
- 「過小評価されている魚」のポテンシャルを解き放つ
- ハイブリッド魚×東京海洋大学の技術で新しい養殖業の実現へ
- 独自のブランド魚であれば「魚種自体の魅力で勝負ができる」
- 食のビジネスをやりたくて商社を選択、フードテックで起業
- 卸売業者からは「絶対にうまくいかない」
東京海洋大学発の革新的な品種改良技術を活用して、「世界一旨い魚を創り、届ける」──。そんなビジョンを掲げる日本発の水産スタートアップがある。
社名は「さかなドリーム」。その名のとおり“夢のような魚”の養殖を目指し、2023年7月に本格始動した。
日本近海には4000種以上もの魚類が生息していると言われているが、市場に広く出回っているのはその一部のみ。中には優れた味を持つものの、漁獲量が限られることや養殖が難しいことなどから、滅多に出回らない魚も多い。言ってみれば“幻の魚”が何種類も存在しているわけだ。
そんな幻の魚を、独自の品種改良技術によって安定的に養殖生産できる品種にして、世の中に届けていく。それがさかなドリームの描くビジネスだ。
「我々の事業は新しいタイプの養殖業です。異なる種類の魚を掛け合わせることで生まれる、ハイブリッド魚の生産販売に取り組みます。日本の水域に生息している4000種類以上の魚の中から味が際立っている魚を見つけ出し、養殖技術が確立している魚と掛け合わせる。そうすることで、抜群に美味しくて飼いやすい魚を養殖していくことを目指しています。社名の通り、夢のような魚を作っていこうという思いから始まった会社です」
そう話すのは、さかなドリームで代表取締役CEOを務める細谷俊一郎氏。新卒で入社した丸紅などを経て、兼ねてから関心があった食の領域で事業を興すべく、4人のメンバーでさかなドリームを立ち上げた。
キーワードは「ハイブリッド魚」と「代理親魚技法」。東京海洋大学の研究を軸とした、独自の取り組みについて聞いた。
「過小評価されている魚」のポテンシャルを解き放つ
「カイワリ」という魚をご存じだろうか。漢字で書くと「貝割」。アジ科の一種で、尻尾の部分が貝を割ったような形をしていることから、その名がつけられたと言われている。

「ニッチな魚なので、ご存知ない方も多いかもしれません。僕自身もこの事業を始めるまで、聞いたことすらありませんでした。カイワリは漁師の方や水産卸業者の方の間で味に対する評価が非常に高く、最も好きな魚に挙げる人もいるほどです。一方でまとまった量が獲れないことや、消費者から知られていないこともあって、なかなか高値が付かない。そのため、わざわざ市場に持っていくのではなく、産地で消費されることも多いんです。個人的には、過小評価されている魚の一種だと考えています」(細谷氏)
現在さかなドリームでは自社ブランド魚の第一弾として、このカイワリを片親とした独自のハイブリッド魚の飼育試験に取り組んでいる。
養殖のノウハウが確立している他の魚と組み合わせることで、カイワリの味を引き継いだ魚を、安定的に養殖生産するのが狙いだ。

さかなドリームではカイワリのような希少魚を探索し、パートナーの養殖業者とともに他の魚と組み合わせた独自のハイブリッド魚を生産する。成長した魚は自社で買い取り、自社のブランド魚として販売していく。
ビジネスモデルは「生産した魚を販売して利益を得る」というシンプルなものだ。
「日本の養殖技術は世界でもトップクラスのレベルですが、品種改良という観点では農産物や畜産物と比べても歴史が浅く、大きな可能性を秘めています。実は日本で海面養殖されている魚は、ブリ類、マダイ、クロマグロ、ギンザケの4魚種で生産量全体の9割を占めると言われるほど限定的なのです。もっと多くの美味しい魚を届けられる仕組みを作ることができれば、日本の海や魚のポテンシャルをさらに解放できるのではないかと考えています」(細谷氏)
ハイブリッド魚×東京海洋大学の技術で新しい養殖業の実現へ
ハイブリッド魚という概念自体は以前から存在しており、さかなドリームの試み自体が“日本初”なわけではない。
例えば近畿大学が開発したブリとヒラマサのハイブリッド魚「ブリヒラ」は北関東を中心に展開するスーパー・ベイシアなどが扱っている。同社の発表によると段階的に養殖量を増やしている状況で、2022年には近大生まれのブリヒラ8万尾を販売した。
