Kコンフェクト取締役兼ユートピアアグリカルチャー代表取締役の長沼真太郎氏
Kコンフェクト取締役兼ユートピアアグリカルチャー代表取締役の長沼真太郎氏
  • 最初のチャレンジ・BAKEは4年弱で1000人規模の組織に
  • 農業の最先端を学ぶため、海外へ
  • 昔からの夢だった「放牧」へのチャレンジ
  • 期間限定のブランド展開、老舗との協業も視野に

チーズタルト、カスタードアップルパイ、バターサンド──数々の人気スイーツを生み出し、ヒットさせてきたお菓子のスタートアップ「BAKE(ベイク)」。創業者である長沼真太郎氏が同社の代表取締役を退任したのは2017年8月のこと。

その後、会長として商品開発、ブランド立ち上げのサポートに従事していた長沼氏だったが、1年後の2018年8月に会長を退任。BAKEの経営から離れることになった。

ビジネスの第一線を退いてから約2年弱。長沼氏は現在、家業である札幌の洋菓子店「きのとや」に戻り、グループ会社のKコンフェクト(2020年9月にきのとやから社名を変更)の取締役、そしてグループ会社で農業事業に取り組むユートピアアグリカルチャーの代表取締役に就任。ユートピアアグリカルチャーが保有する放牧酪農牧場で80頭の牛を放し飼いにして、新たなお菓子づくりに取り組んでいる。

「BAKEのときは10人のうち8人が好きなお菓子、スイーツを意識してブランドを立ち上げてきたのですが、今度はブランドをとにかく尖らせたい。10人のうち1人、2人でもいいので感動で魂が揺さぶれられるようなブランドをつくりたいと思っています」(長沼氏)

その第1弾として、Kコンフェクトは1月20日、気温が低い冬に採れる風味豊かで濃厚な放牧牛乳を生かした生チョコレートサンドクッキーブランド「SNOW SAND(スノーサンド)」を立ち上げ、期間限定で販売することを発表した。

生チョコレートサンドクッキーブランド「SNOW SAND(スノーサンド)」
生チョコレートサンドクッキーブランド「SNOW SAND(スノーサンド)」 すべての提供画像:Kコンフェクト&ユートピアアグリカルチャー

SNOW SANDは、きのとやグループが運営する放牧酪農牧場の放牧牛乳を使った生チョコレートを、北海道産のバターや小麦粉、砂糖を使用したラングドシャクッキーでサンドしたお菓子だ。大きな特徴は生チョコレートの表面に水分を通さない油分(チョコレート)でコーティングする手法を採用したことにある。

コーティングによって、生チョコレートの水分移行をなくしたことで、ラングドシャクッキーのカリカリ感と生チョコレートのなめらかさが味わえる食感に仕上がっている。

本日から、きのとやオンラインショップと大丸松坂屋オンラインショッピングで販売しているほか、1月27日〜2月14日にかけては大丸東京店、大丸札幌店でも販売する。値段は8個入りが1580円(税込)、5個入りが880円となっている。

「BAKEは“おいしさの3原則”として『フレッシュな状態で提供する』『手間を惜しまない』『原材料にこだわる』ことを掲げていました。前の2つについては在籍時に究極まで突き詰められたと思っていますが、どうしても原材料にこだわる部分だけは、深掘りすることができなかった。だからこそ、今回は自ら牧場を運営し、原材料を究極までこだわったお菓子づくりに挑戦しています」(長沼氏)

約2年の時を経て、始動した長沼氏の新たな挑戦。彼が考える新しいお菓子づくりのかたちとは何か。会長退任後の歩み、そして頭の中にある考えを聞いた。

最初のチャレンジ・BAKEは4年弱で1000人規模の組織に

BAKEが創業したのは2013年10月。当初はオンライン専門の写真ケーキブランド「PICTCAKE(ピクトケーキ)」を展開していた。同社が大きな注目を集めるようになったのは、焼きたてチーズタルト専門店「BAKE CHEESE TART」のオープンがきっかけだ。

