
蔵の中で怪しく光る透明なタンク
古めかしく、薄暗い蔵の中で、赤く発光する透明なタンク。酒瓶を入れるケースの上に置かれたライトや周囲の機械、配線が場違いで、不思議な雰囲気を醸し出している。僕の頭の中では、秘密組織が秘匿された場所で怪しげな実験をしているという妄想が膨らんだ。
タンクに顔を近づけると、濃厚な白い液体が入っているのがわかる。突然、ボコッと泡が浮かび上がり、壁面に沿って上昇していくのが見えた。目を凝らせば、あちこちで同じような大小の泡が立ち昇っている。生き物のようだ、と感じた。
このタンクに入っているのは、日本酒のもととなる「もろみ」。タンクでは蒸した米、水、酒母、麹を加えて糖化とアルコール発酵を行っている。一般的に「仕込み」と呼ばれる行程だ。仕込みを行うタンクはホーロー製が主流で、一部の酒蔵では昔ながらの木製が使われているが、アクリル樹脂製の透明なタンクは日本に1つしかない。このタンクを所有しているのが栃木県小山市に蔵を構える、創業149年の老舗・西堀酒造。そして、赤色LEDでタンクを照らそうと考えたのは6代目、西堀哲也だ。
西堀は、燃え盛る炎のような色に染まるタンクを見ながら、時折、物思いにふける。
この中には、何百兆にもおよぶ微生物がいる。それぞれが自分の最大限の生命エネルギーを発散して、ランダムに流転している。もし人間界の不合理な要素やカオス性がもろみの中でも実現しているとしたら、もろみのタンクが、世界の縮図なのかもしれない──。

「井の中の蛙だった」と思い知った少年時代
西堀は地元・小山市の小中学校を出た後、東京の巣鴨高校に入学。偏差値70を超える高校でさらに勉学に励み、現役で東京大学の文科三類に合格し、3年次からは哲学を専攻した。その歩みを簡略化すると絵に描いたような秀才に思えるが、少年時代を振り返ると、壁にぶち当たっては必死に乗り越えてきた努力の人だった。
最初の挫折は、中学3年生の時。西堀は、小学2年生で始めた野球を続けながら、中学まで学校のテストの成績はほぼトップで、県内の模試でも上位が定位置だった。ところが、塾の講師の勧めで埼玉県の模試を受けると、上位に入ることができなかった。その時に、「ぜんぜん知らない世界があるんだ……」と衝撃を受けたという。
「自分は井の中の蛙だった」と思い知った少年は、「外の世界を知りたい」と、最もレベルが高い学生が集まる東京に出ることを決意。小山市の自宅からぎりぎり通える位置にあった巣鴨高校を受けて、合格した。
当初は野球を続けるつもりだったが、片道1時間半の通学をしながらの部活は難しい。高校受験する時から、「大学は東大に」と考えていた西堀は、野球を諦めて時間が空いた放課後、東大受験専門の塾に通い始めた。
ここで2度目の挫折を味わった。能力別に分かれた塾で、入った時から3年間、ほぼずっと最下位クラス。高校では落ちこぼれではなかったのに、塾では底辺から抜け出すことができなかった。
「塾には、別次元すぎて理解不能な人たちがいました。先生には、『君の数学の回答は発想が貧困だね』とも言われました。だから、自分は『ぜんぜん駄目だ』っていう意識がずっとありましたね」
劣等感を抱きながらも、決して投げ出さないのが西堀の性格だ。コツコツと勉強を続け、現役で東大の文科三類に合格することができた。

東大野球部で1日1000回の素振り
2008年、東大に入学すると、すぐに硬式野球部に入った。机にかじりついていた高校3年間、ずっと野球への想いが募っていたのだ。しかし、部員はほぼ全員が高校野球の経験者で、練習も週6日、朝練、午前練、午後練があり、かなりハードだった。体がなまり、もやしっ子のようになっていた西堀は、周囲から「すぐに辞めるだろう」と思われていたという。
その予想を裏切り、練習に食らいつきながら、「外野手の自分が試合に出るためには打力が必要だ」と個人練習に励んだ。まず、「練習自体についていく基礎体力を」と体を鍛えたが、筋肉があれば球を打てるというわけではない。次に、理論やフォームを頭で考えて試行錯誤したものの、やはり結果につながらない。そこで「これはもう理論じゃなくて練習量しかないのではないか」と発想を転換し、毎日1000回の素振りを課した。
この回数の素振りをまじめにやると、どんなに早くても1日4、5時間はかかる。雨の日も、風の日も、テストの日も愚直に素振りをして数カ月。ある日突然、バッティング練習で打った球が1本、2本と柵越えするようになった。
「自分の骨格に合ったフォームになったんだ!」