飲食チェーン店などでもハイブリッド魚が試験的に提供されており、2022年夏にはスシローがタマカイとクエから成る「タマクエ」を期間限定で販売している。
一般消費者への普及にはまだほど遠いが、小売業者や飲食業社が新たな商品を展開して差別化を測っていく上で、ハイブリッド魚がその選択肢の1つになり始めているとは言えるだろう。
さかなドリームも自社のハイブリッド魚の販売を見据えているが、同社の特徴となりうるのが、その生産方法だ。
ベースとなっているのは、東京海洋大学教授の吉崎悟朗氏が研究してきた「代理親魚技法」にまつわる技術。吉崎氏はさかなドリームの共同創業者の1人であり、この春には研究が評価されて紫綬褒章を受章した。
代理親魚技法では、移植元となる魚(ドナー)の生殖幹細胞を、別の魚(宿主、代理親)に移植する。生殖幹細胞は魚の精子や卵のもととなる細胞で、これを移植することにより、宿主が成魚になった際に“ドナー由来の魚”を産ませることができる。
上述したカイワリの取り組みではカイワリがドナーとなり、宿主を担う別の魚がカイワリに由来する魚を産む。吉崎氏の研究では世界で初めてヤマメにニジマスを産ませることに成功したほか、「サバからクロマグロを産ませる」研究なども進めているという。

養殖の観点では、そもそも養殖の難易度が高かった魚を安定して生産できるようになる可能性があるほか、コストの軽減も見込める。小さな魚を代理親にすれば、限られたスペースで、餌代を抑えながら育てられるからだ。
生殖幹細胞は凍結保存が可能なため、絶滅の恐れがあるような希少な魚の「種の保存」にもつながりうる。
この技術の存在は、さかなドリームの事業においても大きいと細谷氏はいう。
「希少魚の完全養殖の実現はとても難しいのですが、代理親魚技法を用いると、ターゲットとする魚がわずか一尾でも手に入れば、次世代のハイブリッド魚を量産することができます。また生殖幹細胞は(一定の時間内であれば)死んだ魚からでも採取できるため、必ずしも生きた状態の希少魚を収集しなくても、プロジェクトを前に進められるんです」(細谷氏)
独自のブランド魚であれば「魚種自体の魅力で勝負ができる」
細谷氏によると、養殖業者の間では海水温の上昇や気候変動などの影響で、養殖の環境が変わってきていることが課題の1つになっている。
もし南方の暖かい海に生息している魚をハイブリッド魚の片親にできれば、水温が高くなっても養殖生産を継続できるかもしれない。代理親魚技法は、そのような可能性も秘めているという。
また既存のハイブリッド魚の中には、養殖環境を逃れて自然界に流出したと見られるケースもあり、一部では生態系のバランスを危惧する声も挙がっている。
さかなドリームでは、養殖の過程でハイブリッド魚が海に流出した場合でも自然の生態系に影響を与えないように、先天的に不妊、もしくは不妊処理を施したハイブリッド魚の養殖生産を進めていく方針だ。
そうすることで、さかなドリームが扱う魚種は、今後も同社が独占的に扱うことができるといったメリットもある。「複数のブランドが乱立していて、魚種そのものの魅力では差別化が難しい既存の魚とは異なり、魚種自体の魅力で勝負ができると考えています」(細谷氏)。
食のビジネスをやりたくて商社を選択、フードテックで起業
「これだったら、世界でも戦える事業を作っていける可能性がある」。
細谷氏は吉崎氏と、吉崎氏の研究室の出身で東京海洋大学の准教授を務める森田哲朗氏(現・さかなドリーム取締役CTO)と初めて話をした際、そのように感じたと振り返る。

もともと細谷氏は総合商社の丸紅に新卒で入社し、穀物の流通や事業企画に携わった。ファーストキャリアに商社を選んだのも「食のビジネスをやりたいと思っていたから」だ。
丸紅を退職後は、上場企業やベンチャーなど複数社で経験を積んだ。起業を決意した際も食に関わる事業で挑戦したいと考え、さまざまなスタートアップが生まれているフードテック領域に注目したという。
もっとも、大学の研究室などのツテがあるわけではなかった。そこで頼ったのが、いくつもの研究開発型スタートアップに投資をしているBeyond Next Venturesの有馬暁澄氏だ。
有馬氏は細谷氏の丸紅時代の後輩で、同社を退職した後も定期的に近況報告や情報交換をする間柄だった。
