
- 「生き物の研究者」を目指した子ども時代
- カメルーンで実感したワクチンの重要性
- 大切の友人との出会いと別れ
- ウイルスの“張りぼて”、「VLP」でワクチン開発
- 250分の1の確率で“アタリ”を引き当てる
- NIHで最高賞を受賞後に独立
- マラリアワクチン開発に挑む
- 画期的な国産コロナワクチンを開発
今、日本では急ピッチで新型コロナウイルスの国産ワクチンの開発が進んでいる。国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の支援を受けて複数の開発チームが研究を進めており、なかでも注目を集めているのが、VLPセラピューティクス・ジャパンの基盤技術を用いたワクチンだ。
2013年にVLPセラピューティクスをアメリカに創設した赤畑渉は、新進気鋭のワクチン研究者として知られる。2012年まで勤務していたアメリカ国立衛生研究所(NIH)では、在籍中に開発した独自技術が評価され、革新的な研究を表彰するNIHの最高賞、「ディレクターズアワード」を受賞した。ちなみに、NIHは6000人以上の科学者が働く、アメリカで最高峰の医学研究の拠点機関。現在、世界中で接種されているモデルナ社のワクチンも、NIHが共同開発したものだ。

これまで赤畑は、NIHで表彰された独自の技術をもとに新たに創製した基盤技術を用いてマラリアワクチンの開発に注力してきた。人間による治験がすでに始まっているそのワクチンは、年間45万人もの死者を出すマラリアの被害を劇的に減らす可能性があるものとして、世界的に注目されている。
昨年、パンデミックが始まってすぐ開発に着手したコロナワクチンも、既存のワクチンにはない革新的な機能を備えており、数年後の完成を見込む。
赤畑はがんのワクチンの開発も進めており、マラリア、コロナ、がんとすべてのワクチンが世界に大きなインパクトを与える可能性を持つ。日本からアメリカに渡り、先進的な研究で赤畑はなぜワクチン研究の道に進んだのか? どうやって革新的な技術を開発したのか? なぜアメリカで起業したのか? 日本ではまだほとんど知られていない彼の歩みを振り返る。
「生き物の研究者」を目指した子ども時代
赤畑は1973年、広島県の尾道で生まれた。幼い頃から虫が好きで、機械では表現できない精巧な体の作りや動きを見ながら、「すごいなあ」とひとり静かに心を震わせていたという。小学生になると、『ドリトル先生』シリーズや『シートン動物記』のような、動物にまつわる物語もよく読んだ。中学受験をして、私立の関西学園 岡山中学・高等学校(岡山中学)に進んだ時には、「生き物の研究者になりたい」と思うようになっていた。

中高一貫校なので、入学すると高校まで通う生徒が大半だが、赤畑は高校受験をして広島大学附属福山高校に進学した。
「岡山中学には関西からいろいろな人が来ていて、同級生には、現在、衆議院議員の橋本岳くんやゲーム開発・運営を手掛けているgumiの社長の國光くん(gumi創業者の國光宏尚氏)もいました。楽しい学校ではあったんですが、入学してすぐの頃から『6年間も寮生活をするのは嫌だな』と思っていたので、初志貫徹で受験をし直しました」
岡山中学ではカリキュラムを前倒しで進めていたので、中学3年生の時には高校1年生の勉強を終えていた。広島大学附属福山高校では、岡山中学でひと通り勉強した授業が始まって、「非常につらかった」。
高校2年生になってからは、担任とまったくそりが合わず、顔を合わせたくない一心で、朝の会はほぼ欠席。「その頃のことは、あまり思い出したくないですね」と苦笑する。
カメルーンで実感したワクチンの重要性
子どもの頃に抱いた「生き物の研究者になりたい」という想いは、東京大学理科二類に進学してからも変わらなかった。その目標がより具体的になったのは、京都大学ウイルス研究所の速水正憲教授との出会いから。学生時代、自分がなにを研究すべきか迷っていた時に、当時、猛威を振るっていたHIVのワクチン開発に取り組んでいた速水教授の存在を知り、ウイルスへの興味が湧いた。
