス名は「planBCD」)を機能を限定する形でローンチした。

創業当時のプロダクト planBCD
創業当時のプロダクト planBCD 画像提供 : Kaizen Platform

当時のplanBCDはウェブサイトのA/Bテストに特化したサービスだ。

ウェブサイトをユーザーにとってより良いものにしていくためには、継続的にサイトを改善し続けることが求められる。しかしながら、それなりの規模のサイトで継続的にA/Bテストをしながら改善をしようと思うと、エンジニアとデザイナーが張り付いて作業をすることになり、時間やコストがかかってしまう。

planBCDではA/Bテストに簡単にチャレンジできるツールと、外部のグロースハッカーが改善案を提案してくれるクラウドソーシングの仕組みを通じて「試すコスト」を下げたのがポイント。須藤氏自身が過去に困っていたことを解決するサービスであり、お金を払って使いたいと言ってくれるお客さんも一定数存在することはわかっていた。

つまり「マーケットがある」ことはわかっていたので、プロダクトに対する手応えは当初からあった。強力なセールスメンバーが集まっていたこともあり、初期の顧客をしっかりと獲得することに成功。2014年3月には早くもシリーズAラウンドで500万ドルの資金調達も実施した。

創業期のKaizenを支えたメンバー。右から3人目が須藤氏、中央が共同創業者の石橋利真氏
創業期のKaizenを支えたメンバー。右から3人目が須藤氏、中央が共同創業者の石橋利真氏 画像提供 : Kaizen Platform

「3年間の魔法」が解けた後、困難とどう向き合っていくか

とはいえ、全てが予定通りに進んだかというとそんなことはない。むしろ予定通りにいかないことの方が多かった。

2014年に入ると、新規の顧客は順調に増えていたものの「プロダクトが一部の既存顧客に使われていない」という課題に直面する。どうやらplanBCDにログインすらされていないのだ。

なんでこんなにサービスを使ってもらえないのか。必死に考えて見えてきたのが、A/Bテストはサイトのどこに課題があるのかをわかった上で、それを改善するために実行するものだということ。顧客がどこに課題があるのかをわかっていなければ、A/Bテストはできない。

「そもそもサイト上の問題を分析したり、仮説を立てたりするところから一緒にやっていく必要がある」。そう考えて関連する機能を開発したり、当時は日本でも珍しかったカスタマーサクセスチームによるサポート体制作りに取り組んだりしながら対応策を練った。

それからしばらくすると、今度はA/Bテストを通じてサイトの改善に成功した企業が解約してしまうケースがちらほらでてきた。顧客が満足するようなサービスを提供し、事業成長に貢献できたとしても、A/Bテストだけでは解約されてしまう可能性がある。

解決策として、蓄積されたデータを基にクリエイティブをユーザーごとに出し分けられる仕組みなど、より高度な取り組みができるようにサービスを進化させた。それとともに、サイトのUX改善だけでなく動画制作などのニーズにも応えられるように新規事業にも着手した。

創業から3年目を迎えた2015年。須藤氏は同年末に自身のブログで「今年は、ずーっと苦しい、苦しんだ一年だった」と1年間を振り返っている。

ブログでは特に「苦戦した米国事業」「プロダクトの方向性」「従業員のモチベーション低下」を挙げているが、米国では赤字がかさみ、国内でも常に困難に直面する日々。チームから離れるメンバーもいた。

「スタートアップの最初の3年間は『魔法の3年』だと思うんです。始めたばかりの頃は事業もひたすら伸びるだけで、サービスの解約などもそこまで発生しません。メンバーのモチベーションも非常に高く、チームの熱量もある。問題は3年が経ってその魔法が解けた後、さまざまな困難に直面する中で、どれだけ本領を発揮して乗り越えていけるかです」(須藤氏)