「技術シーズを紹介してくれないか」。細谷氏がそのように相談を持ちかけたところ、有馬氏からは会社の支援プログラムを通じて、一緒に研究開発型スタートアップの創業に取り組まないかと提案された。
そこで細谷氏はサントリー出身で前職時代の同僚でもあった石崎勇歩氏(現・さかなドリーム取締役CMO)とともに、Beyond Next Venturesが運営する創業支援プログラム「APOLLO」に参加することを決める。
細谷氏たちは同プログラムを通じてさまざまな研究シーズを模索するのと並行して、有馬氏がプロジェクトマネージャーを務める農研機構系の起業支援プログラムにも参加。そこで出会ったのが、吉崎氏と森田氏だった。
「それまでの半年間でさまざまな技術を検討していましたが、その中でも圧倒的に大きな可能性があると感じました。吉崎はこの領域においてトップランナーとも言える研究者ですが、自分の研究を社会実装するという観点では、試行錯誤をしていた。そのために自分の教え子であり、ニッスイで10年以上にわたって養殖技術の研究開発に従事していた森田に声をかけ、一緒に構想を練っていたんです」(細谷氏)
吉崎氏は大の釣り好きで、カイワリに目をつけたのも吉崎氏だ。最初はカイワリの養殖を考えていたが上手くいかず、別のアプローチとしてハイブリッド魚を試してみたところ、手応えを感じたという。
「価値観が一致したことも、一緒にやりたいと感じた理由です。吉崎とは親子くらいの年齢差があり、森田も私や石崎より一回りほど年上。自分たちからすれば2人はかなり先輩の研究者ですが、この研究を本気で社会実装したいという熱意や姿勢を尊敬していますし、何より全員が本気で事業に打ち込むという部分は共通していました」(細谷氏)
実はさかなドリームを立ち上げるまでにも、紆余曲折があった。細谷氏と石崎氏はもともと別の技術シーズを扱った事業を検討していたが、立ち上げ中の組織がまとまらず、空中分解してしまった経緯がある。
さかなドリームの設立自体は2023年の7月だが、それまでの期間も創業メンバーで入念に事業の構想を練り続けてきた。
卸売業者からは「絶対にうまくいかない」
さかなドリームでは9月29日にBeyond Next Venturesからシードラウンドで1億8750万円の資金調達を実施した。この資金を用いて魚種の研究開発や養殖生産体制の構築を進めていく計画だ。
創業前からチームに伴走してきた有馬氏は、事業性や市場性に加えて「未来を見据えながら、強い信念を持ちハードワークできるチームであること」を投資の理由に挙げる。
「アグリテックやフードテック領域においては、海外はクオンティティ(量)志向、日本はクオリティ(質)志向のスタートアップが多いように感じています。水産業の例を挙げると、海外ではトラウトサーモンの養殖を代表するように、特定の魚種においてクオンティティ面での変革を目指す企業が目立つ。一方でさかなドリームのように、さまざまな新しい魚種を生み出し、そこで高いクオリティを目指す企業は、世界的に見ても珍しいです」
「日本の強みでもある水産養殖の分野で、クオリティを追及できる独自の技術を持っていることは大きなアドバンテージ。今後の成長次第でユニコーン(時価総額10億ドル以上のスタートアップ)以上になれる可能性のある企業だと考えています」(有馬氏)
だが、新しい魚種を育て、販売するために乗り越えなければならない壁は高い。そもそも全く知らない魚を手に取ってもらうことは簡単ではない。いくら美味しかったとしても、食べてもらえなければその魅力は伝わらないだろう。
細谷氏たちが東京・豊洲市場の卸売業者に話を聞きに行った際、ある業者からは「高級魚はこの魚とあの魚といったように選択肢が決まっているから、あなたたちの事業は絶対に上手くいかないと思う」と言われたという。
「その言葉を受けて、むしろこれはいけるかもと思いました。業界の方からそのように思われるということは、少なくとも既存の事業者は同じようなことをやらないだろうと。我々はスタートアップなので、そういう事業にチャレンジしていきたい。仮説としては、自分たちの魚の魅力がお客様に伝わりさえすれば、川下から需要を作り、流通の構造を変えていけると考えています」
「将来的には寿司屋でおまかせを注文すると、さかなドリームのネタが次々と出てくる。そのぐらいまで魚種を増やせるようにしたいです」(細谷氏)