2年生に進級する頃には練習試合などで起用されるようになっていった。塾の最下位クラスから東大に合格したように、野球部一のもやしっ子が東京六大学野球リーグの新人戦で、神宮球場のバッターボックスに立ったのだ。
だが、この晴れがましい気持ちは、長続きしなかった。自分の体力を過信し、2年生の冬の合宿でバッティングピッチャーを務めた時、5日間ほど続けて毎日数百球を投げたら、突然、右肘が上がらなくなった。病院に行くと、肘の腱がバサバサに千切れていた。すぐに手術をしたが、その後、ケガをする前の感覚が戻ることはなく、外野からの返球も難しくなり、ベンチ入りすらできなくなった。
人生三度目の挫折は、挽回できなかった。肘の状態は改善せず、3年生になる時、プレーを諦め、学生コーチの道を選ぶしかなかった。学生コーチはチームの勝利に貢献するために、対戦相手の分析などを担当する。その時に西堀が改めて気づいたのは、「プレーするのが好きだった」ということ。悩んだ挙げ句、3年の夏、西堀は野球部を辞めた。
哲学との出会い
野球を失い、ぽっかりと開いた胸の穴と時間を埋めたのは、3年次から専攻した哲学だった。大学でも受験と同じように予め定まった「正解」を求める勉強ばかりで飽き飽きとしていた西堀が、唯一、楽しいと感じたのが哲学の授業だった。
「哲学の授業だけは、先生自身が答えを持っていなくて、授業のなかで自分も考え、答えを学生と一緒に探しているように感じました。試験も、問いが1行だけで、残りの余白に自分の考えを書きなさいと。自分で解答を作っていくみたいなところがあって、これは面白いと思いました」
試しに、大学の本屋で『フーコー入門』(ちくま新書)を購入し読んでみると、今まで考えたこともなかったような視点があり、脳みそが沸き立つような感覚があった。それから、入門書を次々に読破して、気づいた頃には哲学科に進んでいた。
西堀が哲学を学ぶ中で最も衝撃を受けたのは、数学が万能ではないということを証明した「ゲーデルの不完全性定理」。それまで最も厳密で、矛盾のない世界だと思っていた数学ですら、証明も否定もできない問題が存在するという事実は、西堀の既成概念をグラングランと揺さぶった。それは、小学生の頃からずっと、「正解」を求める競争のなかに身を置いてきたからだろう。
数学者であり、哲学者でもあったクルト・ゲーデルが1930年代に生み出した「ゲーデルの不完全性定理」は、西堀に「この世の中に絶対の正解は存在しない」ということを教え、「今まで自明とされてきたものを、まったく違う視点で見ること」の大切さを植え付けた。
それは、天才哲学者と呼ばれたウィトゲンシュタインからも、学んだことだ。ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』に代表される前期哲学と、『哲学探究』を中心とする後期哲学とに分けて論じられる。難解なので紹介は省くが、特徴的なのは前期と後期とでウィトゲンシュタインの論理が別のものに変化していることだ。西堀は、「一貫性がないということはよく批判の対象になりますが、人間自体が変化する、むしろ変化するのが人間だということがわかって、勇気づけられました」と話す。
「絶対の正解が存在しないなら、いろいろな考えがあっていい」「変わっていくことを恐れなくていい」という哲学から得た気づきが、伝統としきたりの世界である日本酒の蔵元で重要な意味を持つのは、もう少し時間が経ってからのことだ。

世界の最先端を知るためにIT業界へ
東大では官僚や公務員、大企業の社員を目指す学生が大半だったが、哲学的思考にのめり込んでいた西堀は、あえて王道から外れる。高校時代から「いずれ家業を継ぐだろう」と意識していたからこそ、今のうちにもっと広い世界を見ようと考えた。就職活動が始まると、大小問わず片っ端から会社を見て回った。
そのなかで「目をキラキラさせている人が多い」と感じたのが、IT業界。ちょうどガラケー(フィーチャーフォン)からスマホ(スマートフォン)に一気に切り替わっていた時期で、電車に乗っているとほとんどの人がスマホに目を落としていた。「技術が社会を変えている。その最先端であるITの世界をのぞいてみよう」と、システム大手のワークスアプリケーションズに入社を決めた。
ほぼ好奇心だけで就職したものの、ITの知識はゼロ。入社して間もなく始まった新入社員研修で、いきなり洗礼を受けた。与えられた課題は、あるシステムを組むこと。条件は、先輩に質問したり、同期と相談したりすることなく、自力で作り上げること。期限は半年。
