
- 1日2500件の注文で、10年続いた赤字経営が好転
- テレビ効果を継続させたメルマガの定期配信
- 葛きゃんでぃ大ヒットの裏側で流した、悔しさの涙
- 「100年続く老舗和菓子屋」の価値を活かし、ネットで販路を広げる
赤字続きだった老舗和菓子屋を、とあるアイスキャンディがV字回復へ導いた──1887年(明治20年)に創業した「五穀祭菓 をかの」で販売されている「葛きゃんでぃ」だ。
葛きゃんでぃは、和菓子に使われる葛粉で作った葛ゼリーを凍らせたもの。発案したのは、6代目女将の榊萌美氏。葛きゃんでぃに続き、季節ごとに中身が変わるフルーツ大福をネットで販売するほか、自家製シロップを使ったかき氷の店頭販売も地元の埼玉県桶川市を中心に話題を集めた。その影響もあり、をかのは2年連続で黒字になった。
さらに、榊氏は2021年12月に自身のオリジナルブランド「萌え木」も誕生させ、一口サイズの羊羹「YOKAN −予感−」や和三盆クッキー「CUKI -空気-」も発表するなど、事業を拡大させている。

榊氏が、葛きゃんでぃに続くヒット商品を生み出すにあたっては、どのような工夫があったのだろうか。
ヒットするモノの裏側にある法則をひも解いていく連載「令和のモノの売り方」。今回は、若年層女性向けSNSメディア「Sucle(シュクレ)」やSNSマーケティング事業を展開するFinT代表の大槻祐依氏が榊氏に話を聞いた。
1日2500件の注文で、10年続いた赤字経営が好転
大槻:葛きゃんでぃは、テレビで取り上げられたことから1日で2500件の注文を受けたと聞きました。どんな経緯で誕生した商品だったのでしょうか。
榊:葛きゃんでぃは、私が家業である和菓子屋のをかのを営む岡埜本店へ入社して4カ月後くらいに誕生した商品です。当時は10年ほど続いていた赤字から脱出するために、お店の商品を見直していました。その1つが葛ゼリーだったんです。母と話しながら葛ゼリーを食べていたら「あなたは、ゼリーを凍らせて食べるのが好きだったよね?」と言っていたんです。私は忘れていたんですが、葛粉の問屋さんに聞いたら、凍らせて食べることができると知り、それをきっかけに誕生したのが葛きゃんでぃでした。

商品として発売後、嬉しいことに話題になりました。テレビで取り上げてもらったのは、販売してから1年ほど経ったころ。すでにネット販売を始めていましたが、放送後にサーバーも電話回線もパンク。トラブル続きでしたが、1週間で500件ほど注文が入りました。
大槻:何をきっかけに、テレビで取り上げられたんですか。
榊:きっかけは、Instagramでのタグ検索です。それほどフォロワーがいたわけではありませんが、葛きゃんでぃ以前から個人でInstagramでの発信をしていました。テレビ局の人たちは中山道で創業100年以上続く老舗の和菓子屋を探していたようです。そうした背景から、Instagramでのタグ検索で葛きゃんでぃを見つけてくれて。Instagramに投稿していなかったら見つけてもらえなかったかもしれません。
Instagram発信に続いて、ネット販売で使用するサービスをBASEに変更。新商品として季節ごとに中身の果物が変わるフルーツ大福の販売をスタートさせていました。その1カ月後に、葛きゃんでぃを紹介した番組を再放送すると連絡があったんです。前回は1週間で500件だったところ、再放送では24時間経たないうちに2500件もの注文が入りました。おかげでお店の知名度も上がり、業績はV字回復。2020年には黒字化も達成できました。
テレビ効果を継続させたメルマガの定期配信

大槻:テレビで取り上げられるなどの大きなイベントがあると、どうしても受け身になりがちです。うまくヒットの波に乗れず、1週間後には忘れ去られたりします。葛きゃんでぃは、ヒットの熱量をどうやって持続させたんですか。
榊:基本的に、私は戦略らしい戦略を考えるのが苦手です。どちらかと言うと、自分が持っている手札をすべて使うつもりで事業に向き合ってきました。SNS発信でも「フォロワー数を伸ばす」よりは、見た人が楽しくなるような投稿を心がけているくらいです。葛きゃんでぃについても、メディアの人たちが取り上げてくださったおかげで盛り上がりました。
テレビ効果をうまく持続できたのは、メルマガのおかげです。1回目に取り上げられたとき、せっかくの注文やお問い合わせをうまく受けきれなかった反省があります。そこで、一次対応をすべてメルマガへ移行。毎週月曜日17時に「販売開始のお知らせ」をメルマガで配信し、そこから注文してもらう流れにしました(販売開始は18時)。メルマガには、テレビを見て検索し、たどり着いたお客さまも多くいらっしゃいますね。
大槻:葛きゃんでぃだけでなく、先ほど話していたフルーツ大福も人気です。
榊:最初の黒字は葛きゃんでぃがテレビで取り上げられた影響によるものです。黒字化を継続させるには、それ以外でも手を打つ必要がありました。
フルーツ大福の販売を始めたころ、ちょうど音声SNSアプリ「Clubhouse」が日本で話題(2021年1月ごろ)になっていました。Instagramでは個人寄りの発信をしていたので、Clubhouseでは「和菓子屋の6代目」のアカウントを開設。ほかのClubhouseユーザーと交流しながら、フルーツ大福の宣伝をしていました。
一方で、赤字脱却のために不採算商品を削ったり、ほかの商品の値上げをしたりもしました。利益率は正常になりつつありましたが、(これまでの自分たちのやり方を否定されたような感じで)現在の代表である両親や従業員の納得感を得るのは難しかった。