「ウイルスって『生物と無生物のあいだ』と言われていて、生物っぽいけど無生物なんですよね。そういう意味で、精巧に動く虫のもっと先にあるウイルスの世界って非常に面白いなと思ったんです。それに、HIVのワクチン開発に取り組む速水先生の姿を見て、自分もやるからにはインパクトの大きなことをしたいなと思って」
1997年、京都大学大学院人間環境学研究科に進学。速水教授のもとでウイルスやワクチンについて学び始めた赤畑にとって、忘れられない思い出がある。博士課程1年生の時に、ウイルス研究所のメンバーと行ったカメルーンだ。
同国を巡り、HIV患者の血液を集めてくるというミッションで、3カ月ほど現地に滞在した。その途中、HIVに感染した母親の出産後に話を聞く機会があった。母親がHIV患者の場合、新生児が感染している確率は50%。すぐに赤ん坊の検査が行われた結果、幸運にも感染していないことがわかり、母親も病院のスタッフも「良かった!」と喜んだという。その話を聞いた時、「HIVを治すって大切だな。家族を幸せにできる仕事っていいな」と実感したそうだ。またHIVは貧困問題とも密接にかかわっていて、売春などによってHIVに感染してしまった貧しい人たちの姿も、目に焼き付いて離れなかった。
「ウイルスって電子顕微鏡を使わないと見えないし、日本ではHIVの患者さんを見る機会がなかったので、HIVの研究をしていても、リアルに想像しづらかったんです。だから、カメルーンで実際にHIVの患者さんと会って、その現状を知ることができたのは、自分にとってはすごく大きな経験でしたね」

速水教授のもとで修士課程2年と博士課程3年を過ごし、日本最先端のHIVワクチン開発に従事した赤畑は、「ワクチンの大切さ」を体感し、研究者になることを決意。アメリカ国立衛生研究所(NIH)やアメリカの著名ながん研究センターで働いていた先輩から話を聞き、「研究者になるなら、アメリカでやらないとな」と思うようになって、現地での仕事を探し始めた。
ちょうどそのタイミングで、その先輩から「NIHのなかにワクチン研究センターができたよ。すごく面白いところだからあたってみたら?」と聞き、就職希望のメールを送った。すると、ワクチン研究の権威で、センターの所長に就いたばかりのギャリー・ネイベルからすぐに「受け入れる」と返信が届いた。それからトントン拍子に話が進み、2002年4月、NIHのあるメリーランド州へ向かった。
大切の友人との出会いと別れ
NIHのワクチンリサーチセンターとは、どのような職場なのだろうか? 赤畑は「世界中の優秀な人たちが、すごくハイレベルな研究をしているところ」と表現する。
「最先端の研究をしていて、そのなかからどんどんいい成果が出てきます。周りのレベルがとても高いので、自分の研究でなかなかいい結果が出ないと、正直、プレッシャーも感じます」
優秀な人材が集まる大きな理由のひとつは、センターの特徴にある。アメリカの大学の場合、ワクチンを開発しようにも、基礎研究までしか許されていないが、センターでは、大きく花開く可能性があると認められた基礎研究は、臨床試験に進ませることができる。センター内に臨床試験の専門チームもあり、うまくいけばワクチン開発の最短距離を走ることができるのだ。これは、研究者にとって大きな魅力だろう。
「最初は英語もぜんぜんわからなかった」という赤畑がこの環境にすぐに溶け込むことができたのは、職場の友人、インド出身のガナッシュ・ラクシュマンさんの存在が大きい。職場では、それぞれの研究がひと段落したタイミングで一緒に食事をしたり、息抜きをしたりした。休日の土曜には、NIHの隣の研究室の研究者と3人で朝食を食べるのが習慣だった。一緒に野球観戦にも行ったし、旅行もした。
