
- ミールキットからの撤退、食品卸の受発注に感じた可能性
- “業界の巨人”が苦手なところを徹底的に研究
- 競合ではなく補完関係、業界全体のDXには単独では難しい
- なぜ資本関係を絡めた業務提携だったのか
- 自分たちが戦っているのは「伝統的な商慣習」
近年「DX」という言葉がさまざまなシーンで使われ始めているように、あらゆる業界で急速にデジタルの活用が進んでいる。
「食品卸業界」もその例外ではない。従来、食品卸企業と飲食店の間の受発注業務(企業間取引)には電話やファックスといったツールが数十年もの間にわたって使われ続けてきた。その結果として取引の量が増えるほど煩雑な作業も増え担当者が疲弊していただけでなく、属人的な仕事であるが故にミスがつきものだった。
その課題にいち早く目をつけ、事業を拡大してきたのがインフォマートだ。同社では2003年に「BtoBプラットフォーム 受発注(旧フーズインフォマート)」をローンチ。受発注業務をデジタル化することで、発注側・受注側双方の業務を劇的に効率化するとともに、余計なミスが生まれる原因を解消した。
現在同サービスは4万社以上が有料で用いる“業界のデファクトスタンダード”に拡大。2006年に東証マザーズ上場、2016年に東証一部に市場変更するなど成長を続けてきたインフォマートの主力サービスにもなっている。
そんなインフォマートが2021年2月、卸売業者に寄り添った受発注システム「TANOMU」を展開するタノムと資本業務提携を締結した。
両社によると「連結対象となるようなものではなく、あくまでもマイノリティ投資」とはいうものの、インフォマートからタノムへ単独で数億円規模の出資を実施するとともに、プロダクト開発や拡販に向けた取り組みを始めている。
一見“競合関係”にも思える彼らが覇権を取り合うのではなく、協業の道を選んだ背景にはどのような考えがあったのか。また実際にタッグを組んでから約半年でどのような変化が生まれ始めているのか。
タノム代表取締役の川野秀哉氏、インフォマート代表取締役社長の長尾收氏、同社コーポレート・デベロップメント執行役員の濱嶋克行氏に話を聞いた。
ミールキットからの撤退、食品卸の受発注に感じた可能性
タノムはもともとミールキットサービス「Chefy」を手がけるシェフィとしてスタートした会社だ。2017年5月にローンチした同サービスは初速こそ良かったものの、その勢いは長くは続かなかった。
日本のミールキット市場はあっという間に複数の大手企業が参入するレッドオーシャンと化し、スタートアップの体力では太刀打ちするのが困難な状況に。川野氏たちも撤退を余儀なくされた。

現在手掛けるTANOMUはそのミールキットからピボットする形で始めた事業だが、再スタートとなる領域を「食品卸の受発注」に決めたのはChefy時代の経験が大きく影響している。
「食材を仕入れる立場として卸売業者と取引をしていると、いろいろともどかしいことがありました。注文したものが届かない、FAXがどうしても流れない、データ発注したいけど先方が対応できない、いつも取引している問屋さんが自分たちの欲しい食材を持っているのかすらわからない...。毎週発注をしていて『もしかしたらこの業界はデジタル化がめちゃくちゃ遅れているのではないか』と感じるようになったんです」(川野氏)
当時この領域ではすでにインフォマートが圧倒的な存在感を放っており、川野氏が付き合いのあった約10社の卸売業者にヒアリングをしてみても全社が導入しているような状態だった。
ただ卸売業者に何度もヒアリングをしたり、川野氏自ら1〜2カ月間にわたって現場に張り付いて業務を観察したりしてみた結果わかったのは「卸売業者の業務効率化にはあまり繋がっておらず、デジタル化の恩恵を十分には享受していない」ことだったという。

業界の構図として、だいたいの卸売業者は200〜300社の取引先を抱えており、顧客が多い事業者であればその数は数千社規模にもなる。大手チェーン店など一部の取引先との受発注についてはインフォマートなどが手がけるシステムによってすでにIT化されているが、それ以外の個人店とのやりとりについては今でもアナログな手段が基本だ。
「ふたを開けてみると半分以上の取引先は個人店なんです。そこでは今でも電話やファックスなどがメインで、最近ではLINEやFacebookなども活用され始めてはいるもののマルチチャネル化していて業務が煩雑で負荷も大きい。また当日注文を受けて当日のうちに配送するので、深夜帯に受注するだけの人員を確保する必要があり、過酷な労働環境になりがちです。それが間違いの発生や人材難に陥るといった悪循環に繋がり、長い間改革がされてきませんでした」(川野氏)

