徳力基彦氏(左)と光本勇介氏(右) 画像提供:Agenda note
  • ユーザーがCASHをシェアした理由
  • 新しい体験を楽しんでもらう設計力
  • ワーストケースを定義すれば、起業やチャレンジは恐くない

目の前のアイテムが一瞬で現金に変わるアプリ「CASH」で話題を集めたBANK 代表取締役兼CEOの光本勇介氏に、アジャイルメディアネットワークの徳力基彦氏がインタビューする企画の後編です。広告代理店に勤めた経験を持つ光本氏が、どのようにマーケティングについて考えているのかを聞きました。(編集注:本記事は2019年2月15日にAgenda noteで掲載された記事の転載です。登場人物の肩書きや紹介するサービスの情報は当時の内容となります。)

ユーザーがCASHをシェアした理由

徳力 光本さんは以前、広告代理店に勤めておられましたよね。日本はマス広告がとても強い国なので、今でもネット企業ですらマス広告でビジネスを伸ばすことがベースになっている印象もあります。一方、インターネットは、広告予算がない企業でも、ユーザーのクチコミで話題が広がることがあるのが醍醐味だとも思っています。

 CASHはリリース初日にクチコミによって大きく拡散したことからも、光本さんはどちらかと言うとインターネットのスキームでビジネスを考えている人だと思いますが、大企業の担当者の中には広告だけに頼り、「広告が効かなくなった」と嘆いている人もまだいるようです。

 しかし今の時代は製品がすばらしければ、広告に頼らなくてもCASHのように話題になったり、予算がなくても映画『カメラを止めるな!』のように大ヒットしたりすることも不可能ではありません。

 時代が変わり、広告以外にもたくさんの手段がある中で、企業のマーケターはどのようにマインドチェンジしていくべきだと思われますか。

光本 今パッと思いついたことをお話しさせていただくと、世の中の消費者の価値観が変化しているにもかかわらず、多くの人は消費者を理解する努力をしていないのではないかと思います。リサーチ結果を見て、「今の若い子はこうだよね」と知ったつもりになっているんです。

 現代はソーシャルメディアを通じた情報拡散やコミュニケーションを通じて様々なものが成立していますが、実のところソーシャルメディアを利用していない企業の担当者も多いですよね。

徳力 徐々に増え始めていると感じますが、会社で禁止されているケースもありますからね。

光本 そうですよね。ただ、消費者を理解するためには、個人としてもっと積極的に利用すべきだと思います。

新しい体験を楽しんでもらう設計力

徳力 CASHが話題になったとき、多くのユーザーがソーシャルメディア上にアプリ画面をシェアしましたよね。初めから、そうなるように意識して設計していたのでしょうか。

光本勇介氏 バンク 代表取締役兼CEO 10歳から18歳までデンマークとイギリスで過ごす。2004年青山学院大学卒業後、オグルヴィ・アンド・メイザージャパン入社。2008年ブラケット(現ストアーズ・ドット・ジェーピー)を設立し、代表取締役兼CEO就任。2013年ブラケットをスタートトゥデイ(現 ZOZO)に売却。2016年MBOを実施し、ブラケット取締役会長に就任。2017年バンクを設立し、代表取締役兼CEO就任。2017年「CASH」をリリース、その後DMM.comへ全株式を売却。2018年MBOを実施。 画像提供:Agenda note

光本 いえいえ、思い通りにシェアしてもらえるほど、消費者を動かすのは簡単ではないので、シェアしてもらうことを前提に考えていたわけではありません。

 その代わりに、CASHというアプリをどのような言葉で表現するかは、すごく意識しました。CASHは言ってしまえば、ただの「買取アプリ」です。しかし、表現の上では買取アプリという言葉は一切使わず、「目の前のものが瞬間的に現金に変わるアプリ」という表現を使い続けました。目の前のものが瞬間的に現金に変わると言われると、新しさや魔法のような感覚を覚えると思います。それが話題になった一つの要因なのではないでしょうか。

 また、体験の設計にもこだわりました。CASHは査定を申し込む際に、カメラで現金に変えるアイテムを撮影するようになっているのですが、リリース当初は、入力してもらったブランド名とカテゴリー、コンディションによって金額を決めているため、写真は査定に関係していません。