「彼は僕が英語をあまり喋れないことを気にせず接してくれましたし、英語もよく教えてくれました。一番いい思い出になったのは、日本とインドと両方に行ったことですね。2週間、南インドの彼の実家に行って、2週間は僕の広島の実家に来てもらって。お前は日本からアメリカに来てインド人と仲良くなるなんて不思議だろって、ガナッシュがよく言っていました」
互いの故郷を訪ねあうような友人と出会えたことは、赤畑にとって幸運だった。しかし、その関係は長く続かなかった。2006年、NIHでの研究が評価されてシカゴの大学で准教授として研究主宰者(PI:Principal Investigator)の職を得たガナッシュさんがシカゴに引っ越しを決めたばかりのタイミングで、がんが発覚したのだ。
赤畑は、メリーランドから1000キロメートル以上も離れたシカゴの病院に入院したガナッシュさんに何度か電話をかけた。見舞いに行くと話すと、そのたびに「絶対治るから来なくていい」と言われた。ガナッシュさんは医者でもあったから、その言葉を信じていた。ところがある時、「見舞いに来てくれてもいい」と言われて、はるばるシカゴの病室を訪ねた赤畑は、言葉を失った。部屋は暖房で猛烈に暖められていた。そのなかで、抗がん剤治療でがりがりに痩せて、別人のようになったガナッシュさんが横たわっていたのだ。
「がんの患者さんは体温が下がって寒いので、部屋を暖めるんです。彼の様子をひとめ見て、これはもう難しい状態だとわかりました。見舞いに来ないでいいと言っていたのは、自分の姿を見せたくなかったでしょう。でも、さすがに最期は会っておこうと思ったんでしょうね。最後に会えて、本当に良かったです」
この悲しい再会から間もなくして、ガナッシュさんは亡くなった。この別れによって、赤畑の胸のなかに「いずれ、がんのワクチンを作ろう」という強い想いが湧き上がった。
ウイルスの“張りぼて”、「VLP」でワクチン開発
赤畑が注目されるようになったのは、蚊を媒介にする感染症、チクングンヤ熱がきっかけだ。チクングンヤ熱は2005年から翌年にかけて、アフリカのレユニオン島で感染爆発が起こり、インドや欧州、そしてアメリカにも飛び火した。その際、NIHでワクチンを開発することになり、赤畑がその研究を担った。
この時、赤畑が取り組んだのが、VLP(ウイルス様中空粒子)を使ったワクチンだ。VLPとはなにか? 赤畑が特集されたNHKの番組『サイエンスZERO 「挑戦者たち! 新型ワクチン開発で世界を救え」』で放送された例え話が非常にわかりやすかったので、ここにそれを記す。
シュークリームをウイルスだと仮定する。クリームの部分が遺伝子で、クリームをきれいに抜いて外側の皮だけになったものが、VLPである。VLPの表面に、ウイルスの特徴となる物質=抗原を乗せると、「ウイルスにそっくりな、中身のない殻」ができあがる。中身=遺伝子がないということは増殖能力もなく、人体に害はない。ウイルスの張りぼてと言ってもいいだろう。
この張りぼてを、人間の体に注入するとなにが起きるか。人間の免疫系は「見たことのないウイルスが入ってきた!」と勘違いし、大量の「抗体」を放出して、アタックを開始する。無害の張りぼては、すぐに消滅する。
重要なのは、張りぼてが体に侵入してきた時に、体の隅々まで「この顔を見たら、攻撃せよ」という「ウイルスの指名手配書」がばらまかれることだ。人間の免疫系はとても賢いので、この指名手配書をしっかりと記憶して、次に同じ顔をした本物のウイルスが来た時には総攻撃を仕掛けて、壊滅させる。張りぼて=VLPは、この免疫反応を導くための仕掛けなのだ。
VLPのアイデア自体は以前からあるもので、B型肝炎ワクチンや、子宮頸がんワクチンなどに応用されている。しかし、チクングンヤ熱のように被害者数が多い感染症のワクチンとしてVLPを広く活用するには大きな課題があった。シュークリームのクリームを抜くと中身は空洞になり、柔らかい皮はぺしゃんこに潰れてしまう。VLPも同じく、見た目はウイルスと同じでも、非常にもろくて壊れやすい。人間の体のなかでしっかりと張りぼての役割を果たすVLPを作るのは、技術的に至難の業なのだ。