たとえば受発注が属人的で「いつものパスタ1つ」といったオーダーがくることも珍しい話ではない。「いつものパスタ」が何を指しているのか、普段から接している担当者以外にはわかりづらい上に、こうした注文はミスの原因になりやすい。
また基幹システムにデータを集約するため、受注した情報をスタッフがわざわざシステムに手入力しているケースが多く、それも負担の増加や間違いの発生に繋がっている。
「膨大な業務で時間がないため、目利きや商品提案といった人間しかできない仕事になかなか時間を割けない。本当は販促の部分で商品提案をもっとやりたいけれど、受注業務で一杯一杯のためできないということを皆さん課題に感じています。自分たちは後発ではありますが、これらのペインポイントについては受注者に寄り添うことでまだまだ解決できる余地があると思い、TANOMUを始めました」(川野氏)

“業界の巨人”が苦手なところを徹底的に研究
一方のインフォマートにとって、タノムはどのように映っていたのか。インフォマートの長尾氏と濱嶋氏は同社の印象について「自分たちの弱いところや得意ではないところをしっかりとやっていると感じた」と口を揃える。
「フード領域については『あえて、しっかり作りすぎない』というのが我々は得意ではないと思っています。大規模チェーン店など規模の大きい顧客を中心に事業を広げてきたこともあり、取引が始まってから終了するまで漏れなく機能を詰め込んできた。今の時代、世の中には機能を絞り込んだシンプルなITサービスもたくさん存在します。顧客にとってはその方が使いやすい場合があっても、自分たちは(今からその判断を)できない部分もある」(濱嶋氏)

これは川野氏からすれば狙い通りだった。サービス開発前の時点でインフォマートが巨人として君臨していたため、「どのようなアプローチで業界に入っていくべきか」「もしインフォマートが上手くいっていない部分があるとすればどんなところか」を顧客のもとに足を運びながら、徹底的に研究したからだ。
「まず卸売業者からの意見として多かったのが、多機能すぎてどこから使い始めたらいいのかわからないというものでした。そこで自分たちが最初に取り組んだのが機能の絞り込みです。システムアレルギーがある業界において、機能の多さで喜ばれるよりも『TANOMUなら自分でも使えそう』と思ってもらえることを目指し、本当に必要な機能のみを追求して、それ以外はとことん削ぎ落としました(川野氏)
川野氏がサービス開発にあたって特に意識したのが「モバイルファースト」と「引き算の思考」だ。
そもそもインフォマートのサービスはPCの普及とともに成長してきたものであり、ユーザーもPCを通じて親しんできた。加えて大手企業がコアユーザーということもあり、幅広いニーズに対応できるように「足し算の考え方」で開発されているという印象を川野氏は持っていたという。

一方でタノムはデジタル化の恩恵を受けていない中小零細企業をメインのターゲットにした。そのためモバイル端末からスムーズに活用でき、余計な迷いが生じないように引き算の考え方で機能を実装していった。要は両者のサービスは成り立ちが異なるのだ。
結果としてTANOMUは搭載されている機能のほとんどが基本的とも言えるシンプルなサービスにはなったが、その分使い勝手の良さや導入のしやすさは向上した。
たとえばほぼすべての機能をスマホのみでも完結するように開発。商品の登録もメルカリのようにスマホカメラで撮影して、そのままスムーズに登録できるようにしている。
同時にCSV連携による基幹システムに合わせた形での受注データの出力機能や、リアルタイムでの自動集計機能などによって従来手作業で時間をかけて行っていた業務が大幅に削減されるように設計。少しでも導入しやすくなるようにLINEを使ってより簡単に登録できるフローを構築したほか、入力項目を1つでも減らしITにアレルギーがある個店の経営者にとっての導入ハードルを下げることを意識した。

