石川森生 ディノス・セシール CECO(Chief e-Commerce Officer)新卒でSBIホールディングス入社。SBIナビ(現・ナビプラス)の立ち上げに参画、営業統括の責務を担う。その後、ファッション通販サイトのマガシークにてマーケティング部門の責任者、製菓製パン向けECサイトcottaを運営する株式会社TUKURU代表取締役社長を歴任。イントレプレナーとして常に企業の課題解決に従事。2016年2月、株式会社ディノス・セシールでCECO(Chief e-Commerce Officer)に就任。同年7月よりEC本部を組織。既存の枠組みを超える、サスティナブルなECビジネスを構築するというミッションを実践している。 提供:Agenda note
  • インターネットは、あくまで「お金を稼ぐ」手段だった
  • ネットが必ずビジネスの要になる判断し、SBIに入社
  • 「インターネットを中心に据えて考える必要はない」なんて、あり得ない
  • デジタル全盛期に、ディノス・セシールを選んだ理由

ディノス・セシールでCECOを務める石川森生氏。石川氏はSBIホールディングス、ファッション通販サイト「マガシーク」、製菓・パン材料のECサイト「cotta」を運営するTUKURU代表取締役社長など、デジタル領域でキャリアを積み、2016年に総合通販のディノス・セシールに入社。デジタル領域を出自としながら、DMなどリアルな手法をデジタルと組み合わせることで成果を出し、昨年は全日本DM大賞のグランプリを受賞。若くして成果を出し、マーケティング領域で注目を集めています。今回はEC業界から、あえてカタログを強みにする通販会社に飛び込んだ背景に迫りながら、これからの企業やマーケターに必要な考え方について迫ります。(編集注:本記事は2020年4月7日にAgenda noteで掲載された記事の転載です。登場人物の肩書きや紹介するサービスの情報は当時の内容となります)

インターネットは、あくまで「お金を稼ぐ」手段だった

徳力 石川さんは、1984年生まれですよね。ミレニアル世代の人たちは、学生時代からSNSに触れていて、インターネット上で友だちとコミュニケーションをとることに慣れているため、私たちの世代とはビジネス感覚が根本的に違うのではないかと考えています。

 インターネットに大学生の頃に触れたのが、いわゆる“76世代(1976年前後に生まれた経営者)”ですが、私はもっと若く中学生ぐらいの頃にインターネットを経験している新しい世代のビジネスパーソンが1987年周辺にもうひとつの山を築いているという仮説を持っているんです。例えば、SHOWROOMの前田裕二さんや研究者の落合陽一さんが該当します。

 そういうわけで、今日は同世代の石川さんにお話を伺いしていきたいのですが、インターネットに最初に出会ったのは、いつごろですか。

石川 ユーザーとしては、小学校6年生か中学校1年生くらいですかね。5つ上の兄がコンピュータ好きで、気付いたら家にインターネット回線が通っていたんですよ。ただ、私はコンピュータにもインターネットにも興味はありませんでした。 

徳力 あんまり、インターネットに触れてこなかったんですかね。

徳力基彦 アジャイルメディア・ネットワーク アンバサダー・ブロガー /ピースオブケイク note プロデューサーNTTやIT系コンサルティングファームなどを経て、 2006年にアジャイルメディア・ネットワーク設立時からブロガーの一人として運営に参画。「アンバサダーを重視する アプローチ」をキーワードに、ソーシャルメディアの企業活用についての啓蒙活動を担当。2009年2月に代表取締役社長に就任し、2014年3月より取締役。2019年6月末で退任、7月から現職。同月 ピースオブケイク noteプロデューサー/ブロガーにも就任。 提供:Agenda note

石川 はい。ただ、そんな中で私がいつもチェックしていたのがYahoo!ショッピング。中学生の頃に「コンバースの靴が欲しいなあ」と眺めていたのが、最初のインターネット体験かもしれません。でも、そのうちオークションサイトのヤフオク!ができて、買うよりも先に売るようになっていましたね。

