
- “企業再生の職人”が掲げた2つの再建プラン
- 熱海に眠る「高級リゾート」としてのポテンシャル
- 「安い」からの脱却、モニターリサーチから見えた勝ち筋
- 「アマチュアの視点」を持つから、自由に未来を妄想できる
ホテル事業を手放します──。
急速に回復するインバウンドに向けて、日本の観光業が新たな打ち手を求められる中、熱海で始動した“攻めの変革”が注目を集めている。
変革の発信地は、創業から60年以上の歴史を誇るACAO SPA & RESORT。旧ホテルニューアカオ(2021年10月に社名変更)。静岡県熱海市の中心、市街地の南側に、市街地と同等規模の約70万平方メートル(21万坪)の土地を保有し、そのアクセスの良さから、昭和の時代には首都圏からの慰安旅行や新婚旅行の受け皿として栄えた。
しかしながら、需要の減少とともに業績は悪化。若いSNS世代の間では、「レトロな雰囲気が映える」と人気を集めたが、収益回復にはつながらず、2020年末時点での負債額は107億円まで膨らんでいた。

「出血が止まらない末期状態」だった同社の創業家3代目・赤尾宣長社長が“救世主”として迎えたのが、中野善壽氏。寺田倉庫CEOとして東京・天王洲エリアをアートの街へとリブランディングし、ワインや絵画などの高級品保管サービスなど付加価値を高める事業戦略で、同社をV字回復させた立役者として知られる。
中野氏は伊勢丹、鈴屋などファッション業界で新規事業や海外拠点開発に携わった後、台湾に移住。力覇集団百貨店部門代表、遠東集団顧問を歴任するなど、アジアのビジネスにも精通するほか、自ら財団を立ち上げるなどアーティスト支援や地方創生支援にも取り組む。今年79歳を迎えるとはにわかに信じられないほどパワフル。それでいて、少年のような軽やかさをまとい、幅広い世代のビジネスリーダーから慕われる。現在は、日本の各地、台湾、香港、シンガポールなどを飛び回る“企業再生の職人”だ。
“企業再生の職人”が掲げた2つの再建プラン
2021年3月にACAOの取締役会長として経営改革を任された中野氏は、就任翌月に「熱海市の再生と創生、そしてACAOの再建と創生」と銘打った“私案”を社内外で発表。ビーチ・港・駅ビルなどの整備によって、首都圏で働く現役世代や海外富裕層を熱海に呼び込む全体ビジョンと併せて、ACAOの経営改革を進める2つの具体案を掲げた。
その1つが、「ACAOが所有する不動産7%の売却」。
ここでいう7%とは、かつての稼ぎ頭だったホテルニューアカオとロイヤルウィング、それらにひもづく土地である。そしてこの“私案”はわずか1年半後には現実のものとなり、2022年12月に投資会社フォートレス・インベストメント・グループ系のShirakami特定目的会社に売却が決定。それぞれのホテルはマイステイズ・ホテル・マネジメントの運営に引き継がれた。
ACAOには創業期からの関係者を含めて株主が約500人いる。リゾート会社が看板事業のホテルを売却するという重要な決定に関して、全員の意見を取りまとめる時間はないと判断した中野氏は、「株主総会で議論はしない。トップの責任で決める」という覚悟でスピード交渉を進めた。

「企業再生を可能にするのは、意思決定のスピードと覚悟。早く決めなければ、従業員が明日にも職を失うかもしれなかった」
中野氏は、周りからどう評価されるかは一切気にしていないようだった。
売却に際しては、従業員の待遇をそのまま引き継ぐことを条件とし、雇用を守った。売却前にはホテルの一部客室を改装して単価を上げ、単月黒字化の実績も見せている。「いいものを安く提供するのをやめて、よりいいものに磨いて高く売る」というのが中野氏のビジネス流儀だ。
では、ホテルをやめて、何をするのか。
これが2つ目の経営改革案、「アーティストのパトロンが年間1万1000人集まる『ACAO ATAMI CLUB』の創生」につながる。2027年までに160億円の投資をすることを発表した同社の再生プランだ。

熱海に眠る「高級リゾート」としてのポテンシャル
中野氏が描く“未来の地図”はこうだ。
同社が保有しながらほぼ手付かずだった山林エリア約65ヘクタールを大規模再開発し、ドームテント型の宿泊施設を20棟ほど建てる。6月に鮮やかな紫色の花を咲かせる南方の木「ジャカランダ」を200本植え、オフシーズンも華やかに。
さらにビーチエリアにも高級ヴィラ12棟を建設し、こちらは旧知の建築家・隈研吾氏が設計を手がける。1棟ごとにオーナーと契約し、オーナーが使用しない期間はホテルとして貸し出せるモデルを想定している。


