認定NPO法人・フローレンス会長の駒崎弘樹氏
認定NPO法人・フローレンス会長の駒崎弘樹氏
  • ビジネス起業から始まり、社会起業ののち政策起業へ
  • フローレンスが、社会起業家を輩出できる理由
  • 情熱なくして、社会起業は難しい
  • ビジネスの人は、ソーシャルの人より優れていると思いがち

スタートアップ支援とアントレプレナー教育に携わっている、東京大学FoundXディレクターの馬田隆明氏と有識者の対談を通じて、「日本における起業家教育はどうあるべきか」を探求する短期連載。初回のゲストは「病児保育」という新しいジャンルを作り広めた人物として知られ、最近では政策起業家(多様な社会課題を解決するための公共政策を実現させ、社会変革を促進させる人々のこと)の育成塾を始めた、認定NPO法人・フローレンス会長の駒崎弘樹氏です。対談の内容を前後編にわたってお届けします。

ビジネス起業から始まり、社会起業ののち政策起業へ

馬田:駒崎さんが始められた、政策起業家育成塾というのは、さまざまなカテゴリ分けができる起業家の中でも特に、社会起業家や政策起業家を育成するという認識です。なぜ今、政策起業家塾なのか。駒崎さんのこれまでの経歴を紹介いただきながら、お聞かせいただきたいです。

駒崎:僕は慶應義塾大学時代に、友人たちとIT企業を立ち上げました。商業ベースの成功を目指す、一般的な起業家からキャリアをスタートさせ、数千万円の年商を挙げるまでの規模にはなったのですが、お金儲けすることにあまり魅力を感じなくて。その会社は途中で辞めることになり、その後は大学卒業と同時に企業へは就職せずフリーターに。そして、今で言う社会起業家になりました。ただ当時はそういったたぐいの言葉はなくて、周囲からは「何をやっているか理解しづらいNPOの人」だったと思います。

馬田:それが現在のフローレンスですね。

駒崎:そうです。子どもが熱を出したり風邪を引いたりすると、保育園に預けることができないので、保育園に代わって子どもを預かるという「病児保育」のサービスを始めました。当時は「病児保育」という呼び名も定まっておらず、まだ確立された概念ではありませんでしたが、今は「病児保育」が普通に通じるようになりました。

馬田:「病児保育」だけでなく「小規模保育所」や「障害児保育」もフローレンスは手がけています。

駒崎:待機児童問題を解決するために、「おうち保育園」を経て小規模認可保育園というものをつくったり、医療的ケアが必要な子どもの預け先がないという問題については、「障害児保育園ヘレン」を設立して運営したりしています。こういった社会問題に対して、事業で解決していくことを、続けてきました。

政策起業家というキャリアは、図らずも30代で積むことになりました。目の前の社会課題を事業で解決はしてきたけれど、目の前の人を助けることに終始すると、社会的なインパクトはどうしても限られてしまう。自分たち以外の人が、自分たちのモデルを模倣して実践できれば、点でなく面で解決していけると考えました。そのためには、政策を変えていくということが近道だと気づいたのです。

民間の立場から、国の政策や制度を変えていくことに踏み込んだひとつの成功事例が、待機児童問題です。これまでの認可保育園は定員20名以上が原則でしたが、6名〜19名でも国から認可がおりるようになり、「おうち保育園」がモデルとなった小規模保育は、「小規模認可保育園」として認められるようになりました。その結果、保育園が増えて待機児童問題は解消へ向けて大きく動きました。

馬田:政策を考える人たちと接点を持ったきっかけについても、教えてください。

駒崎:30歳の時です。鳩山由紀夫内閣の際に、ポリティカルアポインティー(政治任用制)という政府の要請があり、2019年の半年間、内閣府で官僚の職に就きました。官邸で働くことを通じて、さまざまな政策をつくる経験をさせていただきましたが、どこのスイッチを押すと政策が通り、何があると通らないのかを学べたことが、非常に大きな経験でした。そこから、政策を変えるという働きかけをするようになりました。

20代は社会起業家、30代は政策起業家というキャリアを歩んできて、43歳の今は「やっぱり下の世代を育てなきゃいけないな」と考えて、社会起業家を育成する、社会起業道場を始めました。そしてもうひとつ、今年から政策起業道場も始めたところです。これは社会起業道場の政策起業家版で、政策起業家を育成するものです。以上が、20代から現在までの僕のキャリアになります。

