株式会社斎藤佑樹を設立した、元プロ野球選手・斎藤佑樹氏
株式会社斎藤佑樹を設立した、元プロ野球選手・斎藤佑樹氏
  • 掲げたビジョン「野球未来づくり」に込めた思い
  • ケガで野球を断念する人を1人でも減らす、その近道が出資だった
  • 「物事を疑え」、元日ハム監督・栗山氏から得た学び
  • 野球を続ける上でハードルになる課題を全部解消していきたい
  • 写真撮影も実は“野球未来づくり”に繋がる

キャリアの多様化が進む今、「アスリートのセカンドキャリア」にも新たなモデルが生まれている。中でも、10代から常に注目を集める存在であり続けてきた元プロ野球選手・斎藤佑樹氏が新たなキャリアを歩み始めたのは記憶に新しい。引退から2カ月後の2021年12月、株式会社斎藤佑樹を設立し、社長に就任したことを発表した。

起業はいまどき珍しくはないが、自分の名前を冠した社名で何をしようとしているのかと、気になった人は少なくないはずだ。今後の動向について多くの人が気にする中、株式会社斎藤佑樹はスタートアップへの投資を実行した。投資先は業界で話題のトラッキングシステムを導入した野球ジム「外苑前野球ジム」を運営するKnowhere(ノーウェア)だ。

東京・外苑前にある外苑前野球ジムでインタビューに応じた斎藤氏は、爽やかなサックスブルーのジャケットに身を包み、会社設立から半年を経た「今」について語った。

掲げたビジョン「野球未来づくり」に込めた思い

「​​『自分の名前を社名にするなんて』と最初は自分でもどうかと思いました(笑)。でも、周りの方々の助言も聞く中で、あえて自分の名前だけでマーケットに飛び込んでみようという覚悟ができたんです。“斎藤佑樹”という存在に、世間は何を期待してくれるのか。ユニフォームを脱いだ僕が、どんなポジションを求められるのか。事業領域は自分で決めずに、あえて委ねてみようと思ったんです」(斎藤氏)

たった1つだけ、掲げたビジョンは「野球未来づくり」。大好きな野球を、もっと楽しくするための貢献をしたい。「ぜひ何かご一緒に」と公式サイトで窓口を開けた。そんなシンプルなメッセージには、予想以上の反響があったという。

「新しい事業の提案や、広告・メディアの出演のオファーをいただいたり、『株式会社斎藤佑樹で働きたい』と手を挙げてくださる方がいたりと、一気に新しい世界が広がりました」

斎藤氏が考える野球の未来や野球の楽しさを実現するための課題はいくつもある。目下考えているのは、野球を始めるきっかけづくりや野球用品の費用を抑える仕組み、続けるための練習場所の確保など。この“練習場所”の課題に挑む事業として、斎藤氏が支援するのが「外苑前野球ジム」だ。

ケガで野球を断念する人を1人でも減らす、その近道が出資だった

東京・青山という都心につくられた、365日24時間いつでも利用できる会員制野球ジム。「都会ではキャッチボールすらできる場所がない」という“野球の課題”を解消する場所として生まれた。プロ仕様の砂を取り入れたマウンドや、野球選手向けトラッキングシステム・ラプソード6台を導入するなど、設備にはこだわっている。

運営するKnowhere代表の伊藤久史氏は、斎藤氏と同い年の33歳。慶應義塾大学卒業後、ディー・エヌ・エー、HEROZでアプリ開発に携わり、法人向けAI導入などを担当していた。野球には小中学校で親しみ、スポーツは「データで楽しむ派」。デジタル人材としてのキャリアを生かし、野球界に貢献しようと起業した。

(左)元プロ野球選手の斎藤佑樹氏 (右)Knowhere代表の伊藤久史氏
(左)元プロ野球選手の斎藤佑樹氏 (右)Knowhere代表の伊藤久史氏

そんな伊藤氏と選手時代に出会い、ジム新設の構想を聞く中で意気投合したという斎藤氏は、「いつでも思い立った時に通えるとありがたい」「投手が本番に即した練習ができるだけの距離がほしい」など選手視点での意見を伝えたという。

