
- アップルとグーグルが用意した接触確認の仕組み
- 「誰が使っているのか」は国も分からない仕組み
- 目標の「人口の6割導入」達成が困難なお粗末なワケ
- 試される日本人のITリテラシー
新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大が続く中、世界各国で「アプリ」を感染対策に活用する取り組みが広まっている。日本でも「接触確認アプリ」を6月中旬に導入する予定だ。プライバシーに配慮し、感染症対策に有効だというアプリだが、政府が目標に掲げる「人口の約6割への普及」には大きな課題があった。アプリの仕組みとその課題をひもとこう。(ライター 石井 徹)
アップルとグーグルが用意した接触確認の仕組み
まずは、接触確認アプリの仕組みについて紹介しよう。このアプリは、「感染者が濃厚接触したおそれのある人」に対して、通知を送ることを目的としている。通知を受けるには、事前にアプリを導入して、設定する必要がある。
アプリ導入時の懸念点としてプライバシーの保護がある。だが、この点は心配には及ばない。詳しくは後述するが、アプリの設計上、プラットフォーマーや政府が取得できる情報は限定される内容になっているからだ。
コロナウィルスの流行を受けてアップルとグーグルがスマホに実装した新しい機能を実装した。接触確認アプリは、その機能をベースに開発される。同様の追跡アプリは1か国で1つまでに制限されており、日本では厚生労働省がアプリの運用元となる。
接触確認アプリは、スマホにもともと存在する「Bluetooth ビーコン」の仕組みを利用している。Bluetooth ビーコンとは、ざっくり言うとスマホを発信器として使う技術で、少ない消費電力で、数m以内に情報を発信し続けることができる技術だ。
Bluetooth ビーコンにより発信される情報は、「識別子」と呼ばれるスマホ本体とひも付けて情報をやり取りする。この識別子は毎日ランダムに変わり、ウイルスの潜伏期間に相当する14日間が経過すると破棄される。
識別子の情報はスマホの中のみに保存され、機能を提供するアップルやグーグルからは取得できない。また、接触確認アプリのサービス上には保存されるが、識別子を見ただけでは、スマホ保有者の情報は分からないようになっている。
「誰が使っているのか」は国も分からない仕組み

日本の接触確認アプリでは「位置情報」は記録されない。保存されるのは、他のスマホが発している識別子と「接触した記録」だ。アプリを導入したスマホ同士が近くにある場合に、相手方の識別子と日時を元に計算された「接触符号」がお互いのアプリに記録される。それをもって「接触」と見なすわけだ。
アプリ利用者の感染が発覚した場合、接触した履歴がある人、つまり、感染が発覚した人の識別子を記録しているアプリに通知が送られる。濃厚接触の疑いがある人として、保健所の調査の対象となる。
感染者がアプリを使っていたとしても、識別子を陽性として登録するかどうか(通知を送るかどうか)については保健所にて改めて同意を取る仕組みとなっている。また、通知を送られた側は、どの陽性者の識別子かは特定できない。つまり、誰が感染したかの情報は明らかにならないよう、プライバシーに配慮された仕様となっている。
以上をまとめると、接触確認アプリの仕組みは次のようになる。
・接触確認アプリは、「スマホとスマホが接触した履歴」を保存する
・感染が発覚すると、接触者に通知が送られる
・位置情報は保存されない
・アップルやグーグルは仕組み上、個人情報を把握することができない
・政府が取得する個人情報は、感染発覚後に通知に同意した人のみ
なお、接触確認アプリでは日本独自の機能として、「1日に接触した人数」をアプリで表示する機能の導入も検討されている。 政府はこの機能に行動変容を促す効果がある(接触を避けるようになる)と見ているようだ。アップルやグーグルが提供している技術を用いて実現するには課題があるとしており、解決次第、実装される見込みだ。
目標の「人口の6割導入」達成が困難なお粗末なワケ
