Photo: daboost/gettyimages
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  • 「退職時に失効」の背景にある4つの理由
  • 「信託型ストックオプション」を導入するスタートアップが増加
  • スタートアップを「より多くの人の選択肢」に
  • メルカリも導入したインセンティブ制度「RSU」とは

海外投資家などの参入により、大型の資金調達が目立った2021。ソフトバンク・ビジョン・ファンドも日本での投資活動を開始するなど、海外の目も日本のスタートアップに向けられるようになってきた。

資金調達の大型化に伴い、待遇改善に動くスタートアップも出てきた。日本経済新聞社が12月に公表した「NEXTユニコーン調査」によると、2020年度のスタートアップの平均年収は601万円で、上場企業の平均とほぼ同等の水準だった。2021年度には5パーセント増え、630万円となる見通しだ。

そして給与だけでなく、ストックオプション(新株予約権)を活用した新たな取り組みも見られるようになってきた。未上場で資金が少なく、高額の報酬を支払うことが難しいスタートアップにとって、ストックオプションは優秀な人材を獲得する上で重要なインセンティブ制度だ。

ストックオプションは、あらかじめ定められた価格で株式を取得できる権利だ。企業が役員や従業員に対してインセンティブとして付与し、役員や従業員は権利行使することで会社の株式を行使価額で取得できる。安価な行使価格を設定しておき、上場後、株価が上昇した時点で行使し、株式を売却すると、行使価額と株価との差がキャピタルゲインとして得られるという仕組みだ。

そんなストックオプションだが、日本では基本的にその会社を退職することで権利を失効するケースが多い。そこにで他社との差別化として、退職後もストックオプションの権利を保有し行使することができる新制度を導入し、優秀人材の獲得を図るスタートアップも出てきた。

「退職時に失効」の背景にある4つの理由

日本とは違い、退職者もストックオプションの恩恵を受けられる制度は「米国では当然だ」と語るのは、信託型ストックオプションの発行を支援する「タイムカプセルストックオプション」などを展開する、SOICOの共同創業者で取締役COOの土岐彩花氏だ。

米国の多くの企業では、在籍期間に応じてストックオプションが少しずつ割り当てられ、退職から一定期間内(編集部注:多くの場合は3カ月間)は権利行使できるケースが一般的だ。ストックオプションを行使することで潜在株を顕在化し、生株のまま保持することができる。

ではなぜ日本では米国と違い、退職後にストックオプションが失効するケースが多いのか。土岐氏は「大きく4つの理由があるのではないか」と説明する。

1つ目の理由は、「経営者や従業員が、退職後もストックオプションを行使できることを理解していないから」。土岐氏いわく、「退職後は行使できない」といった特定の行使条件さえなければ、退職後もストックオプションの行使は可能だという。

「日本でも信託型ストックオプションが浸透してきていますが、多くの場合は(租税特別措置法に定める要件を満たした)“税制適格ストックオプション”です。税制適格ストックオプションは厳しい要件を守って発行しなければなりません。その要件の1つが『従業員、社内の人間であること(厳密には会社およびその子会社の取締役、執行役または使用人である個人。大口株主やその特別関係者を除く)』です。ですが、実はストックオプションの付与のタイミングで従業員であれば、退職後も税制適格性は失われません。このことを理解していない経営者や従業員は多いと思います」(土岐氏)

2つ目の理由は「人材流動性の低さ」。一般的に、日本は米国よりも人材流動性が低いと言われている。米国では、「短い期間でも、優秀なエンジニアに活躍してほしい」という考え方が一般的という文化の違いもある。そのため、「スタートアップにおいても『成果を上げるまで長く一緒に頑張った人を報いたい』という思いが強いのではないか」(土岐氏)という。

3つ目の理由は、米国とは異なる「反社会勢力・反市場勢力の概念」にあるという。「元従業員だとしても、少数株主が増えてしまうと、上場時には全員を審査する必要があるため、大きな手間となります。退職後は企業側のコントロールが効かず、(少数株主の反社会勢力・反市場勢力への関与が疑われると)上場が延期したり、証券会社からの指摘を受けることとなります。こうした煩わしさがあるため、『退職時に失効』というかたちになっているのではないでしょうか」(土岐氏)

4つ目の理由は「IPOの小ささ」だ。「日本ではシリーズC〜Dラウンドでの上場もあります。一方、米国では上場まで7〜10年かかることもあると思いますが、(ストックオプションの権利行使のために)7〜10年も在籍し続けることは現実的ではありません」(土岐氏)

だが、日本でもベンチャーキャピタルのファンドサイズは拡大し、海外投資家・機関投資家の存在感も増してきている。そのため、スタートアップはより長期間、未上場のまま拡大することも可能になってきた。

「SmartHRのように、上場前に大型化(編集部注:時価総額は1700億円規模(STARTUP DB調べ))するスタートアップも出てきました。そのため、日本(のストックオプション制度)も今後、米国形式になっていくのではないでしょうか」(土岐氏)

「信託型ストックオプション」を導入するスタートアップが増加

日本では、発行時(信託設立時)の行使価額で権利行使できる“信託型ストックオプション”を導入するスタートアップが増えてきた。前述のSmartHRもその1社だ。同社は2017年に信託ストックオプションを活用したインセンティブ制度を導入した。