都心にありながら18.44mの距離を確保したピッチング練習用フィールドは、選手の背面側の奥行きも十分に取り、どの角度からもカメラで記録することが可能だ。実はこの分析特化型の環境に、斎藤は「野球の明るい未来」を見出し、この6月に会社としての出資を決めた。

「ここで撮影したフォームの動画や画像をAIに読み込ませて分析することで、精度の高いフィードバックを提供できる。これまで、野球の技術は指導者のコーチングによって向上するものだと考えられてきましたが、個人の経験や感覚が全員にハマるとは限らない。正直、相性もあると思います。選手にとって一番大事なのは、“自己認識”です。世の中の選手と比較して、自分は今どんな状態にあるのか。昨日の自分と比べて、どう変わったのか。自分自身の現状把握をより正確に効率的にできるようになれば、より早く楽しく成長できる。何より、ケガの予防につながるんです」(斎藤氏)

画像提供:Knowhere
画像提供:Knowhere

同ジムに通う会員の過半数は高校生以下だ。ケガに悩まされた自身の経験から、ケガが原因で好きな野球を断念する人が1人でも減らせる環境が広がることを、斎藤氏は切に願っている。

「これまでプロの選手しか享受できなかった高度なトレーニング環境を、テクノロジーの力で多くの人に届けられる時代になった。本当は僕の会社でそれができたらよかったけれど、僕はAIに明るくない。伊藤さんを応援することが最短最速のルートになると考え、出資を決めました」

斎藤はいい意味でこだわりがない。大きな目的に向かって、柔軟かつ合理的だ。では、ビジネスパートナーとなった伊藤から見て、斎藤はどんな経営者なのか。

「とにかくいつ会ってもポジティブな言葉をかけてくれるんです。僕ら起業家は挑戦しながらも、心の中では不安を感じる時がある。『応援していますよ』という言葉だけでなく行動で、背中を押してもらえるのは本当にありがたい。そして、いつも謙虚で本当に勉強熱心。会うたびに知見をアップデートさせているから驚きます。前向きなオーラで、周りの人を元気にさせる。斎藤さんはそんな力がある経営者です」(伊藤氏)

「物事を疑え」、元日ハム監督・栗山氏から得た学び

「メンタルが強い」と言われることが多いという斎藤氏。なぜ、ポジティブでいられるのか。そう聞くと、よどみのない言葉が返ってきた。

「野球やってた時からずっと、何か壁に当たるたびに『できないことをどうやったらできるようになるか』と考えるのが楽しかったんです。ケガをしたときもそうでした。『どうやったら早く治るのか』『治った後に、どんな自分になれるのか』と想像するだけでワクワクするんですよ。過去の常識にとらわれると、暗い気持ちになっていたかもしれませんが、未来を自由に発想すればクリエイティブな生き方ができると信じています」(斎藤氏)

この発想は、北海道日本ハムファイターズの元監督・栗山英樹氏の言葉、「物事を疑え」から得た学びでもある。

「野球って長い歴史と伝統があるスポーツだから、『これはこういうものだ』と、決まり事に従うような考えになりがちです。でも、『もしかしたら、違う方法があるかもしれない』と発想するだけで希望が持てるし、もっと面白くなるはずなんですよ。そして、希望につながる新しい発想のヒントは、“野球を知らない人たち”から得られることが多い。だから僕は積極的に人に会いに行っています」(斎藤氏)

どれくらいのペースで会いに行っているのかと聞くと、「毎日です」と即答。IT業界の経営者や、モノづくりの現場で奮闘する人など、斎藤氏はできるだけ“知らない世界”に足を運び、吸収する日々だという。アポを取るときには早稲田大学時代のネットワークが、大いに生きている。

「いろいろな分野で活躍している同世代に会うと、特に刺激になりますね。選手時代は“同世代”といえば球界の同期ばかり気になっていましたけれど、世界を広く見渡せば本当に多様な同世代がいるんだなと、あらためて感動しています」(斎藤氏)

