
- 3代表制から1代表制への移行、株主への“公約”
- 顧客は誰だったのか──選択と集中によるプロダクトの磨き込み
- プロダクトが持つ価値に法人向けサービス展開を加えてマネタイズ
- 「プレミアム感のあるtoCプロダクトはtoBでも収益化できる」
スポーツの秋。過ごしやすい季候になり、外出自粛で重くなってしまった体をシェイプアップするために、ジョギングやウォーキングを始めたり、ジム通いを再開したりする人も多いのではないだろうか。そして、その活動を記録するため、あるいはモチベーションを保つために、ヘルスケアアプリやフィットネスアプリに頼る人もいるかもしれない。
米国の調査会社Report Oceanが2021年4月に公表したレポートでは、世界の仮想フィットネスアプリ市場は2021年から2027年までの間に、年平均22.3%の成長率で拡大すると予測されている。この背景には、2020年のCOVID-19拡大による封鎖・外出自粛期間中に世界中の人が自宅で運動を始めたため、市場が急拡大した影響も示唆されている。
トレーナーの音声によるガイドが特徴の「BeatFit(ビートフィット)」も、そうしたヘルスケア・フィットネス領域のアプリのひとつだ。アプリの開発・運営元のBeatFitは、9月にシリーズBラウンドで約2億円の資金調達を実施。リード投資家はインフォコムで、ツクイキャピタル、VOYAGE VENTURES、ほか個人投資家が引受先として参加している。
市場環境も追い風で、今後の成長も見込めるフィットネスアプリ業界。しかし、そうした業界にあっても、BeatFitのこれまでの道のりは順風満帆というわけではなかった。一度は倒産寸前まで追い込まれ、“転覆しかけた船”だったところから何とか持ち直し、「プロダクトの見直しやリブランディングを経て、約1年かけて売り上げを3倍にし、黒字化を果たした」と同社代表取締役の宮崎学氏は明かす。これは、スタートアップにはありきたりの“ハードシングス”かもしれない。だが、その起死回生の歩みについて赤裸々に語ってもらったので、同社の今後の事業の展望とあわせて紹介したい。
3代表制から1代表制への移行、株主への“公約”
BeatFitは、音声ガイドがメインのフィットネスアプリ。筋トレやウォーキング、ジョギング、ヨガ、ストレッチなど、12ジャンル・700以上のクラスがいつでもどこでも受けられる。各クラスとも、短い動画で動きを確認することはできるが、トレーニング中にそれを見ることは基本的には想定されていない。
実際のところ、大画面テレビに動画を映しながら運動できる環境ならともかく、スマホアプリで、小さな画面を確認しながら時には動きを止め、トレーニングを気持ちよく進められるかと言えば、それがあまり現実的でないことに気づく。そこでBeatFitではあくまで、トレーナーの音声によるアドバイスとノリのよい音楽に合わせて、数分〜数十分、体を動かすためのコンテンツをメインにクラスが進んでいく。

BeatFitは2018年1月に創業し、9月にサービスを正式リリース。同月のシードラウンドでは融資も含めて1.2億円を、翌年の2019年3月にはシリーズAラウンドで総額2億円を資金調達して、プロダクトの開発・強化や他社との提携などを進めてきた。
BeatFitの経営に暗雲が漂い始めたのは、2019年末のことだった。予定していたシリーズBラウンドの資金調達計画が頓挫したのだ。
当時、BeatFitでは3代表制をとっており、CEO、CTOの2人と、COOを務めていた宮崎氏が共同で経営を行っていた。宮崎氏らは、大きな変革を迫られた。その第一は経営体制の変更だった。BeatFitは3代表制を解消し、宮崎氏が単独で代表権を持つ1代表制へと移行した。
「3代表制はうまくいっているときにはいいのですが、傾いたときには機能しませんでした。誰も全体を俯瞰(ふかん)していないので、適切な意思決定ができなかった。それが経営数値にも跳ね返りました。2020年4月には倒産寸前で、リストラも実施し、オフィスを移転しても資金流出が続いて、まわりからも『もう潰れてしまうんじゃないか』と思われていたんじゃないでしょうか。そのタイミングで私が『全責任を負ってこの会社を建て直すから、1代表制に移行してほしい』と他の代表に伝えました。それで1人は辞めて、もう1人が取締役として残り、2020年10月に今の体制に変わりました」(宮崎氏)