大学院生の時、速水教授のもとでVLPを使ったHIVワクチンの開発に携わり、NIHでも研究に勤しんできた赤畑は、それまで誰も実現できなかったチクングンヤウイルスのVLPワクチンの開発に挑んだ。これが、大きな転機となる。
250分の1の確率で“アタリ”を引き当てる
チクングンヤウイルスは、遺伝子が異なるものが約250種類ある。赤畑は、そのうちの2つを選んで、VLPを作ってみた。すると、1つのウイルスでは失敗したものの、もう1つのウイルスで成功。ずいぶんあっさりとできたことに驚きながら、そのVLPを精製して、動物実験に臨んだ。VLPをマウスに注入した時に、体内にどれぐらいの抗体ができるのかを確かめるのだ。
抗体量を調べるには専門のキットがあり、なにもない状態では光を発していて、抗体が加わると光が収まる。VLPを注射したネズミの血液の一部(血清)をそのキットに入れた瞬間、一気に光が消えた。その結果を見た赤畑は、「これはすごい」と呟いた。この後、血清を1万倍に薄めたものをキットに投入したところ、それでもかなりの光が消えた。それは、マウスの体の中でできた抗体の数がとてつもなく多いことを示す結果だった。
赤畑は、VLP化に成功したウイルスと失敗したウイルスの違いを知りたくなり、それぞれのウイルスの殻(シュークリームの皮)を構成する遺伝子を比較してみた。すると、膨大な遺伝子配列のなかで、たった一カ所だけ、アミノ酸の配列を変えることでVLPができることが分かった。「このアミノ酸配列が影響しているのか?」と疑問に思い、手を付けていなかったほかの250近いウイルスを調べると、VLP化に成功したもの以外は、すべて同じ遺伝子構成になっていた。約250のウイルスの中で、赤畑がたまたま最初に選んだ2つのウイルスのうち1つだけが、VLP化に適した遺伝子を持っていたのである。250本中249本がハズレのくじがあるとしたら、いきなり“アタリ”の1本を引き当てたのだ。

この研究はNIH内でも高く評価され、ワクチンは臨床試験に進んだ。2010年には、この研究成果を記した赤畑の論文が世界で最も権威のある医学雑誌のひとつ『Nature Medicine』(3 月号)に掲載されただけでなく、VLP の写真が雑誌の表紙を飾った。赤畑の存在と研究が、世界に知れ渡った瞬間だった。さらに同年、VLPを用いたチクングンヤウイルスワクチンの開発で、NIHワクチンリサーチセンター賞を受賞する。
「臨床試験に進んだ時は、僕ももちろんそのチームに加わりました。その時にいろいろとディスカッションをして、臨床試験のノウハウを学ぶことができたのは、ラッキーでした。僕は、基礎研究をずっとやるよりも、自分の研究を少しでも患者さんの近いところに持っていきたいと思っていたので、すごく嬉しかったですね」
NIHで最高賞を受賞後に独立
VLP──チクングンヤウイルスの張りぼては、赤畑の人生を変えることになった。このウイルスの特徴は、それまでVLPとして使用されていたウイルスと比べて、直径が4倍あること。
先述したように、中身を抜いたその殻に、ウイルスの特徴となる物質=抗原を乗せたものがVLPワクチンになる。そして、抗原が多いほど体内の抗体も増え、ワクチンとしての効果が高まる。赤畑の研究によって、チクングンヤウイルスのVLPは、従来のVLPに比べて圧倒的に多い480個の抗原を乗せられることがわかった。48個の抗原が乗るVLPがバスだとしたら、480個の抗原が乗るVLPはジェット機だ。要するに、それまでの10倍の効果を期待できる。
赤畑は、この巨大で有用な張りぼてをほかの感染症にも応用。NIHでの実験により東部ウマ脳炎、西部ウマ脳炎、ベネズエラウマ脳炎の3つの感染症で大きな効果を発揮することがわかり、3つともが臨床試験に進むことになった。NIHでは無数の基礎研究が行われており、臨床試験に進むのはそのなかでも大きな効果が期待されるごく一部のみ。ひとりの研究者の研究が短期間に4つも臨床試験に進むのは、異例のことだ。チクングンヤウイルスのVLPが、どれほどのポテンシャルを秘めているのか、わかるだろう。その開発者である赤畑は2012年、NIH の最高賞であるディレクターズアワードを受賞した。