徳力 えっ、中学生でヤフオク!ですか。

石川 はい、中学校の3年生頃ですかね。骨董好きの親父が蚤の市などで買ってきたガラクタを売っていました。親父は自分のことを目利きだと思っていて、買ってきたものに「価値がある」と言い張るわけですが、家族からすると全部ゴミです(笑)。だから、親父が買った金額よりも高く売れたら認めようという話になり、私がヤフオクに出品し始めたんですよ。

徳力 テレビ番組の「開運!なんでも鑑定団」みたいですね。お父さんは100万円だと言い張っているけど、家族は1万円だと思っているみたいな(笑)。つまり、石川さんにとってのインターネットへのファーストコンタクトは、売る側だったんですね。

石川 そうですね。高校生になってからは、部活のバスケットボールばかりしてアルバイトをする時間がなかったので、小遣い稼ぎに乗り出しました。

 当時まだH&Mが日本に出店していなかったことに目をつけて、H&Mの本拠地であるスウェーデンに住んでいる友人に服を買ってもらい、日本に箱で送ってもらって、ヤフオク!で5倍くらいの値段を付けて売っていました。

徳力 えっ、凄すぎます。高校生から立派な商人ですね(笑)。それは、その後も続けるんですか。

石川 いえ、大学に入ってからは、していないですね。自分の時間ができて、アルバイトをして稼げるようになりましたから。

 高校生の頃は、単純に一番楽に稼げる方法がヤフオク!だったという理由だけで、インターネットで物を売ることに興味があったわけではありませんでした。

ネットが必ずビジネスの要になる判断し、SBIに入社

徳力 石川さんの経歴を拝見すると、大学卒業後はSBIホールディングスに入社し、EC向けのマーケティングソリューションなどを展開するSBIナビ(現ナビプラス)を立ち上げた後、ファッション通販サイト「マガシーク」のマーケティング責任者に就任。

 その後は、製菓・パン材料のECサイト「cotta」を運営するTUKURU社長に就任するというECサイトを中心としたキャリアを歩まれていますよね。そして現在は、ディノス・セシールで紙とデジタルを融合したマーケティングを推進しています。

 ご自身のキャリアを振り返って、ターニングポイントはどこにあったと思いますか。

石川 それで言うと、最初のSBIナビですね。でも、内定をもらった企業の中では一番条件が悪かったんです。

徳力 では、なぜSBIを選んだんですか。

石川 そこは私の叔父の影響が強いかもしれませんね。昔、SBIの北尾さんと叔父が仕事上のお付き合いあったみたいで、叔父に電話で相談したんです。「SBIから内定もらったんだけど、どう?」って。

 そしたら「彼(北尾さん)は、仕事ができるから新卒で下に付くのはいい。キャリアを積んでからではなく、いま行け」と言うわけです。

徳力 すごいですね。当時の石川さんは、インターネットを通じたビジネスがおもしろそうだと思って、SBIを選んだんじゃないんですか。

石川 はい。そういう意味で言うと、インターネットに個人的な興味はないんですよ。今でも、ですが(笑)。

徳力 ビジネスの手段として、インターネットを選んだという感じですか。

「インターネットを中心に据えて考える必要はない」なんて、あり得ない

石川 そうですね。当時は、インターネットにビジネスとしての可能性は感じていました。新卒のときに内定を3つもらったのですが、SBIホールディングス以外は総合広告会社と、外資系コンサルティング会社でした。

 その社員とお話しさせてもらったとき、どこもインターネットに対する認識が非常に甘いなと感じたんです。広告会社の人は「テレビとWEBは繋がるが、この先も中心はテレビ」と思っているし、コンサルティング会社の人は、そもそも戦略の中にインターネットをいかに活用して行くかが明確に定義されていないという時代だったんです。