いずれもこの土地がもともと持っていた地形や自然の恵みを生かし、付加価値を高めるリバイバル戦略だ。しかも、熱海は東京都心から新幹線で40分程度のアクセスという優位性がある。
「1泊2食付きの価格競争を脱し、国内外の富裕層が訪れ、長期滞在する高級リゾートへ。ここの土地の価値は数年で数十倍に上がる。それくらいのポテンシャルがあります」
ホテルを手放し、再び宿泊事業へ。しかし、その中身は大きく異なる。中野氏はこれからの観光業が発揮すべき価値は「STAY」、つまり「そこに滞在する体験」の魅力であると語った。
「単に泊まって遊んで食べるだけじゃない。いかに、時間を楽しめるかどうか。ただそこに滞在するだけで心が満たされるような体験です。ACAOの経営再建を頼まれ、初めてこの土地に降り立ったとき、大きな可能性を感じました。私有地ゆえに維持されてきた手付かずの自然が、そこかしこに広がっていたからです。光と風、海という自然を前に、まったりと過ごせるシンプルな贅沢。この価値を磨くことに集中すると決めました」

何をどう活かせば輝くのか、答えはその場所が持っているのだと中野氏は言う。寺田倉庫CEO時代に天王洲エリアの再開発を決めたときも同じだった。「よく目を凝らし、耳をそば立てれば、やるべきことははっきりと見えてくるものです」。
2023年初めに米ニューヨーク・タイムズ誌が選んだ「今年行くべき世界の旅行先」の2位に、岩手県盛岡市がランクインしたことは記憶に新しい。
その選出理由が「混雑を避けて歩いて楽しめる美しい場所」であったことに象徴されるように、「美しい自然の中で、穏やかに過ごす時間」への需要が高まっているとも中野氏は見立てる。実際、すでに国内外から問い合わせが寄せられているという。

「安い」からの脱却、モニターリサーチから見えた勝ち筋
富裕層を集めた先のビジョンも明確だ。
ACAOに滞在する顧客に期待するのは、熱海に集まる若手アーティストを支援する“パトロン”の役割。地域を巡りながら気軽にアート作品を購入できる仕組みなどを促進し、文化芸術活動を支える循環型の街づくりを目指す。
その実現のステップとして、アーティスト200〜300人が創作活動をしながら安心して暮らせる環境「アーティスト・ヴィレッジ」を整える準備も、熱海市などと連携して進めている。また、2021年より市内各地をアート作品で彩るイベント「ATAMI ART GRANT」を企画開催し、これまで累計23万人を動員した。アートを通じて関係人口を増やすことが、街の風景を明るくし、経済を潤すと構想する。

新たな建設計画だけでなく、既存施設のリバイバルにも着手している。例えば、敷地内の20万ヘクタールの丘陵地に位置し、600種4000株のバラやハーブを楽しめる「ACAO FOREST」。カフェや撮影スポットなどを充実させ、2023年2月までに入園料を1000円から3000円へと値上げした。実はこの決定の根拠となったのは、コンサルタントの助言やデータ分析ではない。中野氏独自の“モニターリサーチ”の結果だった。

中野氏は“モニターリサーチ”についてこのように語る。
「東京に暮らす若い人たち数組に2万円を渡して『このお金を使って熱海に行って、自由に過ごしてみて』とお願いしたのです。後から何にお金を使ったかを聞いてみたら、『お金が余っちゃった』と言うのですよ。往復新幹線代7000円、お土産代に3000円くらい使ったほか、駅前で名物のプリンを食べて、ACAO FORESTで夕方まで過ごしたけれど、それでも余ったと。それを聞いて僕は、『提供している価値に対して価格が低いのではないか』と思ったのです」

映画館では2時間過ごして2000円。一方、ACAO FORESTは優に4〜5時間を過ごせるが、その入園料が1000円。価格が3倍になれば、売り上げも3倍になる。年間来場者30万人で9億円稼ぐことができれば、従業員の給料も無理なく上げられる。たとえ来場者が20万人に減ったとしても、十分に耐えられる。むしろ「安いから」という理由で選ばれる戦略を“とらない”のが、これからの勝ち筋と見据えている。

「アマチュアの視点」を持つから、自由に未来を妄想できる
このモニターリサーチが物語るように、中野氏は「アマチュアの視点」を積極的に取り入れる経営者だ。
「僕はあえてプロの話は聞かないようにしています。専門外の、特に若い人のほうが先入観なく本質的なことを捉えている事が多いのです。それに僕自身も、観光業のプロではありません。これまで55年以上仕事をしてきましたが、8社ほど転々として、なんのプロにもなっていない。でもだからこそ“妄想”ができる。過去の実績や常識にとらわれず、自由に未来を妄想することからスタートできるのです」
ACAOにとっても、地域にとっても"よそ者"でしかなかった中野氏は、自治体や地元企業・観光・交通各社などさまざまなステークホルダーとの対話を重ねて味方を増やしている。「地域や街の発展なくして、企業再生はあり得ない」という信念によるものだ。そして、企業の再生には、「再建・創生・創造」の3つの要素が必要と中野氏は繰り返す。
「再建とはすでにあるものを整理し、集中すべき資産を決定すること。ベースが整ったら、創生。新しい芽を育てるための種を蒔くことです。そして、未来をつくる創造。これには大胆な妄想力が不可欠です。僕が見届けられる未来は、長くてもあと20年かもしれません。でも、きっと誰かがこの妄想の続きを描き、実現してくれることでしょう。サグラダ・ファミリアを設計したガウディになった気分で、はるか先の未来を楽しみにしています」