そして2013年1月、独立してVLPセラピューティクスを設立する。研究者として脚光を浴び始めた時期に、アメリカ最高峰の研究機関を辞めることに、ちゅうちょはなかったのだろうか。
「もともとワクチンリサーチセンターに居続けるつもりはなくて、2011年頃から大学のPI(独立ポジション)になろうと考えていました。その頃に、上野先生と久能先生に出会ったのですが、『非常に面白い研究だから起業したら?』 と言ってくれたんです」
上野先生とは、日本とアメリカで開発した2つの新薬の売上高が1兆円を超えるという医薬発明家の上野隆司博士。久能先生とは、日米で上野博士と歩みを共にしてきた久能祐子博士だ。アメリカで医薬ベンチャー・スキャンポ・ファーマシューティカルズを立ち上げ、NASDAQに上場させたふたりの言葉に背中を押された赤畑は、起業に心が傾いていく。
しかし当初は、大学のPIポジションと二足のわらじを履くつもりだった。それを辞めて起業家の道に絞ったのは、2つの言葉が影響している。ひとつは、ベンチャーの経験者から言われた言葉。
「ベンチャーって100パーセント本気でやってもよく潰れるから、中途半端にやっても潰れるよ」
もうひとつは、1年以上も起業するか悩み続けていた赤畑に妻が放った言葉だ。
「そんなに迷うんなら、やったら?」
2人に𠮟咤(しった)されて、腹をくくった。
「自分の研究を患者さんに届けたいなら、大学のポジションよりベンチャーの方が可能性としては高いかなと思いました。なにが正解かはわからないけれど、ベンチャーの方が自由だし、やれる範囲も大きいだろうし。それで大学のポジションに固執せずに100パーセントやってみて、ダメだったらまたその時に考えようと思いました」
起業にあたっては上野博士、久能博士が資金面などをサポートし、特許関係を扱うメンバー、アメリカ人の弁護士も加わって、VLPセラピューティクスは計5人で船出した。
マラリアワクチン開発に挑む
起業家になった赤畑が狙いを定めたのは、エイズ、結核と並んで「三大感染症」と呼ばれるマラリアだ。厚生労働省検疫所が公表しているデータによると、1年間に約2億2000万人がマラリアに感染し、推計43万5000人が死亡している(2018年11月の統計)。この世界最大規模の感染症を食い止めようと、過去40年間、世界各地でワクチンの開発が進められてきたが、効果的なものが出てきておらず、根絶には程遠い状況だ。

なぜ、マラリアのワクチン開発が難しいのか。マラリアは、ハマダラカという蚊によって媒介され、体内にマラリア原虫が侵入する。原虫はわずか45分で肝臓に到達し、細胞に入り込んで「感染形態」となり分裂、増殖する。2週間でその数は数千倍となり、血液に入り込んで赤血球を破壊し、毒素を出すという厄介な性質を持つ。
マラリアの感染を防ぐには、肝臓で感染形態になる前に原虫を叩く必要があり、タイムリミットは45分。その間に原虫をせん滅できる強力なワクチンが必要とされているのだ。もしワクチンが完成し、マラリアを根絶することができれば、1000万人の死亡を防ぎ、約4兆ドルの経済効果につながると試算されている。赤畑は上野博士、久能博士と相談し、世界で最も感染者数が多く(後に新型コロナウイルスが記録を更新する)、ワクチンのニーズが高いマラリアで勝負することを決めた。もちろん、マラリアワクチンで使用するのもチクングンヤウイルスの巨大な張りぼて(VLP)だ。
とはいえ、ITベンチャーのように高速でPDCAを回すことはできない。人の命にかかわる医薬ベンチャーは製品開発に時間とお金がかかる。起業してから数年は特許の出願、論文の執筆を進めるとともに、アメリカ軍やグローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)などから研究費の提供を受け、さまざまな基礎研究を行ってきた。
