Photo: Cemile Bingol / Getty Images
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  • 「起業は背水の陣で」という都市伝説
  • 日本のキャリア観も変わってきている
  • 2030年代には終身雇用制の意味がなくなっていく
  • 起業家として巣立つ優秀な人材を支援し、プラスに作用させる

本連載では、現在シリコンバレーから米国、日本のスタートアップを支援するデライト・ベンチャーズ創業者・マネージングパートナーの渡辺大氏が、起業家が知っておくべき心構えや、資金調達時に注意すべき点などについて解説。今回は渡辺氏が、米国の起業に対する考え方に影響を与える「実質的セーフティーネット」の存在と、変わる日本人のキャリア観について論じる。

「起業は背水の陣で」という都市伝説

シリコンバレーのスタートアップエコシステムがもつ最大の競争力は、スタートアップの数の多さだと言っていい。これまで会った起業家を振り返っても、平均的なレベルが他のエコシステムに比べて特段高いという感覚はない。とにかく数が多いのだ。

身の回りで起業する人も非常に多い。シリコンバレー(ここでは広義にベイエリアとする)には米国の人口の2.3%しかいないにも関わらず、VCから調達を受ける米国内のスタートアップの20%以上があるのだから当然だ。
 
同じ理屈で、日本のスタートアップエコシステムの最大の弱点は、その数の少なさだと言える。この記事を読んでいる読者の周りには、最近起業家が増えているかもしれない。ただ、起業文化を毎年国際比較して公開しているGlobal Entrepreneurship Monitor(GEM) Reportによると、約50カ国中、日本は起業家数では最下位の常連だ。たとえば、「過去2年間にまわりに起業した人がいる」という問いに対する回答を見ると、残念ながら圧倒的に最下位だ。

過去2年間に身の回りで起業した人を知っている成人の割合(出典:GEM Adult Population Survey 2021) 「Global Entrepreneurship Monitor 2021/2022 Global Report」掲載のグラフを編集部にて加工
過去2年間に身の回りで起業した人を知っている成人の割合(出典:GEM Adult Population Survey 2021) 「Global Entrepreneurship Monitor 2021/2022 Global Report」掲載のグラフを編集部にて加工

シリコンバレーの人は日本人よりガッツがあって、チャレンジ精神が旺盛なのか、というと僕はそうではないと思っている。日本よりシリコンバレーの方がリスクを取りやすい、というのも語弊がある。単に起業するにあたってのリスクが「小さい」のだ。

シリコンバレーに限らず、米国でVCから調達したスタートアップは統計的に半分以上は失敗する、というのは前回記事(『日本の“早すぎる上場”はスタートアップエコシステム全体にとっての損失──持つべき4つの視点』)で述べた。失敗するとその起業家はどうなるのか。多くの起業家はGoogleやMicrosoftなどの大企業にアクハイヤー(人材獲得を目的として事業がたち行かなくなったスタートアップを投資原価やそれ以下の金額で買収すること)されるか、再び起業するか、またはその両方だ。

アクハイヤーもされず、再起業もしない人は、大企業や他のスタートアップに雇用される。起業経験のある人材は、MBAを卒業したての人材に引けを取らず、またはそれ以上に重宝される。一定の学歴や職歴がある人が、「起業したが失敗してキャリアの窮地に陥る」ということはあまり考えにくく、ある意味、実質的なセーフティーネットが存在しているといっていい(もちろん、精神的には失敗した起業家は絶望し、投資家に説明したり社員を解雇したりなど、耐えがたいプロセスが山ほどあるが)。

セーフティーネットが多くの起業家の動機にも織り込まれてるので、起業するにあたってキャリア的に背水の陣を敷く感覚は、米国ではほぼないといっていいだろう。

日本のキャリア観も変わってきている

日本では、経歴に関わらず起業家に実質的セーフティーネットが存在しているとは、まだ言えない。むしろ銀行融資における起業家の個人保証などは、その逆を行く発想で、落とし穴に槍が仕掛けられているようなものだ。その他、失敗に対する社会的スティグマ(偏見)や、失敗しなくても鳴かず飛ばずのスタートアップを売却しにくいなど、起業に対する「リスク」がまだ米国に比べてはるかに高いと言える。

