Nstock代表取締役CEO 宮田昇始氏
Nstock代表取締役CEO 宮田昇始氏
  • ユニコーン・SmartHRの創業者が株式報酬の会社を始めた理由
  • SOなどの株式報酬の違いが日米の差が拡大する大きな要因になっている
  • 人材不足や制度の課題により株式報酬が魅力的に見えない日本
  • 「小粒IPO」横行の理由にもなる税制適格SOの行使期限
  • 「保管委託要件」は未上場会社のSO行使を事実上阻んでいる

日本のストックオプション(SO)制度の課題は、スタートアップ人材の課題、ひいては日本の人材活用や投資活動など広く社会・経済活動全般にも関わる問題だ。法制度、慣習など、スタートアップに人が来ない、急成長スタートアップから起業する人が少ないという課題はなぜ生まれるのか。

昨年11月、日本におけるSO契約書のひな形「KIQS(キックス)」を公開したNstock代表取締役CEOの宮田昇始氏が、この課題について政府や社会への提言と、スタートアップにとっての実践的な解決法の両面から、前後編にわたって論ずる。前編となる本稿では、日米の株式報酬制度の違いや制度上の問題について解説する。

ユニコーン・SmartHRの創業者が株式報酬の会社を始めた理由

──SmartHRの代表を退任し、株式報酬の会社を立ち上げました。その理由は。

2021年の夏、私は創業したSmartHRの役員合宿で代表取締役CEO退任を表明しました。2022年1月には対外的にも退任を公表して、取締役ファウンダーとして新規事業を担当することに。そして同月、SmartHRの100%子会社として、株式報酬管理SaaSなどを開発するNstockを設立しました。

SmartHRにはいくつかのグループ会社があって、私も新規事業担当役員として彼らの開発した事業の担当は継続して行っていますが、それだけでは少し仕事が少なすぎると考えていました。

その頃、SmartHRの社内Slackにある新規事業を考えるチャンネルで、当時執行役員だった高橋さん(現Nstock取締役・共同創業者の高橋昌臣氏)がCFO玉木さん(SmartHR取締役CFOの玉木諒氏)に「ストックオプションを管理するSaaSのニーズってないですか」と投げかけていました。このスレッドが大変盛り上がり、2週間で120件もの返信がつきました。最後の方には「これは面白い」と、私も事業計画に近い企画書をスレッド上に投稿します。それがNstockのもとになるアイデアとなりました。

──Nstockで目指すことは何ですか。

日本のスタートアップエコシステムをより強くし、さらにスピードアップして回転を上げること。そしてストックオプション(SO)や譲渡制限付株式ユニット(RSU)といった株式報酬は、そのための最初の入り口となると考えています。スタートアップの株式報酬制度を変えることで、人の流れもお金の流れも強いものがつくれると思います。

海外ではこのエコシステムがすごい。たとえばSmartHRにも出資する米国のベンチャーキャピタル(VC)で、Sequoia Capitalが擁する事業体の1つ、Sequoia Heritageは、Sequoia Capitalが出資して成功した起業家たちが出資するファンドだといわれています。こうした流れがあることはすごく強い。お金だけでなく、人やノウハウまで一緒に流れていくことになるからです。

私たちもそれと同じように、スタートアップエコシステムの中にさらに強い流れを作り、日本からもGoogleのようなスタートアップが生まれる土台を整備したいと考えています。

SOなどの株式報酬の違いが日米の差が拡大する大きな要因になっている

──日本の株式報酬の何が課題と考えていますか。

日米の経済はこの30年間でかなりの差がついたとよく言われます。米国経済の成長要因をよくよく見てみると、もともとあった大企業が成長し続けているというよりは、新興企業、特にビッグテックと呼ばれる企業が成長の波に乗っていて、その差が大きいということに気づきます。

日米企業の時価総額の大逆転
日米経済は米国のビッグテックの成長により差がついている 画像提供:Nstock

この差の大きな要因の1つが株式報酬であると私は考えています。

ビッグテックでは、おおむね1〜2%の株式報酬が従業員に配られています。

たとえばGoogle(Alphabet)は時価総額が約150兆円あります。そのうちの2%、約3兆円分を毎年社員に譲渡制限付株式ユニット(RSU)やストックオプション(SO)といった株式報酬として配っているのです。単純に社員数で割ったとしても、1人当たり2000万円強という計算になります。また、もらったタイミングでは2000万円の株だったとして、2年、3年たって株価が2倍、3倍となれば、その額は4000万円、6000万円と増えていきます。こうした株式報酬を毎年もらえるとなると、かなりのインパクトがあります。優秀な人材が集まり、定着しますし、より時価総額を上げるためにがんばるということにつながります。