フローレンスが、社会起業家を輩出できる理由

馬田:フローレンスは社会起業家を多数輩出している印象ですが、それはなぜでしょうか。何か仕組みがあるのですか。

駒崎:フローレンスが輩出したというとおこがましい気もしますが、フローレンス出身の社会起業家の例としては、大阪で病児・病後保育を営む認定NPO法人ノーべル代表・高亜希さんや、政策アンケートの「issues」を運営するポリテックのスタートアップ・issues代表の廣田達宣さん。それから、少人数で個別最適化された教育を提供するマイクロスクール、認定NPO法人東京コミュニティスクールの新理事長・堀江由香里さんでしょうか。

彼らに対してフローレンスができたことは、そう多くないと思います。それは、一人ひとりに志があったということに尽きるからです。例えば、issuesの廣田さん。僕は“ひろたん”と呼んでいるのですが、彼は社会人インターンとしてフローレンスに来て、フローレンスの事業の起こし方や運営方法を学んで、自らも社会起業家になりました。フローレンスに来る時点で、本人に起業する強い決意があったわけです。

一方で、フローレンスの実務を通じて学ぶことはあると思います。起業家教育全般に通じることですが、聞いているだけの講義では体感できないけれど、実際に自分がビジネスの現場に入って手を動かすことで、刻み込まれていくものがある。そう考えると、志を持った人が、フローレンスで実務をやってみることが、ラーニングの機会だったのかもしれません。

実務というのは、フローレンスで一緒に働く人たちとの関わりも含みます。ビジネスセクターの組織と少し違うのは、働き手にバリエーションがあるということでしょうか。ボランティアの人をはじめとして、賃金労働者だけではありません。さらに、当たり前ですが一人ひとり感情を持った違う人間で、それぞれにモチベーションがある。彼ら彼女らの感情や人格を理解しながら、その人に応じたコミュニケーションで巻き込んでいくことなど、起業に当たって重要になるさまざまな要素が実務に詰まっているのです。

情熱なくして、社会起業は難しい

馬田:社会起業道場と政策起業道場についてもお聞かせください。

駒崎:社会起業道場は、すでに社会課題に対して起業をしている人向けの、簡単に言ってしまえば、メンタリングプログラムです。例えば、課題に対してどんな取り組みをしているかを10分間でプレゼンしてもらい、その後10分間フィードバックを受けるという20分間が、5名分あるというイメージです。

徒弟制度に近いかもしれませんが、1対1で「課題の捉え方は本当にそれでいいのか」と問い、彼らの認知を拡張・深堀りしていくことで、課題の捉え方の訓練をしていきます。戦術論は自身で考えればいいことですが、課題設定が適切かどうかは非常に大事なので、そこを第三者視点でフォーカスして、捉え直しをしてもらいます。

馬田:志があってこれから何かを始めるという人には、知識というよりは実務を通した経験を、実際に起業している人には、メンタリングを通じてメタ認知を働かせることを促しているのですね。ちなみに、実務経験やメンタリング以前の大前提として、必要だと感じる知識やスキルはありますか。

駒崎:そうですね。社会起業家にしても政策起業家にしても、必要な基礎知識はあると思います。例えば社会起業であれば、事業をつくる際にビジネスの知識を使います。「ポジショニング」「事業ドメイン」「選択と集中」といったフレームワークが使いこなせれば便利です。ただし、これらは本を読めば学べるものなので、そうなると本を読みましょうということになる。

一方で、本を読むときに大事になるのは「本を読んで学んで、自分の能力を高めたい」「課題を解決するために、何でも自分の知識にしたい」という情熱です。あるいは、課題意識かもしれないし、怒りかもしれない。いずれにしても、自分で自分をドライブする強い動機がなければ、勉強は続かないし、当然社会起業は続きません。

馬田:途中で諦めてしまう人も多いですか。

駒崎:諦める人もいるし、心が折れてしまう人もいます。起業というもの自体が簡単ではないということはありますが、社会起業というものは、いわゆるビジネス起業家と違って、儲かるわけではない。さらには賞賛を得て目立つことも少ない。そういった中で、「それでもどうしてもやるんだ」「自分はやりたいんだ」と思えるものがないと、厳しいです。

そういう意味では、知識や技術の前に、そういう動機があるのかは問います。ソーシャルセクターにいるとよく投げかけられる「原体験はなんですか?」という問いがまさにそれで、原体験があると強く、続けられる傾向はあると思います。

ビジネスの人は、ソーシャルの人より優れていると思いがち

東京大学FoundXディレクターの馬田隆明氏
東京大学FoundXディレクターの馬田隆明氏

馬田:先ほど、情熱がある上でのビジネスの基礎知識の話が出てきましたが、逆に、ビジネスど真ん中にいる人たちが社会起業家としてやっていくときに、アンラーンしなければいけないことは、どの辺りにありますか。

駒崎:僕は典型的な、ビジネスセクターから入って社会起業家になっている人間なので、後から福祉や保育といったテーマを学びました。ビジネスが先だった実体験を元にお話しすると、ビジネスの万能感のようなものを捨てる必要があると思います。