ちなみに今年4月、イギリスのオックスフォード大学の研究チームが、マラリアワクチンの治験で77%の予防効果を達成したと発表した。これは、2019年にブルキナファソで幼児450人に接種して調査したもので、「2030年までに有効性75%のワクチンを開発するという世界保健機関(WHO)の目標を世界で初めて達成したマラリアワクチン」と報じられている。
2019年から臨床試験段階に入っている赤畑チームのマラリアワクチンについてまだ詳細は公表できないそうだが、NHKの番組『サイエンスZERO 「挑戦者たち! 新型ワクチン開発で世界を救え」』で放送された途中経過を見る限り、このまま順調に開発が進めば画期的なマラリアワクチンになる可能性を秘めている。
画期的な国産コロナワクチンを開発
新型コロナウイルスのワクチン開発は、2020年に赤畑がVLPセラピューティクス ジャパンを日本で立ちあげてスタートさせた。こちらは、特殊な技術「自己増殖RNA(レプリコン)技術」を使用している。これは、『サタデーステーション』公式 YouTubeに掲載されている「国産の次世代ワクチン 少量でも効果に期待!?」の動画がわかりやすいので、参考にして解説しよう。
現在、日本を含む世界で広く使用されているファイザー製薬のワクチンには、新型コロナウイルスの特徴であるスパイクタンパク質のトゲトゲの部分の情報が含まれている。ワクチンを接種すると、体内に同じトゲトゲを持つ無害の細胞ができる。免疫細胞がこれを異物と認識することで、本物のコロナウイルスが入ってきた時にも攻撃を仕掛ける仕組みになっている。
これに対して、VLPセラピューティクスのワクチンには、トゲトゲの情報だけでなく、コピー機能を持つたんぱく質も含まれている。これが体内に入ると、最初に細胞内でコピー機が誕生する。次に、コピー機がトゲトゲの情報をコピーして、体内で大量にばらまく。そうすることで無害のトゲトゲを持った細胞がたくさん生まれる。この後の免疫系の働きは、先述の通りだ。すでに動物実験では有効な結果が出ており、変異株にも効果を発揮したという。
画期的なのは、体内で自動的にトゲトゲの情報を拡散するコピー機能があるため、1人あたりのワクチン投与量が1~10マイクログラムで済むことだ。これは現在、世界で接種が進むワクチンの10分の1から100分の1の量で、理論的には、ワクチン127グラムから日本の全国民に行き渡る1億2700万回の投与分を確保できる。また、少量で済むため、生産開始からわずか数カ月で1億回分のワクチンができあがる。

赤畑の会社を中心に国立国際医療研究センター、医薬基盤・健康・栄養研究所、大阪市立大、国立病院機構 名古屋医療センター、北海道大学、国立国際医療研究センター、大分大学など国内6機関と共同開発しているこのワクチンは2022年内に治験を終える予定。同様のワクチンはまだ登場しておらず、実現すれば世界初の快挙となる。
マラリア、コロナ、どちらかのワクチンを完成させることができたとしても素晴らしい偉業だが、冒頭に記したように、赤畑は2013年に独立して以降、この自己増殖テクノロジーを使ったがんワクチンの研究も進めている。
こちらは、人間の免疫力にブレーキをかけるがんの特異能力を阻害し、本来の人間の免疫力を活かしてがんを攻撃する新薬「オプジーボ」と同等の効果を発揮するワクチンで、動物実験ではすでに大きな成果を上げているそうだ。オプシーボは非常に高額で、アメリカで保険がない場合は1回の投薬で3000万円を超えるが、赤畑が目指すのはもっと手の届きやすい価格。日本だけでがんの死者数は年間37万人を超えており(2019)、このワクチンが完成すれば、インパクトはすさまじい。
マラリア、デング熱、コロナ、がん。大学院生時代に「家族を幸せにできる仕事」を目指した1人の日本人が、これからどれだけ多くの命を救い、どれだけの家族に幸せをもたらすのだろうか。