一方、日本国内で見るとどうでしょう。大手IT企業の例としてソフトバンクを挙げると、時価総額10兆円に対して株式報酬は0.013%、13億円ほどにとどまります。内容としては、ほとんど役員報酬としての位置付けと考えられ、「全社を挙げて時価総額を上げていこう」というモチベーションには、正直つながりにくい構造になっていると思います。

日米企業の差、圧倒的に劣る株式報酬
日米の株式報酬の差 画像提供:Nstock

新興企業ではメルカリやラクスルが、米国のビッグテック並みの株式を報酬として出していくという、先進的な取り組みを行っていますが、まだほんの一握りの会社の動きにとどまっています。

人材不足や制度の課題により株式報酬が魅力的に見えない日本

──米国と比較して日本で株式報酬が根付きにくい理由はありますか。

私が昨年1月24日、Nstock設立を発表して、すぐに参画したいと声をかけて入社してくれた野瀬さん(野瀬梓紗氏)は、前職のメルカリではSO発行をはじめとする株式報酬に関する業務を取り仕切っていました。メルカリの株式報酬専門チームには、兼務も含めると多いときで8人いたそうです。報酬設計から運用、株式売却まですべてを見ていたので、それでも相当大変だったそうですが、そうした体制をつくれる会社はおそらく、ほとんどないでしょう。

また、対応できる人を採用するのも、とても難しいです。というのも、株式報酬では、税務、会計、法律や、配り方も重要なので人事制度など、いろいろな要素が絡んできます。専門知識が必要で、オペレーションにも大きな負荷がかかります。

SmartHRで年末調整のプロダクトをつくったときには、「年末調整ってものすごく大変だから、ソフトウェアを作れば売れる」と思いましたが、株式報酬にかかわる業務は、話を聞いているとその3〜9倍ぐらいは大変だという感覚があります。SmartHRでも弁護士の資格を持つ人がメインで株式報酬業務を担当していましたが、普通のコーポレート業務の担当者がこの業務に当たるのは難しい。ですから、日本の一般的な企業では、株式報酬制度をきちんと使うことができていません。だからこそ、米国に負けているのだと思います。

──法制面などでも課題があるのでしょうか。

米国企業と同じことをしようとしても、日本では法律の制限でできないということもあります。さらに法的には問題がなくても、スタートアップの「慣習」でできない、といった要素もあります。

さまざまな制限によって、株式報酬制度が魅力的でないがゆえに、従業員も株式報酬を報酬と捉えることができていません。自発的に制度を勉強しようとか、リテラシーを上げる気にすらなれていない。自分の年収を知らない人は多分、あまりいないと思います。しかしこれが株式報酬の話になると、自分がいくら持っているのか、知らない人は大変多いのです。

SmartHRでもSOをもらっている人にアンケートを取ってみたのですが、自分がどれくらいのSOを持っているか、知っている人は4割ぐらいでした。シミュレーターを作ってオファーの時にそれを見せたり、その後もそれを使えるようにしたり、勉強会も定期的に行っていたのですが、それでも4割ぐらい。そこまで実施している会社も少ないはずですから、そうでない会社ならもっと、誰も知らないんじゃないかと思います。

「小粒IPO」横行の理由にもなる税制適格SOの行使期限

──そのほかに、SO制度の課題はありますか。

岸田内閣は先日、「スタートアップ育成5か年計画」を発表しましたが、その中にはSOに関するプランも結構盛り込まれています。代表的なものでは、税制適格ストックオプションの行使期限を延長する、というものが挙げられます。

税制適格SOは一般によく使われる、税金のメリットが大きいSOです。現在は税制適格SOの行使期限は10年で、社員に付与して10年たつと、完全に失効してなくなってしまうというルールになっています。

米国でも10年の縛りはあるらしいのですが、日本と少し状況が違う点は、未上場でもSOを行使して株に変えることができることと、その株を売れるセカンダリーマーケットという土壌が整っていて、買ってくれる人たちがいるということです。このため、10年の縛りが問題になるという話はあまり聞いたことがありません。

