
- 量子アニーリングのスペシャリストが開発するクラウドサービス
- 現実社会にある大きく複雑な問題をアルゴリズムの力で解く
- スマートシティをより近い未来に実現するために
従来型のコンピュータより効率的に計算ができるとされる量子コンピュータ。IBMやGoogle、Microsoft、Alibabaといった巨大テック企業のほか、D-Wave SystemsやRigetti Computingといったスタートアップも加わり、ハードウェア開発が盛んに行われている。また、Amazon Web Service(AWS)が量子コンピューティングのプラットフォーム「Amazon Braket」を米国で正式に公開するなど、周辺サービスも整備されはじめている。
その量子コンピュータの中でも、実用化で先行する量子アニーリング方式のマシンを対象に、「社会インフラに近い最適化問題」を解決するためのミドルウェア、「事業会社が使える」クラウドサービスを開発しているのが、東京工業大学発のスタートアップ、Jij(ジェイアイジェイ)だ。
jijは8月27日、ANRIおよびDEEPCOREをリードインベスターとして、みらい創造機構を引受先とする第三者割当増資を行い、総額約2億円の資金調達を実施したことを明らかにした。今回の調達は、2019年2月に同社が発表した、ANRIからの数千万円規模の資金調達に続くものとなる。
量子アニーリングのスペシャリストが開発するクラウドサービス
Googleは2019年10月、「量子超越」の達成、すなわち「量子コンピュータはスーパーコンピュータより実際に速く計算できる」ことを示す論文を発表した。Googleに対抗するIBMも2020年8月、自社の量子コンピュータの性能を7カ月で2倍に向上したと公表するなど、量子コンピュータの開発競争はヒートアップしている。
とはいえ、これらの量子コンピュータは実用化には最速でもまだ数年はかかるとされる「量子ゲート方式」を採用するもの。汎用性は高いが、実社会への応用はもう少し先だと見られている。
一方で、Jijが対象にする「量子アニーリング方式」のマシンは特定の問題、つまり「組合せ最適化問題」に特化したもので、より実用に近い存在だ。カナダのD-Waveが商用マシンとして実機を開発し、Lockheed Martin(ロッキードマーティン)やGoogleなどの大手企業が採用したことで、注目を集めている。
組合せ最適化とは、膨大な選択肢の中から最適な選択肢を探し当てるというもの。量子アニーリングによる応用が期待される産業分野としては、交通や物流、製造業のサプライチェーン、通信・インフラや材料開発プロセスの最適化、機械学習の効率化などが挙げられる。
Jij代表取締役社長の山城悠氏は「最適化問題を解くためのテクノロジーとして注目されている量子アニーリングと、実際に社会で解きたいと考えられている最適化問題との間には、だいぶ大きなギャップがあります。我々はそれを埋めるためのミドルウェアを開発しています」と話している。

量子アニーリングは1990年代、東京工業大学の西森秀稔教授と当時大学院生だった門脇正史氏によって考案された、量子力学を使用した組合せ最適化問題向けのアルゴリズムだ。Jijの創業メンバーは、全員、西森研究室の出身で、START(科学技術振興機構)の大学発新産業創出プログラムを通じて、2018年11月にJijを設立した。
これまでにPoC(コンセプト実証)を複数の事業会社と進めながら、同社のメインプロダクトとなるミドルウェア「Jij-Cloud」を開発し、一部企業にそのベータ版提供を始めている。
Jij-Cloudは使用するハードウェアを選ばず、さまざまな最適化計算用のマシンに対応する。D-WaveやMicrosoft、NEC、富士通、日立などが開発するマシンに対応すべく提携を進めており、彼らのハードウェアをサポートするミドルウェアを構築しているという。
「ミドルウェアを通すことで、各マシンの特性や量子アニーリングの奇妙な振る舞いを知らなくても、解きたい最適化問題を通常のコンピュータに飛ばすような形で扱えるようになるというのが、Jij-Cloudというプロダクトです」(山城氏)
事業会社との実証実験の一例では、豊田通商とMicrosoftとの3社連携で「交通信号制御の最適化」に取り組み、今年5月に研究結果を発表。この共同研究では「Azure Quantum」内の1サービス「Azure QIO」を活用し、従来型の最適化方式と比べてクルマの待ち時間を20%削減する結果を得ることができた。
