
- NiziUの「プロセスエコノミー」は失敗なのか?
- 実は産業財に効果的な「プロセスエコノミー」
- 「プロセスエコノミー」との付き合い方
プロダクトやコンテンツの制作過程を見せ、そこに経済圏を作ることを指す新たな概念「プロセスエコノミー」。クリエイターやアーティストが作業中の様子をライブ配信するサービス「00:00 Studio(フォーゼロスタジオ)」を運営するアル代表取締役の“けんすう”こと古川健介氏が提唱した概念だ。
そのプロセスエコノミーの概念を著書『プロセスエコノミー あなたの物語が価値になる』(幻冬舎)で詳しく解説し、2021年7月に出版した、IT批評家の尾原和啓氏。同書は発売前からAmazonの書籍カテゴリー売れ筋ランキングで総合1位になるなど、話題を集めている。
なぜ、いまビジネスパーソンがプロセスエコノミーを理解すべきなのか──尾原氏が一橋ビジネススクール教授で企業の競争戦略などを教える経営学者の楠木建氏と行った対談の模様を、全3回に分けてレポートする。第3回ではプロダクトに競争力がなくとも、プロセスエコノミーは成り立つのかどうかについて2人が語った。
NiziUの「プロセスエコノミー」は失敗なのか?
楠木建氏(以下、楠木):『プロセスエコノミー』を読んで、多くの読者は「なるほど、プロセス自体が価値になるのか」と考えると思いますが、プロダクトで独自の価値がなくても、プロセスを加えることで成功するのでしょうか。
それとも、多少プロダクトに特別な価値がないと、いくらプロセスを工夫したところで結局ダメなのか。尾原さんの考えをお聞きしたいです。
尾原和啓氏(以下、尾原):その質問に答えると、すごくプロセスエコノミーの解像度が上がりますね。いま、楠木さんがおっしゃっていることは、マーケティング用語で「Aha Moment(以下、アハ・モーメント)」と言うことがあります。プロダクトを使っている時に、品質的な価値として「何これ、ヤバい!」というアハ体験があって、その裏側にアハ・モーメントを実現するプロセスがあると、その商品に惚れこんでファンに変わっていくんです。
楠木:「アハ・モーメント」の例えはとても分かりやすかったです。機能や品質で差別化を図れないときは、プロダクトを通じてアハ体験につながるようなものが、ひとつでもあればいいということですよね。
尾原:そうですね。例えばリクルートだと、商品設計をするときに、「当たり前価値」と「ワクワク価値」という考え方をします。商品である以上、最低限備えておくべき機能「当たり前価値」がなかったら使ってもらえないし、ユーザーは失望して離れてしまう。この「当たり前価値」が情報社会の中で共有化されて、高止まりしやすくなっているのが今だと思うんです。
では、プロダクト・イノベーションな体験があった上で、裏側にプロセスがあるときにしか人はプロダクトにほれないかと言うと、そうでもありません。「プロセスだけのワクワク価値でほれ込む」という例としては、デジタルエンターテイメント業界があります。
書籍の中では、BTSの例を挙げています。BTSは、完成度の高い歌とダンスがあり、それぞれのメンバー間にいろんな物語があるので、ファンが病みつきになっているんです。
その一方で、最近Twitter上では「NiziU(編集部注:ソニーミュージックとJYPの合同オーディション・プロジェクト「Nizi Project」から生まれたガールズグループ)は、出来損ないのプロセスエコノミーじゃないか」との議論があります。
NiziUは、オーディションの時点から比べるとデビュー段階ではすごくうまくなっているけれど、BTSのレベルには足りてないんです。でも、「当たり前価値」として聴いて楽しいですし、「つい一緒に口ずさみたくなる」というレベルは超えています。
楠木:なるほど。
尾原:そういう意味では、「ワクワク価値」が「当たり前価値」を超えていれば、けっこうカバーできてしまうのではないか、というのが僕の今の仮説です。
例えば、「楽天市場」にはそういう店舗が多いです。日本酒だったり、ドレッシングだったりに生産者のこだわりが反映されていて。それぞれの商品に物語があり、モノ以上にモノを感じられるタイプの商品だと、「楽天」が強いんですよね。
人は「モノそのものを味わう解像度」を上げていくよりも、「物語を味わう解像度」を上げていくほうが楽しかったりします。みんながワインのソムリエにはなれないけど、「ワインを作っている人の物語」の語り部にはなれるからです。
楠木:なるほど。日本だと、昔からある工芸品とかは自然とそうなっていますよね。
尾原:民芸品的な世界観に近いものだと、「高校野球」というゾーンもある。つまり、プロ野球のレベルには足りていないんだけど、高校生が「おらが町の代表」になったときに、当たり前品質の基準が劇的に下がって、プロセスエコノミーの比重が劇的に上がる現象が起きています。
僕はインターネットって、小さな「おらが町の高校野球」がたくさん作れる部分に面白さがあると思っているんですよね。
楠木:確かに、いろんなデジタルインフラやテクノロジーがなければ、プロセスエコノミーは特殊な条件が揃っているところでしか成立しなかったですよね。