ネットを検索しても、本を読んでも、なにが書いてあるのか一切理解できないというのがスタート地点。学生時代にITの勉強をしていた同期は数日で完成させていたが、西堀はソースコードとは何かを理解するところから始まった。
ここから、西堀の持ち味である粘り腰を発揮する。朝8時半に出社して、オフィスのカギが閉まる23時半までひたすら手を動かし、休日も書店に通った。そこまでしても、完成までには5カ月かかり、同期のなかで後ろから数えたほうが早い順位だったが、「必死にやれば、ゼロからでも自力で解決できる」という自信を得た。
研修から解放されると、大企業の経理で使われている原価管理ソフトの設計チームに配属された。そこではわからないことがあれば質問できたし、遅い時間まで孤独に作業することもなかった。西堀は「研修時代に比べたら、圧倒的に楽になりました」と振り返る。

幼馴染の腰痛がきっかけで家業に参画
仕事を続けているうちに知識も深まり、同時に、自分がやっていることがいかにIT業界のなかでも狭い領域なのかを理解した西堀。ごく一部の大企業でしか使われない会計ソフトの設計について詳しくなっても、日々更新されている最先端の世界を知ることにはならない。
もっと広い視野を得ようと、2016年3月、ワークスアプリケーションズを退社。それからフリーランスになり、システム構築とは技術が異なるウェブやセキュリティ分野の知識を身に着けながら、仕事にしていった。もともと、「学ぶ」ことについては得意分野なうえに、前職の研修で怒涛のインプットにも慣れていたから、新しい技術を習得するのにそれほど苦労はしなかった。友人、知人や異業種交流会で知り合った人たちからの依頼に応じるという形で、少しずつ仕事は増えていった。
そうして手ごたえをつかみ始めていた、2016年の秋。西堀酒造で酒造りの現場を担う「蔵人」をしていた幼馴染から相談を受けた。椎間板ヘルニアで腰を痛めてしまい、重いものが持てなくなってしまったという。酒造りでそれは致命傷で、仕事を辞めざるをえないということは、西堀にもわかった。さらに、当時の西堀酒造では幼馴染を含めて3人ほどの蔵人が働いていたが、1人欠けてしまうと、どうやり繰りしても仕事が回らない。
日本酒は、雑菌が発生しにくい10月から3月頃にかけて造られる。その時期に蔵人が2人では、家業に支障をきたす。よしっと腹をくくった西堀は、その年の末、家業に参画。新人の蔵人として、幼馴染から酒造りのノウハウを引き継いだ。
日本酒造りのデジタルトランスフォーメーション
それから4年半。西堀は、驚くような改革を始めている。ひとつは、酒造りのデジタルトランスフォーメーション(DX)。酒造りの肝となる「もろみ」の管理で、自動化を実現した。
冒頭に記したように、もろみは蒸した米、水、酒母、麹を加えたことで生じる糖化とアルコール発酵によって作られる。その過程で温度がぐんぐん上がるのだが、日本酒は12度前後の「低温発酵」が基本で、それより高くなると味が落ちてしまう。
そうしないために入念な温度管理が必要で、西堀酒造ではこれまで長い間、蔵人が足場に上がり、大きなタンクの上から長い温度計を差し入れ、紙に温度を記し、温度が高ければタンクを冷やすために冷水が流れる蛇口を開くという手順を、多いときには1時間おきに行っていた。
西堀酒造には同時に使用しているタンクが平均して10個ほどあるので、ひとつのタンクの温度を計測するのに約3分とすれば、1回に30分かかることになる。この作業を1時間おきに行うということは、1日で4時間から5時間、ひとりの蔵人の時間が取られることになる。
もちろん、タンクの発酵は夜間も止まらない。だから、夜間の温度管理は諦めるか、夜中にも作業を続けるかのどちらか。しかも、この作業は酒造りをしている半年もの間続く。
蔵人としてこの作業を体験して、「作業そのものは特に職人の勘も熟練の技術も不要ながら、負担が大きい『ルーチンワーク』でしかない」──そう感じた西堀は、この作業を、IoTの力で自動化した。
仕組みはこうだ。まず、小型で安価なコンピューター「Raspberry Pi(ラズベリーパイ)」を使ってタンク内の温度を自動計測するシステムを作り、10分間に一度、スマホに温度の通知が来るようにした。PCはスマホと連動しており、スマホで希望の温度を設定すると、その温度より高くなった時には自動でチューブに冷水が流れ込み、タンクを冷やす。十分に温度が下がったら、スマホの操作ひとつで冷水を止めることもできる。スマホの画面を見せてもらったが、シンプルで誰にでも使えるUIになっていた。