また、2019年7月には東邦ガスと業務提携し、電気・ガスのインフラ領域でも最適化を進めていくことになっている。
現実社会にある大きく複雑な問題をアルゴリズムの力で解く
冒頭で挙げたAmazon Braketもそうだが、最近、さまざまな企業が量子コンピュータや量子アニーリングマシンを包括的に、同じインターフェイスで扱えるソフトウェアを提供しはじめた。ただ、山城氏は「いずれも研究者向けで、それぞれのハードウェアに簡単にアクセスできるプラットフォームにとどまっています」と話している。
量子アニーリングマシン向けに数式を変更するには経験や知識が必要だが、Jij-Cloudの特徴はチューニングの必要なく最適化問題を扱うことができるということだ。
「事業会社が量子アニーリングマシンを使うとき、ノイズの問題の解決や埋め込みと呼ばれるような操作は研究者や開発者が行わなければなりません。数式のパラメータ制御などはまだ技術的に研究者の範疇にある。それをアルゴリズムでオートメーション化して、通常のコンピュータを扱うような感覚で量子デバイスや最適化マシンを扱えるようにするのが我々の強みです」(山城氏)
事業会社に対しては、ハードウェアレイヤーから開発者レイヤー、さらにはもうひとつ上のアプリケーションレイヤーに近いレイヤーをサポートできるようなクラウドサービスとして提供することを目標としている、と山城氏は述べている。
「例えば物流ソリューションや信号機制御システムの裏の基盤として、実はJij-Cloudのソルバー(最適化ツール)が動いているというような構造を考えています。こうした上位レイヤーでは事業ドメインの知識が必要となるので、そこは現在、事業会社と一緒に作っているような形です」(山城氏)
もうひとつ、山城氏はJijが扱う最適化問題の規模と複雑さについても言及する。
「最適化問題には規模の大小があります。また問題の複雑さもさまざまです。我々が対象にしているのは、『今、計算困難でボトルネックになっているもの』、もしくは『今後現実となるMaaS(Mobility as a Service:移動のサービス化)やスマートシティなどの大規模なサービス』で、問題のサイズが大きく、問題の複雑さも大きな領域です」(山城氏)

既存のアルゴリズムやソフトウェアでも、問題のサイズが中規模であれば、複雑な問題でも比較的解けるようになっている。また問題がそれほど複雑でなければ、サイズが大きくても解くことができる。しかし、現実の社会に現れるような複雑でサイズも大きい最適化問題を解くことは苦手としている」と山城氏はいう。
「この部分を解けるソフトウェアはまだ、なかなかありません。問題ごとにエンジニアがアサインされて、問題の知識をたくさん埋め込んだソフトウェアを頑張ってチューニングして作ることが多く、そうでなければ最適化しないで人の勘を使うことになります」(山城氏)
山城氏は、Jijではアルゴリズムの力を使うことで、このような大きく複雑な問題を解けないハードウェアでも、問題を解けるようにするのだと説明する。
「大規模な(最適化)問題を汎用的に解くためのクラウドサービスを提供するとことによって、どんな人でも、どんな大規模なサービスでも最適化技術を簡単に取り入れられることができるようにするのが目標です」(山城氏)
スマートシティをより近い未来に実現するために
今後は「PoCプロジェクトを継続しながら、社会問題からのフィードバックでミドルウェアをより良くしていくための開発者やエンジニアを増やしたい」と山城氏は調達資金の使途について触れている。
また対象となる事業としては、物流、電気・ガスといったインフラ領域に加え、KDDI、日立製作所と進める5G通信に関するプロジェクトも既に実証を始動している。
「街をどう大きく最適化していくかといった課題は、先ほど説明した問題のサイズが大きく、複雑なエリアのもので、ソフトウェア、アルゴリズムとしてサービスを実現しにくいところ。そこをもっと円滑にして、スマートシティをより近い未来に実現できるようにするために、我々のJij-Cloudはあります」(山城氏)
また、産業の根幹にあるような材料、物体の構造の最適化も複雑で変数の大きい問題だとして、Jijが扱う対象として考えているという。この領域の最適化計算についても研究中で、今後、提携できる企業を探してアプリケーション化を目指したいと山城氏は話していた。