左から、SmartHRの元CTOで現CEOの芹澤雅人氏、元CEOで現取締役ファウンダーの宮田昇始氏
左から、SmartHRの元CTOで現CEOの芹澤雅人氏、元CEOで現取締役ファウンダーの宮田昇始氏
  • 社外からCEOを採用する選択肢はなかった
  • 進化するSmartHRのミッション
  • 「労務を効率化する会社」から「組織の生産性を高める会社」へ

入退社手続きや従業員情報の一元管理、年末調整などをペーパーレス化するクラウド人事労務ソフト「SmartHR」を提供するSmartHR。2021年6月にはLight Street Capital、Sequoia Heritage、Sequoia Capital Global Equitiesなど、名だたる海外投資家から約156億円の資金調達を実施。調達後の企業評価額は1000億円を超え、ユニコーン企業となった。

そんなSmartHRの創業者・代表取締役CEOとして、2013年の設立時から成長を牽引してきた宮田昇始氏が2021年12月に突如、退任を発表した。2022年1月からはCTOだった芹澤雅人氏がCEOの座を引き継いでいる。宮田氏は「取締役ファウンダー」としてSmartHRに残り、SaaSとFinTechに取り組む子会社の立ち上げを準備中だ。

社員数は500人規模へと拡大し、大型上場も期待されるフェーズにおいて、なぜ、宮田氏は退任を決意したのか。宮田氏、そして芹澤氏を取材し、異例とも言える意思決定の背景に迫った。(編集部注:取材は2021年12月に実施)

社外からCEOを採用する選択肢はなかった

──宮田さんの退任には多くの人たちが驚きました。退任のきっかけは。

宮田:2021年の4〜5月ごろ、役員たちと1対1のミーティングをしている時に「そろそろ退任しようと思っている」と話をし始めました。そのときのリアクションは各自違って面白かったです。

共同創業者で最高情報責任者の内藤さん(内藤研介氏)は、「宮田さんの人生なのだから、それが本当に良い選択だと思っているのであれば引き止めないよ」という感じでした。逆に、COOの倉橋さん(倉橋隆文氏)は「絶対にだめだ」と止めてきました。はたまた、芹澤さんからは、「良いと思うけど、不可逆な意思決定になると思うから、もう少し慎重に考えた方が良いですよ」と言われました。

その後、社外取締役、株主たちとも会話をしました。7月には社内役員たちと合宿に行き、その場で、基本的にはCEOを退任する方向で話を進めるということが決まり、それ以降は「誰に引き継ぐのか」という話を進めていきました。

──7月の時点では「誰に引き継ぐのか」という話はまだなかった。

宮田:具体的にはなかったですが、何となく頭の中に「芹澤さんか、芹澤さんと倉橋さんとの共同CEO体制かな」という考えはありました。

芹澤:さまざまな案を出し切った後に、社外から人材を入れるという選択肢は違うなと考え、僕と倉橋さんの共同CEO体制という案に落ち着いていました。

──社外からCEOを採用するという考えはなかったのですね。

芹澤:なかったですね。

宮田:SmartHRは会社のカルチャーとして、パラシュート人事(外部から優秀な人材を採用し、いきなり要職に置くこと)は避けてきました。例えば、COOの倉橋さんやCFOの玉木さん(玉木諒氏)にも、「CXO候補ではありますが確約はしません」という条件で入社してもらいました(編集注:倉橋氏は楽天の社長室や海外子会社社長を歴任。玉木氏はサムライインキュベートの投資チームマネージャー兼財務責任者だった)。今回も、CEO候補を採用するというかたちは取れたかもしれませんが、その人に最初からCEOを引き継ぐのは違う、という考えはありました。

芹澤:採用においては、カルチャーフィットを最優先にしています。

宮田:そうですね。COO・CFOを採用する時も、経験や能力が申し分ない、たくさんの候補者たちと面接をしました。その中で、最もSmartHRのカルチャーにフィットしそうな倉橋さんと玉木さんを採用したという経緯もあります。