一方日本では、未上場株のセカンダリーマーケットがほとんど整備されていません。また行使して株に変えることは、法律上できなくはないのですが、かなり難しいです。そこで「10年以内にIPOしなければいけない」というような縛りがスタートアップに生まれてしまうのです。

最近IPOしたスタートアップでも、評価額が直近の資金調達ラウンドと比べて大きく下がる、ダウンラウンドIPOが目立ちました。本来、もう少し待ってIPOしたかった企業もあるはずですが、おそらくこのタイミングでのIPOとなった理由の1つには、SOも少なからず影響しているのではないかと思います。

私もSmartHRで、SOを発行して長い間事業を進めていると、みんながSOを行使できる期限が気になるという経験をしました。その期限を過ぎてしまうということは、社員とのコミュニケーションの仕方によっては約束を破っていることになりかねません。その後の人間関係にも大きなひびが入りますし、会社のレピュテーションとしてもマズい。それがもう実質、IPOしなければならないデッドラインになってしまっているのです。

日本のIPOを「小粒IPO」として批判する声もありますが、こうした10年の足かせが機能して、スタートアップのIPOを急がせる仕組みになっていて、それが「小粒IPO」を引き出している事情もあるのです。会社としてはもう少し未上場で頑張りたいと思っても、それをさせない仕組みとしてSOが働いてしまう。

5か年計画では、SO制度を変えるというプランの1つとして、税制適格SOの行使期間を10年から15年にするということが挙げられています。これはとてもよい変化だと思います。今まではレイターステージになってくると実質、IPOまでの期限もどんどん迫っていましたが、5年の猶予ができることでもっと未上場のまま粘る会社が出てくるのではないかと思いますし、「小粒IPO」をしなくても、余裕を持って自分たちのベストなタイミングまで粘ることもできるのではないかと思います。

「保管委託要件」は未上場会社のSO行使を事実上阻んでいる

──税制適格SOの行使期限が延長されれば、法的な課題はクリアになるということですか。

他にも税制適格SOを規定するルールとして、「保管委託要件」というものがあります。あまり聞いたことのない言葉だと思いますし、私も最近まで知りませんでした。

会社が税制適格SOを発行した場合、行使後の株式は証券会社に管理保管を委託しなければならないという決まりがあります。社員がその株を売却した際にきちんと納税につなげるためのルールだと理解しています。

ただ、同時に株式の発行体である会社は税務署にも、法定調書を通して証券会社に提出したのと同じようなデータを提出しています。また、「新株予約権原簿」という株主名簿のSO版のような書類もあるので、保管委託要件がなくても正しい納税とそのチェックは行えるはずだと思います。

事実、米国にはこの要件はありません。米国では株式を売却した社員が確定申告をきちんと行い、申告していなければペナルティがある、ということで完結しています。今の日本では過度に発行体である会社や権利者である社員に情報を求めすぎているといえます。

この保管委託要件があることで、未上場で税制適格性を維持したままSOを株式に変えることが難しく、さらに換金手段もない。M&Aの際にも会社がSOを従業員に渡していると、「そのSOを行使して株を買ってもらえばいい」という話には基本的にならないのです。

手段がまったくないわけではありません。上場会社では「ほふり」、つまり証券の保管振替制度を用いて株式のデータをやり取りするので、上場すれば証券会社もSO行使後の株を受け入れることができ、保管委託要件を満たせます。ただ、未上場会社ではほふりにデータを載せることはできず、管理できません。では、未上場株で保管委託要件を満たすにはどうするのか。時代に逆行するのですが、株式総会を開いて会社の定款を変え、「株券発行会社」に移行して紙の株券を発行するという方法を採れば、法的な要件は満たせると考えられています。

しかし普通の証券会社ではリアルな株券の管理体制も整っていませんし、預かるための金庫も必要とあって、容易には対応してもらえません。日本では、この方法により税制適格性を保ったまま権利行使ができる証券会社は、私が知る限り1社だけです。1社あるからよいということでもなく、紙の株券を発行するというトリッキーな手段が必要な上に、証券会社のキャパシティによっては受け入れてもらえないかもしれないということは、法律上の課題があるといえるでしょう。

前編に続き、後編では法制度の課題以外にも横たわる慣習の問題や、スタートアップエコシステムを活性化するにあたってあるべき株式報酬の姿について聞いていく。