メルカリ取締役 President(会長)の小泉文明氏
メルカリ取締役 President(会長)の小泉文明氏
  • 「ミクシィを超える会社をつくりたい」という思い
  • 一度は考査に落ちた、メルカリのテレビCM
  • 「逆算思考」で一気に突き抜ける、メルカリ成功のターニングポイント
  • 新しい挑戦を続け、グローバルで勝つ。メルカリ、次の10年

“日本スタートアップの雄“として、メディアなどで取り上げられてきたメルカリ。創業からの10年間における同社の成功の要因には、スマートフォンの普及という社会環境の変化もあるが、それ以外にも大胆なマーケティング施策の展開、採用力の高さなどが挙げられる。

創業者である山田進太郎氏の“右腕”として、プロダクトの広報・PR、組織づくり、採用などを一手に引き受け、会社を成長させていく役割を担ったのが、現在は取締役 President(会長)兼鹿島アントラーズ・エフ・シー代表取締役社長の小泉文明氏だ。「Winner Takes All(勝者総取り)を常に意識してきた」という小泉氏は、当時無名だったメルカリをどう普及させていったのか。創業から10年のタイミングで、改めて「メルカリのつくり方」について小泉氏に話を聞いた。

「ミクシィを超える会社をつくりたい」という思い

──創業から約9カ月、2013年12月にメルカリに参画しています。ミクシィの取締役執行役員CFOを退任後、いくつかのスタートアップを支援していたと思いますが、当時どのような考えで創業間もないメルカリに飛び込むことを決めたのでしょうか。

もともと、進太郎さん(メルカリ代表取締役CEOの山田進太郎氏)とは昔からの知り合いだったので、彼が2013年2月にメルカリを創業し、7月にアプリをローンチしていることは知っていました。それこそローンチ前の大変なタイミングで内藤さん(ドリコム代表取締役社長の内藤裕紀氏)も交えて飲みにも行きましたし、六本木のスタンディングバー「awabar」で開催されたローンチパーティーにも松本さん(元メルペイCPOの松本龍祐氏)と一緒に行きました。そのタイミングでは、メルカリのことは友人として見ていたという感じです。

その後、11月ぐらいにインターネット業界の知り合いたちとご飯に行く機会があって。そのメンバーの中に進太郎さんも含まれていたのですが、彼から「その前にお茶できる?」というFacebookメッセンジャーで連絡があり、軽く話をすることになったんです。

進太郎さんから「小泉さんは今後何がやりたいの?」と聞かれ、当時自分が考えていたのは「ミクシィを超えるような会社をつくりたい」ということでした。「その可能性がありそうな会社があれば一緒にやりたいと思っている」と伝えたら、「じゃあメルカリで一緒にやろうよ」という話になったんです。

フリマアプリは自分が好きな「インターネットによる個のエンパワーメント」という文脈にも合っているし、プラットフォーム型のサービスということで、自分がミクシィで培ってきた経験なども生かせるなと思ったんです。その後、共同創業者の富島寛さん、石塚亮さんの2人と話をし、12月に参画することになりました。

──当時から「メルカリは勝てる」という確信があった。

その確信はありましたね。フリマアプリは1社が大きく勝ち切る、いわゆる「Winner Takes All」のビジネスだと思っていました。メルカリが誕生する1年前から女性向けフリマアプリという切り口で「Fril(現:ラクマ)」が先行していましたが、まだ“Winner”と言えるほど大きく勝ち切れている状況ではない。自分がこれまでに培ってきた知見やノウハウをすべて注入し、Winnerになるために全力で走れば、絶対勝てると思っていました。

一度は考査に落ちた、メルカリのテレビCM

──当時のメルカリは山田さんがプロダクト開発に注力し、それ以外のことは小泉さんが担っていたと思います。メルカリをWinnerにするために、具体的にどんなことをやったのか。改めて教えていただけないでしょうか。

会社の経営は、「自動車」に例えると分かりやすいです。前輪がプロダクトだとすると、後輪が広報・PR。良いプロダクトを開発し、それをきちんと世の中に伝えていくことが根幹にあります。そこに資金という“ガソリン”があって走ることができる。そして、ハンドルを握って運転する役割を担うのが経営・人事というイメージです。このすべての要素がきちんと噛み合わないと、会社はうまくいきません。