また、CEOが交代した際に社員は何を不安に思うのか。そこはやはり、会社のカルチャーや空気感だと思います。そのため、会社のカルチャーや空気感が変わらず、なおかつより良くできそうな人、という側面を重要視しました。

進化するSmartHRのミッション

──宮田さんは、自身が退任するべきだといつ頃から思うようになりましたか。

宮田氏:それはよく聞かれるのですが、特にいつというのはありません。ふと思う、というような感じです。僕は毎朝、1時間お風呂に入り、1時間散歩しているのですが、そのときに会社の将来のイメージトレーニングをしたり、過去を振り返って内省したりしています。

それを続けていく中で、昔であれば「あれは良かった」と思うこともあったのですが、近頃はそれがどんどん減っていることに気づきました。特に「何ができなかった」というよりかは、日々の内省の時間において、「最近はあまり何もやれていないな」ということを、ふとした瞬間に感じることが増えました。

──会社が急成長している中での退任となりましたが。

宮田:SmartHRでは次のミッションを「社会のインフラになる」といった内容にしようと思っています。

今のミッションは「社会の非合理を、ハックする」。これはSmartHRとしては2代目のミッションで、1代目は「テクノロジーと創意工夫で社会構造をハックする」。初代のミッションは2015〜2018年の3年間使いました。2代目のミッションは2018年の夏頃に作ったので、もう3年半くらい経っています。

SmartHRは2021年、ユニコーン企業になりました。2020年までは「ユニコーン企業になるぞ」という目標を掲げて社員を束ねていたのですが、2020年以降は「来年にはユニコーン企業になるのではないか」という話が社内で出始めました。

その際に「目標迷子になるのではないか」という話が出てきました。そこで次の目標を考えた時に、「社会のインフラになる」という内容がしっくりくるのではないか、ということになりました。そうなると「会社のスタンスが変わる」と思ったのですよね。

「社会の非合理をハックする」というのは、何かの課題に対して楯つく、という意味だと思います。一方で「社会インフラ」には、提供者側のイメージがあります。

僕はパーソナリティ的に、何かに楯ついている方が楽しい、逆側はちょっと違うな、と思っているタイプです。

──共同CEO体制という案もあった中で、芹澤さんがCEOとなった経緯は。

芹澤:取締役会に倉橋・芹澤の共同代表制という案を持っていったら、「共同代表はありえない」、「株主からするとベストな回答だとは思わない」といった具合に猛反対されました。「1人を選ぶことから逃げているのではないか」とも言われて、その言葉を聞いたら「そうかもしれない」と思うようになりました。

そして「それぞれが代表になったらどうなるのか、プレゼンテーションしてください」と提案され、次の取締役会でそれぞれ発表しました。正直、「CEOに選ばれたのなら、やりたいな」というくらいに思っていて、「圧倒的なプレゼンスを発揮してポジションを取りに行く」という気持ちではありませんでした。

宮田:芹澤さんのプレゼンテーションは心が動かされるような優れた内容で、参加者全員が「これは芹澤さんに決めるべきだ」と感じていました。

取締役会の終盤に、社外取締役の松﨑さん(コニカミノルタ取締役会議長の松﨑正年氏)から、「最終的には宮田さんがしっくりくる方に任せるのが良い」と提案されました。その日の夕方には社内取締役だけが集まる会議があり、僕はZoomを開いてすぐに「芹澤さんにお願いしたい」と話し、社内役員内での考えが固まりました。

僕は2017年頃から、芹澤さんには「いつかはCEOを交代してほしい」と話していたのですが、当時は嫌がられていました。そのため、僕としては芹澤さんに引き継いでほしいという気持ちは以前からありつつも、きっと嫌がるだろうなと思い、今回もそこまで強くプッシュしていませんでした。

ただ、芹澤さんの口から自然と「CEOをやりたい。CEOになったら、こういうことがやりたい」という言葉が出てきました。本人は先ほど謙遜した発言をしていましたが、強い熱意を感じ、その言葉を聞いて「任せたい」という気持ちになりました。