宮崎氏は、経営不振や体制変更などで不安を感じていたであろう株主に、アプリ事業の月商とそれ以外の事業での月商、キャッシュの確保を数値目標として、2021年末までに達成すると約束した。
「経営者としては当たり前のことだと思いますが、『この体制でこの数値を達成する。達成できなかったらクビにしてくれ』ということを、3代表制のときには言わなかったんですよね。それを言い切りました」(宮崎氏)
この数値目標を達成するために、体制に次いでBeatFitが見直したのが、プロダクトマーケットフィット、そしてビジネスモデルだ。
顧客は誰だったのか──選択と集中によるプロダクトの磨き込み
プロダクトについては、いわゆる「選択と集中」により、フォーカスするユーザーを絞って磨き込むこととなった。
「広告費をガンガン使ってスケールする、ということができなくなり、売り上げは横ばい状態。しかし、定着しているお客さんがずっと必ずいて、そのお客さんがすごくいいコメントをくれたりする。だから、そこには多かれ少なかれマーケットがあるという確信はありました。そこで『誰が我々のサービスを評価してくれているのか、ユーザーは誰なのか』をしっかりと見極めて、それに寄り添ったサービスにしていけば絶対に生き残れると考えたのです」(宮崎氏)

BeatFitのサービスやコンテンツは当初、パーソナルトレーニングやボディーメイク、筋トレといったハードなトレーニングを意識したものだった。しかし日本では、こうしたトレーニングのマーケットは米国などに比べると非常に小さい。フィットネスアプリの利用シーンも散歩やストレッチなどの軽い体操が主で、ユーザーは「体を動かす」ことに主眼を置いている。
また、ボディービルダーのような人たちが求めるサービスは、オンラインフィットネスとの相性が悪かった。
「ベンチプレスなどの器具を使ってRIZAPが展開するようなビジネスを、オープン、デジタルのサービスへ置き換えようとしてもなかなか難しい。それに、高単価で短期の効果に課金するというビジネスと、スマートフォンアプリに長期で課金してもらい利益を出していくというのでは、ビジネスモデルも違います。実際、残ってくださっているユーザーは最初の設定とは全く違いました。小学生ぐらいのお子さんがいるような40〜50代ぐらいまでの働く女性で、初心者の方が中心だったんです」(宮崎氏)
アプリはiOS版、Android版ともに、月額1480円(税込)のサブスクリプション型。個人向けのアプリとしては比較的高い単価だが、肩こり・腰痛の予防や、毎日少しずつ運動することで健康を維持する目的で、サプリメントを飲むような感覚で利用を続けるユーザーが多かった。
また、ユーザーからはBeatFitが定期的に開催する、目標達成のためのイベントなどにより、「1人で、自宅で気軽にできるけれど、独りぼっちではない」という点も好評を得ていた。
「BeatFitには、初回1カ月の無料期間があるのですが、その中でガンガン使うような人には解約してしまう人も多いのです。こうして見ると『カーブス』(女性専用の健康体操教室を展開するフィットネスクラブ。高齢層の利用が多い)の価値をデジタル化して、彼らのターゲットより10〜20歳ほど若い人にスマートフォンで提供しているのが、BeatFitだったんだと分かりました。モチベーションをつくることは大事ですが、(強いモチベーションというよりは)習慣として、生活に埋め込まれるようなものの方が適していたのです」(宮崎氏)
そこでターゲットに合わせて、プロダクトを変更。クラスのコンテンツだけでなく、ロゴやイメージ画像も「働く女性が日常で簡単に使えて、続けられ、実感が得られるアプリ」を想起させる内容にリブランディングした。
プロダクトが持つ価値に法人向けサービス展開を加えてマネタイズ
ビジネスモデルについては、創業当初に想定していたようにBtoCを中心にしたスケーラビリティーを求めるのではなく、法人へのサービス展開も加えてマネタイズするかたちを選択した。