当時のメルカリは良いプロダクトはあるけれど、広報・PRができていない状態だったんです。Winnerになるためには、後輪をどう回していくかがすごく重要になるな、と。もちろん、PRにも力を入れるのですが、認知度を一気に高めてアプリのインストール数を増やし、GMV(流通取引総額)を上げていくには、ペイドメディアを活用した広告にも力を入れていかないといけない。そのためには当然、一定の資金も必要になります。

メルカリに入社後、まずは資金調達の交渉とテレビCMの制作を同時並行で進めていきつつ、「テレビCMを放送したら現状のカスタマーサポート(CS)では対応しきれなくなる」と思っていたので、CS仙台オフィスの立ち上げもやっていきました。

メルカリのグロースの変遷 出典:メルカリ
メルカリのグロースの変遷 出典:メルカリ

それに加えて、メルカリはプロダクト開発をする会社から、きちんと事業を伸ばしていく会社に移行していくフェーズにありました。そのためには評価制度やロードマップを策定しなければならないですし、優秀な人材を採用していくためには会社の志や夢、実現したい世界などを示していかなければいけません。今後会社を大きく成長させていくためにはミッション・ビジョン・バリュー(MVV)があるべきだと思い、その策定も進めていきました。

入社から3カ月間はこれらの事柄に全力で取り組み、やりきったという感じです。結果的に2014年3月末に14.5億円の資金調達を実行し、ゴールデンウィーク明けにはテレビCMを開始し、そこから一気にサービスを伸ばしていくことができました。

当時を振り返ってみると、「テレビCMは絶対成功する」という前提のもとで動いていたので、結果的にはそれが良かったんだと思います。これは今だからこそ言える話ですが、当時はまだスタートアップやスマホアプリに対する信用が低かったこともあり、メルカリのテレビCMは一度、考査(広告主のサービス内容とCM表現が民放連の放送基準に抵触していないかを確認する作業のこと)に引っかかってしまったんです。

──CM考査に落ちてしまった、と。

「メルカリ!」という音の高さやスピードなど、かなり細かい部分にまでこだわってCMは制作していたのですが、広告代理店から「考査に落ちてしまいました。このままだとACジャパンのCMが流れることになります」と言われて。このCMには、数億円規模の資金を投じていたので、CMが流れないことになったら、まずいことになると思いました。

それで自分は大和証券SMBC(現:大和証券)でIT企業のIPO(新規株式公開)を担当していた経験から、すぐに東京証券取引所に提出する上場審査資料のフォーマットをもとに、メルカリの企業情報を書いて、提出すればいいのではないかと考えたんです。

そこから3日間くらいは、その資料の作成に時間を費やしました。さまざまな情報を記載していく中で、結果的に重要な役割を果たしてくれたのがCS仙台オフィスの存在でした。100人規模のカスタマーサポートの拠点があるなら大丈夫だろう、ということで考査を通り、何とかゴールデンウィーク明けにテレビCMを開始することができたんです。「CMは絶対成功する」という前提のもとで動いていたからこそ、今のメルカリがあるのかなと思います。

この10年間の中で、当時が一番「終わった」と思った瞬間でもありましたが、結果的には何とかなったので、本当に良かったなと思います。

「逆算思考」で一気に突き抜ける、メルカリ成功のターニングポイント

──また、メルカリが成長するきっかけとなった出来事のひとつに、2015年に発表したヤマト運輸との提携があると思っています。

自分が“いちユーザー”としてメルカリを使っていた際に感じていた不満が「配送が面倒くさい」ということでした。この課題を解決するには、大手の運送会社と提携するしかないと思っていたんです。ミクシィ時代、ミクシィユーザーであれば、相手の住所や本名が分からなくても年賀状を届けられる「ミクシィ年賀状」というサービスをやっていた経験もあり、この仕組みを活用する形で、何か配送サービスをつくれそうだなと思い、2014年2月14日のバレンタイデーの日にヤマト運輸さんに提案をしに行きました。

そこでは「全国一律」「定額」「エスクロー(取引保全)の導入」という3本柱で配送サービスの提案を行い、翌年の2015年にサービスが開始されました。

個人的な感覚としては、メルカリが成功している状態を起点に、そこから逆算する形で「今後何が必要になるか?」を考え、課題を潰していっているというイメージです。

──逆算思考でさまざまな施策を展開していった結果、メルカリは短期間で急成長を遂げたと思います。ただ一般的に、多くの会社は逆算思考ではなく、足し算で物事を積み重ねていく「積み上げ型」の思考をとりがちです。なぜ、メルカリは逆算思考で大胆な意思決定をすることができたのでしょうか。