石川森生氏 提供:Agenda note

徳力 当時は2007年だから、すでにインターネットは普及していましたよね。でもまぁ、たしかにネットバブルが弾けて業界が泥を舐めていたころでもありますね。

石川 はい、当時は「インターネットは便利だが、世界を変えるほどのものではない」と考えている人の方が多かったように思います。今となれば、その考えに賛同するところもありますが、当時、「これからインターネットを中心に据えて考える必要はない」なんて、あり得ないと思いました。

徳力 なるほど。インターネットが好きだからではなく、あくまでもビジネスとして冷静に判断したら、この波は絶対に来るから、その方向に賭けようと思ったわけですね。

石川 そうです。2007年前後は、就職先としてインターネット系の会社を探すと、最初にサイバーエージェントさんが出てきました。私の大学の同期にはインターネット好きが多かったので受けている人も多かったのですが、「インターネット大好き」じゃない私は「なんとなく違うな」と感じていました。

 それよりもビジネスとしてインターネットを活用している会社がないかと探したとき、SBIホールディングスに目が行きました。何しろ、証券会社にインターネット取引を持ってきたのは、ある意味で革命じゃないですか。電話の交換台で受け付けていた取引をインターネットで代替すれば、手数料が下がるのは当たり前。これがインターネットの使い方として圧倒的に正しいやり方だと思って、入社することにしました。

徳力 石川さんがビジネスとしてインターネットに目をつけたのは、なぜだったんでしょうか。

石川 結局、楽がしたいんですよね(笑)。学生のときも勉強は好きではなかったけれど、要領だけ良くて、いかに短時間で頭を疲れさせずにテストで点を獲るかを考えていました。

 そういう意味では、楽ができるポジショニングに対する嗅覚だけはあるのかもしれません。「ここだけ押さえてれば80点取れる」の「ここ」がインターネットだったんです。

デジタル全盛期に、ディノス・セシールを選んだ理由

徳力 僕が石川さんのキャリアで一番おもしろいなと思ったのは、一度社長を経験された後に、再び大企業であるディノス・セシール に入社されていることです。

 他のインターネットの起業家を見ても、社長を経験した後にもう一度大企業に入ろうという人は少ないと思っています。

石川 いえ、私の場合はもとから「社長になりたい」という発想はなくて。TUKURUで社長になったのは、当時の株主から「やってくれ」という要請を受けていろいろと話した末に、たしかに私がやった方が合理的だと思ったからなんです。

 だから、当時から社長を続けたいとは思っていなくて、もっとうまくやってくれる人が出た瞬間に代わりたいと思っていました。

徳力 自分の事業を始めて、それを大きくするということに興味があるわけではないんですかね。石川さんは、他の人と興味の位置がちょっと違う気がします。

石川森生氏(右) 提供:Agenda note

石川 そうですね、仕事自体が目的にはならないですね。例えば、今だったら子どもとの時間をどう過ごすかが大事だったり。

「仕事について、どう思いますか」とよく聞かれますけど、仕事はご飯を食べることや寝ることとほぼ同じで、働かないと死ぬから働かざるを得ないという感覚です。

 でも、せっかくご飯を食べるのなら、おいしいものを好きな人と食べたいし、どうせ寝るなら良い環境で寝たいですよね。それと一緒で、どうせ働くならおもしろいことや、誰かが喜ぶことをしたいと思っているんです。

徳力 それ、個人的にすごく重要だと思うんです。私たち“昭和世代”が今の発言だけを聞くと、古い言葉で言うと「5時まで男」に聞こえるんです。

石川 何ですか、それは。

徳力 就業時間の午後5時まで働いて、そのあと飲みに行くことを楽しみに生きている人のことを言うんです。そこにあるのは、仕事は苦痛を我慢する時間でしかないという考え方です。

 でも、石川さんはそうではなく、仕事も楽しむ要素のひとつとして捉えているんですよね。その結果として、現在のディノス・セシールを選んだわけですよね。

石川 そうですね。ここでしかできないことができると思いました。

>>5月14日(木)公開予定の後編に続きます。