またこの業界特有の慣習として、飲食店がFAXなどで食材を発注する際に卸売業者を信頼してわざわざ金額を記載しないことがあるという。
その点インフォマートのプロダクトは大手企業が利用することも見越して“ガッチリと”作り込まれているため、金額を正確に入力しないと発注できない仕様になっている。これがどうやらTANOMUの導入先となる小規模な飲食店などにとっては使いづらい要因になっていることがヒアリングを通じてわかった。
そこでTANOMUでは値動きの激しい商品を扱う卸業者でも、商品管理をしやすい設計を目指した。必須入力項目を減らし、金額を入れなくても発注単位と数量さえ入れれば発注できるようにする、デバイスフリーでのマスタ管理を可能にするなど、導入企業にとってはシンプルながら細かい所に手が届くプロダクトを作っていったわけだ。
「インフォマートが今からだと変えるのが難しいところをあえてゆるくすることで、ホワイトスペースを見つけて展開しました。(インフォマートにとっては)そこが不得意だろうと考えたからです」と川野氏はその意図を振り返る。
まずは卸売業者に無料で試験運用してもらいながら何度もブラッシュアップを重ねた。納得してもらえるものができた段階で、川野氏はようやく有料で提供することを決断する(TANOMUは受注側の卸売業者が月額数万円〜の利用料金を支払うSaaS。発注側の飲食店は無料で使える)。
当初の出来栄えは決して良いとは言えず、厳しいフィードバックを受けることもあった。だが満足してもらえるものに仕上がってからは既存顧客の紹介を中心に導入先が一気に広がり、半年で数千店舗の発注に使われるまでに成長した。
「要は川野さんはインフォマートに足りないところを攻めた。だからこそ補完関係があるのは考えてみれば当たり前のことであり、その考えは今も変わっていません」(長尾氏)
競合ではなく補完関係、業界全体のDXには単独では難しい

インフォマートとタノム、双方の代表を担う長尾氏と川野氏は共に三井物産の出身。在籍中に面識があったわけではないが、共通の知人がいたためその人物を介して長尾氏から川野氏へ電話をかけたのが最初の接点だったという。
当初こそ川野氏はインフォマートに対して“競合”という認識もあったが、業界への解像度が高まっていくに連れて「どうやら競合ではなさそうだ」と徐々に考えが変わっていった。
「話に行くお客さん全てがインフォマートのサービスを使っていて、TANOMU導入後も100%のユーザーが両方のサービスを併用していました。外からは『どうやってインフォマートを倒していくのか』と見られがちですが、実際はインフォマートからTANOMUに乗り換えるという話にはなりません。むしろ食品の受発注は市場が大きく、今でもアナログな部分が残っている。そもそも自分たちはインフォマートが入り切れていないところを取りにいくというスタンスで始めたので、十分共存できることがわかったんです」(川野氏)
自分たちが目指す「業界全体のデジタル化」を促進していく上では、単独でやるよりもタッグを組んだ方がうまくいくのではないか──。その考えはインフォマート側にも共通していた。
「どこかのコンペティターを打ち負かすとかではなくて、FAXや電話を使ってやっているところをどうデジタル化していくのか。業界全体のデジタル活用に向けて一緒に取り組んでいければと考えています」(長尾氏)
補完関係にあるとは言えど、TANOMUの普及が進めばインフォマートの既存事業も影響を受ける可能性はある。特に受発注ライトは卸売業者の受注業務のストレスを軽減することを目的として開発したもので、思想はTANOMUとも近しい。
長尾氏の話では、インフォマートが提供する卸売業者の受注業務効率化サービス「受発注ライト」に関しても中堅〜大規模な事業者がコアなユーザーであり、TANOMUとはメインの顧客層が異なる。川野氏もすでに受発注ライトを使っている企業はそもそもTANOMUの導入を検討しないと説明する。
それではどちらのサービスも使っておらず、アナログな業務を続けている企業の場合はどうだろうか。インフォマートが提携先であるTANOMUを勧めることで、受発注ライトの潜在的な顧客を失ってしまう可能性はありそうだ。
「それはおっしゃる通りです。ただ今まである程度規模の大きい事業者を中心に支援してきた中で、業界全体のデジタル化を本気で進めていく上ではもっと裾野を広げていかなければとも感じていました。そのために必要なシステムを新たに自前で作るのと、補完関係のあるタノムと協力していくのではどちらが業界にとって望ましいのか。それはおそらく後者だろうという結論に至りました」(濱嶋氏)
「今後も受発注ライトはしっかりと運営していきますが、卸売業者から見たときに足りない部分があるのも事実で、川野さんたちはそこを狙ってサービスを開発してきた。卸売業者にとっての選択肢が増えることは、業界のDXを推進していく上でもプラスになります。それは結果的にインフォマートにとっても大きな価値があるはずです」(長尾氏)