それは「勝ち切らないと死ぬ」という危機意識があったからだと思います。ミクシィ時代、SNSを展開している会社は他にもたくさんあったわけですが、そのほとんどが潰れていったんです。結果的にミクシィは勝ち残ることができたのですが、その時の経験から競争が激しい業界では1位にならなければ、それ以外は死んでいくだけだということがわかって。その恐怖心や危機意識が今もあるからこそ、自分はずっとWinner Takes Allと言い続け、とにかく1位になることだけにこだわり、あらゆる施策を考えてきました。

突き抜けて圧倒的な1位になろうと思ったら、積み上げ型ではなく逆算型で大胆な意思決定をしていくしかありません。2014年当時、テレビCMに数億円の資金を投資するという意思決定に対して恐怖心もありましたし、ヒリヒリする感覚も味わいました。

ただ、自分にとってはそれがメルカリを成長させる原動力になりましたし、恐怖心があったからこそ頑張れるという側面もあったのかなと思います。あとはミクシィを退職してからメルカリに入社するまでに1年半くらい“何もしていない期間”があり、その期間があったからこそ、死ぬ気でメルカリの成長に向き合えたんだと思います。

──逆算思考で考える、という側面においてミッション・ビジョン・バリューの存在も大きかったのでしょうか。

そうですね。メルカリはミッション・ビジョン・バリューを何より大事にしていますし、自分も常にミッション・ビジョン・バリューを口に出すようにしています。

それはなぜかと言うと、経営者は会社を経営していくと次第に会社の人格と自分の人格を同質化させてしまいがちだからです。その結果、意思決定が経営者の価値観のもとで行われるようになります。そうすると、会社が経営者の器以上に大きくなっていきません。だからこそ、メルカリはミッション・ビジョン・バリューを策定し、それを実現するためには何が必要かを考えるようにしました。その考え方がベースにあったからこそ大胆な意思決定もできますし、ユニークな人事制度などもゼロベースで考案することができたと思います。

新しい挑戦を続け、グローバルで勝つ。メルカリ、次の10年

──メルカリには各分野のトッププレイヤーが集まっており、過去には「人材のブラックホール」と呼ばれていたこともありました。メルカリが創業期から優秀な人材を採用し続けられたのは、なぜだったのでしょうか。

優秀な人材を集めることが、アウトプットの最大化につながると思っているので、進太郎さんも自分も採用には意識的に時間を割くようにしていました。優秀な人たちが「メルカリで働きたい」と思えるような採用ブランドの構築は創業期から意識していましたし、その点においてもミッション・ビジョン・バリューの存在が大きかったと思います。

個人的には採用において、『ウォー・フォー・タレント』(翔泳社)という書籍に書かれている「これからのリクルーティング戦略」の項目をすごく参考にしました。経営陣も毎週の全社定例で「良い人がいたら声をかけてください」と言い続けていましたし、何より事業が右肩上がりで成長しており、社内に良いモメンタム(勢い)が生まれていたからこそ、全員が自然とリファラル採用をやっていました。採用ブランドも大事ですが、それ以上に事業がきちんと伸びていることも採用においては大事だと思います。

──この10年でメルカリの規模も大きくなり、求める人材の要件も変わってきたと思います。そうした中でも、メルカリが“メルカリらしさ”を維持し続けられているポイントは何だと思いますか。

メルペイやメルコイン、メルカリShopsなど、ミッション・ビジョンを実現するために新しい事業に挑戦し続けていることが大きいと思います。これまでに失敗もたくさんしてきましたが、打席に立ってフルスイングし続けている。この姿勢が“メルカリらしさ”をつくっているのだと思います。

また働くメンバーたちも、今のメルカリが完成形ではなく、まだまだ改善余地がたくさんあると思っています。周りからは「成功した会社」と思われているかもしれませんが、社内は「まだまだ勝ち切れていない」と思っている。だからこそ、この10年で組織規模は大きくなりましたが、今も“メルカリらしさ”が維持し続けられていると思います。

──最後にメルカリの“次の10年”の展望を教えてください。

次の10年は「グローバルで勝ち切る」ことに挑戦していきたいです。過去にはソニーやホンダがグローバルで成功し、日本の社会に大きなインパクトを与えたように、メルカリもグローバルで成功して、社会に大きなインパクトを与えたいと思っています。グローバルレベルで社会をより良い方向に、そして個人の可能性を広げていきたいですね。