
- 株式市場の急落は本当に「岸田ショック」なのか
- 「金融所得課税」と所得の「1億円の壁」とは
- 一律の税率引き上げが「格差是正」につながるのか
- ベンチャー企業にも大きな影響を及ぼす課税の見直し
9月29日に自民党総裁選が行われ、岸田文雄氏が総裁に選出された。一部の投資家は“新首相の就任”に伴い、ご祝儀相場を期待していたようだが、現実は真逆の結果となった。
日経平均株価は8営業日連続で下落。8営業日続落は2009年7月以来、12年ぶりのことであり、9月29日からの下げ幅は2000円を超えた。
この続落を岸田氏が、株式譲渡益や配当金など金融所得への課税について、現行の一律20%(所得税15%、住民税5%)から25%程度に引き上げる「金融所得課税の見直し」を検討する意向を示したことによって引き起こされた「岸田ショック」と呼ぶ向きもある。なお、金融所得課税の見直しに関して、岸田氏は10日のフジテレビ番組に出演し、「成長なくして分配はない」として、「当面は触ることは考えていない」と明らかにした。
すぐに金融所得課税の見直しが行われることはないとのことだが、これを機に金融所得課税の見直しについて筆者の考えを共有したいと思う。
株式市場の急落は本当に「岸田ショック」なのか
株式市場において、株価は非常に多くの外部要因によって変動していく。それ故に株価の変動をたった1つの要因によるものと捉えるのは危うい。足元の日経平均の続落も同じで、少なくとも前述の金融所得課税の見直しだけが原因ではない。
それは日本以外の国の株価指数も下落していることから明らかだ。中国不動産大手の「恒大集団」の経営悪化に伴う連鎖的な債務不履行への懸念、米国の債務上限問題、経済活動再開に伴う供給制約を背景としたインフレ懸念など、株価下落の背景にある要因を挙げればキリがない。
さらに日本国内の要因だけで言っても、もちろん金融所得課税の見直しが嫌気されたこともあるが、9月末に行われた日経平均採用銘柄の入れ替えに伴い生じた指数連動型ファンドなどの機械的な売りなど、国内株式市場における需給環境の悪化もあるだろう。
つまり、メディアが足元の軟調な株式市場の動向を「岸田ショック」などと報じているのは少なくとも正確ではないと思う。読者の人たちにはタイトルで釣るような本質的ではない情報を鵜呑みにしないように注意して欲しいと思う限りなのだが、とはいえ金融所得課税の見直しについては由々しき問題であり、決して看過できるものではない。
「金融所得課税」と所得の「1億円の壁」とは
日常生活において金融や経済の分野に触れていないと、税金の仕組みについて理解していないこともあると思うので、ここでは少しだけ税金について書いておきたい。
一般的に所得税といえば、働いて給料をもらい、そこから一部が所得税として徴収される。そして、その所得税は所得が多いほど税率が高くなっていく累進性があるということは、多くの読者が知るところだろう。年間の課税所得が195万円未満だと税率は5%だが、課税所得が4000万円以上になれば住民税も含めて税率は最高の55%となる。
一方で、インカムゲインと呼ばれる株式などの金融商品から受け取る配当金や、キャピタルゲインと呼ばれる株式の売買益は金融所得であり、これらは各人の所得や資産の多寡にかかわらず一律で20%(所得税15%、住民税5%)となっている。
その結果、所得税が累進性のある設計となっているにもかかわらず、所得が1億円を超えると税負担率が下がっていくという状況にあり、これを「1億円の壁」と呼ぶこともある。下図は財務省が発表している申告納税者の所得税負担率の変化をグラフにしたものだ。

なぜ、1億円の壁が生じるのか。いわゆる富裕層は金融所得を多く持つ傾向があり、金融所得課税は一律で20%なので、富裕層ほど所得税の負担率が下がっていくというからくりだ。この格差を是正すべく出てきたのが、金融所得課税の見直しだ。
一律の税率引き上げが「格差是正」につながるのか