2014年2月に1号店をルミネエスト新宿1階にオープンし、同年11月には自由が丘店をオープン。“行列のできるチーズタルト専門店”としてメディアや雑誌に取り上げられ、瞬く間に人気のスイーツブランドへと成長を遂げていった。

その後、BAKEはBAKE CHEESE TARTの店舗数を拡大するだけでなく、焼きたてカスタードアップルパイ専門店「RINGO」やバターサンド専門店「PRESS BUTTER SAND」など新規のブランドを立て続けに展開。2017年8月のタイミングでは国内外あわせて50店舗展開し、従業員はアルバイトを含めて1000人規模の組織になっていた。

BAKE CHEESE TARTの展開から約4年で急成長を遂げたBAKEを、「上場させよう」と考えていた長沼氏だったが、資本関係の整理を求められる。

「きのとやグループの株式を100%保有していることに加えて、BAKEの株式も100%保有していたんです。当初はホールディングス化して、上場を考えていたのですが、東京証券取引所の人たちから『どちらかの株式を3割以上手放さないと上場できない』と言われて。きのとやは家業なので手放せず、BAKEの株式を手放すしかなかったんです」(長沼氏)

上場を目指すべく、BAKEは2017年8月に経営体制を変更。代表取締役が変わったほか、ポラリス・キャピタル・グループが株式の大半を取得し、筆頭株主となった。

また、長沼氏は急成長、急拡大を続けるBAKEの組織体制に「自分自身の能力が追いついていなかった」と当時のことを振り返る。

「BAKEは約4年でアルバイトを含めて1000人規模の組織に成長したのですが、マネジメントが不得意だったこともあり、組織体制が整備できていなかったんです。BAKEのことは創業時から“お菓子のスタートアップ”と言っていて、採用する人たちもスタートアップ思考が強い人たちだったので、成長をストップさせて組織を整えていく感じでもなかった。であれば、BAKEを成長させていくためには自分が一歩引き、マネジメントが得意な人に任せた方がいいと思い、社長を退任することを決めました」(長沼氏)

農業の最先端を学ぶため、海外へ

社長を退任後、会長としてBAKEの商品開発、ブランド立ち上げのサポートを行った長沼氏は海外へ飛び立つ。目的は「最先端の農業」を学ぶためだ。

「自分が手がけるお菓子の原材料は自分で作りたい思いがあり、昔から牧場に興味がありました。ただ、今の時代は酪農自体が非効率ですし、二酸化炭素も排出するので環境的にも良くない。牧場をやることが時代の流れと逆行しているんです。実際、海外ではタンパク質の供給源を多様化すべく、大豆など植物性タンパク質を原料とする『代替肉』が脚光を浴びています。そうした時代の流れを自分の目で直接見ないまま、牧場をやるのは違うなと思い、海外に行くことにしたんです」(長沼氏)

長沼氏はスタンフォード大学の客員研究員として、1年ほどシリコンバレーに滞在。スタンフォード大学のUSアジアテクノロジーマネージメントセンターで最先端の農業について学ぶほか、フードテック系のスタートアップの人たちと情報交換などを行った。

例えば、植物由来の人工肉や乳製品を製造・開発する「Impossible Foods(インポッシブル・フーズ)」や、動物の細胞を培養して作る「培養肉」を開発する「Memphis Meats(メンフィス・ミーツ)」、植物由来の牛乳を作る「Perfect Day(パーフェクト・デイ)」の社員たちとイベントなどを通じて知り合い、会話を続けたという。

こうした情報のインプットを通じて、長沼氏はひとつの答えにたどり着く。

「代替肉や培養肉、植物由来の牛乳などは価格も安く、味も美味しい。今後10年で相当普及するだろうな、と思いました。毎日食べるお肉や、毎日飲む牛乳は、きっとそれらに変わっていくでしょう。その一方で、本物のお肉や本物の牛乳はハレの日に味わう“嗜好品”として間違いなく残るはずだと思い、牧場をやることに決めました」(長沼氏)

昔からの夢だった「放牧」へのチャレンジ

2019年の冬に海外から帰国。実家がある北海道に戻った長沼氏は、きのとやグループがもともと保有していた牧場であるユートピアアグリカルチャーの運営に本格的に取り組み始める。その際、意識したのが“放牧式”を取り入れることだ。