Kaizenでも創業から2〜3年が経過したあたりから壁にぶつかることも増え、それまで以上に苦労したという。プロダクトだけでなく組織の課題も生まれ、いわゆるハードシングスの連続だった。

「残念ながらドラマのような一発逆転劇なんて、そうそう起きない。特に自分たちはBtoBのビジネスなので、何かをきっかけにドカンとユーザーが増えるとか、劇的に状況が変わるということも基本的には望めません。唯一の道は、その時にできることを毎日必死にコツコツやっていくことだけでした」(須藤氏)

既存顧客の解約、米国事業の大赤字でも新規事業に挑戦する“狂気”

そんな「魔法が解けた」状況下において、2016年に独自の発注システムと外部のクリエイターネットワークによって“1本5営業日、5万円から”動画広告を制作できる「Kaizen Ad」を立ち上げたことは1つの分岐点になった。

当時は既存顧客の解約が発生するなど、プロダクトの方向性に頭を悩ませていた真っ只中。おまけに米国事業も大赤字で事業の立て直しが必要な時期だった。そんなタイミングで「Kaizenは気が狂っているから、新規事業をやり始めた」と須藤氏は振り返る。

「株主や周囲からも反対されました。それはそうですよね。お金がなくなりそうですという状況で新規事業をやろうというのだから、『はぁ?何を言っているの』と。でもそこは断固として譲れなかった」(須藤氏)

現在は複数のサービスを展開し、今後さらなる成長も見込む動画事業。2016年当時、周囲から反対の声もある中で新規事業としてスタートした
現在は複数のサービスを展開し、今後さらなる成長も見込むKaizenの「動画事業」。2016年当時、周囲から反対の声もある中で新規事業としてスタートした。画像はKaizen Platformの公式サイトより

ウェブサイトのA/Bテストの事例を積み重ねる中で、動画を埋め込むとCVR(コンバージョンレート)が良くなることが数字にも現れており、コンテンツが動画になることのインパクトを肌で感じていた。その上、すでに米国では様々なシーンで動画の需要が高まっている。いつかは日本にもこの波がくるという確信はあった。

また、新規事業を通じて事業が成長するワクワク感を会社の中に作り出し、新しい風を呼び込みたい。そんな意図もあったという。

「結果的には2016年から動画事業をやっていたから、今動画の波に乗れています。数年前から『動画が来る』と言われていたものの実際はなかなか成功したとは言えなくて、ようやく2019年ごろになって手応えを掴めたような感覚です」(須藤氏)

翌年の2017年にも須藤氏は大きな決断を下した。もともとはアメリカ法人でスタートしたところを、4月に設立した日本法人(現在のKaizen Platform)を親会社とする形でインバージョン(組織再編)を実施。新体制のもと、国内事業を一層強化する方向へと舵をきった。

ただ、この手続きには税務、会計、法務などの様々な論点をクリアする必要があり、膨大な時間とコストを要する。前例も少ない中、手探りで手続きを進めつつ、並行してプロダクトや組織の課題とも向き合い続けなければならない。複数の大型案件が終了するタイミングとも重なって、数カ月後にはキャッシュアウトするような状況だった(須藤氏の話では毎回思い切って投資をするため、資金調達の直前は常にそのような状態にはなるそう)。

その状態を好転させたのは、現場で働くメンバーたちの“解像度の高い”改善案やアイデアだった。

役員会議やマネージャー会議で対応策を検討するだけではなく「ダメな状態も含めて」社内にシェアすることを決めた。現場からのフィードバックを経て当時細分化していたサービスを一本化し、社内リソースを注力。特別な手法を使ったわけではないが、まさに全員でできることに集中した。

その年の12月には、2016年2月のシリーズBラウンド以来となるシリーズCラウンドで総額5.3億円の資金調達も実施。再び大きく投資ができる体制を整えた。

“DX推進を支援するプラットフォーム”へと進化したKaizen

長い年月をかけて地道に磨いてきたプロダクトは、ここ1〜2年で様々なシーンで実を結び始めた。顧客の悩みに応える形で機能拡張を続けていった結果、エンタープライズの「DX支援」に関する案件も着々と増えている。