「BtoCは、まだまだ攻め切れていないんですが、ずっと定着する方々が残っています。そこへBtoB、つまり法人向けの機能も加えて提供しています。法人への展開が進んだのには、コロナ禍も後押しになっています。テレワークの普及で移動時間、運動歩数などが減っているデータもあり、働く人には影響が出ています。また、今までは社内の多目的室などで行われていたヨガ教室などの活動ができなくなり、非対面が当たり前になる中で、BeatFitのクラスのジャンルや手軽に使える点が法人にも評価されて、今、実績がかなり伸びています」(宮崎氏)
法人向けサービス「BeatFit for Biz」は、個人向けアプリの利用を前提としている。1人1人の従業員のアプリ利用料金は通常価格よりディスカウントして提供。利用状況をリアルタイムでモニタリングできるダッシュボードなどの機能が追加されている。導入企業には、JR東海や大和証券グループ、ケロッグ、日清食品グループといった大手企業も増えている。

また、スポーツクラブやジムへの一括契約による採用も進んでいる。以前はスポーツクラブなどを窓口にしたBtoBtoCモデルで、特別価格などで個人単位の契約を取り込む方針を採っていたが、現在ではジムの会費の中でアプリが利用できるかたちを採用し、むしろ利用は伸びているとのこと。スケーラビリティーはなくとも安定した収益が見込めるようになった。
これらの企業へのサービス提供にあたって「(アウトバウンド)営業は一切していない」と宮崎氏。全てインバウンドの問い合わせから導入につながっているのだという。
収益源の追加によって、BeatFitでは黒字化を実現し、さらに年内に大手企業からの受注も内定。宮崎氏が単独で代表に就くにあたって株主に掲げた3つの数値目標は、“公約”どおり達成できる見込みとなった。
「非常に苦しいときもありましたが、人員削減を行った後はもう、社員は1人も辞めずについてきてくれました。一生懸命、チーム一丸となって結束力強く、ここまで来ることができたかなとは思っています」(宮崎氏)
「プレミアム感のあるtoCプロダクトはtoBでも収益化できる」
今回の資金調達で、新たに投資家として参加したインフォコムとは、業務上の提携も進めていくというBeatFit。最近では電子コミックプラットフォームの「めちゃコミック」事業の躍進が目立つインフォコムだが、ITサービス事業ではヘルスケア領域への投資も進めており、企業の健康経営サポートサービス「WELSA」を提供する。BeatFitのアプリをソリューションの1つとして、相互にサービスの紹介や協業を行っていく考えだ。
またツクイキャピタルは、介護事業を営むツクイホールディングスのグループ会社として、BeatFitの健康増進プロダクトに期待を寄せている。介護予防市場、シニアへのアプローチを検討しているBeatFitとシナジーが合致したかたちだ。
宮崎氏は「アプリ運営で蓄積したデータを活用して、適切なソリューションをソフトウェア、コンテンツ、コミュニティー、マーケティングといった、行動変容のためのサービスとして提供するのが我々の価値。その中で次に進出するとしたら、今のアプリと似たような価値を提供できる介護や医療リハビリ等の領域ではないかと考えています」と話す。
「BeatFitというプロダウトひとつで、売り上げ100億円を目指すのは簡単ではないという現実が、良くも悪くも分かってきた。BtoBにかじを切ったことで腰を据えてビジネスはできるものの、天井が低くなったというのは事実」という宮崎氏は、BtoBモデルへリソースを割く一方で、BtoCプロダクトの価値についても、以下のように述べている。
「プレミアム感のあるtoCプロダクトは、toBでも収益化できます。比較的高額なサブスクリプションがユーザーから一定の支持を得ていることが、法人向けにも価値になるというサイクルはあり得る。toCのプロダクトを今後どこまで伸ばすかというジャッジは必要だし、今ここで過度な投資はしません。ただ、直近で撤退せずにきちんとBeatFitを運営し、LTV(Life Time Value:顧客生涯価値、1顧客から得られる売り上げの総額)も2.5倍に伸ばしたという自負もあります。もう一度(toCに)投資する機会があれば、また違った世界が見えると考えています」(宮崎氏)