安倍首相は5月25日に行った緊急事態宣言解除の記者会見において、接触確認アプリをクラスター対策強化のカギであると説明し、以下のように付け加えた。
「オックスフォード大学が発表したシミュレーションによれば、このアプリが人口の6割近くに普及し、濃厚接触者の早期の隔離につなげることができれば、ロックダウンを避けることが可能となる」
安倍首相が言及したシミュレーションは、英オックスフォード大学のクリストフ・フレイザー教授のグループが発表したもの。論文ではアプリで感染者の効果的な追跡を行うアイデアについて、数理シミュレーションを用いて検証した上で、濃厚接触者の感染確認から隔離の期間を短くすることが感染拡大を防ぐ上で効果があることを示している。この試算結果では、「人口の56%またはスマホユーザーの80%がアプリを使用すれば、エピデミック(感染拡大)を防ぐことができる」としている。
しかし、“人口の6割”という目標は、ほとんど達成不可能な水準だ。理由は単純。日本のスマホ保有率が6割強しかないからだ。
政府CIOが公表した接触確認アプリの仕様書によると、スマートフォンの個人保有率が64.7%(令和元年版 情報通信白書)であることから、「最大で国民の6割以上が導入することを目指す想定」でシステムの拡張性を確保するとしている。スマホを持つすべての国民がアプリを導入して、ようやく達成できるのが6割という水準なのだ。この目標を実現するためには、LINE並み(ダウンロード数非公開、国内月間アクティブユーザー8400万人以上。「LINE Business Guide」より)の導入が必要になる。昨年日本で最もダウンロードされたアプリ(App Annie「モバイル市場年鑑 2020」より)である決済アプリの「PayPay」ですら、ダウンロード数は2500万件と、人口比でいえば2割に満たない。
とはいえ、導入が6割に満たなかったとしても効果が無いわけではない。例えば通勤電車内での接触者など、これまでの聞き取り調査では確認できていなかった濃厚接触者がアプリを通して判明する可能性もある。
また、対応人員がひっぱくしている保健所の省力化にも役立つ。実際、新型コロナウイルス感染症対策の専門家会議の提言では、省人化のための対策の一環として、アプリの活用を位置づけている。日本が効果を上げている、感染源を探るクラスター対策「さかのぼり接触者調査」を支えるものとして、アプリから得られる情報は有効に機能するだろう。
試される日本人のITリテラシー
このBluetooth ビーコンを使って場所を探す仕組みは、数年前から存在する「忘れ物防止タグ(スマートタグ)」とほぼ同等の内容だ。実際に使っている人が多いほど、有効に機能する仕組みといえる。
「接触確認アプリ」が実際にコロナ対策に効果を発揮するかは、どれだけ普及するかによっても大きく左右される。プライバシーの問題以上に課題となりそうなのは、スマホユーザー各個人に使ってもらうまでのハードルの高さだ。
人が能動的にアプリをダウンロードして機能を設定するのはハードルが高い。行動経済学の「デフォルト」に関する有名な例え話では、臓器移植のドナーをめぐる話がある。臓器提供の意思表示について「同意する」を能動的に選択する国では、同意率が10%ほどにとどまるのに対して、移植しない場合に「同意しない」と申告する必要がある国では、同意率が実に90%ほどにのぼっている。
たとえ無料で使えるとしても、ユーザーが「面倒さ」の壁を乗り越える必要があるという点は普及の妨げになりそうだ。利用を法律で強制することもなく、言い換えればユーザーの善意の協力に頼るような設計となっている。ただし、運用次第では「アプリで通知された人が優先してPCR検査を受けられる」といったインセンティブが働くかもしれない。
竹村直一 IT政策担当大臣は5月26日の記者会見で「せめて6割ぐらいは、あるいは8割の人に使ってもらえれば理想だ」と言及。そのためにプライバシー保護を重視した設計としたと説明している。接触確認アプリが実際にどれだけの効果を発揮するかは、政府・厚労省による啓発活動の効果と、日本人のITリテラシーが試されるところになろう。