同社が取り入れていた制度では、信託時点の株価をベースとした行使価格の新株予約権を配布する。そのため、例えばこの先に採用する従業員に対しても、初期に入社した従業員と同価値のストックオプションを付与することができる。よって、入社時期に捉われず、実際の事業貢献に応じて従業員を報いることが可能だ。なおSmartHRでは、現在は成果給の制度を導入しており、信託型ストックオプション制度の対象となるのは2020年9月以前に入社した社員に限定される。

すでに信託型ストックオプションを採用して上場したスタートアップも複数いる。以下はその一例だ。

従業員へのインセンティブとしてストックオプションを導入する企業が増える中、さらにもう一歩踏み込んだ制度を導入するスタートアップも出てきた。退職後もストックオプションの権利を保有し行使することができる新制度を導入したカウシェだ。

スタートアップを「より多くの人の選択肢」に

カウシェは2020年4月設立のスタートアップだ。同年9月より、家族や友人との共同購入でお得に買い物ができる“シェア買い”アプリの「カウシェ」を展開している。

同社は2021年11月、デライト・ベンチャーズをリード投資家とした8億1000万円の資金調達を発表。それと併せて、新たに信託型ストックオプションの導入を発表した。

カウシェが運用するストックオプションは、3年以上在籍し、事業成長に貢献した役員と正社員(業種や役職は問わない)を対象としたもの。原則として、上場前に雇用契約が終了した場合でも、ストックオプションを保有し続けることができる。ただし、上場から6カ月以上が経過することなどが行使条件としてある。

新制度導入の狙いについて、カウシェ代表取締役の門奈剣平氏は「より多様なライフステージやキャリアステージの方々が、スタートアップへの就職や転職を選択できるようにしたかった」と語る。

「今回のストックオプションの新制度は本来、社外に積極的に発信していくような話ではありません。ですが、多くのスタートアップでは、退職後にストックオプションが失効することが一般的な状況です。それによって、スタートアップをキャリアの選択肢から外すというケースもあるのではないでしょうか。業界全体がストックオプションに関して再考するきっかけになればと思い、今回、新制度について対外的に情報発信することにしました」(門奈氏)

メルカリも導入したインセンティブ制度「RSU」とは

日本で進む信託型ストックオプション制度だが、土岐氏いわく、米国ではGAFAのような巨大テック企業を筆頭に、RSU(譲渡制限株式ユニット:Restricted Stock Units)という制度が一般的になってきているという。

ストックオプションは、新株予約権という権利を得て、権利行使することで株を安価で取得できる制度だ。一方、RSUでは権利ではなく、生株を獲得できる。RSUには権利行使という概念がないため、権利確定時の株価が、そのまま従業員のメリットとなる。

だが、企業側には生株をすぐに売却されてしまうリスクがあるため、通常は3年もしくは5年の譲渡制限が設けられている。従業員は譲渡制限が解除された時に、株を売却することが可能となる。

RSUが普及する理由について、土岐氏は「米国では人材獲得競争が激化しているため、企業は優秀な人材を獲得する上で、従業員にとってのメリットを高める必要があるからです」と説明する。

フリマアプリの「メルカリ」を展開するメルカリも、RSUを導入する企業の1つだ。同社は2018年12月にRSUを導入した。だが、2021年3月以降はRSUの対象を海外の従業員に限定し、国内従業員向けには新たなストックオプション制度を導入した。

メルカリの広報責任者によると、RSUでは株式交付時に新株発行という形式をとるため、社内にインサイダー情報があるタイミングでは発行できないという課題があったという。規模拡大に伴いインサイダー情報の発生頻度も増加していく中で、同社では、よりスムーズに株式を国内従業員にも渡せる方法を模索。同時に人事評価制度の見直しで、株式インセンティブを渡す社員の対象範囲の縮小も検討していた。

「対象者が絞られればストックオプションに関わる手続きのコストも下げられるため、RSUと同じ効果を得つつ、株式交付タイミングの制限を外せるストックオプションを導入しました」(メルカリの広報責任者)

ここ日本でも、特にエンジニア採用は激化している。転職サイト「doda」が2021年8月に公表した「転職求人倍率レポート(2021年7月)」によれば、同年7月、エンジニアを含む「技術系(IT・通信)」の求人倍率は9.17倍だった。企業が転職エージェントに支払う紹介手数料は通常、採用した人材の年収の35パーセント程度だが、ある業界関係者によると、特に優れたエンジニアを獲得するために200パーセントもの紹介手数料を支払う企業も出てきたという。こうした中、優秀な人材を獲得する上で、スタートアップはより大きなインセンティブを検討していく必要があるだろう。

一方で、既存のストックオプション制度には課題が残る。別の業界関係者は「ベンチャーキャピタルが嫌がることもあり、日本のスタートアップのストックオプションは全株式の10〜15パーセント程度と小さい。米国では20パーセント前後が通常です」と語る。

日本のストックオプション制度は欧米を中心とした諸外国と比較するとまだ発展途上の部分が多い。信託型ストックオプション、退職後も権利行使できる仕組み、RSUなど、人材獲得のためのインセンティブ制度の検討は、今後ますます重要になっていくだろう。