このシステムを業者に発注すると、おそらく数百万円の見積もりがくる。それがわかっていた西堀は、自身もフリーランス時代に使っていたクラウドソーシングサービスを活用。IoTのシステムを組むパートナーを募集したところ10人から応募があり、その中のひとりと協力して、昨年8月、コスト100万円弱で試作品を完成させた。
「最初、会社の人に説明してもほぼ理解されませんでしたが(笑)、もろみの温度管理は、ルーチンワークの最たるものだし、24時間管理できれば、酒造りにとってもベストですよね。特に夜間の温度管理は経営上も、働き方改革の面でも負担になっていたので、絶対IoT化すべきだなと思いました」

人間の能力を活かすための改善
このシステムはすでに実用化され、昨年末からの酒造りで稼働しており、西堀はその大きな効果を実感している。具体的に1日最大で4、5時間、単純作業の時間が削られたことで、蔵人がほかの作業をする時間ができ、業務の生産性が劇的に向上した。ただし、効率化だけがゴールではない。
西堀酒造は2020年、スピリッツ(蒸溜酒)の製造免許を取得した。日本国内で日本酒の需要が落ち込むなかで、今、新たにある蒸留酒の開発を進めている。DXで生まれた時間を、新規事業に投じようとしているのだ。
ちなみに、もろみの温度管理は、日本全国の酒蔵で行われている不可欠な作業。西堀の話を聞いて、「このシステム自体、ニーズがありそうですね?」と尋ねると、「はい」とほほ笑んだ。
「すでにいくつかの蔵元から問い合わせが来ていますが、今は改善を進めています。タンクにウェブカメラをつけ、スマホでもろみの状態を確認できるようにすることで、視覚的にも異常がないか把握できるようになります。もろもろの改善が済んだら、サービス提供を始める予定です。日本全国の蔵元が困っていることだと思うので」
このシステム以外にも、西堀はこれまでにさまざまな作業の改善を進めてきた。その過程で実感したのは、「人間の感覚」の性能の高さ。麹菌や酵母菌という生物は、ITシステムのように指示通りには動かない。現代の機械では察知できないような、微妙な変化もある。それを読み取り、いい塩梅に調整して、多彩な味を表現する。この作業を担うのは結局のところ人間しかいないというのが、西堀の出した答えだ。その人間の能力をフル活用するために、ほかの仕事の改善が必要なのだという。
「単純作業はどんどん(システムに)代替されていくべきだと思うんです。それは、人間にしかできない繊細な要素にフォーカスするため。無駄な仕事を排除して、コア業務に集中してほしいので」

透明なタンクが西堀酒造にやってきた
この言葉を言い換えれば、西堀酒造はおいしい酒を造ることにとことん集中したいということ。その姿勢が強く表れているのが、冒頭に記した赤く発光するタンクだ。
そもそも、日本にひとつしかない透明タンクを導入したきっかけは、西堀の父親で5代目当主の西堀和男だ。もともと、酒造りに携わる過程で「発酵中のもろみはどう変化しているのだろう?」という好奇心を持っていた。その後、東京の水族館に行った時に、魚たちが泳ぐ水槽を見て、「透明なタンクならもろみの変化が見える!」と思い立ったそうだ。
日本酒のタンクを作る業者に問い合わせたが断られ、広島にある水槽メーカーに製作を依頼。西堀によると、その価格は「通常のタンクの4、5倍」。にもかかわらず、導入を決めた。西堀は、父親の決断を「面白そう!」と歓迎した。
透明タンクで仕込みを始めて、父と息子は驚嘆した。定点カメラで側面から撮影したところ、もろみが激しく、しかもランダムに対流していることがわかったのだ。これは、日本酒の長い歴史の中でも、おそらく史上初めて判明したことである。
日本酒造りでは、朝と夕の1日2回、「櫂(かい)入れ」といってタンクのもろみを棒で混ぜるのがセオリーだった。しかし、櫂入れをするとお米が潰れて雑味のもとになるだけでなく、酸素に触れることで酸化の原因にもなる。これだけ自由に対流しているのなら、自然に任せてみよう。そう判断した父子は、側面からもろみの状態を観察しながら、特に自力での対流が実現される後半、櫂入れをしないことにした。これで、高品質な酒の味をより洗練させることができたという。
ひらめきは「野菜と光の関係」から
しかし、櫂入れをしていない蔵元はほかにもある。ここからが、西堀の本領だ。ある日、ふと疑問に思った。野菜に赤色のLEDの光を当てると成長速度が増し、青色のLEDだと栄養価が変わる。もしかして、LEDの光は麹菌や酵母菌にも影響するのではないか。調べてみると、特定の波長の光を当てることにより麹菌や酵母菌の増殖が抑制・促進されるという研究結果が見つかった。
これだ!