よいニュースは、それが少しずつだが変化してきている、ということだ。少なくとも国内のテック企業の多くは、その成功・失敗にかかわらず、起業経験のある人材を積極的に採用している。融資の個人保証についても、大手銀行を中心に見直しが進んできている。

なにより重要なのは、起業を考える人にとってのキャリアやリスクに対する捉え方の変化だ。

僕が20年前にDeNAに転職したとき、「大手銀行を退職してベンチャー企業へ」というテーマの新聞記事に、名前が載ったことを記憶している。今思うと滑稽な話だ。それから10年がたった2010年ごろを振り返ると、大手企業からテック企業やスタートアップへの転職は当たり前になった。そして今は、大手企業からスタートアップへの転職はもちろん、起業してもそれだけで新聞記事の取材対象になることはないだろう。

人材の流動化は確実に進んできた。さらに今から10年後はどうなっているか想像したい。優秀であれば優秀である人ほど、周りで起業したり、スタートアップに参画することを選ぶ人が多くなるだろう。その中のほんの一部は、大企業での出世では得られないほどの金銭的な成功を収めるかもしれない。

だが金銭的な成功より重要なことは、成功しなかった人の多くも、槍つきの落とし穴にはまることなく挑戦を続け、起業という選択に後悔せず素晴らしい人生を送ることだ。

シリコンバレーの有名な投資家ポール・グレアムが2007年に書いたエッセイを最近読み返して、ちょうど今の(またはまもなく始まる)日本の雰囲気に近いのではないか、と嬉しい気持ちになった。このエッセイは、今や世界で最も著名なアクセラレーターとなったYコンビネーターのために書かれたものだ。2005年、Yコンビネーターの第一期スタートアップはたったの8社だった(現在は1バッチ300社以上)。

Y Combinatorを始めて2年がたった。最初のバッチ8社のうち、4社は買収されてファウンダーは一定の金持ちになった。成功確率50%は異常値かもしれないが、25%くらいは継続できそうな気がする。


残りの4社も、ひどい経験とはなっていない。3社は清算したが、ファウンダーはまもなく次のスタートアップを始める。残りの1社はもう少し粘って、最終的に作ったソフトウェアを25万ドルで売り、投資家に元本を返したあとでファウンダーも1年分の給与くらいの収入は得た。その後、Justin.TVというイケてそうなスタートアップ(現在のTwitchの前身)を始めた。


つまり起業して後悔している割合は0%だ。こっちは異常値ではなさそうだ。会社勤めをしとけばよかったと思っているファウンダーはゼロに近い自信がある。


こんないい話なのに、なぜみんな起業しないのだろうか。

(ポール・グレアムのブログ記事「Why to Not Not Start a Startup(スタートアップを始めない理由)」より抜粋、要約)

2030年代には終身雇用制の意味がなくなっていく

2030年代の日本では、優秀で行動力のある人にとって、終身雇用制はなんの意味も持たなくなるだろう。上のエッセイが書かれてから15年後の現在の米国のように、スタートアップを興すこと、またはそれに参加することのリスクとリワードが明確になっているはずだからだ。

米国に比べ、これまで存在感を保ってきた日本の大企業は、その強みの柱である終身雇用制の崩壊を目の当たりにするだろう。社員(特に優秀な社員)が、引退まで会社にコミットする前提を変える必要がある。

そもそも日本の新卒一括採用と終身雇用の組み合わせは、世界でも非常にユニークな存在となってしまった。高度経済成長期に適したこの雇用制度は、今はイノベーションの妨げになっていると言ってよい。それどころか、そもそも国民の生活の安定を守る役割も果たしていない。正社員を解雇できない企業は、株主利益を守るために非正規社員を調整弁にするからだ。1984年に約15%だった就労者に占める非正規社員の割合は、2021年には約37%に増え、貧富の差拡大の原因にすらなっている。

