Photo: John Lamb / Getty Images
Photo: John Lamb / Getty Images
  • 生産性向上効果を相殺するほど低い日本の価格決定力
  • 日本企業のプライシングが遅れている3つの理由
  • 変動価格が広がる「価格3.0」の時代はもう来ている
  • 世界のトップ企業のプライシング動向──行き過ぎたオファーが問題を生むケースも

岸田政権が政策として掲げる、“成長も分配も”を目指す「新しい資本主義」。その背景には、一定のインフレーションが進む先進諸国の中にあって、なぜか日本だけが物価も賃金も上がらないという現実がある。

書籍『新しい「価格」の教科書』の著者でプライステックサービスを提供するハルモニア代表取締役の松村大貴氏は、その要因の1つに、日本企業の「価格決定力」の低さを挙げる。なぜ日本の価格決定力は低いのか。日本が抱える価格設定(プライシング)の課題とは。松村氏が解説する。

生産性向上効果を相殺するほど低い日本の価格決定力

私たちが毎日目にしているモノやサービスの価格には、今、大きな変化が起きています。『新しい「価格」の教科書』では、価格設定(プライシング)の基本的な考え方と、その歴史や未来の可能性についてまとめました。「なぜビジネスにおいて価格がキーとなるのか」「価格をどのように設計し、戦略・実行に落とし込めばいいのか」、そうした考え方を手に入れてもらうための本です。

日本のビジネスにおけるショッキングなデータがあります。日本企業は働き方改革やDX等で生産性向上に努めてきましたが、その効果を相殺してマイナスにしてしまうほど、価格決定力が低いというものです。

生産性が向上しても、それを相殺するほど価格決定力が低下している
出典:経済産業省「イノベーションを⽣み出す新たな産業社会の創造に向けた取り組み」

日本は諸外国と比較して、外食・サービス・テーマパークの入場料など、さまざまな商材の価格を高くすることができていません。原材料や人件費の高騰が進んでも、日本企業には“企業努力”という名のコスト削減によって乗り切ろうとする傾向があり、価格を上げたり変動させたりすることに消極的です。その理由は、価格よりも販売数で伸ばしていこうとするビジネス慣習や、プライシングという戦略的業務に知見のある人材が業界・企業に不足している点などが挙げられます。

日本企業のプライシングが遅れている3つの理由

日本企業がプライシングの変革に着手するとき、実は一番の課題となっているのはテクノロジーではありません。データに基づいてプライシングを行うソリューションや基礎技術は、既に存在しています。ボトルネックとなっているのは、どちらかと言えば人間のほうです。その中でも、マインドセット・ノウハウ・組織の3つが壁となっていると考えています。

日本企業のプライシングが遅れている3つの理由

ある業界において、新しい形のプライシングを適用することに踏み出せなかったり、長年のビジネス慣習が取引関係や価格を硬直化させてしまっていたり、というのがマインドセットの壁です。変動価格の導入を考え、情報収集を積極的に行っている企業からでさえ、「長らくプライシングに手を付けてこなかったのでお客様の反応が怖い」といった声はよく聞かれます。

価格戦略をどう作り、どのように実行・改善していくのか。ダイナミックプライシングなど新しい施策の導入をどのように進め、お客様へ伝えればよいのか、といったノウハウ不足が第2の壁です。デジタルマーケティングなど広告運用の世界では、こうしたノウハウの探求や企業を超えた共有・学び合いが進んでいます。多くの書籍やウェブ情報を見つけることができ、ビジネスカンファレンスも活発に行われています。しかし、プライシングはまだまだ、そのレベルに至っていません。プライシングに関する知識や経験が、企業内でも、業界全体でも不足しているのです。

知識だけではなく、プライシングの意思決定の仕組みや責任が企業の中で明確化されていないケースも見られます。これが組織の壁です。多くの企業において、営業部や商品部、販促部があり、責任者もはっきり置かれているでしょう。しかし、「価格の責任者」は誰でしょうか? 部門長同士が集まって何となく決めている例、営業担当や店舗において個別最適で値引きが行われている例なども散見されます。プライシングは経営者のミッションであり、重要性が高いことは認識され始めているものの、組織やマネジメントが追いついているとは言い難い状況です。

こうした3つの壁を乗り越えるためにも、まずはビジネスにおける価格というものの捉え方をアップデートし、組織内で目線をそろえていくことが重要です。

ハルモニア代表取締役 松村大貴氏
ハルモニア代表取締役 松村大貴氏

変動価格が広がる「価格3.0」の時代はもう来ている

『新しい「価格」の教科書』の中ではお金の誕生にまでさかのぼり、価格がどのように変化してきたのかという価格の歴史をまとめています。「価格1.0」は個別交渉の時代です。お金の発明から約3600年が経ちましたが、その歴史の大部分は取引時に個別に値段交渉をして決めるという方法が中心でした。「価格2.0」と呼んでいるのは、今の私たちに最もなじみ深い、商品に値札が付いていて一律の価格が提示される一律価格の時代です。この歴史は意外と浅く、約150年前からとされています。