西堀は、青色LEDの光が麹菌や酵母菌の増殖を抑制するのではないかと仮説を立て、透明タンクに24時間照射してみようと考えた。通常、もろみの仕込みは20日ほどで搾り(どろどろの状態のもろみから液体だけを絞り出す作業)のタイミングを迎える。青色の光で発酵速度を抑えることで、もろみ期間をより長く延ばしてみよう、それができたら、華やかな香りが際立つ「長期低温発酵」になると考えたのだ。
西堀は、この取り組みを世に広く知ってもらうために、昨年、クラウドファンディングで試験醸造を行った。日本初のこの挑戦は注目を集め、140人から87万9500円が集まり、メディアにも取り上げられた。この実験は、想像を超える成果につながった。
「純米吟醸の55%精米で、比較するために通常のタンクと透明タンクで作ったんですが、光を当てたほうは(より高品質で香り高い)純米大吟醸と言われても納得できるレベルの味になりました。また、終盤に櫂入れを行ったところ、うちの蔵で16、17年働いている製造責任者も見たことがないという泡がポコポコと湧いたんです。これは青色の光で生じた変化だと確信しました」

日本酒の歴史を変える挑戦
そして、今冬は赤色LEDのライトで酒造りに挑んだ。長い波長の光で照らされると、麹菌や酵母菌は活性化する。この習性を利用すると、例えば同じ温度で発酵させた時に、通常のタンクよりも麹菌や酵母菌が元気いっぱいに活動していることになる。
そこで、西堀は考えた。通常なら一定の温度以下になると酵母の発育が停滞してしまい、発酵に影響がでるが、可視光線で長い波長の赤色LED光で照らして活性化した麹菌や酵母菌なら、通常よりも温度を下げることができるのではないか? その予想は当たった。普段なら発酵が止まってしまうような低温でも発酵し続けたのだ。これは、青色とまた違う形で長期低温発酵できるということになる。
赤色の光で仕込んだ日本酒は、取材後に完成した。その出来は、どうだったのだろうか?
「予想通り、酸味がありドライな味わいに仕上がりました。青色LED光で試験醸造したものとはタイプが真逆といっていい味わいです」
これまで日本酒は、「もろみ」の段階に入ると、温度を上げるか、下げるか、加水するか、しないかといった数パターンのバリエーションで味をコントロールしてきた。そこに、赤色と青色の光が加わった。西堀のひらめきが、奈良時代から連綿と続く日本酒の歴史に新たなページを加えたのだ。
もろみの温度管理のDXも、光によるもろみのコントロールも、伝統としきたりに囚われていたら生まれなかっただろう。身内からも理解されないまま大胆な取り組みを始められた背景には、哲学がある。そう、学生時代に得た、「絶対の正解が存在しないなら、いろいろな考えがあっていい」「変わっていくことを恐れなくていい」という気づきが支えになっているのだ。
西堀の歩みは止まらない。今、着目しているのは再生可能エネルギーでの酒造り。その一環として、赤色LEDは太陽光発電で充電した電力を使用している。
「なにもしないでボーっとするっていうのがなかなかできなくて、家族に怒られたりするんですよ」と笑う西堀に、「これからも動き続けますか?」と聞くと、「できることは、どんどんやります」という力強い答えが返ってきた。
「大学生の時、考えたんです。カオス理論では、例えば手を上げるだけでも、何かしら世界に影響を与えていることになります。1日寝ても、1日読書をしても同じ24時間なんだけど、動的な流転の世界なのだから、その中にいる一個体として、僕は自分のエネルギー量を高めて、しっかりと“流れ”を発生させたい」