キャリアや雇用よりも大きい話として、スタートアップエコシステム全体がR&Dに取り組み、多くのスタートアップが切磋琢磨した結果、その一部が大成功するという仕組みは、非常に生産性が高い。それが今後の経済成長のために欠かせない、ということは世界で証明されてきた。大企業の業績も、雇用制度も、貧富の問題も、その前進は経済成長あってこそであり、経済の参加者(企業・政府・人材)は皆、雇用制度の変化・キャリア志向の変化に適応していかなければならない。

起業家として巣立つ優秀な人材を支援し、プラスに作用させる

手前味噌になるが、人材を重要なアセットとする企業が、起業のために巣立っていく人材をマイナスではなくプラスに作用させている例として、DeNAとデライト・ベンチャーズの取り組みについて触れたい。

2019年に設立したデライト・ベンチャーズでは、その投資事業の一環としてベンチャー・ビルダー事業を行っている。その役割は、企業に所属しつつも起業を志し、最初の一步が踏み出せないでいる人材の独立を助ける、というものだ。現在では起業家候補生の出身母体はさまざまだが、開始当初はDeNAの現役社員を中心に起業支援してきた。

デライト・ベンチャーズでは、退路を絶った起業だけではなく、副業または出向による、リスクを抑えた形での事業創出を支援している。プロダクトのプロトタイプを作るまで、本人にはキャリア上のリスクはない。会社を辞めていないので、起業を諦めても、元の仕事に戻ることができる。立ち上げコストはデライト・ベンチャーズが出し、本人の金銭的負担はゼロだ。ビジネス上、最も不確定要素が大きい立ち上げ期の市場調査・PMFを経て、プロダクトのトラクションが見えてきた時点で、本人は現職を退社し、新会社の過半数の株式を取得して、外部のVCからさらに資金調達してスピンアウト、となる。

このスキームでは、DeNAにとっては優秀な人材がデライト・ベンチャーズに勧誘され、スピンアウトが成功した暁には社員を失ってしまうことになる。これがなぜDeNAにとってよいことなのか。

DeNAのようなテック企業は、新卒採用こそするが、社員は終身雇用を前提として入社していない。そしてこれまで多くの起業家を輩出してきた。デライト・ベンチャーズに勧誘されなくても、他のVCやテック企業から常に声がかかるのだ。

DeNAからすると、関係を持たないVCや他社に引き抜かれるくらいなら、LPとして出資するデライト・ベンチャーズの投資先スタートアップとして成功してもらって、関係を続けたほうがはるかによい。失敗した暁には、出戻ってもらう可能性も高まる。さらには、起業というキャリアパスを支援するDeNAは、転職先・就職先としての競争力を高められる。いずれ独立するべき人材が起業するのが早まるだけで、戦略的なメリットが大きいのだ。

以下も、先に引用したポール・グレアムのコラム「Why to Not Not Start a Startup」からの抜粋・要約だ。

就職するのがデフォルトである、というのは起業しない言い訳として最もパワフルだ。デフォルトは、能動的な意思決定を伴わず実現するので、非常にパワフルだ。


この伝統は実はたった100年程度の歴史しかない。それより以前は、生活の術は農業だった。中世に始まった、農業から製造業への移行と同じような変化が、いまちょうど起こっていると思うのだ。


農地を捨て街に出た脱小作人は、狂気扱いされた。大勢の人が集まって暮らす「街」などに出て、自分の食べる食料も育てずにどうやって生きていくんだ、と思われていたのだ。


起業が当たり前になったときに振り返ると、就職も小作人も同じに見えるだろう。毎日同じ時間に出社し、ボスに仕事を捧げ、ボスの小部屋に呼ばれて、「まあ座りたまえ」と言われたら、座るだなんて!

(ポール・グレアムのブログ記事「Why to Not Not Start a Startup(スタートアップを始めない理由)」より抜粋、要約)

このコラムが世に出てから15年後の今のシリコンバレーで、これと同じ趣旨のことを耳にすることはもうない。それは、このキャリアの世界観の変化が、すでに実現したからだ。日本の2030年代はそういう時代になる可能性が高いし、そうならないといけないと思う。個人も企業も、適応するには劇的に行動原理を変えないといけない。