なぜ資本関係を絡めた業務提携だったのか
近年は「オープンイノベーション」などの流れもあり、大企業とスタートアップの協業が進んでいる。大企業が本体やCVCからスタートアップに出資をしたり、アクセラレータープログラムなどを軸に事業面の連携を図る例もよく見かけるようになった。
こうした事例についてはポジティブな話を聞くこともある反面、いつの間にか頓挫してしまっていたり、経営上のトラブルに発展してしまったりするケースもある。実は川野氏が既存の投資家にインフォマートとの提携について相談をした際も、当初は全員が難色を示した。
「過去に大手企業とスタートアップが組んだ事例においては失敗したケースや熱が覚めて(提携が)なかったことになっているようなケースも少なくありません。私自身もすごく悩みましたが、この業界で事業をやっているからこそ直面する課題や苦悩があり、それを同じように経験しているインフォマートだからこそ、相談できることや力になってもらえることもたくさんあると思いました」(川野氏)
タノムとしてもサービスローンチから着実に顧客を広げていた反面、スタートアップが簡単に入りこめる業界ではなく、リードの獲得や制約に至るまでの関係性作りなど約2年間にわたって試行錯誤を続けてきた。業界の先駆者であるインフォマートと協力できれば、事業の成長スピードを一気に加速させられるかもしれない。
だからこそ、川野氏は「中途半端な(ライトな)提携ではなく、資本も絡めた本格的な提携をリクエストした」という。
「選択肢としてはリセラー(再販)契約などもありえたとは思うのですが、業界の巨人と中途半端に組めば痛手を被るかもしれないという恐れもありました。提携となればサービスの中身も深く知られますし、どういう動きをしているのかを細かく見られてしまう可能性もありますから」(川野氏)
その点はインフォマート側も同様の考え方であり、「補完とは言いつつも同じような領域のサービスを一緒に売っていくとなると、マイノリティでも資本関係を作っておくことは両社にとって意味があり、自然だとも思いました」と長尾氏は話す。
反対に、いっそのことタノムをグループ会社化するという選択肢はなかったのだろうか。
「インフォマートの子会社になってしまえば、タノムの優れた部分が消えてしまうかもしれない。むしろそれでできるのであれば、最初から自分たちでやっているわけです。少なくともタノムはインフォマートがすぐにはできないことをやっておられる。川野さんのおっしゃることもよくわかりましたし、ユーザーにとっても利便性が高まるのであれば、今のまま継続した方が良いだろうと判断しました」(長尾氏)
自分たちが戦っているのは「伝統的な商慣習」

川野氏によると交渉の過程では提携そのものが白紙になりかけた時もあり、通常の資金調達に比べると2〜3倍の時間を要したそう。一方でお互いについて理解が深まった部分もあり、最終的には連結対象にならず、引き続き自分たちの経営方針を貫ける形で強固な関係性を築くことができ「意義のある提携になった」という。
4月からは食品業界のDX推進に向けて協業を進めている。インフォマートの支援を得ることで全国展開の加速や、これまでにアプローチできてこなかった業種への横展開、決裁権を持つ経営層に向けたトップ営業などにおいて変化が生まれ始めているという。
たとえば従来は営業のリードタイムが長く、担当者への営業を経て決裁者判断に至るまでにはトータルで1〜2カ月を要することもあった。卸業者にとって受注業務は事業の根幹であるため時間がかかることは仕方がないと考えていたが、この領域で長く営業活動をやってきたインフォマートと組むことで決裁者に迅速にリーチできるようになった。結果として早い場合には1〜2週間で決裁にこぎつけられたケースも生まれているそうだ。
「自分たちが知らないところで(TANOMUに関する)ウェビナーを積極的に開催してくれているだけでなく、販売に関しても事業計画の中に具体的な数値も盛り込んで『このぐらい売ってくるよ』とコミットしてもらえている。経営については今まで通り裁量を任せてもらいつつも、事業拡大に向けて一緒に汗をかきながら盛り上げてもらえるのは大きいです」(川野氏)
川野氏いわく「デジタルに対するアレルギーが強い業界」ではあるものの、新型コロナウイルスの影響も受けて、他の産業と同様に飲食業界も一気にデジタル活用の流れが押し寄せている。
「20年以上前からやっているアナログな作業が、今でも当たり前のように残っている。そういう意味では、僕たちが戦っているのは伝統的な商習慣なんです。そこを変えるのにはものすごく労力がかかり、タノム単独ではなし得ない。インフォマートと一緒にその慣習を変えていきたいと思っています」(川野氏)