
- ARR100億円を超えるSaaSが7社、Sansanやラクスは200億円超え
- 冬の時代と言われるゆえんは「バリュエーション」
- SaaS企業は「大排気量型経営」から「燃費重視型」へ
- 成長SaaSのカギを握る「マルチプロダクト化」
- SaaSの産業化へ、日本固有の課題にアプローチする事業者に期待
上場SaaS企業の株価の下落と、それに伴う未上場企業のバリュエーション水準の低下──。2022年は国内のSaaS企業にとっても大きな変化の年になった。
そのような背景もあり、一部では「SaaSはオワコン」、つまりSaaSの時代は終わったという声も挙がったが、果たして実態はどうなっているのか。
本稿では複数のSaaSスタートアップに投資をするUB Venturesで代表取締役マネージング・パートナーを務める岩澤脩氏とチーフアナリストの早船明夫氏と共に、同社が3月に公開した「SaaS Annual Report 2022 ‐ The Key to Industry Transformation ‐」を基にしながら、2022年の日本のSaaS市場の状況やトレンドを振り返っていく。
ARR100億円を超えるSaaSが7社、Sansanやラクスは200億円超え

早船氏は2022年の国内SaaS市場の全体感について、「たしかにバリュエーションの面では大きな影響がありましたが、その一方で成長しているSaaS企業のファンダメンタルは変わっていません。むしろ、やや加速してるぐらいだと感じています」と説明する。
「定量的にもSaaS市場全体の市場規模予測は上振れで更新されているという調査もあり、実態として大きく下がっているわけではないというのが現状です」(早船氏)
数年前であれば「年間経常収益(ARR)100億円」がSaaSスタートアップにとっての大台と言われていたが、2022年末の段階では7社がその水準に到達。Sansanやラクスのように200億円を突破する企業も出てきた。
早船氏によると2021年の調査では「100億円超えが4社、200億円超えはなし」だったことからも、上位のSaaS企業が事業規模を拡大していることがわかる。
その背景にあるのが「複数プロダクトの仕込みと代理店戦略」(岩澤氏)だ。主軸となるプロダクトを持ちつつ、隣接領域へと事業を拡張している企業が目立つ。
Sansanは2020年5月に立ち上げたインボイス管理システム「Bill One」が好調で、2022年11月時点で単体のARRが20億円を超える規模に成長している。
「楽楽」シリーズを展開するラクスもARRが10億円を超える規模のプロダクトを複数保有。近年はfreeeやマネーフォワードのような成長SaaS企業が、M&Aを実施しながら事業を多角化する動きも出てきた。
また「SaaSの売り方」が変わってきている側面もある。“直販”に固執せず、代理店と連携することで顧客層を広げようとする企業が増えてきた。
「Zoomですら売上におけるパートナー比率が60%を占めていると言われています。パートナーの相手も(ITベンダーなど)従来型の代理店に限らず、通信会社や金融機関などに広がってきているのが特徴です。(代理店側が)既存顧客のデジタル化を支援するソリューションとして、SaaSを扱い始める例が増えてきています」(早船氏)
例えば東京のSaaS企業が、自分たちの力だけで地方の中小企業との接点を広げていくのは簡単ではない。豊富なネットワークを持つ代理店と組みながら「(接点のない)マジョリティ層へどのようにサービスを届けていくか」に目線が向いてきているという。
「2022年はSaaSがキャズムを超え始めた1年になった。スタートアップやIT企業といったアーリーアダプターから、大手企業や中小企業、地方企業などのアーリーマジョリティー、レイトマジョリティーの層に広がり始めている実感があります」(岩澤氏)
SaaSの広がりや代理店との取り組みの拡大は、関連するビジネスの登場からも伺える。“社内で増え続けるSaaS”を効率的に管理するためのサービスが日本でも増加。代理店との連携を後押しするSaaSも登場している。
冬の時代と言われるゆえんは「バリュエーション」
一方で「バリュエーション」については明確に影響があった。SaaSが冬の時代と言われるのも、この部分が大きい。
国内の上場SaaS企業は世界的な新興株安の影響を受けて株価が下落。新たに上場する企業でも「公募割れ」するケースが出てきた。SaaSに限った話ではないものの、2022年にはスタートアップの上場延期の発表も見られた。
そのような状況下において「SaaS企業が買われるM&A」が増えている。
2021年は拡大中のSaaS企業が隣接領域のスタートアップを買収する動きが加速したが、2022年はバリエーション水準が低下する中で、今後の成長への打ち手としてSaaS企業が事業会社などのグループに入る動きが増えた。