「であれば、自分だけで何か始めてみよう」と思い、オリジナルのかき氷を店頭で販売するようになりました。このときはすでにコロナ禍で夏祭りなどが中止になっていたので、子どもたちの思い出にもなればとも考えていました。
ただ、かき氷は最初から売れたわけではありません。手書きのチラシを近所へポスティングしたり、食べたお客さまにヒアリングしたり。そんなことを積み重ねながら、ヒット商品へ成長させていきました。その様子を見ていた父は理解してくれたようで、わだかまりは薄まっていったように感じます。
大槻:メルマガやポスティング、Clubhouseでの発信。本当に、自分でできることをすべて実践していたんですね。
葛きゃんでぃ大ヒットの裏側で流した、悔しさの涙
大槻:改めてですが、榊さんはなぜ6代目女将になろうと考えたのですか。
榊:私はもともと「人の役に立てる仕事がしたい」と思っていました。当時は「国語の先生になって、生徒の役に立てるといいかも」と考えて大学へ進学したんです。でも、インターンをしてみて教師に向いていないことがわかりました。
そんなとき、母が入院。病室で両親が「お店をたたむかどうか」の話し合いをしていました。ちょうどそのタイミングで、近所のコンビニで同級生のお母さんに遭遇し、小学生だったときの私の夢が「家業を継ぐこと」だったと聞かされました。
帰宅後にビデオを探してみたら、卒業証書を手渡されるときに「実家の和菓子屋を継ぎたい」と堂々と発表する自分がいました。その姿はとても自信が溢れていて、かっこよかったんですよね。
「人の役に立つ仕事」は、教師だけではありません。家業を継ぐことで、お客さまはもちろん、従業員や両親の役に立てるかもしれない。病室で両親が家業の話をしていたとき、私もなにかしたいと思いました。とはいえ、引っ込み思案な性格だったので、和菓子屋の経営ができるかどうかわからなかった。そんな私を、小学生時代の私が背中を押してくれたんです。大学を辞めてすぐに継ぐのは無謀かなと考え、大学時代のアルバイト先だったアパレル会社で2年ほど働いてから家業に専念しました。
でも、反省することばかりです。葛きゃんでぃのヒットは後悔のほうが多くて。

大槻:後悔ですか。
榊:葛きゃんでぃのヒットでは、両親やお店の従業員にも負担をかけました。注文数や問い合わせをさばききれず、毎日深夜3〜4時まで業務が長引いていました。本来なら和菓子を作ることが主業務のはずだった職人さんにも発送作業の負担がかかり、「アイスを作るために職人になったのではない」という厳しい言葉もありました。SNSでエゴサーチ(ネット上での自分の評判をチェックする行為のこと)したら「このままだとお店は潰れるだろう」「ご先祖さまがかわいそう」と書かれていて、より落ち込みましたね。
とどめは、親戚のおじさんの言葉です。「これでお父さんが死んだらお前のせいだからな」「お葬式でお前が泣いても、お父さんはお前のせいで死んだんだと言ってやる」と言われたんです。悔しくて、悔しくて。絶対に目の前で涙を見せないようにしたくて、信頼できる従業員の前で泣きました。
大槻:そこからどうやって再起を。
榊:いつも葛粉を卸してくれている問屋の方から「コロナの影響で葛粉のキャンセルが続いていて困っていましたが、葛きゃんでぃのおかげでなんとかなりました。ありがとうございました」と言われたんです。
ほかにも、Instagram経由で「うちでも作ってみていいですか?」「作ったおかげで売れた」といったメッセージももらえました。こんなにも気持ちが落ち込んだのは事業に対する覚悟が足りていなかったからだと気づき、「次こそは」と思えるようになりました。
「100年続く老舗和菓子屋」の価値を活かし、ネットで販路を広げる
大槻:オリジナルブランド「萌え木」もスタートさせていますが、今後はどのように事業を拡大させていく予定ですか。
榊:「今日のご褒美」として選ぶスイーツのなかに和菓子を加えたくて、誕生させたのが「YOKAN −予感−」でした。最初は練りきりにしようと考えていましたが、冷凍での配送になると送料がかかってしまう。常温でかつ日持ちするもので考えたとき、羊羹が最適だったんです。
事業の拡大は、正直に言うと迷っています。利益を出すには規模はもう少し大きくしたほうがいいけれど、工場で作るお菓子となると大手には敵いません。なので、引き続き地元密着型の老舗和菓子屋として営業しながら、和菓子に馴染みのない人を呼び込む入り口としてネット販売やポップアップストアを実践していこうと考えているところです。それもあり、現在は埼玉県内にある3店舗のうち、1店舗を閉めました。その分、ネット販売で売上を立てようとしています。

大槻:実店舗を基盤に、ネット販売など新たな販路に挑戦できるのはおもしろそうです。
榊:コンビニで手軽に大福を買えるのに、なぜわざわざ和菓子屋で大福を買うのか。答えは「和菓子屋で買う=特別感がある」からです。節句やお祝い事などでの「せっかくだから」のニーズに、和菓子屋は応えることができます。創業以来続けてきたことですが、これからもお客さまが何を求めているのかを考えながら商品を作っていきたいです。
大槻:100年以上続く老舗和菓子屋としての目線があることは強みですね。
榊:その点、私は6代目になれてラッキーでした。歴史ある実店舗でお客さまのニーズに応えれば、商品は必ず売れます。私が家業を継いで1年目に年間9万円、2年目には100万円の黒字でした。3年目となる今年は、もう少し良くなるはず(笑)。着実に積み上げていきたいですね。