「多くの牧場は牛を牛舎に閉じ込めて、アメリカから輸入したとうもろこしを食べさせて急速に体重を増やす“牛舎式”を取り入れています。牛舎式は乳量と品質を安定させるために不可欠な方法ですが、違うやり方を追求してもいいのではないかと思ったんです」

「牛を放し飼いし、草を自由に食べさせて、好きなときに寝られる“放牧式”によって採れる牛乳は季節によって風味も変わりますし、濃度も変わります。例えば、冬は濃いのですが、夏は口当たりがさっぱりしています。放牧式で採れた100%の生乳を使ってお菓子づくりをすれば、間違いなく美味しい本物のお菓子ができると思いました」(長沼氏)

長沼氏によれば、BAKE時代に北海道の「ありがとう牧場」と「しんむら牧場」から放牧牛乳を直接買い付け、それをカスタードクリームに変えて、シュークリーム専門店「クロッカンシュー ザクザク 原宿店」で提供していたが、どうしても数に限りがあったという。

「日本の乳業の流通システムは乳量、品質を安定させるため、生乳はすべてミックスし、それを牛乳や生クリーム、バターにしています。現在のシステム上、どうしても100%の生乳を仕入れるのはハードルが高いんです。ありがとう牧場としんむら牧場は少量だけ出荷していたのですが、それでも1店舗分が限界。ただ自分たちで牧場を持てば、全部コントロールできるので、自分たちで牧場をやる必要がありました」(長沼氏)

もちろん、牧場をやるのは簡単ではなく、当然リスクもある。だからこそ、長沼氏は「今できるチャレンジだったと思います」と語る。

「きっとBAKEにいたときに、自分が『牧場をやろうと思っている』と言っても事業リスクの観点から、社内の理解を得るのも難しかったと思います(笑)」(長沼氏)

期間限定のブランド展開、老舗との協業も視野に

現在、長沼氏はユートピアアグリカルチャーの放牧酪農牧場で80頭の牛を放牧し、そこでとれた生乳を使ってお菓子づくりに取り組んでいる。今日から発売を開始したSNOW SANDもそのひとつだ。

「SNOW SANDはユートピアアグリカルチャーの放牧酪農牧場で採れた牛乳で生チョコレートを作っているのですが、使用しているのは冬に採れたの牛乳だけです。だからこそ冬をコンセプトにし、冬限定のブランドにしています。これはお菓子屋でありながら牧場を持っている、きのとやグループにしかできないことだと思います」(長沼氏)

今後、放牧酪農牧場で採れた牛乳を使ったお菓子ブランドをいくつかローンチするほか、老舗のお菓子ブランドの協業なども行っていく予定だという。

「今はお菓子ブランドが乱立していて、新しいブランドをヒットさせるのが難しくなっています。認知をとるのが大変になっているからこそ、同時に老舗のお菓子ブランドの価値が上がっていると個人的に思っています。老舗ブランドは認知度もあるし、歴史もあるし、良いカルチャーもある。きのとやグループに戻ろうと思ったのも、良いブランドにするために貢献したいと思ったからです。いま、コロナ禍で苦しんでいる老舗のお菓子ブランドが多いので、協業も視野に入れながら、ブランドをバリューアップさせていくといったこともやりたいと思っています」(長沼氏)

また、放牧に関しては“山林”を使った形も試していくという。

「日本は土地の7割が森林・山林と言われているのですが、林業が衰退していて誰も森林・山林を活用できていない。その結果、なかなか根を張らない笹ばかりが生え、土砂崩れの危険性があります。ただ、牛を放すことで牛の糞が肥料となり、どんどん草が生えてくるようになる。それを食べて牛はエネルギーを蓄えて育っていくので、非常に良い循環が生まれるんです。実際、15ヘクタールの山を買い、山間部での和牛の放牧を試してみているところです。ニュージーランドのように広大な土地がなかったから日本で放牧が普及してこなかったと思うので、日本ならではの放牧の形を見つけていきたいと思います」(長沼氏)