──芹澤さんのプレゼンテーションのどのような部分が取締役会参加者の心を引きつけたのでしょうか。

宮田:僕の場合は、具体的な内容よりも、プレゼンテーションから感じられる熱量が大きかったです。それに加えて、芹澤さんは「トップダウンでカルチャーを維持し、会社をより良くしていく」とも話していました。

僕はトップダウンが苦手で、自分だけで考えるのではなく、社員たちと会話して一緒に考えていくタイプです。そのスタイルは社員数が100〜150人規模の段階ではうまく機能していたと思うのですが、500人規模では難しい。さまざまな意見を取り入れることで、意思決定が中途半端になってしまう恐れがあるからです。

トップダウンの場合、80%の人たちは幸せになる一方、20%の人たちは幸せにならない意思決定を下すこともあります。僕は20%の人たちに嫌われることを恐れてしまいます。一方、芹澤さんならそれができると思っています。カルチャーや働き方は人によって意見が別れるので、トップダウンで意思決定をする芹澤さんであれば、安心して後任を任せることができます。

CEOを退任しようかどうか悩んでいるときは、先輩を含む、周りの経営者たちにも相談をしました。そこで気づいたのは、CEOのポジションを引き継ぐことができるような会社は意外と少ないということです。ただ、SmartHRでは、例えばこの1年間、僕がいなかったとしても会社は回っていたと思います。そんな組織を作れたのは僕の功績だと思っていますし、離れるという選択がしやすかったのです。

芹澤:確かに、宮田さんが育ててきた組織やカルチャーを引き継ぐのであって、タスクを引き継ぐというかたちではありませんでした。

「労務を効率化する会社」から「組織の生産性を高める会社」へ

──今後、SmartHRをどのように成長させていきますか。

芹澤:SmartHRは人事・労務業務を効率化し、いわゆるDX(デジタルトランスフォーメーション)を進めるためのツールとして開発され、普及してきました。ですが、ここ1年は業務の効率化だけでなく、社内における従業員のエンゲージメントを高め、組織の生産性を高めることも目指してきました。この部分に関してはまだまだ伸び代があるため、2022年以降も伸ばしていきたいと考えています。

SmartHRは人事・労務業務を効率化する会社だと認知されていますが、そうではなく、組織の生産性を高める会社というイメージに変えていきたいと思っています。

──どのようなイグジット戦略を描いていますか。

宮田:実はSmartHRはイグジットに焦らなくても良い会社なんです。株主の多くは2015〜2016年にファンドを組成しています。一般的にファンドの満期は10年と言われているので、まだまだ(時間的に)余裕がある。「ファンドの満期が長い」ということは、ベンチャーキャピタル(VC)を選ぶ際に重視する1つの要素でもあります。シリーズEやFラウンドの資金調達をした方が良いとなれば、その選択をする可能性もあります。

芹澤:取締役会においても、「(どうイグジットするのかではなく、)どう事業を伸ばしていくのか」という議論が中心になっています。

──宮田さんは今後、SaaS・FinTech領域の新規事業を立ち上げる予定だと発表しています。

宮田:退任が決まった時は次に何をするかは決まっていませんでした。社内の新規事業のメンタリングに時間を使うのか、それともM&Aのソーシングをするのか、など考えている中、新規事業のアイデアを思いつきました。それはスタートアップ業界を良くできるような事業で、SmartHRくらいの規模に成長させられるポテンシャルがある事業だと考えています。

20代の頃の僕はくすぶっていて、めちゃくちゃな人生を過ごしていました。ですが、スタートアップ業界のおかげで人生を取り戻せました。そのため、新規事業でスタートアップ業界に貢献することは、面白そうだし、自分だからこそやる意義があると感じているため、今後は新規事業に全力投球していきます。

その新規事業はSmartHRともシナジーがあるため、独立するのではなく、SmartHRグループに残り、100%子会社というかたちで進めていければと思っています。