馬田:どういうことでしょうか。

駒崎:ビジネスセクターの人たちは、ソーシャルセクターの人たちよりも自分たちは優れていると思いがちです。よく話題になるのは「NPOにお金がないのは、マーケティングを知らないから。僕たちが教えてあげましょうか」といったコミュニケーションです。もちろん、直接こういう言葉は使いません。でも「プロボノに興味ありませんか」という投げかけからはまさに、「知らないだろうから欠けている部分を埋めてあげるよ」という意図が透けて見えます。

確かにビジネス的な側面で見れば、ビジネスセクターの人たちの方が優れているポイントがあるかもしれない。けれども、ソーシャルセクターの人たちは、また違った側面で優れているわけです。例えば、課題を抱えた人に寄り添って、その人の心の叫びを、プライドを刺激しないような方法で分かち合いながら、自己決定を大切にしてもらいつつ導いていく。

ビジネスセクターのやり方を乱暴に言うと、「困っているならば、そこにニーズはある。じゃあ、これをどうぞ」と商品・サービスを提供しようとする。でも社会課題というのは、そんなにシンプルではありません。複数の課題が絡みあったり、ニーズが流動的だったり、そういう中で、相手を一人の人格として、自分と変わらない人間としてまなざしながら、課題を解決していきます。これは、「ソリューションを当てはめます」という言葉とは違う次元のところで繰り広げられるコミュニケーションです。

ともすれば、「ターゲットになる困窮層はここなので、このソリューションが当てはまります」といった図式で描きがちですが、そんなことではない。僕はよく「現場に出よう」と言いますが、現場に出ると、自分の薄い認知の殻が破れて、より重層的で立体的で深みがある人物像や、社会課題における被害者像が見えてくるんです。現場に出ることがアンラーンのいい手段であり、ラーニングのいい手段でもある。両方の意味合いがあると思っています。

馬田:現場での具体的エピソードについて、お聞かせいただけますか。

駒崎:例えばフローレンスには、生活に困難を抱える家庭への「こども宅食」という事業があります。これは、ただ食品を届けるだけではなくて、食品を定期的に届けることで信頼関係を築き、その中で話してくれる困りごとや悩みを、解決につなげることを目的としています。例えば「実はDV(家庭内暴力)をされている」という言葉を拾うことができたら、DVセンターにしっかりつないで、救済に向けてすぐに動くイメージです。

生活に困難を抱える家庭への「こども宅食」 画像提供:フローレンス
生活に困難を抱える家庭への「こども宅食」 画像提供:フローレンス

配達業務は、買い物弱者の方に寄り添う宅配サービスを行っている、ココネットさんにお願いしていますが、この事業を始めた際、僕も配達スタッフのユニフォームを着て、各家庭を訪問しました。ある日の配達先は、東京・文京区のマンション。古いけれど作りのいいマンションで、困難を抱える家庭が住んでいるとは考えにくい構えでした。けれども、一歩家の中に入ると昼間でも真っ暗。要は、電気を使っていなかったわけです。

家の中には父親と母親と子どもがいて「食品をありがとうございます。嬉しい」と迎え入れてくれた。これはちょっと気にかかるぞということで「ちょっと話しませんか」と家に上げてもらうと、置かれた家具はぼろぼろで、見せてくれた冷蔵庫の中には、何も入っていなかったんです。

「どうしてこういった状況になったのですか」と尋ねると、母親が「以前はこのマンションを買えるくらいの家計だったものの、夫が精神疾患になり、自分も病気で就労できない」と明かしたそうです。この状況で考えるのは、「もっと賃料や物価が安いエリアに引っ越しするのはどうか」ということだと思います。

すると「子どもに発達障害があって、今の家のそばにはようやく出合えた療育施設があるから、ここから離れることはできない」と。さらに「この子を塾に通わせることができるようになったんです」と続けてお話しになったので「その費用はどうされたんですか」と尋ねたら、「私が朝食と昼食を抜いているから」と誇らしそうに答えたのです。

これは一例ですが、困窮家庭と聞いて想像するものとは違うはずです。文京区に所有するマンションに住んでいて、子どもを塾に通わせている。「余裕がある、困窮なんかしていないよ」と捉える人もいるかもしれませんが、このケースは確実に困窮家庭です。

つまり、こういう立体的で複雑な家族像・人間像は、直接目で見て話を聞いて、初めて浮かび上がってくる。一律に、古びたアパートを訪ねればいいということではなくて、貧困というのは見えないし気付かれないという、新しい実相を、実体験を元に理解できるようになる。そういう意味では、現場に出てこそのアンラーンだと思います。

<後編につづく>