M&Aという観点では「買い手(M&A先)の多様化が進む」というのが岩澤氏の見立てだ。
米国では「2021年時点でVCが保有するスタートアップの株式をエグジットする先として、PEファンドが20%を占める」という調査結果が出ている。この割合はここ数年で増してきており、日本でも同様の動きが広がる可能性があるという。
「カーライルによるユーザベースの買収が1つのターニングポイントになるのではないかと考えています。今後『上場したものの単一プロダクトで成長限界に達してしまい、成長が鈍化して市場から評価されにくくなっているSaaS企業』や、『未上場のまま拡大を続けているが、ファンドの期限の関係でVC側が売却する必要があるスタートアップ』も出てくる。そこで(M&A先や株式の引き継ぎ先として)PEファンドが出てくるのではないかと予想しています」(岩澤氏)
実際に岩澤氏のもとには、直近数カ月の間だけでもそのような動きを見据えた国内外の複数のPEファンドの担当者から、問い合わせやヒアリングの依頼が届いているという。
SaaS企業は「大排気量型経営」から「燃費重視型」へ
バリュエーションの水準が低下した中でも、SaaSスタートアップの資金調達総額は前年に比べて増加している。ただし「調達した社数」は減っており、「1社当たりの調達金額」が高くなった構図だ。
2022年にはLegalOn Technologies(旧LegalForce)やアンドパッドなど3桁億円規模の大型調達も目立った。

岩澤氏や早船氏によると、未上場SaaS企業の評価において重要視される指標も変化してきている。特に「どれだけ効率よく新規顧客やARRを獲得できているのか」を指す「バーンマルチプル」が活用されるケースが増えているという。
「(SaaSスタートアップへの投資における)去年のテーマは完全にバーンマルチプルだと思います。大量のマーケティングコストを投下してでもいかに多くのリードや顧客を獲得できるかが重要視されていたところから、成長率だけでなく成長の質が見られるようになった。言わば『大排気量型』から『燃費重視型』の経営への転換が求められているんです」(岩澤氏)
成長SaaSのカギを握る「マルチプロダクト化」
特定の領域や産業に特化したバーティカルSaaSにおいても、建設領域の課題解決に取り組むアンドパッドを筆頭に大型の資金調達を実施するスタートアップが増えてきた。
「(小売業界の)10Xや(貿易領域の)Shippioなど業界を代表する大手企業のDXを支援するようなスタートアップや、テイラー、Finatextのように基幹システムを代替するような事業者が出てきている」(早船氏)点も近年の変化と言える。

今後のSaaS企業の成長を占う上でも1つのキーワードとなりそうなのが、「マルチプロダクト化」だ。
筆者が資金調達時のSaaS企業経営者に取材をしていても「マルチプロダクト化やオールインワンプロダクトを目指していく」という話を聞く機会が増えてきた。目指しているビジョンや事業規模を達成するためには「単一プロダクトでは難しい」という声を聞くこともある。
「上場SaaS企業のファンダメンタルを見ても、二極化が加速しています。ARRが100億円規模まで成長しているSaaSの特徴は何か。1つの要因になっているのが『プロダクトの多様性』です。上場をしてからマルチプロダクト化をすることは簡単ではないと各社が気付き始めていて、数年前と比べても、より早いタイミングで複数のプロダクトを仕込むことが求められてきています」(岩澤氏)
SaaS領域では、1つのデータを基軸に複数のプロダクトを展開する「コンパウンドスタートアップ」という概念も広がり始めている。シリーズAの段階で、法人支出管理に関連する複数のプロダクトを展開するLayerXはその代表例だ。
この潮流はとても興味深いものだと言えるだろう。一昔前であれば、リソースが限られるスタートアップこそ「選択と集中」が重要であり、早くから複数の事業に挑戦することが必ずしも良しとはされていなかった。リソースが分散され、投資効率が良くないと考えられていたからだ。
岩澤氏も「実際にユーザベースの場合もNewsPicks立上げの際『リソースを分散させず、まずはSPEEDAに注力した方がいい』と周囲から言われた」という。
「単一プロダクトで、座布団積み上げ型モデルのSaaSが評価されづらくなっている。マルチプロダクト化に早期から取り組む、もしくは(単一プロダクトであれば)本格的に海外に出ていくことが必要とされるフェーズに変わったのだと感じます」(岩澤氏)