尾原:おっしゃるとおりです。プロセスエコノミーが成立してきたのは、「インターネットが普及し、動画や画像で日々のこだわりが簡単にシェアできるようになってきたからです。
楠木:いずれにせよ、プロセスの価値をうまく伝えることができたら、ちょっとやそっとじゃ代替可能じゃないものになりますね。
実は産業財に効果的な「プロセスエコノミー」
尾原:最初に楠木さんが提示してくれた、「プロセスエコノミーは消費財には使えるけど、産業財には使えるのか?」というお話ですが、実は僕、産業財にも「役に立つから意味がある」マーケットが出てきていると思っています。
実際にアメリカでは、BtoBマーケティングではなく、HtoH(Human to Human)マーケティングという風に言われています。Business to Businessと言っているけど、最終的に選んでいるのは、ビジネスをしている“Human”だよねという。
なおかつ、BtoB取引のほうがBtoCより取引の期間が長いじゃないですか。
楠木:確かにそうですね。
尾原:そこで「当たり前価値」が欠如していたら、「足切りです」という話になると思うんですけど、足切りラインの上だったら、物語価値が混ざりやすい可能性は産業財の方があるな、と個人的に思っています。
楠木:それは面白いですね。僕がいま思いついた例で言うと、昔苦しかった時にリスクを取って融資を実行してくれた銀行のことを思うと、成功して大きな会社になってからも、他の銀行とはあまり付き合いたくない、というのがありますよね。
尾原:そうですよね。銀行なんてまさに、「当たり前価値」の部分に差が付きにくくなってきていて。そうすると、「いざというときに応援したいか」や「あの人に絶対恥をかかせたくないからお金を返す!」みたいな感情的な価値が生まれる。
楠木:それは結局、Human to Humanなわけですよね。繰り返しの取引や長期的な関係性を考えると、むしろBtoBのほうが、自然とプロセスエコノミーでうまくいっているところが多いのかもしれないですね。
尾原:そうです。もともと信用金庫のような装置って、エモーショナルな人とのつながりで、「あの人に応援されているからやりきる!」みたいな力があります。
楠木:(金融機関から見た)融資先の信用でも、その人のプロセスをきちんと見ていかないと、本当のところは評価できないというのもありますよね。
尾原:はい。なおかつ、そこに自分のプロセスを評価してくれる人が現れると、その人の評価によって成長しやすくなるという、フィードバックの部分もある。まさに本の最終章では、「実はプロセス的なものを楽しみながらやったほうが、人間って成長する」という話をしていて、そういった観点も大事なのかなと思います。
「プロセスエコノミー」との付き合い方
楠木:最後に、僕が読んだ感想の論点で言うと、一度「プロセスエコノミー」でプロセス価値をうまく伝えられている人は、相当規律を持って生きないとダメだなと思うんです。というのは、何かあってお客さん側が幻滅してしまうと、全部ぶち壊しじゃないですか。それは供給者側にかなりの規律を要求することだな、と。
これまでいろんなかたちで作ってきたプロセスの価値が、一瞬にして失われることもあるだろうなと思いました。
尾原:そうですね。プロセスエコノミーにおいて、人は、「アイツはこれを絶対やる男だ!」という、信念にほれているので、やってほしくないことをやった瞬間に、ほれなくなってしまう危険性がある。
楠木:「なんだ、こんな人だったんだ!」みたいなね(笑)。
尾原:今後、機会があれば、楠木さんと独立研究者、著作家などとして活動する山口周さんと話したいと思っているのが、ローレンス・レッシグ先生が語っていた「世の中をコントロールする力は4つある。それは、罰則・市場原理・アーキテクチャ・美学だ」ということについてです。
実は、この「美学」を産業的にどう育てるのかという話はあまり出ていなくて。自然には美学の外に出ないことを、どうすれば人ができるようになるのかは、これから重要になっていくテーマだとすごく思っています。
楠木:なるほど。「美学」に関する一般的な議論ですが、究極の美っていうのは自己犠牲なわけです。だからこそ、「明らかに損になることだけど、それをあえてやっている」や「明らかに得になることが目の前にあるのに、それに手を出さない」とか。そういう意味での自己犠牲が、基本的には美であるという。
そういうのが商売でもあると思います。そういうことがないと、自分以外の他者は、それを美しいと思わないんじゃないですかね。
尾原:そうですね。「あの人はAとBの選択肢で、みんながAと言うときも、Bの中に別の物差しを見つけたらBを選んでしまう生き物だ」と感じると、背中を任せられるという。そこを分解するということですね。
楠木:だから潔さとか、そういうことじゃないかなと思うんですよね。何かを「意識的に失っている」。
尾原:「意識的に失っている」ですね。意図的に何かを自己犠牲にすることを、自覚的にわかっていて、本人もそれを美しいと思えるようになると、共存共栄になりやすい。すごく解像度が上がりました。
楠木:いえいえ、こちらこそ。また別の機会にも、尾原さんとこういうプロセスエコノミーの話の続きをできたらと思います。