とはいえ新しいことや“常識はずれ”なことをやろうとすると、批判はつきものだ。でも、斎藤氏は「気にせず、自分がやるべきことに集中する」と決めている。

「周りの目を気にしだすとキリがないです。1000人中1000人を味方にするなんて不可能だし、人それぞれ考えが違うのは当たり前。全員に理解してもらおうとすることに労力を費やすのはあまり意味がなくて、“今、自分が集中すべきこと”を見極めて力を尽くすだけ。5年くらい前に、アドラー心理学について書かれた『嫌われる勇気』を読んだときに、自分の生き方は間違ってなかったんだなと思えた瞬間がありました」(斎藤氏)

野球を続ける上でハードルになる課題を全部解消していきたい

野球選手のセカンドキャリアにも正解はない。「結局は、本人が何をしたいか。自分自身を見つめ、深く知ることからしか始まらない」と斎藤氏は考えている。

気負うことなく“今の自分”に集中している斎藤氏。「いつか、少年野球専用のスタジアムをつくってみたい」と夢は膨らむ。

だが現実を見れば、野球人口は減少傾向にあって決して明るくはない状況だ。全日本軟式野球連盟によれば、1982年度には推定32万人だった競技人口も、2020年度には約18万7000人となるなど、年々減少傾向を辿っている。

だが、斎藤氏は思考を止めない。「日本の人口そのものが減っているのだから、野球人口を増やすのは難しい。大事なのは、数ではなく“体験の質”を高めることだと思う。だから、野球を続ける上でハードルになる課題を全部解消していきたい」(斎藤氏)。そのアプローチのひとつが、今まさに取り組んでいる練習用ジムの開設や、ケガ予防をサポートする技術開発なのだ。

一貫して“野球愛”を語る斎藤氏に、最後に聞いてみた。「野球のある人生とない人生、何が違うと思いますか」と。実はこの問いは、斎藤氏と同じピッチャーを目指す10歳の野球少年から預かったものだった。質問の主旨を伝えると、斎藤氏は嬉しそうに、一つひとつの言葉を確かめるように答えてくれた。

「野球のある人生で得られること……そうですね。今の僕がこうして楽しく前向きに生きているのは、野球を通じて出会えた仲間や先輩、師匠と分かち合えた時間があったからです。僕はほかのスポーツをやったことがないから比較はできませんが、野球はすごく複雑な球技で、準備や片付け、ベンチでの声かけも含めて、役割が多いスポーツなんです」

「試合に出られない選手も含めて、それぞれに大事な役割がある。そして、みんなで同じゴールに向かっていく。こんな経験はなかなかできなかったと思うし、そんな時を共に過ごした仲間とはお互いに助け合える存在になれる。野球が僕の人生に与えてくれるたもの、それは“人”だと思います」(斎藤氏)

写真撮影も実は“野球未来づくり”に繋がる

カメラ愛好家としても知られる斎藤氏のInstagramのタイムラインには、野球少年・少女たちの笑顔も時折並ぶ。訪問先の少年野球チームで自ら撮影したものも多いという。

「写真が好きな理由は、最高の瞬間を切り取れるから。野球をしているときにこんなにいい顔をしているんだって、子どもたちや親御さんに知ってほしいなと思いながら撮っています。写真を見せた後に、『やる気になって、いつもよりたくさん練習ができました』なんて言われると嬉しいですね。これも僕にとっての“野球未来づくり”なんです」(斎藤氏)

斎藤氏は今、33歳。人生はまだ続くが、決して長いとは思わない。やるべきことが溢れ、時間が足りない。

「現役で頑張っている同期の選手は、できるだけ長く活躍してほしいと思って応援しています。僕は僕で、今の僕ができることに集中して、社会に貢献していきたい。結果がすべてではなく、“社会に貢献しようとしている自分”をいつも感じられるかどうかが大事。そんな生き方を皆さんにも見せていけるよう、動き続けます」(斎藤氏)