SaaSの産業化へ、日本固有の課題にアプローチする事業者に期待
「SaaSバブルの終焉と、そこからの再起」──。 岩澤氏は2022年のSaaS業界をそのように振り返る。
「近年はSaaSバブルとも言える状況で、各社のビジネスの本質的な価値が見えにくくなっていた部分があると思うんです。それがバーンマルチプルを代表とするように、成長の質や利益の厚み、健全な資本効率などが改めて重要視されるようになった。ある意味経営の原点に回帰した1年であり、そのことは業界にとっても価値があることだと考えています」
「多くの場合、新しい産業ができ上がっていく過程では、一度熱狂が起こった後にその流れが落ち着く段階があり、その中で生き残ったプレーヤーたちが産業を作っていく。日本のSaaS市場もその転換点となる局面にさしかかっているのではないかと思うんです」(岩澤氏)
この4〜5年でSaaSプロダクトが少しずつ普及し、IT企業だけでなく大企業や中小企業などにも浸透し始めている。SaaS経営のノウハウや事例など「ビジネスモデルの型」ができ始め、事業者の視点でもSaaSビジネスに挑戦しやすい土壌が整ってきた。
「SaaSのビジネスモデルの型化が進んだのと同時に、(SaaSのユーザーが)アーリーアダプターからマジョリティー層へと拡大した数年間だったと思います。徐々にSaaSが産業インフラに向かって前進している中で、今後は『SaaSがどの領域にひもづき、社会課題を解決するソリューションとして爆発的に広がっていくのか』に注目をしています」(岩澤氏)
岩澤氏がポイントに挙げるのが「日本の固有の課題に対してアプローチをするSaaS」の台頭だ。
「少子高齢化に伴う日本の労働人口の減少は、世界最速で進んでいます。もはや、海外のケーススタディは(日本に)追いつかなくなっていて、海外で先行するSaaSをタイムマシン的に展開するということも通用しなくなりつつある」
「むしろ世界は、日本が人口減少社会の中でどのようなイノベーションを生み出すのかに注目をしています。人口減少社会での生産性向上という日本固有のペインを解決するSaaSは、ある意味、世界最先端であり、グローバル展開も含めた大きなチャンスがあります」(岩澤氏)
具体的な領域として特に以下の3つの領域にアプローチするバーティカルSaaSには今後大きな可能性があり、注目しているという。
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労働人口の減少が早い産業(農業・林業、建設業、製造業)
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急速に進展する高齢化社会を支えるインフラ(終活、相続、介護)
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大量人材供給によって成立していた産業(物流、小売、サービス業、教育)
これらの業界は、既に人手不足が顕在化していて、1人当たり生産性を高めることに迫られている。医療、飲食などの領域に比べるとSaaSを展開するプレーヤーも少ない。
「例えば農業生産管理SaaSや介護施設向け経営管理SaaS、終活・葬儀プロセス支援SaaSなどは、日本が最も先行するペインなので、もっとプレイヤーが出てきて欲しい」と岩澤氏は話す。
テクノロジーという切り口では、大規模言語モデルを軸に「AI×SaaS」が注目の対象となりそうだ。連日のようにChatGPTやGPT-4、生成系AIのトピックが話題を呼んでいるが、こうした技術の活用次第で「業界地図が大きく変わる」可能性がある。
「(AIの広がりによって)単に業務効率化をしますというだけだとインパクトが弱いと思われてしまう。生産性向上が至上命題の日本で、そのSaaSによって従来は10人でやっていたことが1人でできるようになる、さらに売上の拡大にもつながるという価値を出すことをSaaSは求められていると考えています」(岩澤氏)