特に大企業ではビジネス部門とIT部門の間にギャップが生じてしまうケースが多い。エンジニア不足の影響もあってIT部門はほとんどの時間を「既存システムの保守運用」に使わざるを得ない一方、ビジネス部門は事業を成長させるためにさまざまな施策にチャレンジしたいがそれを実現できずにいる。

“基幹システムを直接触ることなく”サイトにタグを設置するだけでUI改善やパーソナライズの施策に取り組むことができ、なおかつ外部のグロースハッカーたちの力を借りられるKaizenの仕組みは、大企業のニーズにピタッとハマるそうだ。

Kaizenのメインの顧客はエンタープライズ企業のビジネス部門だ
Kaizenのメインの顧客はエンタープライズ企業のビジネス部門だ。画像は新規上場申請のための有価証券報告書より

動画事業に関しても利用用途が広がっている。当初は主に動画広告の需要を見込んでいたが、5G時代を見据えて既存のバナーやランディングページ、紙のチラシ・パンフレットなどさまざまなコンテンツを動画化したいという需要が舞い込んできた。

2020年5月には営業資料を動画化する「KAIZEN Sales」をローンチ。新型コロナウイルスの影響でオフライン開催が難しくなったオープンキャンパスやイベント、展示会などを動画にすることで代替するような取り組みも加速させている。

同社の2019年12月期(第3期)の通期売上高は13億5400万円(前年同期比で37.1%増)で純損失は1億6200万円。直近の第4期では第3四半期までの売上高が11億2900万円、純利益が1200万円と黒字転換も果たしている。

Kaizenのサービス成長の推移
Kaizenのサービス成長の推移。累計取引社数は700社を突破。累計登録グロースハッカー数も1万人を超えた。画像は有価証券報告書より

今回のタイミングで上場を決めたのは、DXソリューションや動画事業を軸に今後広がっていくであろう顧客のニーズをしっかりとカバーし、さらなる事業成長に繋げることが目的だ。

「これから5Gが本格的に普及すれば、大きなパラダイムシフトが起こるはずです。動画の通信速度が上がり、UXの考え方も大きく変わる。そうなった時に顧客の新たなニーズをちゃん抑えていけるように、積極的に投資ができる状態を作りたいと考えていました」(須藤氏)

無知で愚かだったからこそ挑戦できた

10年務めたリクルートを離れ、無謀にもアメリカで会社を立ち上げる。結局のところ「自分自身が無知で愚かだったからこそ、その選択が取れた」と須藤氏はこれまでを振り返る。

「もし7年前に戻って当時の自分に声をかけられるのであれば、全力で『目を覚ませ』と伝えます。でも、その時の僕はアホなので結局もう1回起業するはず。賢くなると、チャレンジすることの大変さを避けてしまう。当時は起業した後に死ぬほど苦労することを分かっていなかったから、今の道を選べました。それに共感してくれる共同創業者がいて、Kaizenをスタートできたことは、これまでの人生で最高の意思決定でした」(須藤氏)

実際に起業してみると苦労の連続で、いちいち後悔する暇もないほど「常になんとかしなきゃ」と追われるような毎日が続いた。それでも「顧客や、顧客体験のことを考えるのが本当に好き」で、仲間たちと毎日そこにチャレンジする権利をもらえていることが、大きな原動力になったという。

今後は自分たちだけでなく、アセットを保有する大企業との連携にもより力を入れていく計画だ。すでにNTTアド、大日本印刷、電通とは資本業務提携を締結し、共同でサービスを開発したり、ジョイントベンチャーを通じた取り組みも始めている。

「世界をKAIZENする」上では、まだまだやれていないことも多い。ここからKaizenの新しいチャレンジが始まる。