金融所得課税の見直しについて、TwitterをはじめとするSNSを見ていると、反応は二極化しているように感じる。特に個人投資家は当然否定的な意見が多いが、一方で格差是正策は早急に取り組むべき施策として本件を心から歓迎している人たちも多い。
筆者がレギュラーコメンテーターを務める朝のラジオで本件について、「単純に税率を引き上げるだけであれば格差是正の機能はなく、単純に国民の税負担が増すだけだ」と否定的な発言をしたところ、多くの批判を受けた。
筆者は批判的な意見は積極的に目を通すようにしており、それを受けて深く自省することも多いが、本件については腹落ちするような批判はなかった。むしろ、「富裕層だから本件に否定的なのだ」というレッテル貼りをされ、罵詈雑言を浴びるような内容が多くを占めた。
日本では2003年から「貯蓄から投資へ」という標語が掲げられ、投資人口は着実に広がりを見せている。老後2000万円問題(編集部注:夫婦が夫65歳、妻60歳から年金生活を送る場合、30年後まで生きると想定すると老後資金が約2000万円不足するという金融庁の金融審議会の試算に端を発する物議のこと)などを提示されれば、自己防衛として資産運用を始める人が増えるのは当然だ。
仮に金融所得課税の税率を一律で引き上げれば、たしかに富裕層からお金を吸い上げることは出来るかもしれないが、同時に将来のためにコツコツと投資をしているような会社員などの個人投資家も同様に税負担が大きくなる。
ちなみに、富裕層であれば租税回避のノウハウもあれば、税負担に対応するためにお金も時間も使うことは可能だが、多くの個人投資家は税率が引きあがれば甘受する以外の選択肢はないだろう。格差是正は重要な課題であり、そのために分離課税を廃止したり、一定金額以上の金融所得に対しては累進課税を適応するという案であれば十分理解できる。
ただ、単なる一律の税率引き上げを歓迎している人たちはルサンチマン(嫉妬心)に支配されて冷静な判断が出来ていないのではないか。
富裕層からお金を吸い上げて、そのお金を低所得者層や中間層に分配して経済全体を底上げするのだから、格差是正になる──SNSでそういう主張を掲げる人たちの日頃の発信を見てみれば、「税は財源ではない」、「政府は無能」という主張が多い。
なぜ、本件についてのみは格差是正の財源が「富裕層から徴収した税金」で、政府が「期待されている動きをする有能な主体」であると信じているのか、筆者として理解ができないのだ。
ベンチャー企業にも大きな影響を及ぼす課税の見直し
金融所得課税の見直しは、必ずしも個人投資家や富裕層だけに影響がある訳ではない。たとえば、ベンチャー企業およびその周辺業界へも大きな影響があろう。筆者も複数のベンチャー企業の経営に参画しており、エクイティファイナンスの際には多くのベンチャーキャピタリストとも対話をし、最近では人材採用にも足を踏み入れているからこそ、強く懸念するのだ。
起業家が必ずしもIPO(株式上場)をして多額の資金を得るという金銭的なインセンティブを追い求めて起業し、会社を経営しているわけではないことは重々理解している。
だが、リスクを取ることで高い期待リターンが生じることは資本主義社会においてはあって然るべきだし、昨今では大企業から優秀な人材を獲得する際に給与以外にストックオプション(自社株を一定の行使価格で購入できる権利)を条件として提示するベンチャー企業も多い。
しかし、金融所得課税の見直しによって税控除後の期待リターンが低下すれば、リスクをとるものが減るため、結果としてはユニコーン企業と呼ばれるようなベンチャー企業は誕生しにくくなるだろう。リスクをとるものとは、起業家であり、そこに参画する役職員であり、リスクマネーを供給するベンチャーキャピタルやエンジェル投資家など全てを含んでいる。
格差の是正は重要だが、「全員で貧しくなりましょう」という自虐的な政策にはとても賛同はできない。本件が日本の明るい未来を目指して建設的な議論がなされる契機となるのであれば、個人的には岸田氏に感謝をしたいと思っている。