Mantra Engineの画面イメージ
AI活用のマンガ翻訳サービス「Mantra Engine」のイメージ
  • マンガ特化の翻訳システムとして拡大、大規模言語モデル統合の新エンジンも
  • エンタメ領域でも高まる「AI翻訳」の可能性

集英社がスタートアップと連携し、多言語での人気マンガ作品の同時配信を加速させる。

7月24日より海外向けマンガアプリ「MANGA Plus by SHUEISHA」にて、『ONE PIECE』と『SPY×FAMILY』のベトナム語版について、日本語版との同時配信を始めた。今回ベトナム語版の翻訳を支援しているのは、マンガに特化したクラウド翻訳ツールを開発するMantra(マントラ)だ。

同社が手掛ける「Mantra Engine」では、AIによって自動で翻訳された内容をもとに、プロの翻訳者が修正や校閲をする。いわば“人と機械のハイブリッド”のマンガ翻訳により、質を維持しながら、翻訳にかかる時間やコストを削減できるのが強みだ。

マンガの多言語サイマル配信(複数言語で同時に最新話を配信すること)は国内外のファンが同時に最新話を楽しめるだけでなく、海外海賊版の対策にもなりうることから出版業界では注目を集める。一方で最新話を同時配信するためには、翻訳作業を4〜7日程度の短期間で完了させなければならず、これが高い壁となっていた。

Mantra側の担当者としてプロジェクトをけん引した関野遼平氏によると、今回の取り組みの背景にも「期間」の問題があったという。

これまでもMANGA Plusでは英語版を筆頭に、複数言語での同時配信に取り組んできた。通常は現地の出版社がパートナーになることが多いが、ベトナム語版の展開に関しては納期の面で負担が大きいことなどから、実現には至っていなかった。だがMantra Engineを使うことで、その課題がクリアできたのだという。

Mantraでは2021年にも小学館と翻訳システムを用いた日英版の同時配信プロジェクトを実施しており、今回はそれに続く新たな取り組みとなる。

なおMantraは2022年10月に集英社を含む複数社から資金調達を実施している。同年6月からは集英社の協力のもと、人気マンガで英語を学べる学習サービス「Langaku(ランガク)」も運営してきた。

マンガ特化の翻訳システムとして拡大、大規模言語モデル統合の新エンジンも

Mantraは2020年設立のスタートアップ。東京大学の情報理工学系研究科で博士号を取得した、2人の研究者が立ち上げた。

代表取締役の石渡祥之佑氏は自然言語処理領域、共同創業者でCTOの日並遼太氏は画像認識領域が専門で、互いの知見をかけあわせてMantra Engineを開発した。

Mantra Engineには大きく2つの特徴がある。1つはマンガに特化した機械翻訳システムであること。マンガの機械翻訳においては、吹き出し内の文字や多様なフォントを正しく認識できなければ成り立たない。Mantraではマンガに特化することで、専用の文字認識エンジンと、機械翻訳エンジンを作り込んできた。

Mantra Engineの画面イメージ。6月には大規模言語モデルを統合した新エンジンの提供を開始した
6月には大規模言語モデルを統合した新エンジンの提供を開始した。画面は開発中のもの

もう1つの特徴は、翻訳者などにとって「共同作業用のソフトウェア」として機能することだ。

マンガの翻訳版の作成にあたっては、言語の翻訳作業だけではなく、翻訳した内容を吹き出しの中に入れる“デザイン的な作業”や内容の校閲や監修のような作業も含まれる。

こうした作業は「最初の工程がExcel、その次がPhotoshop、その次がさらに別のサービス」といったように、異なるソフトウェアが使われることも多く、業務効率の観点で改善の余地があった。

Mantra Engineでは一連の作業や担当者間のコミュニケーションが1つのサービス上で完結し、複数の工程を同時並行で進めることもできるため、作業スピードの向上が見込めるのがポイントだ。

このような以前からの特徴に加えて、6月からは大規模言語モデル(LLM)を統合した新たな翻訳エンジンの提供も始めた。関野氏によると、大規模言語モデルの統合によって機械翻訳の正確性や一貫性が強化されただけでなく、マンガの対訳データが少ない言語への翻訳精度が大幅に改善されたという。

「これまでは限られた言語では精度が良かったものの、対訳データが少ない言語においては(機械翻訳の)品質に課題があった」(関野氏)が、新エンジンによって対応できる言語の幅が広がった。

今回の集英社との取り組みにおいて、短期間でのベトナム語の翻訳支援を実現できた背景には、大規模言語モデルを用いた新エンジンの存在も大きかったという。

エンタメ領域でも高まる「AI翻訳」の可能性

直近ではマンガ特化の深層学習モデルを開発するOrangeが約2.5億円を調達するなど、国内でも新たなマンガ関連スタートアップが生まれてきている。大規模言語モデルが普及すれば、マンガに限らず「AI翻訳」の活用シーンは今後さらに広がっていきそうだ。

実際にMantraにも、機械翻訳を用いた新たなビジネスに関する問い合わせが増えてきているという。同社としても今後はマンガに力を入れつつも、ゲームや映像など他のエンタメ領域にも事業を拡張していく計画だ。

「最近は運営型のゲームが主流で、(ゲーム内で)定期的にイベントを開催したり、内容をアップデートしたりしながら展開していく作品が増えています。他言語で同時展開をするとなると、マンガの連載と同じようにリアルタイム性が重要になる。そこが(従来の翻訳のやり方では)課題になっていました」

「また小説のようにテキストの量が多いコンテンツの翻訳は、どうしてもコストがかかってしまいます。あらかじめヒットすることが見込める作品でなければ、翻訳版に挑戦するハードルが高かったんです。このようなスピードやコストの問題は、機械翻訳と相性が良い。(機械翻訳を活用して)より多くのエンタメコンテンツを翻訳できるようになっていけば、マンガ以外の領域も含めて、言語の壁を下げていけるのではないかと考えています」(石渡氏)