私が今注目しているのは、変動価格が広がる「価格3.0」の時代です。航空業界、ホテル、スポーツ業界などで導入が進むダイナミックプライシングや、オークション、パーソナライズ等の価格の決め方のアップデートが、今まさに起きている変化です。

知って欲しいのは価格3.0の世界観

2020年ごろから、ダイナミックプライシングがニュースやビジネス誌で注目を集めることが増えてきました。その理由の1つは供給の硬直化にあります。たとえば、ホテルは供給できる客室数が毎日固定で決まっています。売れる数が決まっていて翌日に在庫を持ち越せないというビジネスの特性上、動かせる変数は必然的に価格になってきます。一方で、製造業や小売業など他の業界なら、需要増加が見込めるのであればより多く仕入れたり、店舗を増やしたり、工場の生産能力を増強したりと、成長していく需要に対して供給量を増やしていくことが可能ですし、それが今までは定石とされてきました。

しかし、人口減少やパンデミックの影響を受ける今、各業界の供給を増やしていけばいいという理論が破綻し始めています。20世紀に定石とされてきたような、たくさん作ってたくさん売るという方法の難易度が高まっているのは間違いありません。今後も需要の乱高下が想定されると考えると、企業において供給を増強するアプローチはますます選択しづらくなっていくでしょう。必然的に取れる打ち手として、顧客単価をどう高めていくか、その手段としてのプライシングへと目が向いていくのです。

また、昨今では消費者の意識の高まりに伴い、各企業のサステナビリティに対する意識が向上していることも「価格3.0」への変化を促しています。たとえば、食品ロス・物流クライシスといった、需要と供給がマッチしないことによって起こる社会課題是正の話が挙げられます。こうした文脈や、「働き方・生き方はもっと柔軟で合理的であるべき」という世論が高まってきたことが、プライシングやライフスタイルを硬直的から流動的な形へとシフトさせていると言えるでしょう。

世界のトップ企業のプライシング動向──行き過ぎたオファーが問題を生むケースも

今、世界のトップ企業ではプライシングに対する投資と実験が積極的に行われています。たとえば小売領域の巨人・Amazonも、ダイナミックに商品価格を変動させて最適解を探る取り組みを行っています。実はAmazonは2000年代に「個人によって表示価格を変えるような価格差別の行き過ぎた取り組みをしているのではないか」と指摘を受け、炎上したこともありました。現在は「最適な価格を探るテスト方法としてランダムに提示価格を変えることがある」と説明されています。

松村大貴著『新しい「価格」の教科書 値づけの基本からプライステックの最前線まで』(発行:ダイヤモンド社)
松村大貴著『新しい「価格」の教科書 値づけの基本からプライステックの最前線まで』(発行:ダイヤモンド社)

個人によって違う価格提示をする、パーソナライズド・オファーを積極的に進めてきたのが、タオバオ(淘宝)などの中国のテック企業です。以前から、個人の信用スコアによってさまざまなサービス特典が受けられるという仕組みが日本でも話題となっていました。最近では個人の購買・利用履歴に基づいたパーソナライズド・オファーが進行し、結果として問題も発生しています。「殺熟」(常連客冷遇の意)と呼ばれるこのトレンドは、新規ユーザー獲得のために割安なオファーが出される一方、継続的に利用してきた顧客に対して高額な料金が提案される仕組みでした。このことがユーザーに明かされて大きなバッシングとなり、規制や罰金の対象になるところまで議論が進んでいます。

世界最高のダイナミックプライシング活用企業と言えるのがUberです。タクシー配車アプリのUberは、瞬間的な需要と供給のギャップに応じて利用客に示す価格を変動させるだけでなく、ドライバーへの報酬額を変動させることで、必要な場所に必要なタイミングでタクシーを集まりやすくする機能が実装されています。

日本でもさまざまなギグワーカー的サービスにこのプライシング手法が取り入れられています。たとえばフードデリバリーの領域では、ステイホーム期間に成長したデリバリー需要に対して供給を担えるライダーが不足する中、各社がさまざまな報酬額変動の仕組みを取り入れ、競い合っています。

Photo: Tomohiro Ohsumi / Getty Images
Photo: Tomohiro Ohsumi / Getty Images

ここで挙げたAmazon、タオバオ、Uberのようなリスクを取った積極的なプライシングへの取り組みは、世界のトップ企業の中で急速に進んでいます。イノベーションの余地の大きいプライシングという領域に、日本企業も同じく高い視点を持ち、変革の第一歩を踏み出せるよう、筆者としても継続的に啓蒙を行っているところです。

後編では、企業がどのように価格戦略を考え、アップデートを行っていけばいいのかという具体的な話をしていきます。

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