 つまり、本来写真を撮影させる必要はないのですが、そうすることによって目の前のものが現金化しているという体験をさせることが重要だと考えたんです。

徳力基彦氏 アジャイルメディア・ネットワーク / 取締役CMO NTTやIT系コンサルティングファーム等を経て、2006年にアジャイルメディア・ネットワーク設立時からブロガーの一人として運営に参画。「アンバサダーを重視するアプローチ」をキーワードに、ソーシャルメディアの企業活用についての啓蒙活動を担当。2009年2月に代表取締役社長に就任し、2014年3月より現職。 画像提供:Agenda note

徳力 どうすればお客さんに体験を楽しんでもらえるかにフォーカスした結果、体験したあとに、それをシェアするという行為がたまたま多く生まれたということなのですね。

光本 その通りです。

徳力 現在BANKでは、事業のマーケティングをどのように動かしておられるのでしょうか。そもそも広告は使われていますか。

光本 広告は一応使っていますが、お金はあまりかけていません。それよりも、初めてリリースするサービスに機能を盛り込みすぎず、リリース後に消費者のフィードバックを受けて改善していくことを意識しています。そうすれば、絶対に世の中が求めているサービスができる。言い換えれば、それがマーケティングなのかもしれませんね。

ワーストケースを定義すれば、起業やチャレンジは恐くない

徳力 光本さんのお話を聞いていて、ネスレ日本の「ネスカフェアンバサダー」の話を思い出しました。オフィスグリコはグリコのスタッフが補充も掃除も行いますが、ネスカフェアンバサダーは、それもお客さんがやってくれています。

 ある意味、企業側が本来かけなければならないと思っていたコストが全部なくなり、驚くほど利益率のいいビジネスができています。ただ、やはり最初はそのモデルが本当に機能するのか分からないので、小さな規模の実験から始めたと聞いています。正直、やってみなければ分からないんですよね。

光本 そうだと思います。僕も周りの人から「勇気があるね」と言われますが、実はどんな事業、どんなチャレンジでもワーストケースを自分の中で想定しています。だからすごくリスクがあると思われても、自分たちで最悪どうなるかを明確に想像、あるいは定義できていれば、実はそんなにリスクは大きくないことが多いんです。

徳力 確かにそうですね。CASHはリリース初日に3億円以上が現金化され、サービスを止めましたね。

光本 最大でも1億だと考えていたので、さすがにやり過ぎました(笑)。

徳力 あの瞬間は、やってしまった!という思いがあったんですね。ユーザーの半分が悪人で、アイテムを回収できなければサービスは破綻してしまいますよね。

光本 はい。あのときのワーストケースは、振り込んだ金額です。逆に初めからそれを限定しておけば、リスクも限定できるというわけです。

徳力 もしワーストケースが現実化したとしても、少なくともリサーチ結果は得られるということですね。ビジネスモデルを考えることが好きな起業家ならではのスタンスですね。

光本 そうですね。仮に誰からもアイテムが送られてこなかったとしても、振り込んだお金はリサーチ費用だと捉えればいいのです。あるいは、先ほど大企業で同じような新規事業を起こそうと思っても上司を説得する自信はないと言いましたが、プロモーション費用として予算をとってしまう方が早いかもしれません。

徳力 面白い視点ですね。結果的に、ポートフォリオ全体の組み合わせで成果が出ればいいわけですよね。実際、新しいマーケティング手法を試している人は、全体の予算にしれっと混ぜて実験をしているケースが多いですよね。ネスカフェアンバサダーを始めたネスレの方も、同じようなことをおっしゃっていました。

光本 失敗することを恐れて起業やチャレンジへの一歩が踏み出せない人はたくさんいますが、その一歩は実験とも呼び変えられます。実験には失敗が付きものです。

 実験は失敗して得られたものも成果になるため、もちろん成功も、そして失敗も、どちらに転んでも正解なわけです。僕は、成功するよりも失敗したときの方が得られる経験や学べる知識は多いと考えています。